卒、市松
どんなに悩んでみたところで、いつかは必ず最後が来る。訓練校最後の日。俺はハローメイツに行こうか悩んでいた。もちろん、休んでも問題はない。風邪を引きましたと嘘をつけばそれで済む。だが、市松の『ヘコみます』という言葉が、頭にこびりついている。
やはり、普段から神様を信じてない俺なんかの頼みを、聞いてくれるワケがないか。いっそ、神様でも恨んでしまいたい気分だ。
市松は、熊田の為に俺と居たのだろうか。いくら市松が無神経だったとしても、そこまで酷い女だとは思えない。一度好きになった女を嫌いになるなんて、忘れるよりも難しいことなのかもしれない。
悩んだ末、俺はハローメイツに行くことにした。最後くらい、世話になったクラスメイトに別れを言うべきだろう。
二時間目を過ぎた頃に教室へと入った。市松と目が合う。キツネ目が腫れているせいで、少し垂れているように見えた。
皆は何も言わなかったが、俺を見る目が少し寂しさを感じさせている。恐らく、俺が今日までだと知ったのだろう。本当なら、誰にも言わず去りたかったが、仕方がない。
そして、最後の時間になった。あと少しでこの抜け切らない毎日と距離が開けられるのだと思うと、少しは気が楽になってくる。
[野中]:もう四ヶ月も経ったのか。早いな~
講師の枯れ声に上手く調和しないキーボードを叩く音が聞こえてくる。そのメッセージに続き、皆が思い出話を始めだした。あちこちからキーボードを叩く音が響くせいで、講師が少しムッとした顔を見せたが、止めようとする者は居なかった。
[堀井]:高井さん、四ヶ月間ありがとう。何か寂しくなる
[甲本]:高井は今日までか。喫煙組が消えるのは確かに寂しいな
[吉田]:またご飯に連れて行ってくださいね
[佐藤]:いいな~、私も連れて行って。回らない寿司でいいよ
[熊田]:僕も
気の早い奴等がメッセージを書き出す。まだ時間は残っているのに、それは早過ぎるだろう。俺はそう思いながら、皆と同じようにキーボードを叩いた。
高井:いつでも会えるじゃないか、皆近いんだし
話は次第に男女の恋話にまで発展しだした。誰が好きだとか、誰と誰が怪しいとか。平均年齢が三〇歳近い奴等の会話とは到底思えないような内容だ。
俺は、その文字達を見て、どうか俺の話しは出さないでくれ、と願っていたが、そうは問屋が卸さないということか。思った矢先に野中が触れてきた。
[野中]:ところでさ、高井と市松って付き合ってたの?
あぁ、何で触れるかな。俺はモニターから視線を外し、冬の終わりを告げる優しい陽射しが差し込む窓を見た。もちろん、返事はしたくない。するワケがない。出来ることならそのまま流れてくれ、そう思っていたのだが、話題は俺の気持ちに関係なく、どんどん盛り上がっているようだ。モニターを見なくても、奴等が叩くキーボードの音とにやけた顔がその証拠だろう。
「市松ねぇ……」
俺はため息と一緒に小さな声でそうつぶやいた。
市松を見ると、昨晩、俺が酷いことを言ったせいで眠れてないのだろうか。顔を伏せ、眠っているように見える。講師は呆れて顔で市松を見下ろしていた。
時計を見ると、残りあと一五分になっていた。このまま何も言わず、終わってしまってもいいのだろうか……。そう思うと居た堪れなくなり、市松へと個人チャットを送り始めてしまった。
[高井]:よく寝るな
[市松]:もうバッチリです さわやかな朝だ (つд⊂)ゴシゴシ
[高井]: 誰かさんが来いって言うから来たのに、どうせならもっと元気そうな姿を見せろよ、ちびなす
[市松]:来てくれて感謝です。睡眠たっぷりとったので元気ですよ ☆(ゝω・)vキャピ
[高井]: 感謝される理由はない。別に君が呼んだから来たわけじゃない。女にへこむと言われて放っておけなかっただけ
[市松]:高井さんの半分は優しさでできています
[高井]:はいはい。それだけが俺の取り柄ってことだろ
[市松]:かもしれないですね (*ノω・*)テヘ
[高井]:なぁ
[市松]:はいー。にぃ、ぬぅ、ねぇ、のぉ。
[高井]:あと一〇分。最後だな
幸せになってください、なんてしおらしいこと言うつもりはない。けど、せめて、市松が見えなくなるまで、悲しい顔はさせたくない。
[高井]:もう口説かれることもなくなるな。安心した?
