第五話
「それじゃあ、今日も一日よろしくお願いね、エステル」
「はい、ラウレンティーナ様」
今日も今日とて視察である。
伝統工芸を行う職人や市場で商いを行う商人などを訪ねては、その度に別嬪さん美人さんなお客様などと持て囃されつつお土産を貰いながら、エステルにひたすら説明をさせ続けつつ優雅に過ごしているのがガラルド。そして静観するラウレンティーナとマリーにリックス。
三日目ともなれば流石に慣れてきたエステルである。
それはそれとして、ガラルドは本当に勉強熱心だなと思わざるを得なかった。
本格的にガラルドがラウレンティーナの影武者をしていなければ、ただの視察に来たと言われても納得するくらいには、細かく勤勉に質問してくるし、領地についてもしっかり観察し現地の人と積極的に関わっている。
だから市場のある広間までやって来た時に、中央に聳える巨木を指して言った質問にも特に疑問には思わなかった。
「あの広間にある巨木、巣箱のようなものがいくつか付いてるけれど、ここでは大きな鳥でも飼育しているの?」
「いえ……あれは精霊の眷属である、妖精用の『宝物庫』です」
「『宝物庫』?」
「はい。妖精たちが職人が作った時の余り物や、まだ青いまま落ちてしまった果実、使わなくなったり壊れてしまった玩具などを集めて、大樹の『宝物庫』に持っていくんです」
そのエステルの言葉に呼応するように、丁度一人の妖精が『宝物庫』にその小さな手で錆びた工具を持っていくのが見えた。
その『宝物庫』はパッと見は巣箱だが、その大きさは玩具や果実が入るだけあってそれなりに大きい。
なので、妖精は『宝物庫』の大きくくり抜かれた穴に乱雑に工具を投げ入れるのも日常茶飯事だ。
だが今日はいつもと違い、その『宝物庫』がふんわりと光り始めた。
「これは……」
「ああ、丁度よかった。珍しいものが見れますよ」
光は徐々に光を増し、『宝物庫』に変化が表れ始める。
穴の空いた部分にはガラスが生成され、その場所を移すように左右に動いていく。正面に浮き出るように現れるのは白い扉の形。壁は木材を覆うようにして煉瓦に代わり、簡素につけられた屋根からはポンという音と共に煙突が生え、洋瓦に覆われていく。
そして、光が静まる頃には先程まであった『宝物庫』は、深緑屋根の小さな家へとその姿を変え、生まれ変わったのだった。
「あれが、『宝物庫』。必要な材料を集めきった後に完成する、妖精たちの『家』の素です」
「妖精の、家……。初めて見たわ」
「今回は大分普通の家に近い形ですけど、前回は苔むしたボールのような家が出来てしまって。どうやって住むんだろうって、そんな話で持ち切りだったんですよ」
「……あの『家』は、どうやって運ばれるの?」
「それは、ほら。他の妖精も集まってきた」
『家』の完成と共に一人しか居なかった妖精が、また一人、さらに一人と数を増して集まってくる。
そして、その数が十になったくらいの頃に、全員で『家』を巨木から外し始めた。
最後には、始めに工具を持ってきた妖精の合図と共に『家』ごと空へと舞い上がる。その姿は暫く空を漂うと、次の瞬間には空気に溶け込むように、どこへともなく消えてしまった。
「ああやって何処かに持って行って、次の『家』をまた準備しに、この広間の大樹まで来るんです」
「持って行った先は、精霊の棲家なのかしら?」
エステルの説明に、ガラルドが興味深そうに尋ねる。至極当然な疑問だ。
エステルもかつては市場の大人たちに似たような質問を投げかけたことがある。
だが、その時の皆の答えは決まってこうだった。
「どうでしょう?悪戯好きで秘密を好むのが妖精なので」
どれほど生活に馴染んでいても、彼らは別の種であり謎多き生命体なのである。
かつての大人たちのようにそう答えれば、ガラルドも思ったところはあったのだろう。
エステルをじっとりとした目で見てきていたが、エステルが煙に巻いている訳では無いことを察すると、一つ軽い溜息をついて方向性を切り替えることにしたようだ。
