第二話
お風呂回です。
エステルは疲労困憊でベッドに突っ伏した。二話連続で健康的に始められたことがないのは如何なものだろうか。
北の田園に着いた後、エステルは本来の役割であったはずの領地の案内を存分に発揮することとなった。
その解説の時間たるや一時間は易々と超えただろう。直前の馬車でのツッコミも含め、エステルの喉はしっかりと酷使され最後の方には掠れていた。
そして、満足気に現地の人々とも意見交換を終えた王族たちと再び馬車に舞い戻り、再び二時間の移動に耐えながら辺境伯爵の屋敷に戻ったのは日が落ちる頃。
そこからさらに本来の予定であった部屋の案内と歓迎の晩餐会を終え、漸く部屋まで戻ってきたのだ。普段なら小言の一つは言うマリーも、今日ばかりは何も言わずに湯浴みの準備をしてくれている。
そんなマリーに内心感謝しつつ、エステルは本日の晩餐会の記憶に思いを馳せた。
「ラウレンティーナ殿下、コックスはいかがでしたか?」
父のミクリオが質問を投げかけたのは、当然だがラウレンティーナのフリをしたガラルドだ。
本物のラウレンティーナは、メイドのフリをして目を瞑ったままガラルドの座っている椅子の斜め後ろに立って控えている。
実際の彼女はかなりお転婆な性格だがそうしていると幼い容貌の侍女にしか見えず、とても王女とは思えないのだから不思議なものだ。
否、実際の彼女も王女のようには見えないのだけれど。
対して、ガラルドは完璧な王女としてのラウレンティーナ像を演じながら答える。
「ええ。北の田園にお邪魔させて頂きましたが、田植えが終わって数ヶ月したところだったそうで青々と繁茂した見事な小麦畑は、その広さも圧巻の一言でしたわ。自給自足に有り余る生産量を誇るコックス領とは聞き及んでいましたが、あれほどとは」
「勿体ないお言葉です。田園の歴史や耕作については、娘が説明されたと思いますが、いかがだったでしょう」
ミクリオがそう問うのを横の席で聞きながら、エステルはさらに数時間前のことを思い出す。
まだ青く茂る小麦の田園の美しさに、誘われるようにして訪れる手の平ほどの大きさの妖精たち。
その妖精たちに「今年もいい麦が育ったよ、ありがとう」と声をかける農家の人々。
双方がお互いに手と手を取り合い、妖精は目を閉じ、農家のおじいさんが魔法の詠唱を始める。
《世界は心で生まれ、愛によって我らを導く。
セオス・キーポス》
それは、ごくありふれた子供の頃に教わる誰もが知っている祝福の言葉。
特に要求もせずに小さな妖精が教えてくれるほど僅かな力で足りるそれは、簡単な回復の効果を齎す。
その範囲もごく僅かで、小さなかすり傷や軽い筋肉痛なら痛みが和らぐ程度、だろうか。
農作物や動物にも使われるその呪文は、主に自身の関わる者全ての健康を祈って使われるコックスでは有り触れた習慣の一つだ。
だからお祈りのようなその呪文を時折唱えながら耕作するのが、コックス領では普通のこと。
だが父や母からもこれは他の領地では普通のことではないと言い含められていたこともあり、ガラルドやラウレンティーナ、リックスが唖然としていたこともエステルとしては特に驚きはなかった、のだが……。
その後の目を輝かせたガラルドによる怒涛の質問攻めにより、一時間に渡る解説をすることになるのは完全に予想外だった。
「とても興味深い話を聞けました。特に妖精との共存に関しては、コックス以上の領地はないのでしょうね」
「いえいえ、まだまだですよ」
だが、そんな苦労もこんな会話でまとめられてしまうのだから、案内役とは辛いものである。
それでもまだ一日目、先は長いのだ。今日は早めに床につきたい。
エステルがそんな風に考えていた時だ。
「ラウレンティーナ殿下、長旅でそろそろお疲れでしょう。食後に湯浴みでもいかがでしょうか。我が家の使用人が手配致しますわ」
母のレティーシャがそんなことを言ったことで、今日の仕事がまだ終わっていないことに気づかされた。
