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運ばれてきたパンと温かい野菜スープで手早く軽食を済ませた私は、用意してもらった実用的な服に着替えていた。
煌びやかなシルクのドレスや窮屈なコルセットは脱ぎ捨て、厚手の綿のブラウスに、乗馬用の丈夫な革のズボン、そして動きやすい革靴という出立ちだ。貴族の令嬢としては褒められた格好ではないかもしれないが、これから戦場に立つ者の身なりとしてはこれが正解だろう。
最後に、背中まである長い銀糸の髪を革紐で高い位置に一つにまとめ上げる。鏡の中に映る自分の顔は、青ざめてはいたが、瞳には確かな決意の光が宿っていた。右腕の傷も、新しく清潔な包帯に巻き直したおかげで痛みは幾分和らいでいる。
「エリシュカ様、準備はよろしいでしょうか」
天幕の外から、ヤン男爵の控えめな声が聞こえた。
「ええ、ヤン男爵。すぐに出ます」
天幕を出ると、すっかり昇った朝陽が野営地を照らしていた。ヤン男爵と共に、我々の本陣であるラドミール伯爵の巨大な指揮用テントへと向かう。
テントの中では、城壁内の市街地で兵士の指揮を執っていた下級貴族の一人、ヨゼフ卿が戻ってきており、伯爵に緊迫した様子で報告を行っている最中だった。
「――市街地に潜伏し、暴れ回っていた傭兵たちの掃討は概ね完了いたしました。降伏し、捕らえた傭兵の数は約二百名。しかし、ヴァーツラフ殿下の姿がどこにも見当たらないのです。公爵邸をはじめ、王城の各部屋、スラム街の隠れ家まで徹底的に捜索いたしましたが、どこにいません」
ヨゼフ卿の報告に、テント内にざわめきが起こった。
彼は続けて私の方へ向き直り、深く一礼した。
「エリシュカ様、ご安心ください。公爵邸は無事です。お屋敷の守護に残しておられた八十名の弓兵たちが、見事に傭兵達を撃退してくださったとのこと。使用人たちも全員無事で、現在、弓兵たちは完全武装でこちらへ合流するため行軍中です」
「本当ですか……! ああ、良かった」
私は胸を撫で下ろした。私が強引に連れ出された後、屋敷に残された者たちがどうなったか気がかりでならなかったのだ。弓兵たちが無事ならば、これほど心強いことはない。
しかし、問題はヴァーツラフ王子の行方だ。
ヤン男爵が、顎に手を当てて考え込むように口を開いた。
「二百の傭兵が市街地に取り残されていたということは、殿下も城内にいるはず。どこかの隠し部屋に潜んでいるのでしょうか? 或いは、我々の知らない王城の秘密の抜け道を使って、逃亡したという可能性は……」
ヤン男爵の疑問に対し、ラドミール伯爵は重厚な兜をテーブルに置きながら、鷹のような鋭い目で首を横に振った。
「いや、逃亡の可能性は低い。既に王都から外へ通じる水路や獣道に至るまで、我が兵の精鋭を配置して完全に塞いである。あの王子のことだ、どこかのワイン樽の中にでも震えて隠れている可能性もゼロではないが……現状、その線は薄いと考えている」
「なぜですか?」
私が尋ねると、ラドミール伯爵は地図の上に広げられた王都周辺の図面を指差した。
「実は、私が近隣の自領から重歩兵二千を率いて駆けつけたのは、陛下の崩御の知らせを聞く前……数日前からのことなのです。王都の周囲で、素性の知れない傭兵どもが不自然な動きを見せているという情報を掴み、万が一に備えて極秘裏に軍を動かしておりました」
伯爵の先見の明に、私は感嘆の溜息を漏らした。歴戦の将は、王都の異変をいち早く察知していたのだ。