「ここでは、いつも妖精とこんなやり取りを?」
「ええ。もう二百年は前でしょうか。その当時の領主が精霊から、この大樹に『宝物庫』を用意するよう頼まれまして。領主はこの街の人々に、適した材料と設計図を渡してそれを作らせたそうなんです。そして、妖精たちが『宝物庫』に物を運び入れるようになりました。けれど、現れ出した妖精が材料にと持っていく物も、住民にとっては使うことのなくなった物だったり捨てるしかない物だったりしたこともあり、『家』が完成したあとも、領民たちが感謝を込めて再び『宝物庫』を用意するようになったんです。そのことに精霊は大層喜びになったようで。今では、『宝物庫』作りもこの市場全体で共同して作り上げる習慣になっているんですよ」
ガラルドの質問に答える形でこの話を語り始めたが、実はこの精霊と『宝物庫』の歴史はエステルの中でも特にお気に入りの話だった。
コックスではこんな精霊との昔話がいくつかあり、『宝物庫』の話は昔からせがんでは聞いた話の一つな訳だが、精霊との約束が更新されたシーンなんかは特にワクワクしたものだ。懐かしい思い出がエステルの脳裏を過ぎっていく。
けれどそんな時間も終わりを告げるように、巨木の『宝物庫』が『家』になり運ばれたことを皮切りに、市場の職人や売り子、さらにはその子供たちもこぞって声を上げて家の棚からあるいは鞄の中からハンドベルを取り出し鳴らし始めた。
それは『家』が出来たことの祝福であり、次の『宝物庫』を準備する時が来たと、そうやって市場全体に共有するのだ。
辺りに木霊する鐘の音が空気に反響して、街全体が一つになったような錯覚を覚える。
その瞬間が、エステルは堪らなく好きだった。
今日もコックスの人々が、自然や精霊と繋がって生きていると、そう感じさせてくれるから。
だから、ガラルドたちもその音に聞き惚れるかのように耳を澄ませていたことなど、エステルは気づかなかった。
「エステル様!今日もまたお姫様を連れてらっしゃるんですか?」
「よかったら、次の『宝物庫』を担当する鍛冶屋の爺さんがいい鉱石を妖精に持ってきてもらったそうですから、覗いてみたらどうですか。もしかしたら、おこぼれ貰えるかもしれませんよ」
突然かけられた声にハッとなって声のする方を向くと、そこには果物屋の女店主であるパーサとその夫のジョセフがいた。
しかしエステルが返事をする前に、ジョセフの台詞に対して、パーサが叱りつけるように声を上げる。
「ばっか!エステル様ならまだしもお姫様におこぼれなんか差し上げてどうすんのさ!」
「いや、おばちゃん?私はまだしもって何?一応辺境伯爵令嬢なのに酷くない?」
いくら気安い領主の家族だからって、辺境伯爵の娘にまだしも扱いはどうなのだろう。思わずツッコんでしまうエステル。
だが、その返事を待っていたかのようにパーサは豪快に笑う。
「ハッハッハッ!!ごめんなさいねぇ!エステル様は昔から妖精が持ってきたものとか精霊の足跡とか大好きだっだろう?おこぼれでも喜ぶんじゃないかと思いましてね!」
「もう!」
だがそれは、実際にエステルには否定できない話でもあったので文句を言うことも出来ない。
妖精が運んだものであれば腐った果物だろうが輝いて見えたし、精霊の痕跡となればそれこそ宝の地図のように追いかけていた時期がある。
何なら今でもそのケがあるだけに、お嬢様モードは控えて下手な追求はやめることにした。
「精霊の足跡が見つかるの?」
だが、その話題は意外にもガラルドの興味に引っかかったようだ。
彼の令嬢として涼やかに吊り上がった目が興味深そうに輝くのを見たエステルは、ガラルドによる友好アピールもといエステル弄りが始まるのを察する。
そこで先ほどの『宝物庫』の際には特にグイグイと迫ってくることはなかったなと思い出し、先回りするかのように細かく話すことにした。
