【5】二つの対価
アリアが独立したばかりの頃のことだ。うっかり暗殺結社の新居設計を請け負ってしまったことがあった。貴族向けの高級路線暗殺を得意とする彼らは、高給取りの癖にアリアたち建築業者に正当な対価を支払わず、あげく魔獣被害を装って口封じに殺そうとしてきた。
『あら。貴女、暗殺されそうよ』
それを教えてくれたのがリオンだ。神官を息子に持つ彼女は、神殿の洗濯婦として、帝都神殿地区にあるアパートに親子二人で暮らしている。
彼女と出会ったきっかけもリフォームだった。
帯同神官として危険手当付きの俸給をもらっているリオンの息子レオンが、貯まった給金で母親のために部屋を改修して欲しいとアリアの師匠に依頼したのだ。当時まだ弟子だったアリアが実際のリフォームを担当した縁は、今日まで続いている。
『先日お伝えしました通り、2年目点検に参りました』
『まあまあ、いらっしゃい、アリアさん』
その日、アリアはリフォームをした顧客にサービスで行う2年目点検のためにリオン宅を訪問中だった。本来ならば親方のもとにいる別の弟子に引き継ぐのだが、リオンと工事中に親しくなり、現場自体にも思い入れがあったため、師匠に頼んだ上でリオンの許可を取り、アリアの新設事務所に担当を移していた。
アリアは、案外リオンが人見知りであることに気付いていた。新任に担当を移したら不満点をきちんと伝えられないのではないかという懸念が拭えなかったのだ。
「点検をしましたが、特に大きな問題点はありませんでした。こちらがチェックリストです。事前に一度お聞きしていますが、本当に住んでいて気になるところはありませんか?」
「そうねぇ」
そんな心配をされたとは知らないリオンは、椅子に座ったアリアにお茶を出しながら首を傾げた。
「気になる点……お部屋に関しては何も無いわ。雨漏りも隙間風もなくなってアリアさんのおかげでとても快適になったもの。本当にありがとうね、アリアさん。……それ以外で気になるとしたら、アリアさん、貴女、命を狙われる心当たりはあるかしら」
点検結果を説明し終わった後にどこか気になる箇所はないか最終確認をしたところ、リオンに告げられたのが上記の台詞だ。
どういう意味かと尋ねると「暗殺されそうな感じよ貴女」とフワッと謀殺予告を受けた。口を付けていた紅茶が喉に詰まり、ゴホゴホと咽る。そんなアリアに、あらあらとリオンは微笑んだ。
「大丈夫?」
「は、はい。……その、心当たりですか? ……ええと、可能性があるとすれば、今担当してる物件の関係でしょうか。貴族が顧客にいる商人の館を建てているのですが……」
アリアは、リオンは恐らく亡国の王侯貴族だろうと当たりを付けていた。
彼女の息子が聖魔法使いの帯同神官であるのがその証左だ。リオンの住まいをリフォームして欲しいと依頼してきた親孝行な息子殿が得意とする聖魔法は、その血筋自体が希少種なのである。聖魔法持ちの母体となれば王侯貴族の出自と相場が決まっていた。
―――未来予知? いやまさか。……『千里眼』とか? それこそない。アレは御伽話だ。だが彼女には何かが見えている。それは確かだ。危機察知能力に特化した異能だろうか。
リオンの警句を、アリアは支配者階級特有の異能由来だと判断した。リオンは信頼に足る人物だ。であれば、アリアが今後取るべき行動は何か。
―――今の現場が危ない? ……マズい、協力業者は誰々だったか。あぁ、弟子も出入りしている。あの子はまだ幼い。……ダメだ。この方を荒事に巻き込みたくないが、対策するにも情報が不足している。
アリアは腹を決めると、椅子から立ち上がって、向かい側に座っているリオンの横に移動した。床に騎士のように片膝を付け、腰掛けたままの彼女を見上げる。どうしたのかと見下ろす貴婦人の右手をアリアはそっと両手で取った。
神殿で下働きの洗濯婦をしているリオンの手はカサついてあかぎれができていた。息子が戦線から帰省する度に癒術で治しているらしいのだが、皮膚が弱く、すぐに荒れるのだと聞いていた。
