第六話
長い話になりました。
完璧な令嬢とメイドに早替わりする王族二人と護衛のリックス、そしてメイドのマリーを連れてエステルは資料室へと足を運ぶ。
資料室は屋敷の別館にあり、本館の渡りを歩いて別館の扉を開くとすぐに資料室の扉が見える。
流石に、王都にある図書館や王家の図書室ほどではないが、それでもコックス領では唯一の図書室を兼ねた資料室なので、その大きさはエステルの部屋とガラルドたちが泊まっている客室を併せても余りある広さだ。
一応、定期的に清掃はされているが、残念なことに人手不足な辺境伯爵家ではその頻度は本館よりも少ない。
扉を開いた瞬間に僅かに埃っぽい匂いがして、不快にならならいかとガラルドたちを見れば特に気にした風もなく中の様子を伺っていたので、内心ホッとしつつも資料室に案内した。
「ここが資料室だよ。向かって右が歴史書や専門書の分野で、向かって左側が娯楽小説とかコックスで出版された本になってるよ」
「大衆向けと専門で左右で分かれてるのか?」
「たまにコックスから王都に移住する人や、歴史書や地理表なんかを調べたり更新したりする人がやってくるから、そう言う時にはここを図書館代わりにして貸し出してるんだよ。それで、子連れなんかの場合もあるから、それぞれが取りたい本が分かりやすいようにそういう分け方にしてあるんだ」
「蔵書の改竄の心配はないんですか?」
「そんな事がないように、流石に専門分野を読みたい人とか書き込む人には近くで使用人がつくことになってるよ。今回は、私とマリーが居るからいないけど」
流石に日和見気味の領地といえども蔵書の改竄等に杜撰な訳ではない。と、言うよりこんな辺境だからこそ、特に領地内の歴史や地理に関しては誤りのないように努めなければ領外の誰も正してはくれないのだ。それ故に普段何を考えているのかわからない領主のミクリオでも、徹底している部分だった。
説明すれば納得のいったというように頷いたガラルドに、ちらりと顔を向けたラウレンティーナがこの隙を逃さないと言わんばかりに左側の娯楽小説に突っ切っていく。
そして、早速というほどに数冊の厚みが大小ある娯楽小説たちを手に、中央の座席へ我先にと座ったのだった。
「じゃあ、ワタシは読むからリックスさん警備お願いね!」
「はいはい、二人が調べ事してる間はオレが護衛を担当しますよ」
ラウレンティーナの一言にリックスが返事をして傍に立てば、それきり彼女は娯楽小説の世界に飛び込んでいってしまったようだ。
メイドの姿でもラウレンティーナとしての溌剌とした姿でもない、脅威の集中力で黙々と文章を追っかけている。
「……あんなティナ、初めて見た」
「城の自室で娯楽小説読んでる時なんかいつもああですよ。勉強の時にもそれが発揮したらいいんですけどね、全く」
「なんとなく察してたけど、ティナは勉強が苦手な感じ?」
「昔はそうでもなかったんですけどね。遅れを取り戻すように詰め込まれて、逃げ出すようになりました」
所謂、躓いた所から全く出来なくなって苦手意識が芽生えた、と言う類の話だろうか。
その割には何処か不思議な言い回しのように感じたが、恐らく深い所は答えてくれないのも知っていたので、エステルは話を変えることにした。
「今日はどの専門書を読むつもりなの?」
「コックスの伝統や地理に纏わる資料なんかを読みたいですね。特に地理に関しては地図も一緒に見れると助かります」
「地図の更新があったのは五十年近く前なんだけど、それでも大丈夫?」
「それでも他領にあるものよりは正確ですし何よりここ、五十年程度で大きく様変わりするような出来事とかあるんです?」
「特に何も大きなことがない片田舎な領地で悪かったねぇっ!!」
「声が大きい!!」
「それはごめん!!けど誰のせいかな!?」
チョップを繰り出された。
手加減はされていたが避けられなかったので地味に痛い。
確かに資料室で騒ぐのは良くなかったのかもしれないけれど、何故辺境伯爵家の娘が自宅の資料室のことでチョップをくらわなければならないのだろう。
実に不満である。
そんな茶番を呆れたように見ていたマリーが「只今お持ちしますので、席に座ってお待ちください」と行ってしまったので、他にも用事のあるエステルは同じように「先に座ってて」と声を掛けると慌ててマリーを追った。
「?お嬢様、どうなさいましたか?」
「マリー。お願いがあるんだけど、他領……特に首都オーデンでの常識や作法なんかについて詳しい本とか一緒に探してくれないかな?」
マリーは優秀なメイドであり、それは頭の博識さも兼ねてのことであった。
普段の慇懃無礼な態度からは分かりづらいが、エステルも知らない予言の詳細も知っていたように、その知識量は本来ならば学士の称号も取ることができる程。
対してエステルの知識は自領のことや貴族教育に偏り、専門的なことになるとさっぱりと言ってもいい。特に他領については勉強不足すぎて、最早何処から補完するべきかも分からないのだ。
こうなってくると、マリーに直接尋ねた方が早い。
人手不足のコックス辺境伯爵家にて、エステルの教育係を五年前から担当しているのも、マリーだったので。
マリーに頼めば彼女もまたすぐに納得したようだった。ガラルドの本を先にテーブルに持っていくと、そのまま戻ってきて一緒に専門書と娯楽小説の棚を探してくれる。
何故娯楽小説も対象なのかと尋ねれば、マリー曰く下手な専門書よりも読みやすく、常識的な内容が書かれていることがあるからだそう。
その観点はエステルにはなかったことなので、マリーに相談して良かったと改めて思った。
「では、これで最後ですね。それでは、テーブルに戻りましょう。私は一度、お茶の用意をして参ります」
