【7】飛んで火にいる夏の虫
「私は経験したことがないんですけど、聖魔法で蘇生したら、確か魔力と体力も回復するんですよね」
元魔獣戦線騎士候補生アリアが、帝都本神殿所属エリート神官に恐ろしいことを言い出したとき、現場作業員の背に嫌な予感が走った。
「そっすね」
淡々と答えるのは、魔獣戦線帯同神官のテオフェルだ。聖魔法のエキスパートである。
「なら、職人の過労と睡眠不足も聖魔法でなかったことにできたり……」
「理論上は可能っすね。」
『理論上であって、普通、平民の仕事スピードを上げるために、魔獣戦線維持を第一に管理運用されている神官に聖魔法を依頼するアホはいない』とアリアに突っ込める人間はいなかった。
なぜなら―――
「ちなみに1日の発動限界人数は」
「俺は割と天才なんで、まぁ、本当に死者蘇生するわけでもない半聖魔法もどきの行使程度なら300名は余裕でこなせますよ」
―――この現場での毒物混入、作業員の略取・買収勧誘、破壊魔導具の発見といった妨害工作が、全て未遂ではあるものの、未だ継続しており、その件数が収まる気配どころか逆に増加しつつある。そのことに、目前の現場監督が静かに怒りを煮えたぎらせているのを全員、特に古参組が感じていたためだ。
「うわぁ、あ、ありがてぇ……。でも、お高いんでしょう?」
「ところがなんと、今回に限り……」
アリアが大人しく現状を受け入れるはずがないと、付き合いの長い親方衆も分かっていた。しかし、さすがに予想外の方向だった。どこにそんなツテがあったのだという超大物の登場と、想定できるかっと叫びたくなる使用方法に、親方たちを含めて、食堂にいた職人全員が凍り付く。
まだ続いている二人の茶番を眺めながら、ある者は名案ねぇとニコニコと笑い、ある者はデスマーチがマジで死者蘇生ありの過労死しても逃げられない鬼現場へと進化したことを悟り蒼褪めた。納期まであと21日となった爽やかな朝の風景であった。
***
「今日から1週間だけ常駐神官をするテオフェルでっす。普段はバルリング辺境伯領魔獣戦線で帯同神官してまーす。怪我はもちろん、死んでも秒で蘇生しますんで、安心してお仕事して下さい☆」
砕けた口調でヘラヘラと挨拶したテオフェル神官は、茶色の髪と瞳を持つ平凡な青年だった。年齢はアリアと同い年の23歳だと自己紹介している彼は、チャラさからとてもそうは見えないが、聖魔法と癒術はもちろん、魔獣戦闘センスも一流の凄腕エリート神官らしい。いい人紹介してもらえてラッキーとアリアはご機嫌で彼を朝食会場へと案内して、作業員たちへと紹介した。
「皆さんお気付きの通り、今回の現場は妨害行為が酷いので、安全対策の一環として本神殿から神官さまを派遣して頂きました!」
アリアの説明を聞いた親方衆の幾人かが首を傾げて、古参の左官職人が代表して彼女に尋ねる。
「アリアちゃん。じゃが、納期はまだ21日あるんじゃぞ? 1週間はテオフェル神官がいて下さるとして、残りの14日はどうするんじゃ?」
拳を握ったアリアが、力強く返答した。
「大丈夫です! あと7日でこの現場を終わらせますから!」
一瞬なにを言われたか分からず、ポカンとした老親方は、慌てて彼女に反論した。確かに各工程はかなり進んでいるが、ここから最終仕上げまでは、どう頑張っても2週間かかる。更に、想定外のトラブルに備えて1週間は予備日が欲しいところだった。現時点でギリギリの進行なのだ。
「……無理じゃが!? 寝る間も惜しめば……なんとかできるもしれんが、魔獣戦線の騎士様でもあるまいし、儂ら一般人には不眠不休でミスなく動き続けるとか無理じゃぞ、アリアちゃん」
「それが、できるんです」と答えたアリアが始めた茶番が、開幕のコントである。ちなみに貴婦人リオンはホワホワと笑って「イセカイにも『ぶらっく』ってあるのねぇ」と謎のコメントを残し、アリアの友人ブランシュは「嫌な予感が当たった……」と頭を抱えた。
***
深夜の作業小屋でアリアとリオン、テオフェル、カツィル、ダーヴィットの5人が別邸の図面と周辺の簡易図をのせた作業台を囲んで立っていた。外からは夜通し作業する職人たちの怒声と魔導工具の稼働音、足音などが賑やかに聞こえてきている。