「ええ。知っての通り、コックスは周辺を岩肌の山岳や谷で挟み、森で囲むようにしてなる広い丘のような場所ですが、西側の森では精霊たちが残した足跡や食べかけの果実などを見かけることがあるそうです。と言っても、繁盛期の気のたっている動物たちが現れやすい森でもあるので狩人以外は立ち寄らないのですが」
「貴方は見た事があるの?」
「ええ。お恥ずかしいことに、父が狩りをする時に一緒に連れて行ってもらったことがありまして。その時、父が見つけてくれたんです」
カタロスの西の森は、主に狩猟場として精霊たちによって解放されている。
彼らは一方的で無意味な殺生は好まないが、生きるための命のやり取りは自然の摂理であるとして認めているのだ。
故に、許可の降りた狩人は西の森に入ることができる。
だがその一方で、それ以外の者は西の森に入ろうとしてもすぐに入った場所へと戻されてしまう。これも契約によって定められた領民と精霊との掟なのだ。
しかし特例として、精霊から許可の降りた狩人が同伴する場合は、一人までなら一緒に入ることもできた。
それは時代の狩人を育てる為であったり、歴代の領主が子供に狩りを教える為であったり、用途は異なるが次代の為の掟。
そういう仕組みになっているとも知らなかったあの頃のエステル。
まだ十にもならない歳で魔法の欠片も使えなかったエステルは、妖精や精霊を間近で見られる父や母が羨ましくてある日、屋敷で駄々を捏ねていた。
だがその駄々が功を奏したのか、それならばと父に西の森に連れて行ってもらえたのだ。
父は狩りの演習としてエステルを連れ出すのだと不安がる使用人たちを説得して、狩人の装備をエステルの分も整えると一緒に馬車に乗り込んで出発した。
急拵えで整えられた装備は当然ブカブカで、相当不格好な姿になっていただろうが、当時の母も説得された使用人たちも微笑ましく見送ってくれたのを覚えている。
そうして大人としても子供としても長い移動の果てに辿り着いた森の中は、ワクワクと湧き立つような心持ちのエステルには、宝の眠るダンジョンのように感じられたものだ。
今思うとカタロスの西の森は鬱蒼とした割と暗がりもある怖い森だったような気がするのだが、童心ながらの高揚感には前述のように感じるのだから、好奇心とは偉大なものである。
そんなことを理解してもいないその頃のエステルは、このダンジョンを一刻も早く踏破したい気持ちでいっぱいだった。
早く精霊の痕跡を見つけたい、早く精霊に会いたい。
そうして、冒険の一歩が始まるのだと、逸る気持ちを抑えながら意気込んで歩み出した瞬間。
「お、エステル。見てみろ。精霊の足跡があるぞ」
父に出鼻をくじかれた。
思わずズッコケた幼い頃のエステル。
だが、父のそう言ったところはこの頃から既に慣れっこだった。
すぐに頭の中を切り替えて、父の言う精霊の足跡を見に行った。
その後は、エステルにとっても宝物のような思い出だ。
精霊の足跡は大人と同じくらいの大きさの裸足で、草地を踏んだかのような跡。
でも、一目で人ではない者が踏んだのだと分かった。
なぜなら、その足跡からは僅かに漏れ出す魔力の光が空に向かって立ち上っていたから。
魔力は密度が上がると光を放つ。その存在そのものが高密度の魔力で出来ている精霊は、まさに歩くだけでその痕跡を残すだけの魔力を秘めているのだ。
キラキラと星の光のように、白銀に輝く光を放つ足跡。
まるで秘密の一片を残すように、片足だけでしっかりと草を踏み締めた大きな足跡。
その時の興奮は言葉にしようがなく、足跡の向く方法をひたすら追いかけようと、父を引っ張って森の奥に行こうとしていた。
……結局その興奮は、その足跡の先に大型の熊がいるのを遠目に見かけた瞬間に完全に削がれ、あっという間にもう帰ると別の意味で駄々を捏ねることになったのだけれども。
「ミクリオ様もあの後は本当に嬉しそうだったよ」
