最低のクソ
貴族のことを俗に《三つ名持ち》と呼ぶが、これは名前が個人名、氏族名、家族名で構成されることに由来する。
名門ナセルスの家族名で呼ばれるこの男もまた、れっきとした貴族であり、かつ元老院主席の有力者なのだった。
「へえ、こいつは驚いたね。おっさん自身がこの国を二分してる勢力の親玉だったってわけかい。馭者なんて勿体ねェ。あんた、いい詐欺師になるぜ」
黒マントのひとりが詰め寄って、
「ナセルス様になんたる物言いだ!」
と、剣の柄でスキピオの首筋を打ち据えた。
「へ……わざわざ庶民に化けて情報収集たァ、ご苦労なこったぜ」
顔を歪め、片膝をつきながらも、スキピオは憎まれ口をやめようとはしなかった。
「エカサは生意気な商人どもが牛耳っておるのでな。貴族である余とても、手勢を自由に行動させるのは侭ならぬのだ。摂政の座についた暁には、それも一変させてみせるがな」
「ミトラをどうする気だい」
「知れたこと。王都に連行して、第三王妃と宦官どもの偽称を証明してもらうまでよ」
「じゃあ、あんたはミトラの正体を知ってたのか?」
「情報は入っとっておった。女児いうのは真っ赤な偽り、その正体は男児とな。しかし後宮の奥深くに隠れておって、確かめる手段がなかったのだ」
「王太子の候補はいるんだろ?だったらもう、どっちでもいいじゃねェか」
「貴様は、ことの大事がわかっておらぬ」
馭者あらため、ナセルスは首を振った。
「君主の世継ぎは、人の子であって人の子ではない。国の行く末さえ左右しかねん国家主権の継承者なのだ。王太子に万が一があれば、すぐに残る王子から新たな王太子をたてねば、国の乱れを招く」
「へえ?その割には手間を食ってんな。王太子を消しちまってから十年もたってんだろ?」
ナセルスの部下が躍りかかろうとするのを、ナセルスは鷹揚に制した。
「宦官風情が執拗に邪魔をしおったが、今度こそは決定的な弱味を掴んだぞ。かくも重要な王子の存在を、女児と偽り隠しておったと知れれば、どういうことになるか」
ものも言わず佇んでいたカトーが、
「ひとつ、教えてくれんか」
と、口を挟んだ。
「旧道でミトラを殺そうとしとった連中、ありゃー、あんたの差し金かいの」
「愚かなことを言うでないわ。陛下の御前に死体など晒せるものか」
「やっばりのう」
「陛下の御前で暴くことにこそ意味がある。あらためて礼を言いておく。貴様らの働きで偽称の生きた証拠を手中にできたのでな。これで王太子ホノリス、第三王妃タビア、宦官長ヤゴチエヌスは、偽称に関わった咎で死を賜ることになろう」
「ホノリスはまだ子供じゃろうが」
「生かしておいては後顧の憂いとなる。政治とはそういうものよ」
「もうひとつ訊くがの。ミトラをどうする気じゃ」
ナセルスは目を細めてゆっくりと、
「母子ともどもの、運命になろうな」
「あいつが何をしたってんだ!」
スキピオが叫んで飛びかかろうとした。
黒マントの下から次々と刃が迫り、カトーがとめなければ串刺しになるところだった。
ナセルスは地べたのふたりを見下ろしながら、
「ふむ。余とて血の通わぬ男ではない。陛下のお赦しがあれば、余の愛妾として側においてやらんこともないが……何しろ、あれほどの美貌なのでな」
ナセルスはベロリと舌をだして唇を舐めた。刃の切っ先に囲まれたスキピオが、
「詐欺師なんて、お上品なもんじゃなかったな。おっさん、あんた最低のクソだ」
「匹夫めらが、余の機嫌で命拾いをしたな。それ、はした金は返しておく」
と、カトーの金貨を投げて馬車に乗り込み、悠々と去っていった。
白刃を突きつけていたナセルスの部下が、ふたりを解放したのは、それから半刻あまりもたってからだった。