現に、王女のフリをしたガラルドが申し訳なさそうな顔をして言うではないか。
「お気遣い痛み入りますわ。でも、ごめんなさい。実はこれを機にエステルと交流を深めたくて、湯浴みはエステルと一緒にって約束がありますの」
「そうなの?エステル」
「えっと……そうなの。湯浴みの準備もマリーがやってくれるって話になってて。ね?マリー」
「はい。左様にございます」
勿論そんな約束はしていない。
が、本当のことを言った時の結末が恐ろしくて咄嗟に合わせた。ついでにマリーも巻き込めば、出来るメイドのマリーはすぐに首肯してくれる。
満足そうに微笑むガラルドの顔をどこか悪どく感じながらも、食事が終わりになると全員それぞれの部屋へと戻って行くことになった。
尤も、ガラルド一行の部屋は今となっては兄と妹どちらの要望が分からないが、エステルの隣の部屋なので……。
「ここが、今日から使ってもらう客間ね。一応、使用人が使える寝室とかも用意してるけど……主客用のベッドは一つしかないからね」
「それは構いませんよ。寧ろ王女一人しか要人は来ていないと思われた方が都合がいいですし」
必然的にこの時間も、秘密を共有する者だけの時間になるというわけだ。
「ああ、そうだ。マリー、女性陣が入った後で俺たちの湯浴みの準備も頼んでいいか?」
「はい、承知致しました。浴室の方は整えておきます」
「ああ。それ以外はこちらがやるから、それで頼む」
ガラルドの要望にすぐに応えるマリー。それを確認してから、ガラルドとラウレンティーナ、リックスの一行は客室へと入っていった。
そしてそれまでの過程で疲れきったエステルは全力でベッドにダイブし、冒頭に戻るという訳だ。
ベッドでゴロゴロしながら今頃はラウレンティーナとリックスが、客間に直接繋がっている客人の使用人用部屋にて食事を取っているところだろう、と当たりをつける。
その束の間の平穏を享受しながら、エステルは天を仰いだ。
意外なことにラウレンティーナは視察中や晩餐会の最中も、幼い無口なメイドとして目を閉じたまま大人しくしていた。
本来はあんなに天真爛漫という言葉を体現できそうなほどに元気な少女なのに、メイドのフリをしている時、何処にあの元気さは仕舞われているのだろうと思わないでもないが、案外彼女もその兄と同様に役者なのかもしれない。
因みに目を閉じて移動していて危なくはないのか、と聞くとお仕着せに魔法が仕込んでいるらしく、着ている間は目を閉じていても見えるし、着ている本人が望んだ相手以外には存在感を薄くする状態も付与されている……とのこと。
何でも王家御用達の秘蔵の物を何着かくすねてきたそうだ。
かなり高度で手間のかかる魔法の仕込まれたメイド服が、ラウレンティーナに合うサイズで何着もあったのが恐ろしくてゾッとしたのはここだけの話である。
明らかに偵察用とか、それ以外の後暗いことに使われる用なのではないだろうか。
無論、そんなことは言わなかったが。
そんな風な訳でラウレンティーナの存在も、見た程度ではバレないようになっているらしく、彼らの演技も含めてエステルやマリーが二人の正体がバレないよう積極的にフォローに回る心配はなさそうである。
寧ろ、協力とは先程言われた内容の方がメインになってくるのだろう。
「エステルさーん!」
「うわぁぁぁぁぁっ!?!ティナ!?」
その思考を肯定するように、バーンと礼儀も遠慮も無くエステルの自室の扉を開けたのは本物のラウレンティーナその人である。
食べ終わるのが早すぎるし、なにより大声でノックもなく扉を開け放つのは大分お転婆がすぎる行為だが、本人は気にした風もなくメイドのお仕着せのまま、ベッドから跳ね上がったエステルの近くまで来るとこう言った。
「一緒にお風呂入ろー!」
「こら、ティナ。人の部屋に入る時はノックして挨拶。そのあと返事がくるまで入室しないのがマナーだって言っただろ」
