第四話
一悶着ありながらも到着したミカン畑での視察は思いの外、順調だった。
主な収穫量やミカンの食料としての使用以外の使い道をコックスではどう行っているかなど、その都度飛んでくる令嬢モードのガラルドからの質問に同じく淑女らしく淡々と答えていくエステルと、それを完璧なメイドや騎士として傍で見守っているラウレンティーナとマリー、そしてリックス。
前日とは違い、恙無く終わりそうでホッとしていた時だ。
そんな風にして巡回しているエステルたちに、気さくな鳥の獣人のおばちゃんが声をかけてきた。
「おや、お嬢様。今日はこちらの視察ですか?」
「メリダおばさん、こんにちわ。ラウレンティーナ様、こちらはミカン畑のオーナーのメリダです。メリダはこの広い畑を、殆ど毎日隅々まで見て回っているんですよ」
「あら、こんなに大きな畑を一人で?」
「とは言っても最終確認でございますよ。大半はうちの従業員が一本一本丁寧に面倒見てくれてるんでね。あとは自前の羽でひとっ飛びして回っているんですわ」
そう言いながら、背にある自身の羽をバッと広げるメリダは少々雑味はあるものの朗らかな女性だ。その人柄もあって、彼女から雇われているミカン畑の農民や買い取りにくる商人からもウケがいい。
教え方も丁寧で木につく虫や疫病なども逐一調べあげては、過度な駆除はせず自然そのものの生育に近い育て方をしながら、瑞々しい果実を作り上げることを信条としている。
「ミカン畑の次はどちらへお出かけへ?」
「ブドウ畑の方に行こうかと思ってるよ」
「でしたら、今はうちと同じで収穫期ですね。新鮮なブドウもジュースなんかも、きっと貰えますよ」
そんなことを言いながら、メリダが持ってきたのは収穫したばかりのミカンだ。
器用にスルスルと皮をむくと、エステルたちに差し出してくる。
「本日はここら一帯の果樹園めぐりでしょう?どうせ沢山試食貰うでしょうから、一旦これで味見して貰って、あとは伯爵家に持っていきますよ」
「ふふ、いつもありがとう」
ミカンを受け取って、じょうのうごとに分けるとエステルはそこにいる全員に一つずつ配る。
安心させるようにエステルが率先して食べれば、マリーやリックスも続き、ガラルドもそれを見て断る理由はないと判断したのだろう。ラウレンティーナに目配せした後に、残り二人も食べた。
「美味しい。房の一つ一つに弾力があって、弾けた瞬間に口の中に果汁がいっぱい広がるのね。まるで、食べる飲み物みたい」
「別嬪さんの王女様にそう言って貰えるなら、うちの従業員たちも飛んで喜びますわ。ありがとうございます。それでは、私はこれで失礼します」
ペコリと頭を下げてから作業に戻っていくメリダ。
それを羨ましそうに見ている従業員、特に若手の男性が多いことにエステルは今更ながら気づいた。
どうやら他の従業員の牽制も兼ねて、率先して声をかけてくれたようだ。
無礼を働かないように気を利かせてくれたメリダには感謝しかない。
しかし王女を色目で見てる若手の男たちを、エステルはどういう目で見ればいいのだろうか。
その上この別嬪さんが実は男で、しかも自分の婚約者である王子だと知ったらと思うと、彼らの反応や自分の心情も含めてとても微妙な気持ちになった。
「あらエステル、今更そんなことを気にしてるの?」
「当然のように心を読まないでください、ラウレンティーナ様」
「貴方が顔に出すぎるだけよ。本当に素直すぎる顔で、私どうしてあげようかしら?」
「恐怖しか湧かない言葉と、顔をつつくのはやめてくださいませ」
嬉々として心の内を読んだ上で牽制ついでに指先で頬をつついてくるガラルドに、強制的に思考を戻されつつエステルは溜息を飲み込んだ。
ガラルドは領地の視察をしている時に、よくこうやってエステルにちょっかいをかけてくる。
昨日の小麦畑でも、演説するエステルに定期的に手を引いたり間近で圧のかかった目線を合わせたりしてきては、定期的に質問を重ね説明を催促するものだから、エステルだけが結局一時間も喋り通しになったのだ。
屋敷の中や馬車では別にそんなこともないのに、やたらと視察の最中だけは距離が近い。
これも令嬢として怪しまれない工夫なのだろうか。それとも友好アピールなのか。