[市松]:あれ、口説かれてたっけ?
指がどんどん、焦り始めている。言いたいこと、聞きたいことはまだまだあるのに。
[高井]:あと五分。いざとなると何を言っていいかわからないな。楽しかった! くらいか
[市松]:またすぐ会えますよ。私も楽しかったです
[高井]:もう会わないよ
市松にどうなってほしいのか。今までのことを考えてみた。笑顔で居て欲しいと、誰よりも願っていた俺が、誰よりも傷つけていた。
好きになった女には笑顔で居て欲しい。小学生でも分かるような単純なことが、俺にはできてなかった。あぁ、馬鹿だ。自分を思いっきり殴りたい。
俺は、オープンチャットで、皆にメッセージを書き始めた。
[高井]:なぁ、皆に市松の話をしてやろうか
仲の良かった奴等が、話に乗ってきてくれた。ありがたい奴等だ。
[高井]:色気も食い気もないチビナス。思いやりに欠ける馬鹿。不器用で手間のかかる女。強がってるけど、弱い奴。言い出したらキリがないけど、あの情けない笑顔が好きでした。市松の笑顔が見たくて、おどけてた日々が懐かしいです。楽しい時間をくれた人。
[高井]:もし、このクラスの中で、俺のことを少しでも友人、もしくは仲間だと思ってくれる人が居るなら、是非お願いしたいことがあります
そう書いた瞬間、何故か涙が溢れてきた。だめだ、ここで泣いちゃ。止まらずに頬を濡らす。悲しみ? いや、似ているけど何か違う。離れる実感? うーん、それも違う。理由が分からない。分からないけど涙が溢れてくる。理由のない涙があってもいいじゃないか。
[高井]:俺のために、一秒でも長く、彼女を笑顔にさせてあげてください。俺の分まで、あの情けない笑顔を笑ってやってください。悲しい顔をしてたら、気にかけてやってください。お願いします。市松、人狼の約束を守れなくてごめんね
何度泣こうと思ってもなけなかったのに、今、こうして自然と涙が溢れてくる。未練たらしいことになってしまっている。だが、この未練は そんなに許されないものか。
市松は顔を伏せていた。泣いているようにも見える。
俺は、オープンチャットから、市松への個人チャットへと戻した。
[高井]:あと二分
[市松]:ツンデレ……いや、キレデレ? デレギレ? うーん。
[高井]:兎に角、ありがとう
[市松]:高井さんに一方的にお世話になったのは私ですよ
[高井]:一つ聞いていい?
[市松]:はーい
[高井]:もし、熊田のことを好きになってなかったら、俺に振り向いてくれた?
[市松]:高井さんは高井さんです
[高井]:上手くごまかしたな
市松を好きになる気持がもう少し控えめで、あの時の言葉が足りていたら、俺達は今でもずっと、笑顔でいたのかもしれない。
[高井]:もう夢にも出てこないでくれよな
[市松]:また会えますよ。絶対
[高井]:今まで本当にありがとう。さようなら
そう書き終えたとき、終了のチャイムが心に響いた。俺はそっと、パソコンの電源を切り、想い出を閉じ込めるかのように、古びたノートパソコンを閉じた。
振り向くと、想い出がセピア色に変わっている。
もしかすると、ずっと忘れられない人になってしまうかもしれないけれど、せめて、あの花が枯れるまで、俺は彼女を憎み、嫌いで居続けたい。
最高にして、最低の恋。俺は、市松に出会えただけでも良かった。例え、どんな悲しい結末であったとしても。