「うん。ありがとう」
そのまま本館の方に戻っていくマリーを見送って、エステルはテーブルに本を置き、隣同士座っているガラルドとラウレンティーナの正面に座ることにした。
厚めの本が三冊ほどだが、場合によっては借りて行ってもいいだろうしゆっくり読むとしよう。
だが、早速一冊目を読もうとその本のタイトルを見た瞬間、エステルは違和感に気づく。
【精霊・妖精と人間における魔法理論】
【精霊民話集】
【王家と女神にまつわる歴史について】
どれも古い書籍でエステルが手に取ったことのない本たち。
だが、その多くが一般的な魔法や精霊・妖精についての記述のものばかりだ。
残る一冊も王都の常識のようでいて、その実女神との話なので、根本を辿ってしまえばこれも一般的な精霊・妖精論になる。
正直な話、この三冊はエステルにとってはかなり意外だった。
精霊や特に妖精はコックスには当たり前に飛んだり遊んだりしているので、今更何を学ぶのかと思っていたものだ。
だが、マリーはそれを持ってきた。それも全てその内容ということは、エステルが学ばなければならない首都の常識や作法は精霊・妖精学、ということだ。
(…………いや、そもそも私の前提が間違ってたのかもしれない)
そうして、ふと思い至る。
エステルは妖精をよく知っている。日常的によく見ているからだ。
しかし、正しい意味で理解しているのかと聞かれれば、答えは否だ。
彼らとの付き合い方を知っているだけで、彼らが他の場所でどのように生きているかは、全くの無知と言ってもいいだろう。
つまり、今のエステルは例えるなら飼っているペットとしての『その子』とは仲も良いし知っているが、野生で生きているその子の『種』についての知識がない状態、ということだ。
例えていて何だが、とても恐ろしい状態であることに気づき背筋がゾッと凍るような感覚がエステルを襲う。
それは、一方的な決めつけで彼らの『種』としての在り方を否定する可能性を秘めていたと言うことだ。
無知なのに知ったかぶりをして、勝手な振る舞いをした挙句に生命にとって取り返しのつかないことをしてしまうのは、熟練の手練れだろうが起こりうる悲劇なのだから。
だからこそ、マリーはこの三冊をエステルに用意してくれたのだろう。
相変わらず、普段は慇懃無礼もいい所なのに、いざという時には主人の足りない所を完璧に補ってくれる有能なメイドである。
無知であったこと自分を恥ずかしくなりながらも、マリーには感謝しかない。
早速民話集から読もうと、エステルはその分厚い本を読み始めるのだった。
ーーー
【精霊民話集】、と言うのは場所を問わず精霊との奇跡の出来事、或いは悲劇の出来事を語った話の総集編だ。
東の領地では新しい土地を開拓する際に精霊に導いてもらい、その対価として豊かになった暁には一番痩せこけた土地を渡す契約を交わしていた。
だが、豊かになる頃には一番痩せていた土地は一番豊かな土地へと変わっており、惜しくなった領主はなんとか場所を変えてもらえないかと頼みにいくものの、その領主に失望した精霊は去ってしまい、精霊の去ったその土地は以前のような豊かさは瞬く間に減ってゆき、細々とした作物しか取れなくなったのだと言う。
北の領地では、ある母親が難病の子供のために精霊が住まうとされた険しい山に何度も祈りに行った。
雨が降れども、強風や霜が襲おうとも、そして周りの人々にすら嘲られようともひたすらに通い続け、三年が過ぎた頃。子供も母親も憔悴しきった冬の晩に、一人の老人が訪ねてきた。最早何の希望もなかった母親だが、老人に罪はないと部屋で温まるまでもてなしたのだ。するとその老人はたちまち精霊に姿を変えて貴方の功労は満ちたと言われ、翌朝になると老人も精霊も居なくなっていたが子供の難病は見る影もなく治っていたのだと言う。
西にも南にも、似たような話はあるが、それら全てに言えるのは精霊と言うものの存在が何処か遠くにあり、人によっては侮ったり女神が如く扱ったりすることだろうか。
少なくともコックスのように、見たことはないけれど当たり前にいるもので、とても怖くてとても偉くてとても楽しいことが好きな存在、といった者のようには見えない。
コックスでの精霊は、形容が難しいが例えるなら、少し気難しい年配の先生のような存在だ。
ルールに厳しく破ったら罰則の如く、その子が泣き出しても親または領主同伴で謝るまで許してくれないが、一方で年端もいかない子供であったり、ルールも知らぬまま不運にも巻き込まれてしまった人であったりした場合には、最後まで根気よく妖精や動物たちを遣わし、食物も与えた上で行くべき所へ帰してくれる。
またお祭りや女神を讃える催しを好んでおり、妖精たちに花や森の実りを授けて持ってくることもあった。それこそ、いつかの時に王家の馬車が勘違いされていた『讃礼回祭』の際にはどこからともなく、美しい音色が聞こえてくるのだが……それが精霊が喜び奏でる聖歌なのだと、コックスの子供たちは毎年聞かされて育っていくのだ。
コックスの至る所に、そんな精霊に纏わる逸話が多く残されており、それらはコックスと言う領土の中で、教育として大人から子供に伝播され伝えられていく。
つまり精霊は、コックスの歴史としても土地としても文化としても、切っては切り離せない存在なのだ。
そこで生まれ育ったエステルが、遠いなどと思ったことがないのも当然だった。
しかし、それらの逸話に胸を躍らせ目を輝かせていた幼い日のエステルを嘲笑うかのように、民話集のどの話を読んでも出てくる精霊の姿は何処か遠い。
存在はしているのだが、その存在感は最早教材に出てくる偉人どころか、もっと薄いところまで希釈されていた。