真意は定かではないが、そのついでにエステルを弄っているのはドSなので間違いないだろう。
そういう意味では、婚約者殿は今日も今日とて絶好調だった。
その後移動した次のブドウ畑では、メリダの言う通り新鮮なブドウを一粒ずつとブドウジュースを振る舞われた。
ブドウ畑のオーナーであるサンストンは厳つい顔をしており、一見気難しそうなおっちゃんに見えるが、その実冗談が好きな世話焼きの男性だ。
特に小さい子供なんかが見学しに来ると、いつもブドウジュースなりブドウの果実なりを渡そうとするので、雇っている農夫たちからはいつも呆れと愛のあるお小言を貰っているような、そんなオーナーである。
「今年は豊作だね、サンおじちゃん。実も弾力があって瑞々しいし、ジュースも甘くて香りがいい。ここ数年で一番の出来じゃない?」
「お、お嬢様にもわかりますか。実は数年前から土壌を改良してたのが、今年で漸く一番の物が実ったんでさぁ」
エステルは恒例のように、サンストンと今年の実りの話をする。
数年前から農夫たちと良い土づくりについて屋敷の資料室にて勉強しにきたり、妖精たちに案内して貰いながら森の土を調べに行ったりしていたので、特に印象に残っていたのだ。
勉強が得意ではないとサンストンも他の農夫たちも言っていたにもかかわらず、良いものを作るためならそれでも努力しようとする姿は、それこそ数年前も今もエステルには大変眩しく思えていた。
だが、ガラルドはまた違った意味で気に掛かったようで、浅学な淑女のようにサンストンに尋ねる。
「今までの農法でも国一番の出来だったでしょうに、まだ改良を続けてらっしゃるの?」
「王女殿下も口が上手いですね。確かに良い物は成ってくれますが、折角良い土地に恵まれて良い人たちや精霊や妖精たちにも囲まれてる。それなのに、何もしないってのも良くないなと思ったんですわ。あっしは特に、出戻りなんで」
「出戻り……。他領に住まわれたご経験が?」
「はい。オーデン王都に。物資にも恵まれて就職先にも運よくありつけたんですが……結局、この領地が恋しくなってしまいやして。売れるもん全部売って、実家に戻って一から農夫やらせて貰いやした」
サンストンが恥ずかしそうに過去のことをそう語るが、コックスを離れて王都に住みたいと考える者は少なくない。
それを行動に移すともなれば道中の過酷さや他領に住むための物資の準備もあるため更に人数は減るが、年間に二人か多くて五人は移り住む者がいるのも事実だ。
それでも他領に移る年間人数としては少ない方だが、一方で数年経つと戻ってくる者もそれなりにいた。
ブドウ畑のオーナーのサンストンがそうであるように、他にも希望を胸に他領に赴いていたはずの者たちがコックス領へと戻り、実家に帰って事業を継いだり新しいことを始めたりする。
娯楽小説などでは出戻りと聞くと後ろ向きな印象が強いのだが、コックスの人々を見るとそんな風には見えないのだから、世の中不思議なものだ。
そんな風にエステルが考えている傍ら、ガラルドは反対に納得したような表情で、サンストンとブドウ畑を見ている。
まるで遥か遠くの彼方を眺めるかのように見渡す、葡萄酒色に金色の瞳のその目には、僅かに憧憬のような色が滲んでいた。
だが、護衛のリックス以外はそれに気づくことも、その意味を察している者もいない。
その意味を唯一知っている、ガラルドの幼馴染である白狼の獣人の彼は……結局、何も言わぬまま黙ってそれを見逃す。
その脳裏に蘇るのは、この土地の風土と自分たち以外は知ることさえない過去の情景だった。
ここは『精霊の都』と呼ばれるに相応しい環境と人々が集まる、まさにこの世の楽園のような場所。
それは正に、幼い頃に彼が言っていた理想を、そのまま描き出したかのような土地だった。
昔から精霊や妖精が大好きで、そんな彼らからも多くの魔法を授かっていたガラルドは、世界でも有数のその名で呼ぶことを許される『魔法使い』だ。
その力は軍を束にして同等か、それ以上かも見当がつかない程だが……リックスは知っていた。
ガラルドが本当は、そんな力を好まない性分であることを。
