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【9】≪豪運のアリア≫と*番目の『家』【本編完結】

日の暮れた窓の外に夜の帳(とばり)が落ちる。暗闇に包まれた屋敷の中、アリアのいる応接室は、暖かな魔石ランプが幾つも配され、光に満ちて昼と変わらぬ明るさであった。辺境伯家の財力と権威を示す灯りの強さに、アリアは青灰の目を細めた。


別邸建築は無事に終わった。結局、襲撃事件から二週間かかったが、もとが無茶な納期だ。十分に早く完成させた方だろう。担当工事が終わった後に、関係者が残していった捨て台詞を思い出し、アリアは遠い目をした。


『……アリアちゃんや。聖魔法の重ね掛けで長年の腰と膝の痛みがなくなったのはありがたいんじゃが……限界というのは越えてはいけない壁なんじゃぞ。ちょっと一般人と騎士の常識と良識の違いと、あと人体の限界を親方さんにもう一度教えるように言っとくかのぅ』

『本気で請求書を震えて待つがいい、貴様……うぅ、もう吾輩たちは帰るからな……次の現場も稼ぎがいいなら声を掛けるがよい。吾輩は受けて立つ』

『アリアー、この現場でお知り合いになった騎士様と同棲することになったんだけど、この本邸が通勤圏内のいい物件知らないー? 壁がぶ厚いとこがいいなー』


一部を除いて満身創痍の彼らに深々と頭を下げて感謝を述べ、支払いとお礼を後日必ずすると確約したアリアは、完成報告のためにバルリング辺境伯家本邸の応接室を訪れていた。……執事長に指定された時刻である一刻前に。入室時は夕陽が差し込んでいた室内は、すっかり夜の装いとなっていた。


「執事長は所用を済ませております。もう少々お待ち頂けますか」


そう言ってメイドが用意した紅茶は既にぬるくなってしまっていた。


「嫌な予感がするなぁ……」


アリアは遠い目をした。ああいう、仕事をきっちりこなすタイプの人間が事前に指定した時間に遅れる場合、大抵、ろくでもないことが起こっていることが多い。彼女は項垂れた。


壁の向こう、廊下を複数人が足音荒く歩いてくるのが聞こえた。大きな音を立てて開けられた扉の向こう側から、騎士服の人物が複数入室してきた。後ろから慌てた様子で従僕が続く。最初の毒殺事件の時の人だ。どうにか退室を促そうとしる彼を押しのけて、一番年長に見える騎士がアリアに問いかけた。


「アリア・クレーフェ殿。貴殿は『黒魔法』を有していると聞いたが、誠か」


アリアは青灰の瞳をパチパチと瞬いた。何を言われるのかと思えば、そんなことか。


「はい」


嘘をつく理由もないので、素直に答えた。是の返答に、中年の騎士は前のめりになってアリアの手を取った。


「よろしければ我が三男の嫁御に来られないか」

「あっ、抜け駆けはずるいぞお主。うちの長男の方が男前だぞ」

「なにを言う。儂の孫の方が年回りが良い。その上真面目で浮気の心配もない」


目前で息子や孫を自慢しつつ婿としてどうだと売り込む騎士達に、アリアはああ、そういうことかと内心で嘆息した。黒魔法は血統魔法だ。だから、血筋に取り込もうとする彼らの考えは正しい。が、残念ながら、アリアには戦闘種の母体として致命的な欠陥があった。


中年騎士が握る手をそっと引き抜き、膝の上で握る。頬を持ち上げ、完璧な笑みを作ってアリアは何でもないように彼らに問いかけた。


「私は『聖魔法拒絶症』なのですが、それでもよろしいでしょうか」


一斉に黙り込んだ彼らが、その答えだった。


***


この世界には聖魔法がある。『聖魔法』は帝国における呼称であり、呼び名は人類生存圏によってことなるその魔法の最大の特徴は、死者の蘇生であった。


時間的・素材的制約こそあるものの、等しく黄泉路から死者を蘇らせる聖魔法は、魔獣戦線において重要な戦略的魔法要素であり、この魔法がなければ人類はとうに絶滅していたとさえ言われる。