「ふふっ。余っ程、エステルが精霊の足跡ではしゃいでいたのが嬉しかったのね」
「親心でしょうね。ずっとエステル様はレティーシャ様に似て、精霊に認められたんだって大喜びで言いふらしてたし」
懐かしそうに語るジョセフやパーサに、どこか気恥ずかしさを感じてしまうのは幼少期のことを人前で話されているからか。
だが、そんなことに腹を立てるほど幼くもないので、仕方ないと思い出話に乗ることにした。
「だから市場の全員がそのこと知ってるんだよねぇ……。足跡を見つけたのはお父様だし、結局精霊に認められるも何も、私はお母様とも違って妖精と契約した簡易的な魔法ぐらいしか使えない平凡な娘だった訳だったけど」
「それでも十分じゃないか。妖精だって呼べばすぐ来てくれるぐらいには好かれてるんだからさ」
「……まあ、そうだね」
失礼な物言いをした詫びのように、入荷したばかりの新鮮なリンゴを手渡してそういうパーサに、エステルはため息混じりにやれやれとそれを受け取った。
そうして心の中で呼びかければ、色とりどりの妖精たちが数人程やってくる。
集まった数人の妖精たちは全員で悪戯程度の魔法をかけてなんとかリンゴを切ると、それぞれが歪な切れ方をしたリンゴの欠片を持っていき、少し大きめに残った切れ端をエステルが食べた。
そのままリンゴの欠片を抱えて消えていく妖精たちに、そう言えばいつも持っていくけど食べてるのかは知らないな、などと呑気なことを考えているエステル。
そんな呑気な彼女は、またしてもそれを驚くようにして見ていたガラルドたちの視線に気づくことはなかった。
そして気づくことがないままに、エステルは消えていった妖精たちの方を見ながらその妖精たちやこの地の人々に思いを馳せる。
妖精は有り触れた存在だ。
農場に行こうが、田畑に行こうが、工場や市場にすらその存在は居て、時に不要な物を持っていき、それを感謝した領民からはお菓子や果実、綺麗に加工された鉱石や刺繍の施されたハンカチなどをたまに貰いながら、どこへともなく消えてはまた現れる。
そして、人々にちょっとした魔法を授けてはその生活を潤し、またその報酬を貰っていくのだ。
その為、コックス領には妖精から授かる魔法を前提とした伝統工芸も多い。そうして人と妖精が共同して作り上げた一品は、農作物として工芸品として様々な形で市場を流れ、人々の生活を活気づかせる一方で、その中には王都まで運ばれる物もあると聞く。
それでも交通の便が何かと不自由なこの地において、その機会は稀であるのだけれど。
そんな風にして他領のことを思い浮かべていたエステルに、ふとかつての思い出が脳裏を過ぎる。
それはエステルが子供の頃に、何があったのか他領の商人に腹を立ててながらも妖精たちが飛び交う夕暮れの麦穂を、両親と眺めていた際に言われた……父の言葉。
外から来る人々に対しての、エステルを戒める言葉だった。
『君にとっては普通で当たり前のことでも、外から来た人にとって、ここの人々も精霊も妖精も、普通ではないんだよ。
……だから、自分と他の人が同じだと決めつけるのはいけないよ。
僕たちには僕たちの、人には人の当たり前というものがあるからね。自分の当たり前を押し付けて、相手を傷つけるようなことがないように、気をつけるんだよ』
どこか抜けている雰囲気の拭えないミクリオだが、時折こうしてエステルを戒めるような言葉を投げかける日があった。
それは親としての心配ゆえか領主としての責務ゆえか、エステルにはまるでわからなかったが、何となく聞き逃してはならないことだけは察していた。
……あれは、何を伝えたかったのだろうか。
そんな風に回想に耽っていると、ガラルドに肩を叩かれエステルの意識は浮上した。
「エステル?大丈夫?」
「はっ、あ……申し訳ございません、ラウレンティーナ様。父のことを思い出していて……つい思い出に耽ってしまいました」
