せめて、あの花が枯れるまで
休日の街はいつもと変わらず、一定の速さで流れていた。俺は、その倍の速さで通りを歩き、待ち合わせ場所へと向かっていた。
今日はやたらと冬が存在感をアピールしている。遊園地に行くには寒すぎる気がするが、晴れ晴れとした青い空は、見ているだけで気持ちがいい。俺の恋は沸点を超えて蒸気となり、この空と同じ色になっていた。
ハローメイツに通うのは明日までだ。恐らく、今日は市松との最初で最後のデートになるだろう。楽しみ半分、切なさ半分といったところだろう。
遅く来たほうが朝食をおごる。そう市松と約束していた。時計を見ると、八時二〇分になっていた。
市松と朝の八時半に、ハローメイツの近くにある喫茶店前で待ち合わせをしていた。やけに早すぎる待ち合わせだが、そうリクエストしてきたのは市松の方だった。待ち合わせをしている喫茶店は、焼きたてのパンが美味しいと評判で、どうしても食べてみたいらしい。それと、今日行くことになっているアミューズメント施設に早く行って、中にあるアトラクションに並びたいとのことだ。人気のあるアトラクションなので、早く行って並ばないと大変なことになるらしい。
俺はいつものバスを降り、ハローメイツの前を通り過ぎた。早足で歩けば三〇分には着くだろう。市松はもう着いているのだろうか。朝食はどっちがおごることになるのだろう。
待ち合わせの場所に到着すると、市松は店の前ではなく、一〇メートルほど離れた駅前広場のど真ん中で突っ立っていた。
何であんな所に居るのだろう。俺は不思議に思い、しばらく様子を見ていたが、市松は三分経っても動こうとしない。広場を通る人達は、広場の真ん中で突っ立っている市松を見て、少し頬を緩めている。通行人が笑うのも無理はない。その姿は確かに滑稽だ。リアルな日本人形が広場に据え付けられているようにも見える。
恐らく、どこから見ても俺が気付くようにしているのだろう。携帯を持たない市松にとって、誰かと待ち合わせることは大変なようだ。いつも必死さを感じさせるが、そこが俺にとって、市松を好きな理由の一つだ。
俺は、浮かれている気持ちを「ありえない」という台詞で押さながら、市松の方へと歩いて行った。
屈託の無い笑みが俺の方を向く。朝八時三〇分の市松を見るのは初めてだ。俺の心が浮かれているせいか、いつもより綺麗に見える。せめて今日だけは、この恋を誰にも触れさせたくない。
「私のほうが早かったですね」
「クソッ、仕方ないな、約束どおり朝飯おごるよ」
俺達は、笑いながらパン屋と喫茶スペースが一緒になっている店に入った。
中に入ると、焼きたてのパンの香ばしさが鼻の奥で広がってきた。市松の匂いを消してしまうのが少し残念だが、空腹感を刺激するようないい匂いだ。
休日の朝早くから二人で笑い合うことがあるなんて、想像もしなかった。本当に恋人とよべたなら、どんなに素晴らしいことだろう。
「早く食べましょう」
市松はやけに急いで食べている。早く行かないと、人気アトラクションが混んでしまうのがどうしても嫌らしい。まぁ、なんと計画的な。俺も市松の調子に合わせ、急いで食べた。
そして、電車に乗ること一五分。途中、乗り換えはあったが、そんなに遠い場所ではない。目的地に到着すると、市松と同じ考えのやつが多いのか、既に行列ができていた。人気アトラクションの電光掲示板には、待ち時間一八〇分と書かれていた。
「え、そんなに人が居るの?」
俺は、一八〇分という、途方も無い時間の長さから、そのアトラクションに入るのを躊躇していた。時間に直して三時間。三時間も列に並ぶなんて、いくら楽しいからといっても酷すぎる。
「あれ、絶対嘘ですよ。行きましょう」
市松は、迷うこと無く列に並んだ。何を根拠に嘘だと言っているのかは分からないが、市松は、自分の信じた道を真っ直ぐに進む。たぶん、止めようと言っても聞かないだろう。
「こんな物を用意したんですが……」
市松は、少し恥ずかしそうにしながら、五枚程の四つ折りされたコピー用紙を広げた。