そんな、奇跡とも呼べる聖魔法を受け付けない人間がいることは、案外知られていない。何十万人に一人とも、数百万人に一人ともいわれる、症例も少ない難病『聖魔法拒絶症』は、他者に感染しないこと以外、その原因も治療法も未だ解明されていない。


―――魔獣戦線の基本戦略に当然の前提として組み込まれる『聖魔法による蘇生』が使えない駒に、騎士としての価値があるか。


ない、と判断された。だからアリアは騎士候補生から外された。


―――遺伝するか不明の『聖魔法拒絶症』の人間は、家族にするに値するか。


ない、と判断して陳謝し、気まずそうに退室していった騎士達は悪くない。『聖魔法拒絶症』の患者は短命と言われている。聖魔法が効かないのだ。一度の致命傷で死ぬリスクがある弱者、しかも子や孫にも遺伝するかもしれないとなれば、大抵の人間はアリアから一歩引く。戦闘種たる騎士の家系であればなおさら。


―――『聖魔法拒絶症』の人間は、生きるに値するか。


紅茶は既に湯気も立たぬほどに冷め切り、その赤茶色の水面にはアリアの顔が映っていた。我ながら端正な顔立ちだと思う。そう、例えば貴族令嬢と言われても頷けそうな。


多分、アリアの生まれは貴族だ。そして、判断された。……不要だと。


―――アリアは三度『家』を失ったらしい。


一番目の旅の平民夫婦。二番目の乳児院。三番目の養護院。その、一番目の前に、多分、ゼロ番目があった。魔獣戦闘に適性のない『聖魔法拒絶症』の赤子を不要と判断した、貴族の両親が。


―――実の親に要らないと言われ、騎士にもなれず、生まれる子の資質を疑われる人間に、生きる価値はあるか。


―――他の人間の足を引っ張る、足手纏いの弱者に、存在価値など……



アリアの手が紅茶に伸びる。触れた陶器の持ち手は冷たかった。多分、この赤茶色の液体も同じ温度なのだろう。


そのまま口をつけようとした、その瞬間、アリアの耳元にある琥珀色のピアスが熱を帯びた。


「アリア! お前、今、どこにいる!?」


一瞬ためらい、諦めたように茶器を卓上に戻して、アリアはピアス型通信具に指をあてた。


「本邸の応接室。……どうしたの?」

「ヤバイ施工不良箇所を見つけた。秘匿経路が一つ、施錠できてねぇ。出入り自由になってて、うちの従業員が今、壁紙の向こうに吸い込まれて行っちまった。これ、迎えに行っていいヤツか!?」

「待機で。それ、本邸の魔導師の領分だけど……かなりヤバイ。あぁぁ……引き渡しが伸びるぅ……ちょっとまって、ちょうど執事長さんが来たから説明してそっちに魔導師様を向かわせる」


***


静かに入室して来た老執事に、アリアは立ち上がって経緯を説明する。彼は即座に通信具で担当魔導師に連絡を入れ、別邸に向かわせてくれた。さすが仕事が早い。アリアの立ち合いは不要だと言われ、促されて彼女は二人掛けの長椅子に腰を下ろした。


「工事本体は、本日完了しました……と、ご報告に来たのですが、これ、該当箇所の壁紙をやり直す必要がありますか……?」

「御明察の通りです。恐らく、一部の壁紙が破損することになりますので、その部分を修繕して頂けますと助かります」


ですよねぇ、とアリアは顔を引き攣らせた。壁紙担当は親友のブランシュだ。ちゃっかり警護騎士を恋人にした彼女を、どう呼び戻したものかと思案するアリアに、老執事が疲れ切った表情で、先程乱入した騎士達の非礼を詫びた。


「当家の騎士が、先程は大変に失礼いたしました。彼らにはそれ相応の処罰を与えますので」

「えっ、いえ、そこまでして頂かなくとも」


慌てて手を振ったアリアは、どうか穏便にすませて欲しいと伝えたが、老執事は疲れ切った表情で善処します、とだけ繰り返した。初対面の時よりも疲労が蓄積した表情と声に、アリアはオズオズと問いかけた。


