第81話 蹂躙されちゃった
「あ”⋯⋯はぁっ!」
アリスは口から血を吐きながら、胸から飛び出した異物を確認するように震える手を動かし、ファイアブランドを掴んで呻いた。
「なぁ⋯⋯!?アリス!ぐはぁっ!」
「ぬあぁっ!?」
「遅いッ!」
隣に居たクリスが刀を手に取り後ろに振り返って自体の確認をしようとするが、その前に前方に吹き飛ばされ距離を離すことになった。クリスが飛んだ方向に居たアールランドも巻き込まれ、一緒に数十mほど離れてしまい対峙するのは一人だけとなる。
残されたティナが身構えると、先程撃破したと思っていたゴブリンエンペラーが胸に穴を開けたまま足を上げて蹴りを繰り出した体勢でこちらを睨んでいた。
「なんてこと⋯⋯その子を解放しなさい!」
「いいや断る。詰めが甘かったな?我々は核となる部分を破壊されねば死なん」
「まさか⋯⋯!アンタも魔石があるっていうの!?」
頭をトントンと指で叩くゴブリンエンペラー。通常の魔物とは違い、魔獣と成った彼らに常識は当てはまらない。ソウルイーターと同じように完全に生命活動が停止したと思える程の損傷を与えたとしても、それは動けなくなっただけで周囲から魔素や魔力を吸収すれば復活してしまう。撃破するにはコアである魔石を砕くか、完全に体から切り離すしか対処する術はないのだ。
「擬死なんぞという手段を取らざるを得なかったのは業腹だが、演技というのは思っていたより重要だな。これほど上手く事が運んだのだから」
そう言いながらファイアブランドを持ち上げ、アリスを宙吊りにする。その動作で更に剣が深く刺さり傷が広がったのか、アリスから漏れるうめき声が大きく、そして悲痛な物に変わっていく。
「うあ⋯⋯いだぃ⋯⋯あづいぃ!」
これ以上体を傷めないように防衛反応が働いているのか、ファイアブランドを掴む手に力が入る。しかし火の魔法が込められた刀身を素手で触ることによって、ジュウジュウと接触部分が焼けて肉と脂肪が焦げる嫌な匂いが辺りに広がるだけだった。
「動かないでアリスちゃん!」
「次は貴様だ!!」
突き刺さっているアリスにお構いなしにファイアブランドを振り回し、そのままティナに向けて刀身から火球を放つ。しかし焦って狙いが逸れたのか、少しズレた方向に射出された火球はティナの横を通り過ぎる軌道だった。
「どこを狙って⋯⋯っ!?」
火球を放った勢いで、今までファイアブランドに刺さっていたアリスも同じ方向に飛んでいく。まだ全属性耐性向上の効果が残っていたので火球の余波だけでは体が燃え上がらなかったが、それを見たティナは迷った。
(このままでは火球の爆発に巻き込まれてアリスちゃんも死んでしまう!でも、水壁で防いだとしても結局爆発するのは変わらない⋯⋯)
一瞬の逡巡の結果、火球の後ろに飛んできているアリスを手を伸ばして抱き留め助ける事にした。妹の死が目前に迫ってアドレナリンが分泌されたゆっくりとした時間の中、傷ついた胴体をこれ以上負担がかからないように優しく包み込むように受け止める。ほぼ水平に撃たれた火球はそのまま通り過ぎて飛んで行き、少し離れた場所に着弾すると大きな爆発を起こす。
「そう来るだろうと思っていたぞ!」
その瞬間、ティナは自分の首に違和感を感じた。いや、正確に言うならば感じることすら出来なかった。瞬く間に体から力が失われ、腕に抱いたアリスを地面に取り落として崩れ落ちる。霞む視界の中で見たものは―――逸れたと思っていた火球の爆発で出来た自分の影に刺さったファイアブランドだった。
全てが手の平の上だったのだ。数的不利は覆しようがない。ならばどうするのか。不意打ちが効率的ではある。それも、一瞬で全てをひっくり返すような一手が必要だ。互角に戦うフリをしながらゴブリンエンペラーは周囲を注意深く観察していた。
呼び寄せた手下を相手にする兵士達と、負傷したソイツらを恐ろしいほどの速度で治療する女。その魔法は落とした首都からいくつか持ち出した薬などとは比べ物にならない程の治癒力がある。ここで多少手傷を負わせた所で、下がられて回復されれば面倒なことになるだろうと考えた。
今の彼にはクリスと打ち合いながらも思考を別のことに割く程の余裕があった。既に知力Sという尋常ではない学習能力によって、クリスの戦闘におけるクセも全て見切られていたのだ。しかし、油断をすると首を落とされ核となる魔石が体から分断され無力化されることには代わりはない。ならば、頭部以外にわざと被弾しどう見ても死んだと思わせる。場所は生物の急所とされる胸部が望ましい。
それは成った。鎧が大きく破損したことで付与されていた加護は消えてしまったようだが、事前に配置しておいた精鋭を拠点に差し向けていたおかげで、念入りに死亡確認もせずに立ち去ろうとしたのだ。素早く起き上がったゴブリンエンペラーはその一瞬で戦闘の要であったアリスの胸を貫く。