分かるのは彼らが壮大な力を苦労の後に授けるような恐ろしく厳しい存在であることと、それらが善悪の訓示として象徴的に書かれていること。
確かに、それも精霊たちの性質の一面だ。
けれども優しい一面だって、朗らかな一面だってある。
それだけでは決してないはずなのに、一般的に広まっているのが今のような民話としての精霊たちであるならと、エステルはコックスでの彼らの有り様を思い浮かべ民話を少し残念に思った。
しかし、そこで改めて気がつく。
この場合、おかしいのはエステル……或いはコックスの価値観の方なのではないだろうか。
マリーがこの本を渡してきた、と言うことは恐らくそう言うことだ。
そもそもの大前提の認識が違う。コックスと、それ以外の場所で大きく精霊や妖精たちの価値観が異なるのだ。
そうであるなら、残り二冊はその補完をしてくれるはず。
一喜一憂ばかりしていられないと、エステルは次の本を開くことにした。
その様子を正面にいるが故に、興味深そうにガラルドが観察していたとは、相も変わらず気が付かぬまま。
ーーー
【精霊・妖精と人間における魔法理論】は、一般的な魔法入門書のようだった。基本的に書いてある内容は、先ほどのものと比べるとエステルの認識とさほど違いはない。
だが、最も驚くべき内容もまた、ここに記してあった。
基本的なエステルも知っている内容は以下の通り。
【魔法は魔力で構築されているが、魔力とは全ての生命が持っている普遍的なエネルギーであり、個体によるエネルギー差はなく、その分配能力によって魔法使いと名乗れるだけの者とそうでない者が分けられる。区分は以下の通り……】
つまり、『魔装石のアルカディア』で言うところのマジックポイント、通称MPは全ての生命が持っているけれど、その量自体は全て同じ容器に同じだけ入っている状態である。違いは、その量を一度に多く出してしまうか、適切な量を出せるか。
それをゲームでは、前者は無駄が多いためMPの総量が少なく、後者は無駄がないのでMPの総量が多く表示されていた、とそう言う具合らしい。
そして適切な量を魔法に込めて発動できる、MPの総量が極めて多く表示されていたのが、職業『魔法使い』だったという訳だ。
こういった違いは、ゲーム内の貴族がさらりと描かれていた反面、現実は割と厳格であったことだとかで知ってはいたが、魔法ともなるとまた受け取り方が変わる。
魔力とはつまり生体エネルギーの一種なのだ。
総量が人によって変わらないということは、魔法使いの才能を決めるのは専ら、魔力操作の精度によるものなのだろう。
それだけならば錬磨すればある程度は上位に食い込めそうなものだが、そうもいかないのが肝心の魔法そのものの授かり方にあった。
【魔法とは精霊・妖精から授かるものを指し、精霊・妖精にはそれぞれ等級が定まっており、魔法の強さは精霊・妖精の等級によって変動する。
精霊・妖精とは魔法を使役しようと望む者の適切な召喚に応じて招来するものである。
しかし、精霊・妖精が呼びかけに応じるかは魔法を使役しようと望む者の天稟にあり、これを魔法適性と呼ばれている。】
ここが、エステルにとって一番衝撃だった文内容でもあった。
つまり精霊や妖精は本来、適切な召喚をしなければ現れることすらなく、魔法なんてものは限られた者しか使えない能力だったのだ。
そういえば、かつて『魔装石のアルカディア』でも、勇者の仲間である獣人の騎士が言っていた。
『わたしは生憎、魔法の才能がなく。故にこの剣をもって国に仕えることを志したのです』
それは勇者と仲間になる前に語った世話話の一つだった。それだけに、深く語られることもなかった。
だが、今なら分かる。あれは魔法適正がなかった、つまり精霊や妖精に、召喚に応えてもらえなかったと言っていたのだ。
ゲームのと言うものは特別だ。
勇者という唯一無二の存在に、その周りの仲間たちも強者揃い。
武芸にしろ魔法にしろ、才能ある仲間たちと共に世界を救いにいくと言う壮大な物語を、遊び感覚で体験できるのだから。
だからこそ、否、それを差し引いたとしても……気がつくのが遅すぎた。
コックスという地は異常なのだと。
領民の中で、誰一人として魔法の使えない子供も老人もいない。
召喚せずとも当たり前のようにふわふわと飛んでは現れて、時に遊び、時に仕事し、楽しげに過ごす妖精たちや、人に姿を碌に見せなくても共にいることを決して忘れさせない精霊たち。
当たり前に、野原に田畑に川に森に街に工房に……溢れんばかりに存在する愛しい隣人たち。
そして、それを当然のように受け入れている領地の人々。
まるで夢物語のようだ。
エステルはそれを十六年も享受し続け、当たり前だと思ってきた。
ところが現実はどうだ。
ここに書かれていることが真実であるならば、コックスの現状を知る人はどれだけ居るのだろう。
こんなにも妖精に溢れ、精霊に恵まれ、魔法にも近い存在ばかりの、この世界の何処を切り取っても同じ場所などない異端の地であるコックス。
記述が嘘であってほしいと思うくらいに、コックスの生活は思った以上に非常識で、贅沢で。人々さえも異常で、愛おしくて……そして、残酷で。
守っていかなければならないのだと。
そう思えば思うほどに、言いようのない感情が込み上げてくる。
(ああ、私はコックスを……)
「エステルさん!!!」
唐突に聞こえたのは、ラウレンティーナ、それともガラルド、どちらの声だっただろうか。
その両方だったかもしれない。
「え……?」
何故名前を呼ばれたのか分からなかった。
だが、顔を上げた瞬間に歪む視界に、その理由を察する。
エステルは、泣いていた。
「大丈夫?エステルさん、何か悲しいことでもあったの?」