「『別邸』関係でご苦労が多そうですが、その、何か問題でも……」

「お気遣い痛み入ります。ええ、少々問題が……解決したので申し上げるのですが、別邸に入居予定だった御婦人が一時的に行方不明になりまして」


えっ、と青灰の瞳を見開いたアリアに、老執事は深い溜息を付いて、眉間に手を当てて項垂れた。


「今はどこにいらっしゃるか判明しているのですが、少しばかり面倒なことになりまして。当方の予定が大いに狂いました。その調整でここのところ忙しく、別邸に関してアリア様に任せたままとなり、さぞご負担が大きかったことと大変に申し訳なく思っております」


思っていたよりも大事が起こっていた。アリアは別邸建築中に全く老執事を見なかった理由が分かって複雑な心境になった。真面目そうな彼が、進捗を書面か人づてでしか尋ねてこず、現場に来ないことに違和感を抱いてはいた。しかし、まさか、入居予定者が失踪していたとは。関係者の心中を考えると、部外者のアリアでも胃が痛くなる事態だった。


「……それは、随分大変なことで……見つかってよかったです」

「ありがとうございます。このひと月余りアリア様のお人柄とお仕事振りを配下の者達から聞いておりました。ですので、申し上げるのですが、実は……別邸にお住まい予定の御婦人から苦情が来ておりまして……」

「そっ、それはどのような」


アリアは胃に氷の塊を放り込まれた気分になった。心臓の音がうるさい。何だ。何が気に入らなかった。外観か内装か。そもそも、一体いつ、見学にきたのだ。


別邸の依頼を受けた時に予想したのは、辺境伯家の次女、或いは当主か次期当主の愛人だった。だが、そんな人物が現場に出入りした報告はない。自分自身も見かけた覚えがない。


老執事が何を言うのか、アリアは唾を飲み込んで耳を澄ませた。


「『納期があり得ない』、と」

「……え?」

「ですから、『こんな正気を疑う納期で発注をかけるなど何を考えているのか』とお叱りを受けました」


アリアは青灰の瞳を瞬かせ、老執事の言葉を反芻した。納期がヤバすぎ、とな。なんか、思ってたのと全く違う、明後日の方向からクレームが来ていた。というか、これは、このクレームは……。


「ご迷惑をお掛けした関係者全員に十分な報酬と謝罪を約束して、どうにかご納得いただき、ご入居いただくことになりましたが、その説得にこの二週間奔走しておりまして」


老執事は再度溜息を付いて、アリアに頭を下げた。アッシュグレーの髪を見下ろし、アリアはありえない予想を否定する要素を探して思考を走らせた。今老執事が告げたクレームは、建築側の苦情だ。そんなことをバルリング辺境伯家に言える人間が、今回の現場にいただろうか。……いる。一人。平民に混じった貴種が。……ああ、でも、嘘であって欲しい。


「先程ようやく、館替えに御同意頂けました。誠に、申し訳ありませんでした。アリア様。そして、御礼申し上げます。期日通り別館を完成させていただき、そして、」


まだ秘匿経路の壁紙修繕がある、とアリアは口を挟めなかった。認めたくなかった。


―――別邸入居者で最初に想定したのは、バルリング辺境伯家の次女と、


「我らが主家に新たに迎えますリオン殿をお守り頂きまして、ありが……」


―――当主か次期当主の、『愛人』だ。


聖魔法持ちの息子を持つ母体、亡国の支配者階級出身、希少な異能持ち、どの要素をとっても、リオンの戦闘種の母体としての価値は、高い。ああ、こんな現場に連れて来るべきじゃなかった。目を付けけれられていると知っていれば、逃がすなり、隠すなり、したのに。


「リっ、リオンさんは、本当に同意しているんですか!?」


執事の言葉を遮って叫ぶようにアリアは尋ねた。それに、老執事は下げていた頭を上げて、目を瞬かせて頷いた。


「はい」


嘘だ。あの女性(ひと)が、息子が今度恋人を紹介してくれるそうだと碧色の瞳を輝かせていた貴婦人が、使用人の出入りさえ厳重に管理されている高位貴族に、家族に簡単に会えなくなる鳥籠に自ら囲われる、はずが、ない!