「何? これ」
「並んでいる間暇だろうから、クイズを作ってきました」
なんと市松は、自作かどうかは知らないが、山盛りのクイズを用意してきたらしい。今まで色々な人とアトラクションの待ち時間を過ごしてきたが、クイズを印刷してきた奴は初めて見た。普通、待ち時間といえば、スマートフォンや携帯型ゲーム機、本等を想像するのだが、市松は俺の想像を遥かに超えているようだ。
「これなら、二人で遊びながら待てるじゃないですか」
市松はそう言いながら、どこか照れているようにも見えた。本当に凄い奴だな、と改めて感心させられてしまう。
確かに、市松の言うとおりだった。アトラクションを待っている間、正直、面白くないクイズもあったが、二人で楽しく時間を過ごせた。ただひとつ気に入らないことは、全部一方的だったことだろうか。市松は自分だけ答えを見て、まるで教師のように教えようとしてくる。一方的にクイズを出されてばかりなのは癪に障るので、今度は俺が市松にクイズを出そうと紙を取ると、必死になって奪い返そうとしてくる。
おかげで、俺はこの待ち時間の間に、かなり頭が良くなったような気さえした。
そして、驚くことに、一八〇分と書かれていたアトラクションの待ち時間は、結局、六〇分だけだった。市松の言うとおりだ。すごい奴だよ、こいつは。
「次はあれに乗りましょうよ」
市松は、子供のようにはしゃいでいる。本当に来てよかった。
そんな市松が指を差したのは、ジェットコースターだった。待ち時間は六〇分と書かれてある。ここの施設は、何をするにも並んでばかりだ。これじゃ、遊びに来たのではなく、並びに来ているだけじゃないのか、と思ってしまう。この、やたらと並ばされることが無ければ、もっと頻繁に来ても良いのに。
まぁ、今日は市松と一緒だ。六〇分くらい何てこと無いだろう。
「分かった。怖いからって泣くなよ」
市松はどんな顔して怖がるのだろう。俺は、市松の怖がっている顔を見るのを楽しみにしていたが、残念なことに、怖がる顔は見ることができなかった。理由は、市松は終始、俯いたままだったからだ。
怖いから俯いていたのだろう、と思ったが、どうやら違ったらしい。市松は、寒さで鼻水が出始め、俺に見られないようにと必死で俯いていたようだ。
「――え、鼻水?」
真冬のジェットコースターは、ある意味危険だな。俺は思わず声を出して笑った。
「もう、笑わないでくださいよ。寒いのが悪いんです」
笑うな、と言われても止まるわけがない。普通なら、たとえ鼻水が出たとしても隠し通すだろう。だが、市松は素直に『鼻水が~』と言っている。これを笑わずして、何を笑う。
楽しい、本当に楽しい。俺は、あまりの楽しさに、今日が最後になるかも知れないということさえ、すっかり忘れていた。
「お前はほんと、俺にとって最高の女だよ、欠点はあるの?」
「いっぱいありますよ。鼻水は出るし、痛い発言をするって、よく言われます」
「確かにどっちもあるけど、他に欠点が見当たらないよ」
俺は、めいっぱい、恋人気分で楽しんだ。
こうして、二人でデートをしたり、毎日チャットをしたり、一日のほとんど、いや、訓練校が始まってからずっと、市松と時を過ごしている。だが、ただの友達。恋人でも何でもない。手を触れることがあっても、それ以上は何もない。流れている現実の時間と、二人の時間が違うような気がする。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。時計が狂ったのか? 時間って一体なんなんだ。 恋人気分を味わえた楽しい時間も、もうすぐ終わりになる。シンデレラはもうすぐ魔法が解ける時間だ。今日は夕方を過ぎても良いらしいが、それでも、夜には帰ってしまう。
テーブルの対岸で微笑む彼女。テーマパークで遊びつくした俺達は、帰り道にカフェへと入った。
俺は恋人気分が名残惜しく、テーブルの上にあった彼女の手に触れた。市松は、俺の手を避けるように手を引いた。恋人気分はもう終わりってことか。