「貴方のお父上がどうかしたの?」
「いえ、大したことではないんですが……」
別に秘密にすることでもないと、先程思い出したミクリオの言葉をそのままガラルドに伝える。
「父が昔、そう教えてくれまして」
だがそれを聞いたガラルドは目を丸くしたかと思えば、どこか嬉しそうな顔をして目を眇めた。
「そう。貴方のお父様が、そんなことを……。ふふ、少しだけ、貴方が貴方である理由が分かった気がするわ」
続けられたのは意味深な言葉だったが、それがつまりどういう意味の言葉なのかわからない。
エステルがエステルである、とは……哲学か何かだろうか。
本来ならばツッコミたいところだが、ここは市場。ラウレンティーナのフリをしているガラルドにツッコミなど入れられない。
なので、難しい顔をして頭を悩ませるしかなかったのだが、そんなエステルの眉間をガラルドが人差し指で刺すように押し込んだ。
地味に痛い。
「ただし、ちょっと他領について勉強不足ね。心構えだけでなく知識も無ければ、お父上のその言葉、本当の意味で守れなくてよ?」
そのまま指で額を弾くようにしてガラルドはエステルの眉間を解放したので、思わず令嬢には有るまじき呻き声が漏れたが、それ以上にガラルドの言葉が的をいていたのでそちらの方に呻きたい気持ちだった。
実際、貴族教育もとい貴族間のマナーやしきたり、社交界でのやりとりなどは辺境伯爵令嬢としてある程度叩き込まれているが、元より領地から出たことが一度しかない箱入り。
その一度である成人の儀の際も、王都に到着して儀式を行ったその日の夜に早急にコックスに戻らなければならなくなり、碌な観光もままならなかった。
そんなエステルはどう足掻いても、他領に対する見聞が足りていないのだ。
自領の生産物や地理や伝承には詳しいが、元より広大なコックスの領土にあらゆる工芸品や農作物に牧畜といったものを見て回るのが楽しくてやっていたことで、そちらに熱を入れるあまり肝心の自国であるユートロピア王国そのものに対する知識は教科書をかじった程度にしか分かってるとは言い難い。
なので、マリーにも常識知らずだの箱入りだのと言われる始末な訳である。
そうやって痛いところを二つの意味で突かれて唸るエステルに、ガラルドは更に続けた。
「貴方の評価は必ず伯爵家に、そして領地に返ってくる。
貴方は第二王子の婚約者なのだから、しっかりね」
だが、続いて言われたことにハッとする。
視察の前はその準備で忙しく、視察が始まってからはラウレンティーナのことで慌ただしくしていたが、この二ヶ月が無事に終われば本来エステルが頭を悩ませなければならない問題が待っていたのだ。
ガラルド・サンドール・ウィクリフとの婚約、それはエステルが王族の縁者として迎え入れられることを意味する。
そうとなれば、エステルは流石に第二王子の伴侶として王都の方に行かなければならない日が来るだろう。
その時、この勉強不足は両親に迷惑をかけるどころかコックスの人々全員の安寧を脅かすかもしれない。そう考えて、エステルはゾッとした。
エステルは領地に殆ど引き篭もりの自覚はあるが、それこそ自領が好きだから引き篭もっている自宅愛好家ならぬ自領愛好家の自覚があったので。
(うちの両親にお宅の勉強方針はどうなってるんだとかのお伺いがきたりとか、こんな娘を出す領地の経営を伯爵家に任せるなんて……みたいな不安の声があがってうちの領地が削減されたりしたらどうしよう)
「あらあら。エステルったら、百面相して何か面白いこと考えているわね」
尤も、勉強不足といっても貴族教育はしっかり受けているし覚えているエステル。
彼女が心配したようなことになることは殆どないのだが、そんなことが引き篭もりの箱入り故にわからないでいる。
そして、その隣にいるのはラウレンティーナのフリをした、人が焦ったり顔色が変わったりする様を楽しむドSこと第二王子本人、勿論エステルの思考の暴走っぷりを止めることはない。