「……みっ、みとめないっ」


えっという顔をした老執事にアリアは今度こそ叫んだ。


「辺境伯家の御当主でも! 次期御当主でも!! リオンさんを愛人になんて、させないっ。別邸に軟禁なんてさせないんだから! けっ、決闘審判だ! うちの従業員と他の建築関係者も集めて、リオンさんの身柄を掛けて決闘審判を申し込みますっ」


えぇっ、と今度は表情だけでなく、老執事は素っ頓狂な声も上げた。後に、常に冷静沈着な彼にそんな顔をさせ、声まで出させたのは、辺境伯家の今は亡き長女が、次女に戦場からの手土産として白色竜の首級を数珠繋ぎにして持ち帰った時以来だと知った。


***


「だぁっ! はっはっはっ!」


執務室に笑い転げるカツィルの声が響き渡る。それを聞きながら、アリアは顔を両手で覆っていた。


「お、おま……愛人って……。しかも、あの辺境伯家に決闘審判って。巻き込まれそうになったって知った奴らの顔見たか。無表情がデフォルトのササラがあんな顔してんの、初めて見たぞ。……ヒィ、腹がいてぇ」


結論から言えば、リオンは愛人でなく、婿の母親として辺境伯家に迎えられた。つまり、リオンの息子レオンの恋人が、辺境伯家の次女であり、娘婿の母親を市井においていては誘拐など犯罪の恐れがあると判断した辺境伯家が、彼女に安全な住まいを提供すると決め、貴族の一家が住まう本邸では平民のリオンには居心地が悪かろうと用意したのが別邸だったというオチだ。


ちなみに、リオン本人は別邸どころか、そもそもバルリング辺境伯家と一緒に住むことになること自体が知らされていなかった。


嫁となる辺境伯家次女のラウラは、『息子であるレオンが伝えたと思っていた』そうで、息子のレオンは『決定事項だし、後で教えればいいかと思ってた』らしい。その他の辺境伯家関係者は、まさかリオンが知らないとは思っていなかったというのだから、笑うしかない。


リオン本人は、別邸で工事を手伝う中で薄々、もしかしてコレ私のためでは? いや、まさかな。まさか……と現実から目を逸らしていたらしいが、最終的に確認しないわけにもいくまいと、商人のカツィルを通してバルリング辺境伯家に事実確認を行い、結果、本当にリオンのための別邸と教えられて頭を抱えたそうだ。寝耳に水とはこのことだし、何の心の準備も無しに高位貴族と同じ敷地で同居生活とは、なんとも気の毒である。


当然、母から息子に猛烈な抗議と苦情が申し入れられた。しかし、執事長を始めとする辺境伯家使用人の説得とリオンを心配する嫁のラウラの泣き落としに負けて、最終的に彼女は別邸に住まいを移すことにしぶしぶ同意した。


***


今日は、そんなリオンの新居である別邸建築に関わった工事関係者の打ち上げだった。高位貴族の現場であり、守秘義務のある事項が多いため、誰が聞いているか分からない場所で開くわけにいかず困っていたところ、カツィルが本社事務所の応接室を宴会場に臨時で貸し出してくれた。


大型の魔獣駆逐兵器を展示することもある応接室は数百人は余裕で収容できる広さで、そこに立食式で出された料理は、辺境伯家からのご厚意で、工事中にも提供されて好評だった、本邸料理長謹製の帝国外人類生存圏ご当地料理だった。