「一方通行も、何処で線を引いていいのかが分からない。ふとした瞬間に思い出して消えてないことに気づく。『もうここまで!』と思っていても、道はまだ続いてて……」
俺がそう言っていると、市松も同じように話しだした。
「あー、私も同じです。『好きじゃなくなったかも』って思ったら、あれ『消えてないなー』ってなってます」
また、告白をさえぎられた気持ちになった。好きだ、離れないでくれ……。俺はその言葉をくしゃくしゃに握りつぶして、胸のポケットの中へとしまいこんだ。
恋人気分は、ここで終わりだな。彼女の目がそう告げているように見える。
「お前にとって、俺って何?」
「高井さんはライクです。大切な人。私のことを好きになってくれた人。駿河さんのことを救うことで私を救ってくれた人。私にとって、とても尊敬できる人」
市松は指を折りながら、一つ一つを思い出すかのように数えていた。
俺は市松の言葉を、心の中で整理していた。ライク――か。ラブでは無いと言いたいようだ。
「あのさ、俺と一緒に居てくれた理由って、自分を好きになってくれる人を側に置いときたいってやつ?」
「そういうのとは、ちょっと違いますけどね」
ちょっと違う。なんだ、その、『ちょっと』っていうのは。また、クイズの続きなのか。
俺は、市松が一緒に居てくれる理由を考えていた。
花が枯れるまで好きで居させてくれ。俺がそう頼んだからだろうか。いや、それは俺の気持の問題だ。俺が好きでいさせてくれと頼んだだけだろう。ということは、寂しさを癒す為なのだろうか。まぁ、彼女の心を少しでも癒せていたのなら、それはそれでいいと思う。だが、何かが腑に落ちない。何だろう。
熊田、駿河、市松、そして俺。俺は頭の中で、この四人をチェスの駒のように並べ、色々な状況を考えてみた。暇つぶし、好きと言われてうれしい、寂しいから、優越感、癒やし……何だろう。それら全てだったとしても、今までの流れと答えが一致しない。俺はこの四ヶ月、一体何をしてきたんだ。
市松は、少しでも俺のことが好きになってくれたのだと思いたかった。だが、そうではないと、確信めいたものも感じている。
こんな馬鹿げた状態だと駿河に言えば、何て言われるだろう……。駿河――?
そういえば、俺が駿河に惹かれ始めたとき、市松は俺との距離を縮めてきたな。あのときは何も思わなかったが、よく考えたら、あの時期くらいから、市松がやたら話しかけてきだした気がする。もしかして……。
俺は、大切な何かを見落としていることに気がついた。知りたくもないこと。俺は、自然と目を背けていたのかもしれない。自己愛がその答えを見えなくさせていた気がする。
今思えば、可怪しいと思うが、後になって分かることも有るだろう。いや、人生なんて、後になってから分かることばかりだ。
「――もしかして、熊田のために俺と一緒に居るのか?」
「うーん、どうでしょう」
市松は腕を組み、左手の指先で顎をなぞった。この癖、見れば分かる。市松が言葉に困り、考えているときの癖だ。否定しない。
「俺と駿河が繋がれば、熊田が悲しむ。だから俺と居たのか?」
市松は視線を珈琲カップに移したまま、俺を見なくなった。
やっと分かった。知りたくもない答えが見えた。俺は、恋愛ごっこのメリーゴーランドに乗せられていたということか。
違うと言って欲しい。そんなことはないと言って欲しい。せめて、友達として好きだからとか、適当でも何でも良いので言って欲しい。そう思っていても、市松は何も言わなかった。
「……そういうことだったんだな」
「それもあったかも知れませんね」
全てのパズルがこれで揃った。なるほど、と思わず首を縦に振りたくなる。だが、実際に首をふることはなかった。そんな余裕を見せることができない。
ありえない。熊田が悲しむから、俺と一緒に居た……。駿河の気持を知り、俺と駿河が一緒にならないようにと、俺の気持を引こうとしていたというのか。いくらなんでも、そんなことってあるのか?