なので、そこに丁寧な物言いながらも割り込めるのは、このメイドくらいだ。
「お話中失礼します。お嬢様、今度殿下に屋敷の資料室を案内されてはいかがでしょうか」
「……あ、そうか。資料室なら、コックスの歴史書も地図もあるから視察に役立つかも」
「はい。それにユートロピア王国の歴史についての資料や伝承なども揃っております」
「じゃあ、私も近々行こうかな。ラウレンティーナ様、いかがでしょう?」
マリーの提案はエステルにとって、正に渡りに船な話だ。
すかさずガラルドに確認を取れば、エステルの百面相が終わってしまったからなのか、それとも別の理由が原因か、不機嫌そうに僅かに彼の目は据わっていたが、返事は良好なものだった。
「ええ。それでは、天気が崩れて視察に行けない日にでも伺いましょうか。エステル、マリー、その時は案内をよろしくお願いするわ」
「はい」
「承知いたしました」
こうして、また次の予定が決まっていく。
そうして予定が決まった後は結局、果物屋のパーサとジョセフが言っていた鍛冶屋に全員で向かった。工房のティトスと言うがっちりとした体格の老獪そうな見た目の親方に、妖精が持ってきた鉱石を見せてもらい、彼はその最後にお守りにと、加工用に使う小さな鉱石たちが詰められた小さな瓶を全員分渡してくれる。
だが何か入り用があったら自分の所を頼ってくれと、一声添えてだったあたりやはり老獪なのは間違いない。
それ以降にも、仕立て屋に行っては機織り機を実際に使う所を見せてもらったり、陶芸家の所を訪ねては陶芸作りを見せてもらったりしていた一行。
そして、やはり何処に行っても一つずつお土産を貰っていた。
仕立て屋では記念に一つずつ髪飾りをどうぞと女装したガラルドとメイドに扮したラウレンティーナに声がかけられ、陶芸家では小さな狼の置物がリックスにそっくりだからと、鍛冶屋の時と同じく全員分渡される。
何なら道中にどうぞと、パーサたちの果物屋を離れる時にすら、三粒ほどのブドウに串を刺して飴をかけた物を貰ったくらいだ。
各地でお土産をいっぱい貰いすぎて、お土産で馬車が溢れないかの方が途中から気になるほど領民たちによる贈り物ラッシュ。もう既に腕に持っていたのに尚も贈られる物たちに、押しが強いにも程がないか?と領主の娘ながら思ったエステルである。
だがそのどの工房でも、忘れられない光景があった。
それが、妖精と職人とが品物を仕上げる瞬間だ。
工房に移動する度、エステルたちは妖精たちに出会った。市場にも自由に出入りする彼らだが、工房にもやはり自由に飛び回っていたのだ。
妖精たちはその自由奔放さを遠慮なく発揮して、普段は職人たちの頭の上で寛いでいたり端材で遊んでいたり、作業を傍で眺めるのを見ていた。
だがそんな風に思い思いに過ごしていた彼らが時になると、職人たちの下へと飛んでいき、職人と共に作品に手を置いて魔法を発動させるのだ。
《創り上げるは人と女神の架け橋。
セリーニ・イェーヒラ》
今日だけで何度聞いたかわからないその呪文は、簡易魔法の一つ。
手作りの物におまじない程度の効果を齎す魔法。効果そのものは、作ったものは少しだけ丈夫になり少しだけ長持ちする、と言ったものだ。
そうやって掛けられたほのかな魔法の光は、魔法を扱う妖精と人によって違う色を発しながら、どれも心温まる色をしていた。
ーーー
色々なものを見学し、屋敷へと戻りいつものように本物のラウレンティーナと湯浴みの時間になった頃。
いつも楽しそうに笑っている彼女が、今日は何処か期待に胸を膨らませているようで、エステルに意気揚々と浴槽の中で尋ねてきた。
「ねぇねぇ、エステルさん。資料室に行ける日っていつ頃になるかな?」
少し弾んだ声は明らかにその日を楽しみにしているのが分かる声色で、これまでのラウレンティーナの印象から資料室にそんな楽しみな要素があっただろうかと疑問に思いながらも、質問に答えた。