『オレンジ色の脂身が美味しいこの揚げ物、前回と同じく何の肉か分からないけど美味しいわぁ。こんど彼が食事当番の時に作ってもらおう』

『この珍味。下僕ども、これを食べてみよ。なんとも至福のハーモニー。辛いと甘いの究極の出会い』

『この酒も辺境伯家のご提供かのぅ。ふむ。お前達、この味を覚えておけ。これは、飛竜便で半年かかる熱帯地域生存圏で、人の身の丈ある大きさの葉を持つ植物の根から取れる樹液を発酵してつくる地酒じゃ。儂も人生で二度目の幻の逸品じゃぞ』


絶品料理と至高の酒の数々に、関係者全員が黙々と飲み食いする時間もありつつ、楽しい宴会は先程お開きとなった。自力で歩けず弟子に担がれる親方衆を含めて全員を先程玄関先で見送り、会場の片づけを手伝って、さて、私も帰るかと歩き出したアリアの背中に声を掛けたのがカツィルだった。


『執務室で飲み直さないか? アリア、主催者だからって酒量かなりセーブしてたろ』

『そっその酒は、北方人類生存圏の氷河発砲蜜酒では。え、激レア中のレア。どうやって手に……』

『俺を何だと思ってんだ、お前。大商人様だぞ』


ふざけたやり取りをして最上階にあるカツィルの執務室へ移動して、今回の現場の思い出話を始めてすぐ、大商人殿は腹を抱えて大笑いをはじめた。どうやら会場では自重していたらしい。ありがたいが、どうせなら一生自重していてほしかった。


「ちょっと、そんなに笑わなくていいじゃん! あんなの勘違いしても仕方ないし!」

「仕方ないで、辺境伯家本邸での抜刀事件を済ませていいのかよ……。リオンさんが執り成してくれなかったら斬首だぞ、お前。怪我させなかったとはいえ、リオンさんがいる貴族向けの応接室に乗り込むまで、何人警備騎士を伸(の)したって?」


ぐぅっとアリアは唸る。捕らえられていると勘違いしたリオンを助けるために、アリアはあの後、本邸で大立ち回りを繰り広げ、最後は助けに入った応接室で辺境伯相手に黒魔法を放ってしまった。騎士は全員失神させただけで、黒魔法は辺境伯本人が同等魔導陣を展開して威力相殺したため、怪我人こそ出なかったが、本来であれば、不敬罪どころか即処刑の大事件である。


『……え、勘違い!?』

『……あの、辺境伯閣下。この件でアリアさんを処罰なさるのでしたら、私、こちらへの家移りのご提案をお断りいたします。そもそも、そちらのご説明が不足しすぎていたのです。どうか、寛大なご処置を』

『……うむ、御婦人方、安心なされよ。騎士職にない一般人が多少乱暴な振る舞いをした程度で騒ぐほど、当家は度量が小さくない。失神したものは鍛錬が足りぬ。再訓練が必要だな』


事実を知って真っ青になったアリアの背に庇われたリオンが、辺境伯家にとりなしてくれなければ、本当にどうなっていたか分からない。本当に……反省しきりである。


海より深く反省して俯いたアリアの髪を、長椅子の横に座ったカツィルが優しく指で透く。


「本当はな、」

耳に心地よい低い声が、落ち込んだアリアに語り掛ける。

「話を聞いて最初、お前はもう助からないと思った」


え、と顔を上げたアリアの灰青の瞳に、琥珀色の瞳が映り込んだ。透明な蜂蜜色が、真っすぐに彼女を覗き込む。


「アリアがさ、『聖魔法拒否症』だって言われてから、ずっと、考えてた。お前が死ぬとしたら、何が原因かって」


太くて節が立った指が、アリアの耳に嵌った宝玉を撫でる。ゆっくり、優しく。


「現場での事故とか、魔獣の湧出とか、前みたいな暗殺者の襲撃とか、色々。でもさ、」


宝玉からアリアの手に移った指先が、アリアの手を取る。


「貴族に処刑されるとか、想定外も想定外。対策も何もしてなかったから、俺も焦ったよ」


持ち上げた手に口付けて、カツィルはアリアに笑ってみせた。見ているこちらが苦しくなるような笑い方だった。


「アリアはさ、言ったよな。俺が遍歴商人で、いつ旅先で死ぬか分からなくて怖いって。……でもさ、考えたことあるか? 恋人が『聖魔法拒否症』だって知った俺がどんな思いだったか」


