【8】Fools Rush In
作業小屋から五歩離れたところで、右後方からの飛来物を感知した。振り返りざまに抜刀。そのまま飛んできた矢を払い、剣を構える。敵の気配は六……七、八人か。
次いで放たれた火魔法の弾丸を瞬時に展開した水魔法の盾で受け流して、アリアはコトリと首を傾げた。
二名、魔導陣で検出できなかった存在がいる。通信具なしで潜んでいる彼らは何者だろうか。少し考えて、なんか面倒だし、まとめて倒すか、と一歩踏み出した。その思考を読んだように、耳元の信具が熱を帯び、穏やかな声が鼓膜を揺らした。
「アリアさん」
絶大な信頼を寄せる貴婦人の声が、宝玉ピアスから流れ出す。
「その二名はバルリング辺境伯家の私兵よ。敵意は無いわ。お仕事で隠れている方々だから、そっとしておいてあげてね」
作業小屋の警護は自衛できるから、その分の人員を別邸建設現場に回して欲しいとバルリング辺境伯家にお願いしたのはアリアだ。本当に大丈夫かと警備隊長に再三確認されていたのだが、どうやら親切にも、万が一の時に加勢できるよう、あちらの手勢を潜ませていてくれたらしい。
「了解しました」
見てすらいないはずの相手の素性と位置を把握しているリオンに、アリアは今更驚かない。驚かないが、リオンさんはもうちょっと隠す努力をした方がいいと思った。
一般人のふりがド下手にも程がある。本人に自覚がないのが、また性質が悪かった。―――そういうところですよ、リオンさん。
「じゃあ、他の六人はぶっ飛ばしても大丈夫ってことですね」
「……怪我にだけは気をつけて、危なそうなら彼らに任せて帰ってらっしゃいね」
絶対そんなことにはならないと思いつつ、アリアは素直に返答した。
「はぁい。主命とあらば、我が君」
――――だって。
通信を切るまでの間にも、多種多様な魔法と魔術の攻撃がアリアを襲う。それらを防御陣で難なくいなしながら、アリアは反対側に首を倒した。ふうん。こちらのことを少しは調べて来たらしい。
「近接戦が得意そうだから遠距離攻撃って、安直〜」
この帝国において騎士の本道は剣と魔法とされる。そして、魔力量が貴族に敵わないことが多い平民の騎士は、その不足を剣技と魔導陣の精緻さで補うことが多い。
だから、平民の元騎士候補生アリアは近接戦闘が得意だろうという敵指令の想定は、理論的には正しい。実際、建築家になってからアリアは、現場でのトラブルに剣と拳、時々足蹴りで対応してきた。
――――だが、大事なことが分かっていない。分かっていないから、こんなバカなことをするのだろう。
「……私が、魔獣戦線の特別選抜騎士候補生だったって意味、理解してないっぽいなぁ」
敵は物理攻撃に集中することにしたらしい。数を増して再び飛来する矢を見つめて、アリアは嘆息した。風魔法で強化された数多の矢が、雨のようにに降り注ぎ視界を埋め尽くす。
それを醒めた目で見上げ、アリアは片手を上げた。魔導陣の形成は一瞬だった。黒く鈍く光るそれは、矢を弾くことなく―――音もなく全てを飲み込んだ。
敵方に明確に動揺が走った。へえ。コレがどういうものか分かるんだ。じゃあ、もう、理解したかな。
―――自分たちが、勝てない勝負に挑んでいるって。
不利を悟り、一斉に撤退しはじめた間者たちに向け、アリアは掲げた片腕を無造作に横に振った。
魔力の反応感知で、相手方の位置は最初から分かっている。だから、そいつらの頭上に魔導陣を展開するのは息をするより簡単なことだった。そのまま返すのも芸がないので、別邸建築に影響が出ない程度のオマケもつけることにした。
「特別大サービスですよ~、招かれざるお客様方」