きっと以前は王侯貴族として傅かれて暮らしていた彼女が、今、どうして軍神神殿内の神官関係者アパートに住んでいるのかは分からない。彼女から難民としてこの帝国に辿り着く前の話や、レオンの父親を含めた親族の話を聞いたことは一度もなかった。
魔獣が支配するこの大陸で国家の滅亡は日常茶飯事であり、亡国の王侯貴族が平民落ちしてこのヴァッレン帝国へと逃げ延びてくることもまた珍しいことではなかった。この親子も、もしかしたら、そんな元王族なのかもしれない。
だが、それを彼らに問うたことはなかった。必要もないのに傷を暴くような行為をアリアは好まない。
だから、アリアが知っているのは、彼女が息子を愛していて、息子も母親を大事にしていること。そして、母親を残して戦地に行く息子から、彼が安心して出征できるようにセキュリティの鬼アゲと、断熱・防火・防魔導等の特殊施工を依頼されたアリアが、この物件を魔改造リフォームしているということだけだ。
そんな、どうか母さんが穏やかに毎日を過ごせますようにと彼女の息子が願った鳥籠の中で微睡む貴婦人の手を、アリアは懇願するように握りしめた。
「リオンさん、短期バイトにご興味は?」
「あらまぁ……対価は何かしら?」
面白がるように碧の瞳が煌めいた。
――――見定められている。
そう思ったアリアは反射的に背筋を伸ばす。
正騎士試験でも感じたことのない緊張が彼女の全身を満たした。騎士候補生時代に訓練討伐で大型魔獣を目前にしても感じたことがなかった感覚だ。
絶対的な強者の威圧をその身に受けて尚、アリアはリオンから目を逸らさなかった。握った手を微かに震わせて、それでも真摯な声で、眼前の元支配者階級に希った。
「私にお支払いできるものならば、何でも差し上げます。俸給も言い値で構いません。……私の敵が誰で、私の大事な人達に危害が及ぶ可能性があるかどうか。それを調べるご協力をお願いできませんでしょうか」
ふふ、太っ腹ね、ちょっと対価が多いわ、と碧の瞳が優しく緩んだ。
「そうねぇ、対価は二つ。一つ目は息子に黙っていてくれること。あの子、心配性なのよ。それで、もう一つなのだけれど」
耳元で囁かれた対価に、アリアは目を瞬かせた。
「で、具体的に何が知りたいのかしら」
―――これは、息子さんが心配するはずだ。お人好し過ぎる。
アリアは決めた。協力は不可欠だ。だが、ご助力頂くこの貴婦人を、アリアの全身全霊を持ってお守りして、髪の毛一本傷つけずに家に帰そう、と。
***
ーーーそれでも、どれだけ祈り足掻こうと、世界はアリアから奪うのだ。
弟子が切られた。それを認識した瞬間、アリアの世界から音が消えた。コマ送りのようにゆっくりと動く視界の中で、周囲の状況を確認する。
―――弟子は大丈夫。片足が切り落されただけだ。聖魔法で復元できる。敵の数は23名。こちらは12名。うち、戦闘可能人員は10名。リオンさんと事務のお姉さま方は安全圏に退避済み。……よし、いける。
袖口に仕込んだ小刀を一閃。拘束していた縄が落ちると同時に立ち上がって駆け出す。三歩先にいた暗殺者の剣がこちらに振り下ろされるのを身をよじって避けると、態勢を戻しつつ刀身を靴で蹴り上げた。
アリアたち建築関係者が履く現場用の革ブーツには、安全対策として、甲側と足裏に鉄板が仕込んである。釘などの踏み抜きを防止するためだ。人々の生活を支える労働者たちの安全機構が、暗殺なんていう非生産的事業に使われてきた鉄の塊を跳ね飛ばす、金属同士がぶつかる鋭い音が空間を切り裂いた。
「口封じ?」
獲物を手放した敵のドテっ腹に蹴りをお見舞いして、中空を舞ってこちらに来た剣の柄を握った。
「良い度胸じゃない」
振り向きざまに剣を横薙ぎに振り抜けば、後方から迫っていた暗殺者の首が飛ぶ。派手な血飛沫をあげた死体が倒れる前に、その手にあった長剣を拝借した。
「引渡し前に事故物件とかサイアク」
2本の剣を構え、暗殺者集団に相対した。口の端が吊り上がるのが分かる。血が沸騰するように熱い。
―――さあ、
「誰の弟子に手を出したか、骨の髄まで理解させてあげる」