相手をコテンパンに叩きのめすことはあるし、手癖も足癖も悪い嫌な奴ではあった。それに相手を手の平の上で転がすことを好むように性癖も歪んでいる。
だがその反面、戦争や略奪と言ったものを悉く嫌った平和主義者でもあるのが、ガラルドと言う青年だった。
誰かを征服する裏側で同じだけ、周囲の人の幸福について、或いはこの国について先回りして考えて行動する。
そしてその為ならば自分の身も心も何一つだって犠牲を惜しまない、そんな自己犠牲的な精神を無意識で持ち合わせてしまっている奴が、ガラルドだったのだ。
それなのに現実は無情にも彼の大切な人々の幸福を奪い、国のために彼の全てを惜しむことなく捧げさせる道筋を用意した。
そしてそれは、今も変わらず。
それでも幼い頃から一緒にいるリックスは、かつての少年が語った夢を……ガラルドの夢を、今でも覚えている。
『平和で穏やかな場所で、こいつらと戯れながら国のために働けたなら、幸せだろうなぁ……』
それまでどんな会話をしていたのかは、もう覚えていない。
だが確かに覚えているガラルドが冗談めかして言っていた、いつかの夢。
リックスは当時からそれが本心であることも分かっていた。ガラルドが冗談にしてほしがったことも、分かっていた。
だから、「ロマンチックすぎて顔に似合ってない!!!」と元気に返したら顔面を凹む勢いでぶん殴られたが。
そんな過去も霞むくらいの出来事が起きて尚、リックスはガラルドがあれからもずっと変わらぬ夢を持っていることを知っている。
悲しい程にその本質を変えられないのが、ガラルドと言う男でもあったから。
だからこそリックスは、彼の婚約者である少女にそっと視線を向けた。
エステル・コックス。
初見ではやや少年的に見える顔立ちと、灰色に水晶のような空色が乱反射する目の色だけが印象的な令嬢だった。
だが目の色は伯爵であるミクリオ・コックスも同様であったし人の美醜に特に拘りのないリックスであったので、先の印象もすぐに薄れ、この厄介極まりない事件に無理矢理巻き込まれた哀れな令嬢としてしか見れなくなるのだろうと、当時はそう思っていたのだ。
だが、
彼女は思った以上に強かで、思った以上に面白い令嬢だった。
理不尽には黙っていられないのか反射で返しているだけなのか勢いのよいツッコミが飛び、本来なら泣いて喚いて萎縮して罵倒してもいいだろう場面では、かえって冷静に自分のやれる範囲のことを取り持とうとする。前半は兎も角、後半が貴族の模範すぎないだろうか。
それ以前に……家族にも話せぬ共謀にネクロヌースと……絶望してもいいはずの会話は、何度もあったはずだ。
それだけのことをこちらは持ってきていたし、本来なら全く関係のない彼女にありえないほどの負担を全て背負わせているのが事実なのだから。
けれどその度に彼女が返してきたのは真っ当な苦情と、これから先の未来に対する真っ直ぐな意見だった。
決して折れない光と言うには少し平民じみていて、それでも芯のある樹木のようにしっかりと立っている不思議な少女。
コックスという平和を絵に描いたような領土において、この逆境にも屈することのないエステルという少女こそ独特な異彩を放っていた。
そしてそれこそ一番予想外だったのが……ガラルドがそんな彼女を殊更気に入ったことだ。
否、先の性格ならば気にいるだろうとは思っていたが想像以上と言うか……正直に言うと、こんなガラルドはリックスでも見たことがなかった。
他家の令嬢ではまずこんな無礼な態度は取らないし、かと思えば家族や軍隊の仲のいい連中とも明らかに口調が違う。
気さくなようでいて何かしらの敬意を払っているような不可思議な態度は、それこそ特別扱いといってもいいだろう。
なんなら視察の際に友好アピールとはいえ、あれだけ人前でベタベタする必要もないはずだ。彼は、仲の良い相手以外のスキンシップを好む性格でもなかったのだから。
だから寧ろあれは友好アピールなんかではなく、一種の牽制か或いは……否、言葉にはすまい。
尤も、そんな分かりづらい態度で特別扱いされていることなど、当のエステル自身はわかってもいないだろうが。