次に障害となるクリスとアールランドを纏めて遠くに蹴り飛ばし、更には罠として態とティナに当たらないよう火球を放ちアリスを助けるように仕向ける。その結果、アリスを受け止めようと無防備になった回復役であるティナの、その後方に着弾した火球の爆発で生じた影の首をファイアブランドで突き刺したのだ。
「アリス!ティナァァァァァ!」
「貴様ああああ!!」
激昂したクリスが走りながらミスリルの刀を振り被り、そのまま力任せの斬撃を繰り出す。アールランドは二人の治療を優先し、収納からポーションを取り出して既に手に握っている。
「女王様!治療を頼む!」
「もうやっとるわ!」
「今の貴様など恐れるに足らん!」
まだ治療が間に合うと信じ時間を作り出そうとした一撃だったが、それは最初と同じように軽く受け止められ、逆に力任せに跳ね上げられ袈裟斬りに肩から胸までを切り裂かれ、もはや敵ではないとばかりに殴り飛ばされてしまう。
「うぐぁ!」
「治療もさせん!」
取り出したポーションの蓋を開けて振りかけようとしていたアールランドだったが、眼前に迫るファイアブランドを回避せざるを得なくその機会を逸してしまう。ならば、と飛び退きながらティナに向かって瓶を投げるが――。
「それも無駄だ」
「なんじゃと!?」
ポーションが入った瓶を斬られ、中身が一瞬で蒸発してしまった。
「女王陛下!我らが盾になります、その間に!」
少々離れて先行していた兵達が蹴り飛ばされた二人と爆発によって異常事態に気付き戻ってくる。だが、強化されたとは言えクリスより劣る彼らは次々と斬り倒されていくだけだった。
「ぎゃあああぁ!」
「ぐわぁぁ!」
「せめて一太刀だけでも!くっ、ぐげゃあああ!」
「木っ端だがそれなりに手応えがある連中がこう多いと手間だな」
先程の戦闘を遠目に見ていた彼らも、自分達の戦闘能力では時間稼ぎにしかならないと分かっているので、敢えて一人ずつ掛かって行く。剣を一回振る動作だけでもコンマ数秒程度の時間は稼げるのだ。兵達の中でも練度が高い者は即死の一撃をどうにかやり過ごし、僅か数合で散っていった。練度が低い者も体の一部を犠牲に初撃を防ぎ、這々の体でやはり命を刈り取られていく。
「これは、これは⋯⋯もう、手遅れなのじゃぁ⋯⋯⋯」
アールランドは配下の決死の時間稼ぎの間に、なんとかティナとアリスの元にたどり着きポーションを振りかけるが、既に致命傷に至った傷口には効果が薄かった。重度の火傷と抉られた深すぎる傷口に急速な治癒を促しても失われた体力が戻るわけではない。ポーションで傷口が修復するにも体力を使うし、無くなった部位を補う為のナニかもドコかから持ってくる必要があるのだ。勿論、それは体に負担を強いる。
それによって瀕死の重体に対してのポーションによる治療はむしろ、衰弱死を招きかねない危険な行為だった。ティナが習得している生命復元は傷を癒すのではなく、正しくは生命体の全盛期の姿に近づけるよう、体そのものを作り変えるので何時でも誰にでも使えるのだが、肝心の本人は詠唱の要である喉を潰され、首から繋がる神経系を全て切断されている。
アリスは胸を貫かれた上に、しばらく突き刺さったままのファイアブランドの熱により傷口が焼けて止血されていた。しかし、同時に片肺を完全に貫通しており背骨も半ばほどから断ち切られていたので脊椎損傷により下半身の自由を失いうつ伏せに倒れ伏せていた。口から漏れる呼気に痛みで痙攣している喉からの嗚咽が混じり、今にも呼吸困難で気を失いそうだが、必死に堪えている。だが、実際はあまりの激痛で意識を手放しそうになった瞬間に覚醒してしまっているのだ。アリスは生き地獄を味わっていた。
振り掛けられたポーションにより多少は傷口の再生が促されるが、それもただのその場しのぎであり魔法による本格的な治療を施さなければ数分もしない内に命が失われてしまう状況だった。二人のその様な傷を癒す手段など、今この場に存在しなかった。
「うっく、ひぐ、うぅぅ!」
半狂乱状態のアールランドは、収納に入っているありとあらゆる薬を二人に使ったが、どれも延命をするだけで大した意味はなかった。その結果、完全に呼吸が止まっていたティナから、先に命が失われることになった。この世界で人が死ぬと、収納に入っている物がその周囲にドロップする。これは限りある物資が永遠に失われないようにとの女神の配慮であると同時に、現地人の死亡判定として広く知られている現象であった。
それが今、ティナの身に起こったことだ。瞳が光を失うのと同時に、周囲に様々なアイテムが散らばる。三人で使っていた木製のカップ。冷やした焼肉のタレが入った小瓶。アリスの分も含めた代えの衣服。身内がズボラなので纏めて管理していた財布など、様々な小物が地面に転がっていた。
それを、なんとか顔だけは動かし見ていたアリスは目を見開いて涙を流した。ティナに着いていた妖精が、悲しそうな顔でティナの頭に寄り添っていたのだ。それは、親を失いどうしていいか分からない子供のようで、ひどく哀れに思えた。痛みが支配する頭の中でそれを見ていると、妖精は涙を一筋流し、やがて光る粒子となって――消え去った。