そんなラウレンティーナを叱るように軽いノックの音と共に後ろからひょっこり出てくるのは……見覚えのあるようで見覚えのない男性。
濡れ羽色の髪は短くもそれこそ鴉の羽根のように広がり、アーモンド型の目は葡萄酒色に金色の瞳だが、涼やかと言うよりは精悍に吊り上がっている。
薄い唇はそのままに、月白色のドレスシャツと上質な呂色のスラックスというラフな格好でさえも、彼の容姿を引き立てる材料になっているようで……。
何処か既視感のある見た目だと思うのは、ゲームで見たことがあるからだろう。
だが、現実では初めて見るその姿こそがきっと……彼の本来の姿。
絵画から飛び出てきたような絶世の美女が、画面越しの平面ではない立体感のある孤高の美男子として現れた瞬間である。
「現実のガラルドってゲームと違ってこんな感じなんだぁ……」
「思ってること全部口に出てますし、どんな感想ですか」
「だって画面越しの二次元が、突然リアル調の三次元で出てきても違和感しかないから……」
ガラルドが溜息混じりにこちらを見ていたが、そもそもアニメ風のデフォルメが効いた絵柄のゲームと現実では、作画も質感も諸々違うのだから寧ろエステルの反応が妥当であると主張したい。
そんなエステルを何やら物珍しげにラウレンティーナが見ていたが、特に気にもとめないままふと思っていたことを口にした。
「そう言えばここでの暮らしのことだけど、ガラルドとラウレンティーナってそれぞれの正体を気づかれる訳にはいかなかったんでしょ?もし、私とマリーに協力関係結んでなかったらどうしてたの?」
「勿論、メイドの一人でも脅して協力を仰ぐつもりでしたよ」
「うちのメイドになにするつもりだったの!?てか、普通に脅すって言ってるし!協力どころか恐喝だよそれぇぇぇぇ!!」
なんということだろう。危うくコックス領のメイド一人の人生が狂わされるところだった。
王族からの恐喝に遭うとかどんな災難だ。権力の塊は暴力に等しいと知らないのだろうか。否、ガラルドなら知っていてやりそうではあるのだけど。
そういう意味ではエステルがガラルドと協力関係を築けたのは、領民にとっても幸いだったと言えるのではないだろうか。
事件に巻き込まれたことは、予言されたラウレンティーナ本人が来てしまっている上にエステルが貴族に生まれた以上、王族を守ることは義務だから仕方の無いことと諦めることにしても。
地雷級の秘密の片棒を担がさせるのは、領民や一介の使用人にとっては潰れてしまいかねない重責だろう。
「まあ、元々辺境伯爵や辺境伯爵夫人にも言うつもりはなかった話ですからね。今の状況は俺たちにとっても都合が良い」
「ていうか、何で私の両親にも秘密なの?こういうのって、それこそ領主にくらいは話して協力してもらうものじゃないの?」
エステルは尤もな提案をしたつもりだが、エステルのその言葉にガラルドは珍しくも渋面を浮かべて、歯切れが悪そうに言う。
「……強いて言うなら第一印象とでも言いましょうか。……何故か、特にお義父様の方から
…………あのバカ王と同じ感覚がしたと言うか……」
「あ、それなら大丈夫!このまま秘密にしとこう!そうしよう!!」
だが、それはエステルからすれば心当たりが大いにある懸念であったので、秒で父親を見放す。
人類もびっくりなあの父親が、うっかりで何をするか分からないのはエステルも一緒だったので。
予測は可能でも回避は不可能な言動。それがミクリオである。
それに振り回されている余裕は勿論エステルにはないので、父には申し訳ないが秘密の方向で持っていかせてもらうことにした。父に良かれと思って言う可能性のある母もついでに除外である。
貴族の娘としてその判断はどうなんだと言われるかもしれないが、あの両親の一人娘であるエステルだからこそ言えるのだ。
(絶っ対、あのお父様は王族を巻き込んじゃいけないことに巻き込んで現場を混乱させる!!!)