それでもリックスは、その片鱗は抜けなくとも楽しそうに過ごしている主人でもあり友人でもあり、幼馴染でもある彼を漸くこの地で見た。
それは本当に久しぶりのことで、リックスが……否、彼を慕う者や愛する者、その全てが望んでいた姿がそこにはあったのだ。
それ程までに、ここ数年の彼は手負いの獣のようだったのだから……。
だからこそ、だろうか。
リックスはもしもの夢物語を考えずにはいられなかった。
あの城にいた時には、思いもしなかった夢物語だ。
ガラルドが望んだ土地、望んだ楽園、そして彼が選びたいと自分で思えるかもしれない婚約者。
いつか本来の姿さえもかき消してしまうかもしれなかった気鬱な影を、ラウレンティーナを連れて王城を出るまで抱え続けていたガラルドは、彼女に出会ったその時から、いつかのような笑顔を見せるようになった。
その幸せそうな顔を彼自身が出来ただけでも、コックスに来てよかったとリックスは心から思う。
でも、そんなガラルドの過去も、いつかの少年の夢も、ここで知っているのはリックスだけ。
だから、こんなことを願うのはリックスだけなのだ。
数年前、地獄のようなあの光景を彼の傍らで見ることしか出来なかった幼馴染は、今日もまた思う。
(彼女が、こいつをコックスに攫って幸せにしてくれればいいのに)
そんなこと絶対あり得ないからこその、夢物語だとしても、だ。
ーーー
そして、その日の夜。
果樹園を回り切る頃にはお裾分けで殆どお腹がいっぱいになってしまった一行に、それを見越して夕食は軽食にしてくれたのはエステルの母、レティーシャ。その采配に感謝しつつ、エステルたちは就寝準備を始めることにした。
本物のラウレンティーナとの湯浴みは今日もまた楽しげな会話で盛り上がり、彼女をガラルドたちの部屋まで送り届けることで終わる。
そうしてエステルは、無事にベッドに体を預けることができたのだ。
「マリー。一本道の警備の件、馬車では当てがあるって言ってたけど、本当に大丈夫?」
「流石に王族相手にハッタリなどは致しませんので大丈夫です」
「いや王族相手以外ならするんかい」
一応、心配になって今後について再度確認を取ってみるが、中々不穏なことを言いつつもマリーにとっては本当に大したことではないようだ。余程の凄腕を雇っているのだろう。
表情筋がいまいち動かない彼女だが、そんなマリーでも些細な違いくらいは示してくれる。今回は本当に大丈夫な時の顔つきだった。
彼女がコックス領に来て五年ほど経った気がするが、初日から今日に至るまでエステルの側仕えとしてやってきていたはずなのに、いつの間にそんな人員を確保できる人脈を築いていたのだろう。
年中一緒にいたにもかかわらず、マリーの事情を把握できていなかったことに……本来の雇い主は父であるとは言え……主人としてエステルは少々情けなく思わないでもない。
しかし領地の特異性も含めながら、十人にも満たない少人数でラウレンティーナの守りを固められたことは、それ以上に僥倖な知らせだ。それが最低限であっても、有事の際に動けはするのだから。
協力が始まってからたった二日でそこまで進んだことを思えば、エステルの感傷は些細なことである。
「わかった。それじゃあ、そろそろ休もうか。マリーも下がっていいよ」
「はい。ではお嬢様、おやすみさいませ」
「おやすみ、マリー」
明日は市街地を視察したいとのガラルドの要望があったので、ここ二日ほどの長距離移動はないが人目が多い。
エステルに絡んでくるだろう彼の猛攻に対応するためにも、早く休んで英気を養う必要がある。
いつものように、業務終了を言い渡せば夜の挨拶をしてくれるマリーに、同じようにエステルも挨拶を返した。
灯りを消してから部屋から出ていくマリーを見届けて、エステルも本格的に眠ろうと布団に包まり目を閉じる。
さあ、やっと訪れた心地よい眠りの時間だ。
とはならないのが、悲しいかなエステルの就寝時間だった。
今宵もまた冴えた頭で内心唸りながらも、エステルは考え事を始める。
そして、その眠りを遮る目下の悩み事が、ガラルドとの婚約が決まったあの日に見た『神託』。
ガラルドがエステルを殺す、例の『神託』の件であった。
そんな設定、忘れたと思っていた?
