↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】婚約破棄ですか? どうぞご勝手に  作者: 逆立ちハムスター


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

口約束の婚約破棄

「き、貴様ら……! 誰の権威に向かって口を利いているか分かっているのか! 私はいずれこの国の王になる男だぞ! 私に逆らうということは、国王に逆らうのと同じだ!」


王子のわめき声が空しく響く。

確かに、彼を支持する貴族たちはいる。いわゆる「第一王子派」と呼ばれる者たちだ。

だが、彼らがヴァーツラフ王子に従っているのは、決して彼の器量や人柄に惚れ込んでいるからではない。ただ単に、「トマーシュ国王の第一子である」という血筋の事実を優先しているに過ぎないのだ。


この国を古くから牛耳る保守的な貴族たちにとって、最も重要なのは「長子相続」という古き良き伝統である。伝統が守られることこそが、彼ら自身の既得権益を守ることにも繋がるからだ。だから彼らは、ヴァーツラフ王子がどれほど愚かであろうと、神輿としては軽い方がいいとばかりに彼を支持するふりをしている。

王子本人への忠誠心など、そこには欠片も存在しない。現に今、王子が一人で私の執務室に怒鳴り込んできている間、彼を取り巻き、甘い言葉を囁いていた貴族たちの姿はどこにもないではないか。誰も、王子の私怨による暴走に巻き込まれて、泥を被りたくなどないのだ。


「……殿下は、ご自身の立場を少し過信しておいでではないでしょうか」


私は冷ややかな視線を王子に向けた。


「殿下のご素行の悪さは、今や王都の民ですら知らぬ者はおりません。政務には一切関心を示されず、昼夜を問わず酒を飲み、湯屋の女たちを城に引き入れての放蕩三昧。さらには、少しでも気に入らないことがあれば、使用人に暴力を振るう猟奇的なまでの短気さ……」

「黙れ! 王族の嗜みだ! 貴様のような堅物の女に私の高尚な遊びが理解できるはずもない!」


高尚な遊び。思わず失笑が漏れそうになるのを、私は必死に堪えた。

ヴァーツラフ王子は、政治的に無能であるだけでなく、外交面でも国に多大な損害を与え続けている。


その最大の要因が、この世界で最大の宗教勢力である「オルフェ教会」に対する態度だ。

オルフェ教会は、国境を越えて人々の信仰を集め、各国の王族ですら教皇の権威には頭を下げるほどの絶大な力を持っている。しかし、ヴァーツラフ王子は「神などという目に見えないものに頭を下げるのは、弱者のすることだ」と豪語し、洗礼の儀式以来、一度たりともオルフェ教会の礼拝に顔を出していない。

そればかりか、教会の使者が訪れた際にも、二日酔いを理由に面会をすっぽかしたことすらある。


その結果、周辺諸国からの彼に対する評価は「神をも恐れぬ野蛮な異端者」「礼節を知らぬ奇異な愚者」として完全に定着してしまっている。周辺国の王族が集まる夜会でも、ヴァーツラフ王子が近づくと皆があからさまに距離を置く始末だ。彼が次期国王になれば、我が国はオルフェ教会から破門され、国際社会から孤立するのではないかと、まともな貴族たちは皆、頭を抱えているのである。


では、なぜ彼がまだ第一王子としての地位を保っていられるのか。

それは単に、決定権を持つ国王トマーシュ陛下が、現在王都を留守にしているからだ。


現在、我が国は西の国境地帯において、未曾有の危機に直面している。凶暴な異民族の大群が押し寄せており、トマーシュ国王自らが周辺国家の連合軍と共に、自国の軍勢を率いて前線で指揮を執っているのだ。王都から遠く離れた戦地にいる国王には、王都の細かな内情や、王子の度を越した愚行の数々が正確には伝わっていない。


そしてもう一人、この国には真の希望とも呼べる存在がいる。

王の本命であり、いずれ間違いなく王太子に指名されるであろう人物――ヴァーツラフ王子の異母弟、第二王子のヤクブ殿下だ。


ヴァーツラフ王子とは対照的に、ヤクブ殿下は幼い頃から武芸と学問において非凡な才能を発揮してきた。民を慈しむ温厚な性格でありながら、戦場では鬼神のごとき働きを見せる。何より、オルフェ教会との関係が極めて良好であり、教会の上層部からも厚い信頼を寄せられている。