「えーと、多分地盤とガラルドの着てたドレスの関係上、大雨になったら流石に室内になると思うからその時かな?そろそろ雨季だし、そんなに遅くないと思うよ」
「ふんふん。それじゃあ、マリーさん。お屋敷の資料室って娯楽小説とかは置いてある?」
「置いてありますよ」
「とは言っても、シリーズ物は期待しない方がいいけどね。流行が終わって結構経ったのとかしかないはずだから。代わりにコックスの作家が描いた絵本とか、娯楽小説なら全部置いてあると思うけど」
期待しているラウレンティーナには悪いが、それが辺境の田舎領土の悲しい所である。
巷で有名な諸々の書籍があることは流石に知っているが、そのどれもエステルはタイトルくらいしか聞いたことがない。
気になっていた娯楽小説の最終巻がやっとコックスに届いた、と思えば既に王都では流行が過ぎて数年が過ぎていた、と言うことも珍しくないのだ。
なので、水を刺すようだが忠告のつもりでラウレンティーナにはそう言ったのだが、寧ろ彼女は茜色と金色の瞳の目を輝かせると、両手を突き出して喜んでいた。
「ってことは、ここにしかない娯楽小説がいっぱいあるってことだよねっ!!やったーー!!ワタシそれ読みたいっ!!!お兄様に頼もう!!!」
「思った反応と大分違った件について」
思わずそうツッコミを入れてしまったが、驚いて困惑するエステルに、ラウレンティーナはニコニコとことのあらましを簡潔にこう答える。
「……社交界に出れなかった間ね。ずっと退屈で退屈で仕方なくて。……ワタシのお部屋で読んでた娯楽小説だけがワタシにとっての趣味なの。
だからどんなハッピーエンドもバットエンドも、知らないの娯楽小説ならワタシにとっては最っ高の娯楽なの!!娯楽最高!!!」
「堂々とディープな趣味きたなぁっ?!!あの兄にしてこの妹ありだわ!!」
しかし、その言葉に妙に納得してしまう。
と、言うか愉悦に満ちた顔が、自分に振り回されている人を見ることが好きと公言したガラルドそっくりである。
兄はドSだが、妹は雑食上等主義らしい。
娯楽小説に限った話なのと、ハッピーエンドも含まれているからラウレンティーナの方がかなり思想的にはマシだ、と言いたいが、この言い方は流石にラウレンティーナに失礼か。
否。
「そもそもあれと比べること自体が失礼か?」
「エステルさん、流石にお兄様に怒られるよ?」
「心を読まないでください、ティナさん」
「エステルさんが顔に出やすいだけだよー」
そんな会話をして、二人とマリーは浴場を後にした。
そうして一週間程度が経った頃、エステルの言った通り雨季が来た。
最初は小雨程度で、それならばと傘を持参して領地を巡るガラルドに、馬車の中で不満そうな顔をしていたラウレンティーナ。
だがいずれ時は来るもので、それから更に一週間が経った頃、コックスの領民でも歩き回りたがらない大雨の日がやってきた。
明らかに満面の笑みのラウレンティーナに、呆れ顔のガラルドが漸く了承を出したことで、一同は資料室に赴くことになる。
それがまた一つの転機になるのだとは、誰も知らぬまま。
伝承や歴史に描かれる訳でもないエステルと言う少女の大きな一歩は、殆どの者がそうであるように、こうしてひっそりと始まった。
だが、その足跡は確かにこの世界に残ったのだ。
幼いあの日にエステルが見つけた精霊の足跡のように、それはいつかの誰かの意識に残り、そうしてつけた本人も気づかぬところで思わぬ芽生えを見せる。
全てが須く繋がっているように、それはまるで必然のように、息をするように当たり前に。
無駄なことなど一つもないのだと示すように、この日、事態は少しずつ動き出していった……ーーー。
視察回は一旦ここまで。
次回からはエステルとガラルドたちのズレを矯正していきます。
物語で言う所の序破急の内、破。起承転結で言う所の承に該当する部分に差し掛かるのでお楽しみに。