そんな訳はない。自分が殺される予告のような夢をおいそれと忘れるなど、能天気にもほどがあるだろう。
この二日間ガラルドを含む王家から来た三人組と一緒に過ごしてきたわけだが、そのような蛮行に及ぶような狂暴性も、貴族の娘を直接殺害しようとするような考えなしにも見えなかった。
否、ガラルド単体で言えばドSという類の狂暴性はあるのだが、あくまで人を振り回したり苦い顔をするのを楽しんだりする位で……それもどうかとは思うが……寧ろラウレンティーナの暗殺に対しては殊更慎重に対応していることからも、命自体は重んじるタイプに見える。
そうであるならば、エステルに見せるドSっぷりは兎も角、ラウレンティーナの件に関しては彼の真っ当な部分として評価してもいいだろう。
また、どこまで信憑性があるか定かではないが、ゲームの中のガラルドも人命を尊重するタイプだったと異世界の記憶は言っている。
『魔装石のアルカディア』での彼は、人の心やあらゆる命を蹂躙するネクロヌースに対して嫌悪や侮蔑といった言動を取っていたし、その反対に、人や精霊、妖精たちを愛し尊重する勇者一行には、一定の距離を取りながらも協力的な姿勢と好意を示してくれるキャラクターだった。
故に、基本的な本編のルートを通った際には、ガラルドというキャラクターはただの有能なお助けキャラにしかならない。
それ位には少し性格は歪んでいるけれど、善良な人物として描かれているのだ。
たった二日で現実のガラルドのことが理解できた訳ではないが、エステルとしてもゲームの中のガラルドとこの現実のガラルド、そんなに大差のあるような感じはしない。
寧ろ、現実の彼をそのままゲームのキャラクターとして書き起こした、と言われた方がしっくりくるような気さえする。
また、『神託』を否定するもう一つの要素が、本日の妖精たちに馬車ごと囲まれた例の出来事だ。
妖精というのは、自然そのものの化身たる精霊の眷属である。
その性質とは、悪戯な子供のような無邪気さと、自然を愛する者を同じように愛し慈しもうとする本能、と言うものだった。それはより純粋な心の発露でもある。
つまり、彼らに好かれる者と言うのは、自然と生命を愛する人物と言うことだ。
それは無闇な殺生を嫌い、調和を望むような性格を表しており、王城からきた三人組は漏れなくその条件に当て嵌まったのだろう。
そうでなければ、あんなにも妖精が近づくはずはないしお辞儀だってすることはなかったはずだ。
なにせ、彼らは本当に子供のように率直な精神をしており、やりたくなければ世辞でもそのようなことはしない。そんな者たちのだ。
そんな彼らがガラルドの頭を撫でていったことは、件の『神託』を否定しているように思えた。
寄り添うように親愛を示していった妖精の行動を、エステルが疑うことはない。妖精たちの本能は人間の頭脳より鋭い、と思うことをエステルは生まれた時から、何度も見てきていたので。
彼らは家族とまでは言わないが、ずっと見守っていたい子供たちのような存在だ。
それこそ定期的に訪れては世話をしている孤児院の子供達よりも、その現れる回数としても比較できない程なので、物理的にも近い仲なのかもしれない。
そんな妖精たちを日常的に何度も見ていれば、彼らと共に生活していれば、嫌でも気がつく。
彼らは残酷なまでに正確な判断を下すということに。例え社会や家では高明な貴族や商人がいたとしても、影で人を貶めることをしていたのなら、彼らは絶対にその者たちの傍には行かない。そして、それは周囲に直ちに露見する。でもそれは、彼らが真に託せる相手と共に居たいからにすぎない。
それぐらいに、妖精たちの無垢な本能と言うものは不変的で絶対的なものなのだ。
そんな妖精たちから明らかに好かれていただろうガラルドが、ラウレンティーナの暗殺の予言の阻止どころかエステルを殺して更なる被害者を増やすようなことは考えられない、と結局話はそこに着地する訳だ。
そもそも暗殺阻止の協力者を殺してどうする、と至極当然な疑問もある訳で。
何をどう思っても明らかに『神託』が間違いである、という証拠ばかり出てくる現状。