ラウレンティーナが、心配そうにエステルに尋ねる。
けれど、その質問にエステルはどちらとも答えられなかった。
「悲しい、のかな……?ごめん、わからないや」
エステルの答えに一層、心配そうな顔になるラウレンティーナ。
申し訳ないとは思うが、実際エステルにもよく分からないのだ。
どうして自分がこんな気持ちになるのか。
今までだって、コックスのことは好きだった。
片田舎だろうが辺境だろうが、どれだけ自分で揶揄したとしても、エステルはここでの妖精たちとの生活も、領民たちが作り上げた田畑やのびのび生きる動物たち、芸術品が並ぶ市場、若くして親を亡くしてしまった子供たちを領民皆で手を尽くして世話をする孤児院も、全部が大切なものだった。それらはエステルにとっての誇りでもあったのだ。
それが、たった数冊の本で胸が切なくなる。
でも、その感情の在処が何処なのか、エステルには分からなかったのだ。
「……アンタがさっきから読んでる本、それが原因ですか?」
そんなエステルを察してか、ガラルドがエステルの読み終えた本と、その手元に残っている本を指す。
嘘をつく必要もないので頷けば、納得いったとばかりに眉間に皺を寄せながらもガラルドは溜息をつく。
「ティナ、リックス。一旦、資料漁りは止めだ。いいな」
「もっちろん!」
「泣いてる子の前で続けてたら、オレの方から文句言ってたよ」
「それじゃあエステルさん。今からはアンタとの会話の時間です。いいですね?」
急なガラルドの宣言に、目を白黒させるのはエステルの方だ。
何故エステルに、わざわざ会話の時間を作ろうとしているのだろう。
自分を卑下しているとかではなく、休んだらどうだとか仕切り直すとか、そういった方向ならわかるのだけれど、どうして話し合いをする流れになったのか、ガラルドの意図が読めなかった。
「えっと、何故?」
「そりゃあアンタといい加減、コックスについて話す時がきたってことですよ。その様子だと、漸くここの異常性に気づいたんじゃないですか?」
「ラディ、言い方」
「大丈夫ですよ、リックスさん。言ってることはわかるので」
だが、彼の言い分に納得する。
どうやらガラルドたちはエステルの知識の何処が欠けているのか、既にわかっていたようだった。
それもそのはずで、一般的に見たらコックスはかなり非日常的なことが繰り返されている光景なのだが、それを疑問にも思わないどころか当たり前に説明するエステルに、一般的な精霊や妖精の知識がないことは丸わかりだっただろう。
恐らく、これまで彼らやマリーが何も言ってこなかったのは、エステルの……否、コックスの領民特有の常識に問題があったのだ。
そもそも一般とは常識が違う人間に、それはこっちの常識とは違う、というのは中々受け入れられないものだ。
それはコックスでも同じことで、領民の性質上、常識違いを指摘する人を無碍に扱ったりはしないだろうが、指摘そのものを流されて終わりそうではある。だから彼らのその行動は正解だった。エステルとしても常識を他人から質された際には、受け流してしまっていただろうから。
結局のところ、常識違いとは本人が調べて発見する方が、認識のずれそのものを容認しやすいのだ。
だからこそ、彼は二週間程前のあの日、エステルに他領について調べるよう助言してくれていたのだろう。
その感謝のつもりで、エステルとしてはガラルドをフォローしたのだが、フォローされた側は寧ろ嫌そうな表情を浮かべていた。
何故。
「できた大人ムーブかますエステルさんとか解釈違いなんですけど!!」
「どんな文句の付け方ぁっ!?そもそも解釈違い出されるほどのものお出しした覚えもないよっ!?!!」
「あ、よかった。いつものエステルさんだ」
「ちょっとティナさん!?そっちの味方なの!?いや普通に元々そっちか!!」
「セルフツッコミまで……成長しましたね」
「だからお前はさっきから誰目線なんだよぉぉぉぉっ!!??!」
まさかの言葉にツッコんだエステルだが、ラウレンティーナにも乗っかられて思わずノリツッコミになってしまった。そこに更にガラルドが悪ノリして、すっかり現場は混沌を極めている。
流れていた涙も何処へやら、すっかり通常運転に戻されていた。
貴族王族の三人が最早ここが資料室ということも忘れて騒いでいる端で、漸くお茶の準備から戻ってきたマリーがやってくる。
「お嬢様、休憩用のお茶と一口大のクッキーとキャンディーを持ってまいりましたが……と、思ったより元気そうですね」
「お、マリーさん遅かったね」
「リックス様。どうせお嬢様がショックを受けているだろうと思って、材料からお菓子を作っておりました」
「オレのことは様付けしなくていいって……って、うん?なんか色々ツッコミどころのある発言?ショック受けてると思ったのに、態々お菓子作ってたの?しかもキャンディーまで材料から?」
「飴を溶かすのに魔法の補助が必要でしたが頑張りました」
「いや、褒めてる訳じゃないから」
だが混沌としている現場にマリーの声は届いていないようで、自ら蚊帳の外にいたリックスが代わりに声を掛けた訳、だが。
こちらもこちらで何故か別のコントを繰り広げることになった。
元々破天荒なガラルドの護衛兼幼馴染であるものの割と常識人なリックスに、天性のツッコミのようなエステルに無礼講よろしく雑な対応をするマリーなので、付き従っている主人とは逆のポジションではあるが、このような会話になるのも致し方がないのかもしれない。
視察も二週間ほど経ったが、主人を優先する関係上あまり交友がない二人だ。
変な感じと思いながらも何とも言えない表情を浮かべるリックスとは対照的に、いつものように何を考えているのか分からない無表情なマリー。だが彼女としては気さくな言葉選びからも、リックスに対して悪感情はないと判断できる。