ずっと、生きた心地がしなかった、と彼は掠れた声で告白した。


「聖魔法で蘇生ができないって、一回死んだらおしまいって、なんだよそれ。酷いだろ。死んじまうお前も、遺される俺も。ずっと……ずっと怖かったのは、俺の方だ。お前を失うなんて考えたくもなかった」


だから、と彼は握りしめたアリアの手に指輪を通した。ピアスと同じ琥珀色の小さな宝玉を複数埋め込んだ銀の輪が、アリアのペンだこができた、建築家の手を彩った。


「本当は閉じ込めてでも安全な場所でいて欲しい。でも、それじゃお前は幸せになれない。だから、ずっと、見守ってきた。別れ話だって、大人しく受け入れただろ? お前の一番近くにいるのは、代わらずに俺だったからな。……でも、今回のことで身に染みて分かった。お前は真正の馬鹿だ」

「……は?」


突然の罵倒に目を瞬くアリアに、愛おしそうに指輪を親指で撫でていたカツィルが低い声で続ける。


「目を離したら死地に一直線に突き進む猪突猛進馬鹿には手枷足枷に重りを追加してもまだ足りない。下準備もせずに辺境伯家に喰いかかる阿呆を止めるには、友人じゃ無理だ」


ぎらつく琥珀色の瞳が、呆然とする青灰の瞳を覗き込んだ。


「結婚するぞ。新居は中古物件で悪いがもう用意した。不満なら自分で建て直せ。費用は出す。だから……死んでもじゃなくて、必ず死なずに俺たちの家に帰ってこい。死なない努力を、家族(オレ)のために、死ぬ気でやれ」


無茶苦茶な言い分だった。なんだそれは。


絶句するアリアの唇に噛みついたカツィルは、彼女が息継ぎを求めたところでしぶしぶと離れた。


「その指輪は外せないからな。喜べ、『バルチェ夫人の館』の主に協力してもらった特製護身具だ。お前の身に危機が迫ったと指輪が判断した場合、半径5m以内のお前以外の全生命体の水分を蒸発させる特製魔導陣付きだぞ。当然、物理障壁展開魔導陣と全魔法適合防御陣も組み込んである」


「……喜べるわけなくない!? うっかり敵どころか味方の工事関係者までミイラにしそうで怖いんですけど。なにこの全自動事故物件製造機!? 外して!」


初の夫婦喧嘩がこれってどうなんだ、と頭を抱えたアリアは気付いていない。


『結婚するぞ』に否と答えられない自分にも、


黒魔法持ちである彼女に手出しさせないために、カツィルがリオンに辺境伯家に次女の義母として交渉してもらえないかと頼み込んだことも、


自身の胸に染み込んだカツィルの彼女を思う言葉の数々が、これまでの傷に覆いかぶさって、自分を省みないアリアの根源にある世界への激情に、そっと寄り添ったことも、


今のアリアは気付かない。


***


彼女が気付いたのは、『四番目の家』でカツィルに「おかえり」と言われた瞬間だった。アリアの親方を始めとした職人衆が彼女に内緒でリフォームしたという新居には、暖かな灯りが灯り、夕食の良い香りが満ちていた。


―――やっと『家』に帰ってきた。


眉を下げ、肩の力を抜いて、アリアは愛しい夫に告げた。


「ただいま」


なお、新居の斜め向かいには『バルチェ夫人の館』がある。泥棒も避けて通る防犯性抜群の立地であった。


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― 新着の感想 ―
途中から、本人に手伝わせるんだ、とか笑って読んでました。そしてアリアさんの筋の通しっぷりに慄きと共に、天晴!と喝采を。黒のバルリングにケンカ売ってまでリオンさんを取り戻しにいくその思い切り、いいですね…
面白かった。 でも最後のバルチェ夫人の館に全てを持っていかれてしまった… なんかわかんないけどツボすぎる。
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