だが、それに強烈なまでの異論を呈するのが、『神託』を見た時から感じる、この世界の住人特有の謎の直感だった。
それは分厚く暗い雲が空を覆えば、雨を降るのを察するような感覚だろうか。
空気の湿っぽさや雲の色といった様々な過去に体験した知識をもとに、その少し先の未来を捉えるように、エステルがこの世界で生きて感じて体験してきた精霊や妖精、女神の恩寵、それに呼応する現実を肌で感じてきた経験が、ある種の直感となってエステルに警鐘を鳴らしているのだ。
これは決して、夢や幻ではないのだと。
昨日帰ってきた後も、なんなら今日の視察の道中ですらずっと、『神託』を否定し続けていたエステルの脳裏に、ガンガンとそれは響き続けていた。
否定の色を強くすればするほどその直感は激しく鳴り響くようで、その為こんな夜中になってもエステルは頭を悩ませなければならなくなっているのだ。
結局エステルの見た『神託』は、未だ誰にも言えていない。
視察初日に王女の出方を見た後に、マリーにぐらいは……と考えていたが、その王女が実はがガラルドだったわ、当のラウレンティーナには暗殺の予言が出ているわで、完全に状況の整理がつかなくなり機会を失った。
だがマリーに伝えられなかったことも、今では良かったのかもしれないとエステルは薄々思い始めている。
ガラルドのこの未来を知っているのはエステルだけだが、この『神託』は劇物だ。
誰も彼もが軽く見えるように振る舞っているが、王女暗殺計画にネクロヌース、国家問題どころか世界問題の事態に、緊張感の糸は最初から張り詰めていると言ってもいいだろう。
深刻な表情をしても好転しない。行動するしかない。恐らくそんな足掻きにも似た行動を皆でしているだけだ。
その中でもガラルドは特に警戒しているのだろう。もしかしたらラウレンティーナの代わりに暗殺されても構わないつもりで、行動しているのかもしれない。
それほどまでに領地の方々を訪ねては、ラウレンティーナの顔として周囲に認知させている。
影武者だからとしても、それは過剰なほどに。
そんな中で『神託』のことを話せば糸は限界を迎え、この協力関係ごと千切れそうだ。計画も御破算どころか折角打ち立てた警備体制含めて全てが壊滅するような気がしてならない。
なのでここでエステルが秘匿するのは、多分結果的には良かったのだろうと思う。
そう思いたいだけかもしれないけれど。
だがそんな風に裏ボスたるガラルドが過剰になって守らなければならないほど、彼の妹であるラウレンティーナはきっと、彼にとって重要で大切な存在なのだろう。
ゲームの設定ではそんな描写は無かったが、ガラルドはシスコンだったのかもしれないし、もしくはラウレンティーナが実は王女以上に凄い存在だったのかもしれない。
例えば、女神級とか。
そこまで考えて、エステルは自身の考えを鼻で笑った。
いくらなんても思考が飛躍し過ぎているし、ここまで考えたとしても部外者であるエステルにとってはただの空想でしかない。
結局のところエステルにできるのは、いかに現状を刺激せずに最善の手段を取り続けるか、と言うことだけだ。
いつ殺されるのかも分からないと言う恐怖を飼い慣らしたまま、自分を殺す相手と過ごしながら取り繕ったその行動に、ボロが出る日がきっとくることも分かってはいるのだけれど。
王城で殺されるラウレンティーナと、コックス領で殺人を犯すガラルド。
場所もバラバラなら状況でさえ正反対な二人の兄妹の『神託』。
点と点が散らばっていて、空中でぶら下がったままなこの状況が、線で結ばれる時はくるのだろうか。
期日は二ヶ月。
どうやって説明すれば穏便に事態を悪化させずに、この『神託』を皆に伝えられるのか。
未だエステルの直感しか頼りにならないこの状況で、どうすれば『神託』の謎を解くことができるのか。
結局この日も解決策は見つけられないまま、明日の視察のためにエステルは目を閉じて無理矢理眠りについたのだった。
『神託』は決して嘘はつかないのだと、最後まで頭に鳴り響く警鐘には、聞こえないフリをしながら……ーーー。
ちょっとだけリックス側の話が出ました。
あとほんの少しのラブコメ要素も。
次はエステルのちょっとした過去と、転機が描かれます。