「まあ、殆どお嬢様が本を一冊と少しほど読み進めれていればいいくらいの時間で調節しましたから。二時間程度あれば、これぐらいのお茶菓子は作れるかなと。伯爵家のオーブンが大きくて助かりました」
「……さっきも言ってたけど、エステルさんがショックを受けるって分かってたんだな」
「ええ。ですが、お嬢様は現実に打ちひしがれて泣き寝入りするような令嬢ではありませんので。泣くことはあっても、いつもと同じように大声を上げてツッコミを入れれるくらいになれば、前を向けるくらいには回復するかと。……今のように」
そう言って、エステルの方を見るマリー。
その顔はやはり無表情であるし、目尻もピクリとも動いていないが、リックスには何処か温もりのある視線を向けているような気がした。
「あ、もしかしてその為のお菓子だった?」
「いえ、皆様の休憩用です。お嬢様のツッコミはついでですね」
だがそう思って口に出した言葉は、バッサリ切られてしまった。
もしかしたらマリーがツンデレと言うだけかもしれないが、そうであるならばガラルドといい変なデレ方する人が彼女の周りには多すぎるかもしれない。
リックスがこんなことを願うのもおかしな話だが、一言。
エステルに幸あれ。
「そこ!聞こえてるからね!!私のツッコミがついでって何!?」
「何って休憩用のお菓子の話です。二時間かけて材料から作りました。クッキーとキャンディーです」
「遅いと思ったら二時間かけてお菓子作ってたの!?しかも材料から!?クッキーはともかくキャンディーはよく作ろうと思ったね!?」
「溶かすのが大変でございました」
「だろうねぇっ!!でも褒めてる訳じゃないから!!」
自分を馬鹿にされた声が届いたのか否か、エステルはマリーに噛み付くようにツッコミを入れまくる。その姿は正しく元気そのもの。
もう既に立ち上がっているエステルを見て、リックスは内心頼もしく思ったし、同時にこの二人の主従の関係性を微笑ましくも思った。
……尤も、リックスの主人であるガラルドはそのメイドの方に、どうも警戒心を抱いているようだが。
そんなリックスの思考を遮るように、ガラルドがパンッと空気を締めるように手を叩いた。
「はいはい、それではエステルさんの調子も戻ったところで本題に入りますよ」
「本題、とは?」
「ああ、さっき資料漁りを止めてエステルさんと会話する時間を設けようって話になったんだ」
「左様でございましたか。当主に代わり感謝いたします」
その場にいなかったマリーに簡潔に説明すると、彼女は頭を下げて礼をする。そのまま全員にお茶やお茶菓子を配り終えると、エステルの後ろに控えた。本当に仕事の早いメイドである。
そうして準備が整えられた場に、会話を切り出すのはやはりガラルドだった。
「それじゃあまずは確認からですが、エステルさん、アンタはこのコックス辺境伯爵領と言う場所とそれ以外の領地、王都を含めた違いが何なのかわかりますか?」
「精霊や妖精、それと魔法の認識、それと端的に言うなら数だよね。それも魔法を使える人の数も含めて」
「はい。それが正しい認識になります。首都オーデン、いや他の領地や他国ですらもこれほどまでに妖精が自由に行き交う光景も、また妖精に認められ魔法を授けられる人々の数も見たことがありません」
「一番魔法使いが多いオーデンですら、妖精はたまに見かける程度で、魔法が使えるのは全体の四割程度だからな」
尋ねられた内容に簡潔に答えれば、ガラルドとリックスがエステルの感じたことを補強してくれる。
やはりコックスの当たり前の日常と言うものは、常識では有り得ないことのようだった。
だが実際に数字として出されると、それだけリアルなものとして実感せざるを得ない。
魔法使い……精霊に認められた多くの魔法を習得しているとされる上級に位置する存在……が一番多いとされているオーデンですら魔法を使える人口は全体の四割。
対してコックスは赤子や幼子を除けば、全員が魔法を使えると言っても過言ではない。質は低いが量が規格外にとんでもないのだ。
「ワタシも全然『精霊の都』なんて何で言われてるのかわかんなかったけど、森を抜けた瞬間からすぐに実感したよ。『精霊の都』だって」
「『精霊の都』……?」
「何で現地のアンタが知らないんですか?コックスの別名ですよ」
「所謂渾名、みたいなもんだね」
ラウレンティーナが御伽話の世界に入ったかのような陶酔顔でいう名前に聞き覚えがなく聞き返せば、なんとコックスの渾名が存在していたらしい。
それも、王都を差し置いて『精霊の都』とはあまりに尊大な別名だ。
だが、王都からきた三人曰くそんなこともないそうで。
「ここまで妖精が自由に気ままに飛びまわって、周りの住民も騒がないどころか当たり前のように気にも止めないのを見た時はどんな非日常だと思いましたからね。羨ましい通り越してふざけるなよって思いましたよ」
「しかも、最初の小麦畑のおじちゃんが使ってる魔法、確かにおまじない程度ではあるんだけどあの麦畑全体に広がってたし、効果は普通でも範囲が尋常じゃないって。どれだけ妖精に好かれてたらあんな範囲出せる訳?市場の工房とか他の所でもおまじない程度ではあるけどさぁ……なものが多すぎたよな」
「貰った櫛にも『妖精の加護』がついてたけど、王都ですら出回らない特上品なんだからね!櫛自体も素材とか使いやすさだけでも一級品だけども!!お世辞じゃなくてホントに自慢したい贈り物だったんだからね!!」
「溜まっていたと思わしき感想がポロポロどころかドッサリと!!さては自分たちの不満も吐き出したくてしょうがなかったな!!??