6名の上空に作った陣から現れたのは、先程アリアを襲った矢の雨だ。彼ら自身の放った殺意の塊が、間者たちに降り注ぐ。とっさに防御の陣を張るものもいた。しかし、アリアが矢に施した魔術強化の前に、為す術もなく陣は引き裂かれていった。
「じゃあ、おやすみなさい」
矢の刺さった者が地面に倒れ込んでいく。死んだわけではない。ただ、聖魔法でのみ回復可能な、深い眠りの中に突き落としただけだ。アリアが矢尻に施したのは、そういう魔術だった。―――さきほど攻撃を吸収した陣と同じく、アリアが有する希少魔法によるものだった。
間者の一人、最後まで聖魔法で魔導陣を張っていた男にのんびりと歩いて近づいて、アリアは首を傾げた。随分と粘る。魔法属性の相性だろうか。……まあでも、勝敗は決した。
敵の頭上で白い光を放つ魔導陣には大穴が空き、その肩には闇色の矢が深々と刺さっている。傷口から不思議と血は流れ出ず、代わりに、患部を中心に黒色がじわじわと間者を染め上げていた。
「……それを使える人間が、なぜ……」
なにかを言う途中で崩れ落ちた男を、アリアは灰青の瞳で眺め下した。『なぜ黒魔法持ちが騎士になっていない』といったところか。聖魔法持ちに言われても、『おまいう』である。
……なれるものなら、とっくの昔になっている。ならなかったのではない、なれなかったのだ。
***
黒魔法も聖魔法も血統で継承されるものだ。当然、使用者は限られる。
黒魔法と言えば、基本的に王侯貴族の血筋が使える稀少魔法であり、有名どころで言えば、今回の依頼主バルリング辺境伯一族がいる。もはや確かめようもないが、アリアが赤子の頃に失った両親のどちらかが辺境伯家の分家あたりの血を引いていたのかもしれない。
平民のアリアが黒魔法が使えるというのは、本来ならばありえない。だが、実際のところ、平民の希少魔法持ちというのは、数は少ないが存在する。今回助力を乞うたテオフェル神官も、実力で言えば帝国有数の聖魔法使いだが、その身分階級は平民だ。初対面の自己紹介時に、おかげで貴族様の何倍もこき使われて経験豊富でーす☆と殺意を込めて本人が言っていた。
ここ帝国において王侯貴族の義務は魔獣の討伐と人類生存圏の維持だ。
逆に言えば、魔獣との生存競争に貢献できないと判断されれば、王ですらその地位を失うのが我が帝国である。アリアが今回手に入れた中古邸宅の前の持ち主も、魔獣戦線での貢献度不足で貴族籍を剥奪されていた。どんな高位貴族の子供でも、魔獣戦闘の才がないと判断されれば、容赦なく平民に養子に出され、実家の名を名乗ることができないのは勿論、二度と両親に会うことすらない。
そんなふうに『平民落ち』した貴族の血筋が、隔世遺伝で希少魔法を発現することが稀にある。そして、彼らの大半は騎士か神官になるといわれている。理由は人それぞれだが、アリアが騎士を目指した理由は、『怒り』だった。その炎は、この腹の奥深くで、今なおグツグツと煮え滾っている。
その熱が、久々に指先までこの身を焦がす。
―――だって、世界の敵は魔獣だ。
力あるものが守らなければ、人はいとも容易く、世界に喰らわれて死ぬ。
それが、アリアは許せなかった。
自分の世界から、これ以上、何一つ奪われてたまるものかと、世界に噛みついた。
特別選抜候補生に選ばれるほど、その牙を研ぎ澄ませ、死ぬ最期の瞬間まで、一頭でも多くの魔獣を屠ろうとした。
―――結局、だめだったけど。
きっと、この侵入者たちの指示役は理解していなかった。アリアが元選抜候補生だった、その意味を。
一般に魔獣の戦闘能力は、小型で非戦闘平民30名に相当する。そして、魔獣戦線の特別選抜騎士候補生は、将来的に単騎で小型魔獣を100頭討伐できる可能性があることが最低条件となる。