窓際に並んだ三つの作業机では弟子と事務員二人が鬼の形相で提出書類を仕上げていた。空になったブースト用の打ち込み式回復薬が複数、足元の小物入れに乱雑に投げ込まれている。完成日が前倒しになるということは書類の提出期日も繰り上がるということである。―――アリアはベテラン事務員に凄い目で見られて平謝りした。しょうがないわね、の一言で猛然とペンを動かし始めた彼女たちには当分の間頭が上がらないアリアだった。
本当は書類を一緒に作成したいところなのだが、現在アリアは別件の対応に追われていた。
「物品搬入はこの正面玄関からになるな。……壁面と廊下、階段の養生はそのままにしていおいてくれるか? 撤去と処分は商会が責任を持つ」
正面玄関の縦横寸法を確認しつつ、商人カツィルが現場監督のアリアに、作業で壁や床を傷つけないように張ってある保護材をそのままにして欲しいと頼むのに、彼女は了解と頷いた。
「家具類一式とカーテン絨毯あたりが一番の大物だって言ってたよね。分かった。ぶつけそうなところはちゃんと養生してるかチェックしておくよ。あとで一覧にして渡すね……それにしても流石は大商人カツィル様。辺境伯家相手にちゃっかり注文を取るとか、凄いじゃん」
そうなのである。彼はいつの間にかバルリング辺境伯の執事に取扱商品の売り込みをかけ、結果、別邸に貴人が住むにあたって必要になるもの一式を受注していた。その商魂を褒め讃えるアリアに、カツィルは額に手を当てて少し困った表情をした。
「問題は、こっちも用意する品を丸投げされたことなんだよなぁ……。ちなみに、リオンさんはこの布見本の中でどのカーテン生地が好きですか」
作業台の隅には、カーテンだけでなく家具や絨毯、食器類に至るまで、およそ貴族の館に必要な物品全般のカタログが幾冊も堆く積み上げられていた。そのうちの小さなカーテンの布地が実際に張り付けられた分厚い冊子を手にカツィルが尋ねるのに、リオンは後退った。
「一番安いのがいいわ」
「生憎うちの商会は安物を取り扱っておりません、お客様。王道の深紅色もいいですし、夜空のような濃藍色も落ち着いた雰囲気でおすすめですよ。他にもリオンさんみたいに若い女性なら柄入りの布地……この小鳥と野イチゴが棘草と共に描かれているものみたいな遊び心のあるものとかどうですか」
冗談めかした商人カツィルが薦めるのに、貴婦人リオンの笑顔が引き攣った。彼女は意外と庶民的な金銭感覚の持ち主だとアリアは知っている。
「普通の平民家庭には縁の無い生地ばかりねぇ。他の生存圏から輸入した絹地や染料を利用したものに、手仕事での総刺繍カーテン……怖くて窓辺に近寄れなくなるわ」
「リオンさん、じゃあ、このシンプルな亜麻色のやつはどうっすか? 今リオンさんが使っているのと質感も似てますよ」
神官のテオフェルが横から割り込み、勝手にパラパラと捲っていた別のカタログの生地を見せた。確かにリオンが今使っているカーテンと似ている素朴な布地に、それだったらと頷く彼女の後ろで、護衛騎士ダーヴィットがひそひそとアリアに囁いた。
「……あれは最西人類生存圏でのみ生息が確認されている原種返りの三つ角羊の羊毛で紡いだ糸で織っている布では? 魔獣除け効果がある希少品です。もしそうならば、先に提示した三つのカーテン生地全ての金額を合わせても足りないぐらいの希少品ですが。以前に屋内戦闘での注意事項の座学で『できれば触るな汚すな壊すなシリーズ』として実物を見たことがありまして、どうも同じ品のように見えます」
ダーヴィットはカーテンカタログを覗き込むリオン達を眺めていたが、ふと何かを思い出すように中空に視線をやった。
「そういえば、リオン様の御宅に訪問した時に見たカーテンに見覚えがあったのですが……あれも亜麻色でまさにあのような質感の布でした。……共同住宅で使われるはずがないと考えつかなかったのですが、まさかアレは……」
「……そうだねぇ、似てるねぇ」
ダーヴィットはリオン宅のリフォームをアリアが担当したことを知っている。だから、そこのカーテンのことも見たことがあるだろうと考えて彼女に尋ねたのだろう。実際、アリアはカーテンを見たことがあるし、何だったら答えも知っていた。知った上で黙秘を選んだ。彼女はニヘラと笑って、遠い目をした。
「ダーヴィット様。知らない方が幸せなことも世の中にはあるんですよぉ」