「そして今朝、殿下が凶行に及んだという知らせを受け、私は即座に部隊を動かし、王都の唯一の門を完全に封鎖しました。……恐らく、私の到着と城門の封鎖は、殿下の予想よりも遥かに早かったのでしょう。殿下は、自身の手駒である五千の傭兵の『主力』を城内に引き入れるため、自ら王都の外へ出向いていた。しかし、戻ってこようとした時には、既に我が軍によって門が閉ざされていた……つまり、殿下は『自分の城に帰れなくなった』のです」
「なるほど……。市街地で捕らえられた二百名ほどの傭兵は、殿下が門の外へ行く前に、先行して城内に引き入れていたごく一部の部隊に過ぎなかったのですね」
私が合点がいったように頷いたその時、テントの外から慌ただしい足音が近づいてきた。
外周の巡回と斥候を任されていた部隊の指揮官だ。彼は息を切らしながら天幕に飛び込んでくると、片膝をついて叫んだ。
「ほ、報告いたします! 王都の南、高原の先に広がる丘陵地帯に、大勢の武装した兵士が集結しつつあります! 旗印はありませんが、その数、およそ五千!」
天幕の空気が一気に張り詰めた。
ラドミール伯爵は、自らの推測が確信に変わったというように、獰猛な笑みを浮かべて「やはりな」と低く呟いた。
「自ら軍を引き連れて戻ってきたというわけだ。自分が締め出されたことにも気づかずにな」
「伯爵、いかがなさいますか」
ヤン男爵が緊張した面持ちで尋ねる。伯爵は迷うことなく、力強い声で応えた。
「無論、籠城し、ヤクブ殿下の援軍を待つ! 我々が確保しているこの堅牢な二重城壁と城門は、そう容易く抜かれるものではない。城門の外側に重歩兵を分厚く配置し、壁の上からも矢を浴びせる。相手は烏合の衆、力攻めしか能がない連中だ。正面から受け止め、叩き潰してやろう!」
伯爵の号令と共に、天幕内の貴族たちは一斉に動き出した。
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王都を囲む、高さ十メートルを超える堅牢な外周城壁。
その上に立った私は、吹き抜ける風に髪を揺らしながら、眼下に広がる平原を見据えていた。
私の背後には、無事に合流を果たした公爵家の弓兵八十名が、弦を張り、矢を番えて静かに待機している。彼らの表情に恐れはない。皆、私を守るために命を懸ける覚悟を決めた精鋭たちだ。
「……来ましたね」
隣に立つヤン男爵が、低く唸るように言った。
高原の向こうから、土煙を上げて巨大な軍勢が押し寄せてくるのが見えた。整然とした陣形など存在しない。錆びた剣や槍、雑多な防具を身につけた男たちが、怒号を上げながら群れを成して進んでくる。
その中心で、一際目立つ見事な白馬に跨り、不釣り合いなほどに豪奢な黄金の甲冑を身に纏っている男がいた。
ヴァーツラフ王子だ。
彼は剣を振りかざし、ヒステリックな声を張り上げて傭兵たちを鼓舞しているようだった。距離があるため言葉までは聞こえないが、その傲慢で滑稽な姿は、一国の王子というより、盗賊団の頭目にしか見えない。
対する我々は、城門の前にラドミール伯爵率いる二千の重歩兵が、巨大な盾を隙間なく並べ、鋼鉄の壁たる「盾壁」を形成して待ち構えていた。その後方には長槍隊が控え、鉄壁の陣形を敷いている。
「突撃ーーーっ!!」
王子の甲高い号令が、風に乗って城壁の上まで響いてきた。
それを合図に、五千の傭兵たちが一斉に城門へと向かって駆け出した。彼らは数の暴力で押し切れると信じているのだろう。何の戦術もなく、ただ喚き散らしながら突っ込んでくる。
「構え!」
城壁の上で、私は右腕の痛みを堪えながら、高く左手を振り上げた。
八十名の弓兵が一斉に弓を引き絞る。ギリギリと弦が軋む音が、私の耳を打った。