血圧が一気に上がっている。指の先まで気だるさが走り、小さく震え始めた。酸素不足を感じ、大きく息を吸った。視野が狭くなり、自分が何を見ているのか、焦点があってないように思える。
「冗談じゃない、馬鹿にするな!」
俺は怒りを露わにした。罵倒、罵声、思いつくまま彼女にぶつけた。傷つけたい。傷つけたくない。その両方の天秤は大きく揺れ続け、言葉が何度か迷いを見せるが、怒りが納まることはなかった。
市松は完全に思考停止しているようだ。涙を流しそうにも見る。恐らく、何を言っても耳に入っていないかもしれない。だが、今の俺には、そんなことどうでも良かった。
寂しいからとか、悲しいからとか、そんな理由で俺を近づけていたのなら、それはそれで良かった気がする。だが、熊田の為という理由だけは納得出来なかった。
もういい。早く終わりにさせよう。俺はそう思い、このメリーゴーランドから降りるのにふさわしい言葉を探した。
「あの花はもう枯れたよね?」
「…………」
「枯れたってことでいいよ。もう、好きだとは言えないから。帰ったら捨ててくれ」
「でも、私が作った紙の薔薇は、枯れませんよ」
上手く笑えなくなっていた。市松の口調は、俺の怒りを和らげようとするもののようだったが、目の光は俺には全く逆の効果を与えていた。
「実は俺、明日で学校を辞めることになってるんだ。もう届けは出した」
「いつのまにそんなの出したんですか?」
「先週――だな。だから、もう会うことはないよ」
「嫌ですよ。ずっとライクで居てくださいよ」
「お前を好きでいる理由はもう無い」
「いいじゃないですか。ライクで居てくれても……」
「そのライクは、ラブに変わらないってことだろう」
市松は眉を八の字にして、困った顔をしている。嘘を付けない性格。不器用だな、ほんと。プライドの高い市松が、これほど苦悩の色を表に出すのは珍しいことだ。
なんだろう、市松がこんな顔すると、怒りが切なく感じてくる。俺は虚しさを感じ、市松から目を逸した。
「友愛、動物愛……えっと、えっと……」
「もういい」
「ごめんなさい」
市松は、顔を伏せた。声が震えて聞こえるのは、恐らく泣いているのだろう。だが、今は優しい言葉をかけることなんて俺には出来ない。もういいんだ。これでいい。
「最後に一つだけ、願いを聞いてくれないか」
「…………」
「お前から貰ったあの薔薇が枯れるまで、嫌いでいさせてくれないか」
「……え?」
「赤い紙の薔薇が枯れてしまうまで、お前を憎ませてくれ――嫌いでいさせてくれ」
神様、どうかお願いします。せめて、あの花が……。あの、枯れることのない、赤い紙の薔薇が枯れてしまうまで、彼女を憎み続けさせてください。彼女を嫌いでいさせてください。市松との思い出が、市松の記憶が静かに消えてなくなるまで。
俺は、普段祈ることの無い神に祈った。都合が良すぎると怒られるかも知れないが、もうそれしか無かった。
「明日は学校に来てくれるんですよね」
「いや、もう行かない」
「ヘコみます」
「へこむ理由が無い」
「こんな終わり方は嫌ですよ」
「始まっても無いのに、終わりってなんだ」
「絶対に来てください。ヘコみます」
「意味がわからない。どこまで俺を引っ張り回すつもりだ」
「…………」
「いいか? 俺はもう、こんな恋愛ごっこのメリーゴーランドからは降たんだ。熊田の為とか、自分が寂しいからとか、どんな理由かは知らないが、俺に構うのはやめてくれ」
俺はそう言って彼女を残し、店を出た。
この怒りは俺の身勝手な感情だ。それくらいのことは分かる。だが、今まで何度も離れようと決意しても、結局は離れられない。この怒りをバネにしないと、市松から離れられない気がした。離れる辛さに耐えられる方法、それは憎むしかなかった。嫌いになりたかった。例え身勝手だとしても。
きっと、彼女とは住む世界も違えば、理解し合えない存在なのだろう。彼女は太陽を愛し、俺は太陽を嫌う。生き方も違えば、見てきたものも違う。二人は混ざり合うことは出来ない色なのだろう。