ちなみに『母さん、新しいカーテン』の一言で当該布地を買って来たのは、口数の少ないリオンの息子レオンであった。部屋をリフォームするついでに、それまで使っていた古びて虫食いだらけのカーテンを新しくしたかったそうだ。
板に巻かれた布地の状態で持ち帰っており、カーテンなど縫ったことがが無いと困ったリオンに相談されたアリアが、知人の職人に窓の寸法を伝えてカーテンに仕立て直してもらった経緯がある。
『アンタ、この布地だけで帝都中心街の新築アパートが1部屋買えるよ。田舎なら土地込み一軒家だね』
『え……は!?』
そんなお高い布地とは知らなかったアリアは、預かった布地を一応は汚れないようにと適当な敷布を借りて包み、他の荷物と一緒に無造作にまとめて、知り合いの店に持ち込んでいた。都営馬車と徒歩で仕立て屋まで来た彼女は、その値段を聞いて心臓が止まりそうになった。
『どこの御大臣からの依頼だい、アンタも出世したもんだねぇ』と続けるお針子の姉さんに、声にならない悲鳴を上げたのも懐かしい。当然だが、持ち帰る時は汚したり中身が見えたりしないよう厳重に包んで木箱に入れて、先に呼んでおいた貸切馬車で運搬した。
『あの、レオン君。あのカーテン布地なんだけどね。あのね、リオンさんは値段を知ってるのかな』
『教えたら使ってくれないです。秘密にしてください。加工代も僕が払うので、リフォーム代と一緒に請求をお願いします』
アリアは悩んだ末、世の中知らない方が幸せなこともあるよなぁと価値には触れないことにして、仕立てあがったカーテンを黙ってリオンに手渡した。何も知らない母親本人は『まぁ、丁度いいサイズだわ。縫い目も綺麗だし、流石本職ねぇ』と純粋に喜んでいらっしゃった。
リオンの息子レオンは帝都本神殿所属の魔獣戦線帯同神官だ。帝国有数の激戦地バルリング辺境伯領が担当地区であり、命がけの仕事の対価として分厚くなったレオンの財布が、母親のために唸りをあげていると本人だけが知らなかった。
***
「……来たわねぇ」
「あ、本当だ。……リオンさん、戦闘はド素人なのに相変わらず勘がいいっすね。それにしても、大当たりじゃないですか、アリアさん」
「まだ3週間はあると思っていた期限が突然7日間だからな。相手側も焦るだろうさ―――読み通りだ。良かったな、アリア」
今度は家具のカタログを商人カツィルから見せられていたリオンが、ポツリと呟いた。一緒にカタログを覗き込んでいた神官テオフェルが、感心したようにアリアを見やり、カツィルが賞賛の言葉を贈る。それにニッと口角を上げて返し、彼女は作業台の上にある別邸図面に手を翳した。
―――予定通りだ。完成が前倒しになると知ったアチラが強硬措置に出て来た。
カツィルがカタログを閉じて片づけるのをリオンとテオフェルが手伝う。時間つぶしはここまでだ。本命がお出ましになったのだから。
「じゃ、はじめまーす」
弟子と事務員を除いた、室内の全員の視線がアリアに集まる。
―――突貫作業で改良したけど、上手く起動してくれるかなぁ……。
彼女は別邸図面か真剣な表情で見下ろし、その紙面上に描かれた魔導陣に魔力を淡々と充填し始めた。この魔導陣と、これが連動する魔導陣を刻んだ宝玉はアリアが独自開発したとっておきの安全対策で、全ての現場に毎回最初に『保険』として仕込んでいる。ちなみに、創陣に協力したのは『バルチェ夫人の館』の施主である。
『ああ……なんて素晴らしいんだ。……この家ならば、彼女の全てを忘れずに、彼女と一緒に生きていける。……アリア君、本当にありがとう。ところで、お礼に魔導陣を製図しようと思っているんだけど、希望はあるかい? オススメは解体工事に使える≪爆殺木端微塵魔導陣≫なんだけど、どうかな?』
ぶっ飛んだ提案に、断るのは無理と判断した当時のアリアは、無難そうな魔導陣をお願いすることにした。
『ええと……現場の安全対策に使える、周囲と人間に被害が出ないものを創ってみたいんですが、一緒に考えては頂けませんか?』
結果、できたのがこの魔導陣だ。現場の各所に設置された宝玉に刻まれた魔導陣は、有効範囲内にある定義対象の現在地を、これもアリア特製の現場図面上に表示する機能を付与されている。