―――楽しい祭りのはじまりだ。
***
アリアたちを謀殺しようとした暗殺結社の誤算は二つ。一つは、現場に下働きとして来たリオンが異能により彼らの正体と悪事を看破したこと。
二つ目は、そもそも、アリアの事務所に建築を依頼したことだ。独立したばかりの若手女建築なんて、どうにでもできると思ったのかもしれない。見縊ってくれたものだ。
アリアは養護院出身だ。彼女を育てたのは女性神官だった。シスターと呼び慕った彼女の信じる神は軍神。その信仰の徒は須らく魔獣を憎み―――戦に命を燃やす瞬間を至高の喜びとする戦闘狂と名高い武闘集団だ。
シスターが大好きだったアリアもまた、軍神の信徒として育てられた。『我々はか弱い仔羊なのです』がシスターの口癖だった。
『よいですか、アリア。人類は魔獣に狩られる被食種です。我々はか弱き仔羊なのです。けれど、大人しく奪われる謂れはない―――見敵必殺ですよ、アリア。剣を鍛錬し、魔法を研鑽するのです。舐め腐った魔獣のド頭なんぞ、吹きとばしてやんなさい』
ハイハイを覚えるよりも先に、訓練用の木刀を模したぬいぐるみと揺りかごで共寝したアリアは素直な子供だった。シスターに褒められたくて、シスターを喰った魔獣が許せなくて、アリアは戦闘訓練に明け暮れた。その甲斐あって剣術も戦闘魔法も騎士訓練生の中では上位の実力だったと自負している。
正騎士になるための適性検査で落とされなければ、アリアは今頃、魔獣戦線にいた。だが、自覚症状のない先天的な体質異常が精密検査で発覚し、アリアは正騎士への道を絶たれた。
そんな、体質以外は全て騎士の素養を満たし、なんだったら幹部候補生の平民枠を取りかけていた、なんちゃって一般人が獲物を前に獰猛に笑う。自身と自身が愛する宝物の命を奪おうとする肉食獣を狩ることに人生の喜びを感じる怪物が、久々に目を覚ました瞬間だった。
***
後に、血に塗れた祭り会場の後始末を頼まれた元恋人は語った。
『復縁しても物理攻撃可の痴話喧嘩は絶対にしないでおこうと思った』
彼の尽力により、当該物件―――暗殺集団の新居は買い手が付き、その売却金によってアリアは関係者に契約通りの支払金を用意できた。
通常の廊下よりも隠し通路の方が多く、地下には防音・防振・防魔導衝撃陣が施工された戦闘訓練場が完備された物件の購入者が誰だったかアリアは知らない。だが、当初の施主が斬首された事故物件を購入した買主は大家族の長兄であり、腕白ざかりで彼の言うことなぞ全く聞かない弟たちが暴れても問題のない物件を購入できてホクホクだったそうだ。
***
『困ったこと、危ないことがあったら、ちゃんとこれからも私や周囲に相談すると約束しなさい。人が一人でできることなど限られているのだから。それが二つ目の対価よ』
それがリオンがアリアに提示した二つ目の対価だった。
ーーーアリアは沢山のものを失った。
生れたときの家族も、育ててくれた神官さまも、目標にしていた騎士の道も、全てアリアの手から零れ落ちていった。
欠落と挫折の記憶に息をするのも苦しい夜もあった。今でも時折痛むそれを乗り越えて、アリアは建築家になった。無くしたらなら、取り零したのならば、もう一度手に入れればいいじゃないかと、必死に前を向いてその両手を伸ばしてきた。それを支えてくれる手が沢山あることも自覚していた。
そんなアリアの大事な存在が、また一つ増えた。お人好しな母親の右手を両手で握りしめて、アリアは嬉しくて心の底から笑った。
「宜しくお願いします、リオンさん」
―――≪豪運のアリア≫と称されるトンデモ建築現場ばかりを引き当てる建築家の伝説が始まった瞬間であった。
それは、なんちゃって一般人二人組による建築事件簿の開幕でもあった。
彼女たちはその後、様々な訳あり物件で騒動を引き起すのだが、それに巻き込まれる息子やとある兄弟たちを含めて、誰もそんな未来を予想していなかった。ちなみに、命の危険がある物件だった場合、息子にバレたときに母親はメッチャ叱られたし、建築家は元彼に泣かれた。