っていうか、私に言われても知らんがなっっっっ!!!!ティナの以外!!」
悪態つかれるわ、呆れられるわ、不満垂れられるわで現状はまた別の意味で混沌と化した。
否、現地の誰かに吐き出したくて仕方がなかったのだろう鬱憤が、エステルを捕らえたというべきか。気分は最早クレーマー対応のスタッフだ。
助けを求めるようにマリーに視線をやれば、案の定というか無情なり。
「これは成人の儀で王都まで行ったのに、常識を更新できなかったお嬢様にも責任があると思いますので」
「成人の儀が終了した直後にお父様が病院に担ぎ込まれたから急いで帰らなきゃいけなくなったのにそれは酷くない!!?」
冷ややかな対応に思わず声を大にして無罪を主張する。あれをエステルのせいにされても困るからだ。
だが当然のことながら、事情を知らない手前の三人が頭を傾げてこちらを見てくる。
流石に説明しない訳にはいかないかと数回咳き込んで息を整えると、エステルは先に訂正をすることにした。
「えっと、一応先に言っておくけどお父様は無事だったし後遺症はなかったから。……それで私が成人した十五の時なんだけど、成人の儀が終わったら王都で二日くらいは滞在して、その間は観光してもいいことになってたんだ」
だが、現実はそう易々とはいかなかった。
そもそも成人の儀では初日は儀式に備えて準備する時間であり、その日はエステルも辺境伯爵令嬢に相応しい身なりにすべく体をマリーによって磨き上げられ、慣れない化粧もし綺麗なドレスを身に纏って夜に開かれる成人の儀に参加したのだ。
本来ならそこで夜会を楽しんだ後、翌日からは羽目を外しすぎなければ自由に観光できるはずだった。
しかしその日の儀式終わってすぐ、夜会の最中に、妖精を介して速達が来たのだ。
『ミクリオが病院に運ばれた。至急帰られたし』
そんな内容が伝えられてエステルは顔を蒼白色にし、慌ててマリーと一緒に荷物を纏めて成人の儀の格好のまま馬車で長い道のりを戻っていったのだ。
もしものことがあったらと逸る動悸に、冷や汗の止まらない体。
あまりの不安から屋敷に一度戻ることもなく、病院にそのまま直行した。
だがいざ病院に駆け込んで、案内されたミクリオの病室で、父が言った台詞が以下の通り。
『あれ?エステル、今日はおめかしして一段と美人さんだねぇ。そうそう、僕はうっかり野生の熊と出会ってしまってね。奇跡的に吹っ飛ばされるだけで済んだんだけど、至る所が複雑骨折だって!いやー、まいったまいった!』
病院のベッドの上で、全身に包帯を巻かれて最早ミイラ男であるはずなのに豪快に笑う父。その側で処置していたと思われる若手の医者が、信じられないような者を見る目で真っ青になりながらミクリオを見ていた。
先に駆けつけて付き添っていたはずの母レティーシャは、そんな父をおいたの過ぎた子供を見るように微笑んでいるが、既に魔法を使う気なのか杖を構えている。
正に三者三様なのだが、果たしてこんな状況でも使っていい言葉だったのかと見当違いな思想が頭を過ぎりそうだ。
そうしてそんな光景を目の当たりにしたエステルは……。
「いや、情・報・量っ!!!!!
吹っ飛ばされて複雑骨折してる人間が何溌剌と喋ってんのっ!?重症人なんだから重症人らしくしてなよっ!!困惑してるお医者さんも可哀想だろ気にしてあげてっ!?お母様も何のほほんと流してんのっ!?治せるなら私が戻ってくる間に治してあげなよっ!!今の今まで笑いながら放置っ!?
両親揃いも揃って呑気過ぎんでしょぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
叫んだ。
なんなら、思い出して語った現在の資料室でも全く同じことを叫んだ。
「訳がわからない。熊に襲われて顔とか噛まれも引っ掻かれもしなかったことは百歩譲っていいとしても、複雑骨折で搬送されといて元気いっぱい喋ってるのもおかしいし、お母様も軽い怪我みたいに笑ってるのもおかしいし、その数時間後には何事もなかったように家族全員で家に帰れることになったのが一番訳がわからない。私が慌てて戻ってきた焦りの時間を返してほしい」
あの時の若手の医者が女神に祈るように手を組みながら見送ってくれたことが、今でもありありと思い出せる。
何度経験したかわからないが、その中でもエステルが特に自分の両親の異常性を壮絶に感じた出来事であった。
遠い目をして思い出を語るエステルに、ドン引きと言わんばかりに体ごと後ろに引き気味な王都からきた三人組。
「アンタの常識がおかしいのは、ご両親の規格外にもありそうですねぇ」
代表してそんな事をいうガラルドに、同意とばかりに頷く他の二人。
酷い。とは思うが、実際に規格外な両親なだけに反論ができない。
なんならエステルもこの二人と比較して自分は割と常識人だろうと思っていただけに、弁明の仕様もないのだった。
「取り敢えず、ご両親がある程度アンタの常識を測る指標になっているなら、これから話す内容においてはその二人の件は一旦除外しておいて下さい。話が進まなくなりそうなんで」
「うん、そうする」
最早、そんなガラルドの提案に否もない。
マリーの裏切りによって話すことになった過去話な訳だが、どうやら早々に話しておいて正解の話だったようだ。
それではとガラルドが仕切り直して改めて、この国……或いはこの世界についての、常識の擦り合わせが始まった。
「まずですが、先程も言ったように首都オーデンですら魔法そのものが使える者は人口の四割ほどです。それ以外は魔法適正がない一般的な工房や商人として職に従事していますが、ここでもコックスとは大きな差があります。何だと思いますか?」
「魔法を使わないで仕事をしている?……それとも手伝ってくれる妖精が居ないこと?」
「はい、どっちも正解です。つまり、普通の魔法を使わない人々が手掛けた品々には当然、質の差こそあれ付与魔法……エンチャントですね。それらは一切使われない訳です」
「エンチャント付きの道具とか服とかってすっごい高いんだよ!魔法使える人って一般職より専門職に行きがちで殆ど居ないんだもん!」