―――アリアが現場のどこに作業員がいるか分かったら便利かな程度にしか考えずに創った魔導陣は、結果的に、これまで彼女に起こったトラブルの対処に絶大な効果を発揮してきた。
「探知用魔導陣、起動開始」
使わずに済んだら一番の『保険』が、保険屋泣かせの≪豪運のアリア≫の手によって別邸各所で起動する。無事に工事が終われば保護材と一緒に回収されることになっている魔石は、しかし、残念なことに今回も別邸各所で青く光を放ってその魔導陣を浮かび上がせることになった。
「……起動完了。同期を開始」
図面上にある65個の魔導陣が光を放って起動し、別邸に設置された探知魔導陣と同期を開始する。紙面に精緻な文様で描かれた円が一部重なりながら別邸とその周辺一帯を隈なく覆い尽くした。
「同期正常終了。探知通信具を識別、各通信具の現在地表示を開始」
白く輝く魔導陣に覆われた別邸地図に、緑、赤、黄の点が三色合わせて100個以上浮かび上がる。これは別邸内の各所にアリアが設置した探知魔導陣が検出した通信具の現在地だ。緑はアリアが現場作業員にインカムとして貸与している通信具の現在地、赤は登録済みの、例えばバルリング辺境伯家所属騎士の通信具の現在地、そして黄が未確認識別体―――侵入者の現在地を示していた。
「通信具が無かったら、敵もお互いにやりとりできない。リオンさんの読み通りだなぁ」
妨害工作員対策に頭を悩ませていたアリアに、元支配者階級であるリオンは、一つの提案をしていた。
『毒殺に使うのは、基本的に使い捨ての駒よ。きっと彼らの主人は、消費期限の切れた不用品である彼らをこの別邸建築の妨害で使い潰すつもりでしょうね。時間が無い中で作戦を実行するのならば、下準備など碌にできはしないもの、きっと通信具を付けさせてくるはずよ。不確定要素が多いのならば、直接間者に指示を出した方が効率が良いし、配下の動向を逐一把握することで裏切り防止にもなるわ。
―――さて、アリアさん。貴女の魔導陣で、通信具の種別識別はできないかしら?』
完全に黒幕側の思考で予想を立てるリオンに、この方が味方でよかったと百万回目に思ったアリアだった。というか、なんだ使い捨ての駒って。怖すぎだろう、貴族界隈。人的資源は大事にしろ。
『現状の魔導陣のままだと不可能です。―――明日のテオフェルさま到着まで、あと何時間でしたっけ』
できないなら、改良してでもやるのがアリアだ。おかげでアリアも事務員たち同様、打ち込み式回復薬でドーピングして徹夜で宝玉の魔導陣の書き換えをする羽目になった。だが、その甲斐はあった。
「……部外者がウジャウジャと。ウチの現場は関係者以外立ち入り禁止ですよっと」
アリアは黄色く光る21個の点を睨みつけながら耳元の通信具に右手を当てた。通信先はバルリング辺境伯家の本邸警備隊長と彼の配下50余名だ。彼女は一斉通信で、別邸各所と本邸の一部に身を潜めている騎士達へと敵の現在地を告げた。
「侵入者を探知。現在地点を報告。東の使用人出入口5名、南側2階主寝室バルコニー3名、西の物品搬入口4名。別邸は以上。続いて本邸側警備に警告。別邸より本邸に向かう西側使用人通路を3名が移動中。別邸から目を逸らさせるための陽動が目的の可能性あり」
普段の朗らかなアリアからは想像もできない、玲瓏たる声だった。聞く者を自然と従わせる、静かに威厳に満ちた声が騎士達に命じる。
「排除願います」
***
さて、別邸と本邸はこれで大丈夫だろう。バルリング辺境伯家の精鋭騎士が警護しているのだ。来ると分かっている人間度程の敵に、昼夜を問わず魔獣相手に死闘を繰り広げてきた彼らが遅れを取るはずがない。―――では、残りの害虫はこちらで駆除するとしよう。
「ダーヴィット様、室内の警護はまかせますね」
「……アリア殿?」
6個の緑が急速に作業小屋へと向かってくるのを図面上で確認して、アリアは唇の端を釣り上げる。
―――『現場で事故らせる一番の方法はな、アリア』
見習い時代に、いつか独立した時のために親方が教えてくれた心得だ。
―――『焦らせることだ。安全対策の基本は余裕を持つこと。時間・人員・金・資材、ありとあらゆるものに許される限りの安全マージンを取れ、アリア。それが、上に立つ人間の義務だ』
親方の教え通り、焦って一番近づいてはいけない場所にノコノコと近寄って来た間者たちに、アリアはうっそりと嗤いを零した。