そんな、一騎当千を地でいく化け物になりうるとされた元候補生相手に、遠距離攻撃程度で危害を加えられるはずがない。そんなことも分からない馬鹿だから、妨害工作なんかをやろうとするのだろう。
―――世界の敵は魔獣なのに。人間が人間の足を引っ張ってどうするのだ。
冴え冴えと愚者を見下ろす灰青の瞳は、夜の闇を映して、その色を濃くしていた。
「味方に混じる無能ほど怖いものってないよねぇ」
鞘に剣を収める音が夜の闇に響く。アリアは深く息を吐くと、通信具に手を当てて、淡々と本邸警備隊長へと連絡を入れた。
「……こちら作業小屋。六名侵入者あり、当方に被害なし。戦闘不能にしてあります。回収願います」
***
「おつかれ、アリア」
騎士たちの到着を待つアリアに、のんびりとした声がかかった。振り返れば、作業小屋の窓から漏れる光の中に、長身の影が立っていた。カツィルだ。
「そいつらの見張りと引き渡しは代わりにやっとくから、小屋に戻って少し休め」
ゆっくりとこちらに歩み寄る商人に、アリアは目を瞬かせる。回収どころか尋問まで立ち会うつもりだった彼女は、どうしたものかと無意識に剣の柄を撫でた。
「カツィル。……でも」
「貸し一つ分で頼みたいことがある。……中でリオンさんと一緒に家具と雑貨のカタログに目を通してもらえないか? 女性の目線でよさそうで、なおかつ邸宅の雰囲気に合うやつをリストアップしてくれると凄い助かる。邸宅リフォームの全体像を把握してるのはアリアだけだからな。お前に頼むのが一番確実だろ。コーディネート代は言い値で払うから」
貸しの話を引き合いに出されて、アリアはうぐと口を閉じる。過去、カツィルに頼んだ数々の無茶振りがアリアから断るという選択肢を奪った。
「……わかった」
不承不承頷いたアリアの頭を、日に焼けた大きな掌が乱暴に掻き混ぜる。
「後はまかせろ」
小さな子供にするようなそれに、アリアは髪型が崩れると文句を言いつつ、素直に小屋へと向かった。
「お帰りなさい、アリアさん」
「おつでーす。怪我とかないですか」
「本邸と別邸の侵入者は全員捕縛終了しました。現場作業員に」
魔石ランプの下で迎えてくれた仲間に、アリアは眩し気に青灰の瞳を細めた。肩にこめていた力が抜ける。小さく息を吸って、彼女は意識して明るい声を出した。
「ただいまー。ちょっと疲れたけど、大丈夫だよぅ。あっちの片づけはカツィルがしてくれるんで、代わりに家具と雑貨類を見繕うことになってねぇ。リオンさんたちも手伝ってもらえないかな」
カタログを広げて、三人とああでもないこうでもないと見本や説明書きを指差しているうちに、先程まで胸の内を焦がしていた激情が遠いものとなっていく。いつかの昔、この身を滅ぼしても構わないと全身を満たしていた熱が確かに引いていく感覚に、アリアは小さく息を吐いた。
***
ランプに照らされた室内に入っていく彼女の背中を見送って、カツィルが小さく息をついたことを、アリアは知らない。知らなくていいと、カツィルは思っている。
「……知らなくていいことも、世の中にはあるんだよ」
さぁて、と彼は物陰に潜んでいるバルリング辺境伯家の私兵へと視線をやった。
―――商人の仕事とは、突き詰めれば『交渉』だ。
「……厄介な相手にバレたな」
元恋人は、『黒魔法』持ちの元カノのために、とっておきのカードを切ることにした。お詫びの品はアンズのジャムを挟んだチョコレートケーキーーーたっぷりとしたホイップクリーム添えにすると、さきほど小屋の中で交渉済みだった。