「あと、妖精がそもそも召喚しなきゃ来ないんだから、魔法適正のない一般人たちは当然として貴族のお偉方ですら『妖精の加護』がついたものなんて中々拝める物じゃないんだぜ?」
「え゛っ!!??!!」
ラウレンティーナとリックスも次々と補足情報を出してくれるが、エステルは早々に待ったをかけたくなった。
なにせどちらもコックスの市場で普通に並んでいるものばかりだったので。
それこそ『魔装石のアルカディア』に出てくるような防御値アップや攻撃力アップ、のような強力なものはないが、おまじない程度の効果なら必ずついているのだ。
それが王都、否コックス以外では高価な品物になるのだという。
また『妖精の加護』とは文字通り妖精が気に入り特別に守護をかけたものを言うのだが……コックスではたまに市場や贈り物で見かけて当たれば、めっちゃ運いいじゃん!とそれこそレアリティの高いドロップアイテムを手に入れたくらいの温度感でやり取りされていたそれが、かなりの希少価値のついたものだったことが今判明した。
まるでがたまたま拾った鉱石が、巨大な金塊に化けて出てきたかのような衝撃に頭がついていかない。
「因みにそれより珍しい『精霊の加護』においては、その希少性と効能の高さから国宝級になってます。他国にでも盗まれたら一国の財産が傾くと思ってください」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!聞きたくなかったぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「あ、やっぱりあるんだ、ここ」
「エステルさん、本当に嘘が下手だよねー」
思わず叫ぶエステルに、脱力したような笑みを浮かべて何かを悟ったようなリックスと、呆れ顔のラウレンティーナが居たがエステルからしたらそれどころではない。
『精霊の加護』がついた物はコックスでも非常に稀だ。
だが、普通にある。と、言うか『讃礼回祭』で使われる諸々の祭事用のそれらが全て『精霊の加護』がついた品である。領地を巡回する馬車も含めて、全てがだ。
勿論管理はしっかりしているが、主に質を保つための保管であって警備の面までしっかりしているのかと言われると不安しかない。
「って言うかアンタ、『魔装石のアルカディア』でエンチャント付きの装備や道具を買おうとするとめちゃくちゃ高かったし、売るとかなりの資源になったのに、違和感覚えなかったんですか?」
ガラルドのゲームの記憶持ちとしては当然の疑問に、エステルは一瞬だけ詰まった。
『魔装石のアルカディア』では、当たり前だが装備や道具が買える。
その中でもポーションなどの回復薬や一般装備と言われるエンチャントがついていない物はそれなりに安価で買える訳だが、何故か攻撃力アップだとか防御力アップなどの効果のエンチャントがつくと非常に高価になるのだ。
なので基本的にエンチャント付きの装備や道具は金策用で、買う物ではなく売る物、と言うのがプレイヤーの共通認識だった。
では、どうやって勇者たちは強い装備を手に入れるのかというと、女神の試練という名のダンジョン攻略によってだ。
そこでは珍しい装備が宝箱に入っていたり、低確率で強力なエンチャントがつく道具がドロップすることもあり、熟練プレイヤーほど何度も挑戦する場所でもある。
話が逸れたが要は、何度も試練を受けていく内に装備は新しいものに変わっていくと言うこと。
なので、大半のプレイヤーが新しい装備を手に入れると古いエンチャント付きの装備は売却し、大金を貰って次の試練の準備をするという循環を行うのだ。
そう、効率的に回したい大半のプレイヤーは、だが。
「私の記憶の人……装備一度も売ってない。
多分、効率よりも愛着重視派。だから、エンチャントつきの装備の値段見たの、最初の町の耐久を五だけ上げる上着が最後。金策はおつかいイベント大量にやってなんとかしてた」
そうではない者もいる、と言うことだ。
俗に言うエンジョイ勢と言うのだろうか、兎に角時間がかなりかかっても、自身の楽しみとする愛着に重きを置き、小まめにクエストをこなして金策は何とかしていたのがエステルの記憶主だ。
またバッグに詰め込める装備の上限がなかったこともあり、エステルの記憶主はそれまで使っていた装備を外した後もずっとバッグの中に持ったままでいた。
他にもダンジョンのレアドロップよりもストーリーの続きが気になるタイプだったようで、ダンジョンを攻略したらおつかいイベントにすぐに向かい、金が集まったら次のストーリーへと進む、といったルーティーンを組んでいたので、やり込んでいる人なら当然知っていたであろうダンジョンではどんなレアアイテムが手に入るのかも、エステルの記憶主は知らない。
記憶主が知らないのなら、コピペ先のエステルが知るはずもないのだった。
(一般装備や一般道具、ポーションやエーテル、あとは食材?なら値段吹っかけられても張り合えるくらいにはしっかり相場覚えてるのになぁ)
だが、それをガラルドに伝えると盲点だったと言わんばかりに頭に手をついて溜息を吐いた。
「抜かりました。あくまで俺たちにあるのはプレイしている人たちの記憶……そのやり方の方向性によっては欠けてる知識はあって当然と考えなければいけませんでしたね」
「因みに、ガラルドの記憶の人はどんなプレイスタイルの人だったの?」
「ガチのやり込み勢でした」
「……まあそんな気はした」
ここだけの会話だけでも、かなりのやり込み派なことはなんとなく伝わっていた。
と、なると益々エステルの記憶主の記憶が、この世界のエステルに写された理由が分からない。
ガラルドのように記憶主がやり込み勢ならば、細かいこの世界の知識もそのまま貼り付けられている訳だから、この世界にとってかなり優位な情報をガラルドがいつでも引き出せるメリットがあるとすぐに思いつくが……エステルの記憶主のような偏った知識は、この世界の住人にとってどんなメリットがあると言うのだろう。
しかしガラルドはこの内容に対してはあまり問題視はしていないようで、そのまま話を続ける。
「また『魔装石のアルカディア』の情報についてはお互いに擦り合わせが必要そうですね。でも、今はこれだけ確かめておこうと思います。