現在、ヤクブ殿下は東の辺境で発生した吸血鬼の群れを討伐するため、オルフェ教会が主導する聖騎士団と、有力貴族たちが供出した私兵軍をまとめ上げ、最高指揮官として遠征に赴いている。


西の国境で命を懸けて異民族と戦う国王トマーシュ。

東の辺境で人類の敵である吸血鬼と戦い、教会との強固な同盟関係を築き上げているヤクブ殿下。


この二人の英雄が国を守るために血の滲むような努力をしているというのに、安全な王都の奥深くで、魔獣の犬を売り払われたからと顔を真っ赤にして喚き散らしている第一王子。

その対比は、あまりにも滑稽で、惨めだった。


「エリシュカ! 貴様、私の顔を見て何を嘲笑っている! 私の婚約者という立場を失えば、貴様などただの行き遅れの女だぞ! 今すぐ土下座して泣いて謝るなら、愛人の一人として置いてやっても――」

「喜んでお受けいたしますわ」


私の言葉は、王子の甲高い怒声を刃物のように断ち切った。


「は……?」


ヴァーツラフ王子は、予期せぬ返答に虚を突かれたように口を半開きにして固まった。彼の頭の中では、私が婚約破棄の言葉を聞いて泣き崩れ、すがりついてくるとでも思っていたのだろうか。


「婚約の破棄、謹んでお受けいたします、と申し上げたのです」


私はドレスの裾をつまみ、この上なく優雅な、非の打ち所のないカーテシー(淑女の礼)をして見せた。


「殿下がおっしゃる通り、私のような『血も涙もない冷酷な女』は、心優しく『子供たち』を愛する殿下のお隣には不釣り合いでございましょう。殿下のような素晴らしいお方には、もっと相応しい、例えば湯屋で殿下に酌をしてくださるような、愛情深い女性が王妃となるべきですわね」

「き、貴様……!」

「それに、私が独断でオルトロスを処分した責を問うというのであれば、喜んで王室裁判の場に出向きましょう。――ああ、ですが残念ながら、私を裁くための裁判を開くにも、国王陛下のご帰還をお待ちいただかねばなりませんね。殿下ご自身の権限では、私を法廷に引きずり出すこともできませんから」


わざとらしく同情するような溜息をついてみせると、ヴァーツラフ王子の顔は赤から紫へと変色し、今にも血管が破裂しそうなほどに引き攣った。


「貴様ぁあああ! 私を、私をコケにする気か!!」

「滅相もございません。私はただ、事実を申し上げたのみです。では、婚約は破棄されたということで合意いたしましたので、私はこれにて失礼させていただきます。引き継ぎの書類は後ほど文官を通じてお渡しいたしますわ。これまで私が殿下の代わりにこなしておりました内政の決済、商人たちへの支払い、他国への外交書簡の作成など、明日からは全て殿下ご自身でなさってくださいませ。……ご健闘をお祈りしております」


言い残すと、私は呆然と立ち尽くすヴァーツラフ王子を一瞥することもなく、踵を返した。

近衛兵たちは、私が通るためにスッと無言で道を開けてくれる。その動きの滑らかさが、彼らの意志を雄弁に物語っていた。


扉を抜け、冷たい石造りの回廊を歩き出しながら、私は右腕の包帯をそっと撫でた。

痛みはあるが、心はこれまでにないほど晴れやかだった。


(さあ、どうなるかしらね……)


国王トマーシュと、第二王子ヤクブ。

二人の英雄が過酷な遠征から凱旋した時。王都を預けていたはずの第一王子が、優秀な婚約者を身勝手な理由で追い出し、政務を完全に放棄して国を傾けている事実を知ったら。

そして、あの厄介なオルトロスの件の全貌を知った時。


国王は、そして真にこの国を支える貴族たちは、果たして誰を断罪するだろうか。

愚かな王子の破滅へのカウントダウンは、今、彼自身の口から告げられた言葉によって、確実なものとなって動き出したのだ。


私は、窓から差し込む美しい夕日に目を細めながら、足取りも軽く自分の私室へと向かった。

長い、本当に長い悪夢が終わったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。