……貴方の記憶の人間は、最後のやり込み要素をやっていましたか?」
そしてその指摘によって、エステルの記憶主のある記憶が呼び起こされる。
『魔装石のアルカディア』はエンディング後に特殊なセーブがされ、そのエンディング後のセーブデータでのみ遊べる場所や手に入れられるアイテムなどが存在していた。
俗に言うエンドコンテンツと呼ばれるもの。
その中でも最後のやり込み要素と呼ばれるものに心当たりがある。
「もしかして、マップの端にある特殊な謎解きギミックのこと?」
それは、不思議な謎解きだった。
解放されているマップギリギリの石碑に、各種エンドコンテンツのオーブを嵌め込んだ上で秘密の暗号を解かなければならないと言う上級者向けのもの。
「はい、それです」
それこそガチのやり込み勢でなければ辿り着けないそこに、エステルの記憶主が辿り着けたかと言われれば答えは勿論ノーだ。
「できなかった……っていうか、エンドコンテンツ一つ目で躓いて、ああこれは無理だって諦めたよ」
「そんなにやばいのありましたっけ?」
はてと言わんばかりに顎に手を当てて考え込むガラルドは何処か他人事だ。
否、確かにガラルドからすれば他人事ではあるのだが、エステルの記憶主を代表してお前が言うなと言いたい。
何故ならば。
「いや、お前……って言うか、
ガラルド・サンドール・ウィクリフが倒せなくて詰んだんだよ。
他人事みたいに言わないでくれない?」
「ああ!そういえば俺、エンドコンテンツで戦える裏ボスでしたっけ。勝つと特殊なオーブが一つ貰えるってやつ」
「くっそ軽いなぁっ!!いや分かるけど!!自分だけど自分じゃないからそう言うのも分かるけど!!お前の強さ理不尽すぎだろ!!即死攻撃いくつ持ってんの!?!!あっと言う間に全滅させられたのが十回以上続いて諦めたわ!!この鬼畜裏ボスめ!!!」
「アッハハハハッ!俺強いでしょう?」
「強かったですけど!?人の無念を笑うなこのドSっ!!!」
改めて思い出してもヒットポイント……所謂HPだ……がまだ二割も削れていなかったのに飛んでくる即死攻撃で勇者パーティーが崩壊していくのは中々応えた。
しかも、ガラルドはHPが二段階用意されているボスであり、その一段階目でそれだったのだ。流石に諦めるしかないだろう。
因みに、裏ボスの倒し方はネット等で配信されていたが、とても真似できるようなものじゃなかったので、尚更諦めた、と言うのもエステルの記憶主の悲しき過去だ。
「じゃあ、そんな哀れなエステルさんに最後のやり込み要素の答え合わせをしましょうか」
「うっさい、哀れ言うな。上級者向けだわ、あんなの」
いちいちガラルドが刺してくるので、エステルとしても令嬢とは思えないほど口が悪くなるのも許してほしい。
元から令嬢らしくない?それはそれ、これはこれだ。
だが、ガラルドは普段のやり取りのこともあり、エステルが若干気にかけている言葉遣いなど今更気にもしていないようだった。
彼はそのまま最後のエンドコンテンツの説明を始める。
「マップ端の特殊な謎解きギミックをクリアすると特殊な森にワープします。そして、そこでは今まで勇者に力を貸してくれた精霊たちや妖精たちが現れ、特殊な祭壇まで案内してくれるんです。
祭壇の上には本があり、その中にはゲームの裏話やキャラクターの背景などが挿絵付きで描かれているんです」
「うっっわっ!!!!めっちゃ羨ましい!!!」
「楽しかったのですよ。配信では規約の関係上、見開き一ページしか読めなかったのが残念でした。その後はプライベートで全部読みましたけど」
「だろうねぇ。ガチのやり込み勢からしたらすっごいご褒美だよ。好きじゃなきゃそこまでやり込まないでしょ」
しかし、ガラルドから飛び出してきた情報に、エステルはこれでもかと食らいついた。
ガラルドとエステルの記憶主に共通しているのは、プレイのやり方こそ違いはあれど『魔装石のアルカディア』がとても好きで、楽しんでいた者たちということだ。
そしてその物語やゲームそのものが好きだという熱も、エステルとガラルドはゲームの記憶と共にしっかり受け継いでいる。
つまり、ガラルドとエステルは『魔装石のアルカディア』の愛好家、ファン、もっと言うなら重度のオタクなのである。
熱が入って盛りがるのも仕方の無いことだろう。
「ラディ、話が逸れてきてるぞ」
だが、そのまま話が逸れていくのは大変よろしくない。
オタクトークが始まりそうな雰囲気を察したのだろう。リックスがガラルドに釘を刺した。
それでガラルドも熱が上がりすぎていることに気がついたのだろう。
「おっと、サンキュ。注目して欲しいのは、さっき言っていた本ではなく、森の方なんです」
「森?」
「ええ。その森では全ての精霊と妖精が出てくる訳ですが、精霊と妖精が一堂に会する場面というのは『魔装石のアルカディア』でも数えるほどしかありません。つまり、かなり特殊な場所にワープさせられた、と考えるのが自然です」
「そうだね、勇者たちが普通に歩き回れるマップにはそんな場所はなかったし」
当然、エステル知っている情報の中でもそんな場所は思い当たらなかった。
きっとそんな幻想的な場所があるのなら、特殊な聖域みたいな次元にでもワープさせられていたんじゃないだろうか。
そんな風に考えるエステルは、恐らくエンドコンテンツの中でも最たるエンドにそれこそ幻想を抱いていたのだろう。
だがそんな幻想も、次のガラルドの言葉で全てが吹き飛ぶ。
「最後に、マップで確認できるその森の名前なんですがね……
『精霊の都』って言うんですよ」
「……は?」
そして改めてコックスと言う地の、その特異性を思い知らされたのだった……。
エステルの特殊な価値観に更新が入りました。
そして、コックスと言う土地の特別性や、そこで生まれ育った人がゲームの中の現実ではどう言う人になるのか、という一つの解答でもあります。
また、『魔装石のアルカディア』で、エンドコンテンツの裏ボスがガラルドでした。
他のエンドコンテンツはまだ未定ですが、兎に角ガチ勢でもないと難しいコンテンツだった、と言うことだけは共通です。