ミクリオ・コックスとはそう言う男である。
数々の本人には一切悪気のない諸々の所業を思い出し、若干遠い目になりつつあるエステルの肩を叩いたのは湯浴みの準備を黙々とこなしていたマリー。
その手には既に二人分の準備が整っており、会話を邪魔しないことといい、つくづく出来たメイドである。
「お嬢様、湯浴みの準備が整いました」
「やったー!お風呂だお風呂!!エステルさんと一緒!!羨ましいでしょ、お兄様?」
「バカ言ってないで、さっさと入ってこい。エステルさん、マリー、よろしくお願いします」
「はいはい」
「承知致しました」
こうして素の状態の婚約者との会話は早々に終わりを告げ、ガラルドが宣言した通り、本物のラウレンティーナとエステルのお風呂の時間が始まったのだった。
ーーー
「ふーんふふーん」
「ティナ、湯加減はどう?」
「丁度いいよ!マリーさんも、手伝ってくれてありがとね!」
「勿体ないお言葉です」
括り上げられたものを解いたラウレンティーナの薄桃色の髪は思いのほか長く、ストレートの腰ぐらいまでの長さの髪がキラキラと浴室の灯りを受けては光を放っていた。
纏められていた際には気づかなかったが、どうやらラウレンティーナの髪の内側はローズゴールドになっていたようで、薄桃色から覗くローズゴールドのインナーカラーが、よりその華やかさを際立てているようだ。
「ティナの髪、とっても綺麗だね」
「エヘヘ。ありがとうエステルさん!エステルさんの髪も、麦みたいでとっても美味しそうだよ!」
「髪の評価としては不安になる賛辞だなー」
麦藁の髪色に猫っ毛の自覚のあるエステルとしては、ラウレンティーナのようなサラリとした美しい髪や、ガラルドのような艶のある髪が羨ましくて仕方ないのだが、ラウレンティーナとしては本当にエステルの髪がお気に入りらしい。
暗殺の予言がされているとは思えぬほどお気楽に笑う彼女は、エステルの髪をすくい上げて頬擦りをしていた。
「うん!フワフワ!」
「濡れてるから、言うほどでもないんじゃない?」
「でもわかるよ!」
「ありがと。ティナの髪は綺麗なだけじゃなくてしっかりしてるね。指通りもよくて、髪の毛結わうの大変そう」
「大変だよー!私の髪、スルスルしてて一回結んで留め金して更に結わえて、ってしないと全部落ちちゃうんだから!」
「メイドさんの手腕が試されるね」
「うん。いつも二人がかりで片方が結わえてる内に、もう片方が留め金用意してって感じでやってる」
「じゃあ、明日はマリーが結って私が留め金役だね」
キャイキャイと、些細な見た目のことで仲睦まじく話せるのは女性の特権だろうか。
ラウレンティーナもエステルも楽しそうに話しては、お互いの髪に触れたり背中を流したりした。
そんな風にして身を清めて漸く浴槽に浸かると、体の奥から疲れが抜け出るような感覚がする。ラウレンティーナも長旅の疲れが出たのだろう。のびのびと足を伸ばして微睡んだような顔をしていた。
「ここの薬湯?いい香りだねー」
「うん。今日行った北の田園の近くに香草や薬草を育ててる畑もあってね。そこで収穫して町の薬師さんが調合してくれたのを使ってるんだよ。筋肉痛とか疲労回復に良い薬草を調香師さんと打ち合わせしながら香草と混ぜて、リラックス効果のある香りを出してるんだって」
「それってかなり高級なんじゃないの?」
「ううん。職人さんたちもよく町のおばちゃんとかに安売りして売ってるよ。いい宣伝になるからって。一応、うちには質の良いものをより多めに作ってはいてくれてるけどね」
「……そうなんだ」
特に香りが気に入ったようだったラウレンティーナは、どこか含みのある言葉を返して浴槽のお湯をパシャパシャと叩く。
エステルはそんなラウレンティーナの反応に何か変なことを言っただろうかと思いつつも、マリーに湯浴みを終える合図をアイコンタクトで交わす。
「…………ワタシ、こうやって他の令嬢の人とお喋りしたり褒めあったりするの、憧れだったんだ」
だがそんな時間を惜しむようにふと、何処か寂しそうな声色でそんなことを言うラウレンティーナに、思わず視線が彼女の方を向いた。
ラウレンティーナはエステルに背を預けているので、顔は見えない。
だが確かにその空気が色を変えたことに、エステルはただ沈黙した。
「ワタシね、特別なんだって。だからワタシ、あんまり外に出られないの。でも、今回は初めてここまで遠くに来て、エステルさんたちとも知り合えて……ワタシ、本当に良かったと思ったの」
にっこりと笑って振り返る姿に影が落ちているように感じたのは錯覚ではないのだろう。
そんな彼女に何か言おうかと思って口を開いたが、結局、そのまま自分の髪を弄りながらも下を向く少女に、エステルは何も言うことはできなかった。
なにせ今日会ったばかりの王女様だ。
お互いにこうして裸になったとはいえ、両者の間にある隔たりは想像している以上に厚いものだ。
王族と貴族というものは、そう言うもの。
どれほど彼女にとっての寂しい事情があっても、おいそれと立ち入ってはいけないのが王族の事情であり、貴族にも知られてはいけない情報の境界線。
王族とはそれだけ不可侵の領域なのだ。
だから……否、だからこそ今は何も言わない。
今のエステルは第二王子の婚約者というだけの辺境伯爵令嬢。そして彼女は王子の妹の王女。
まだ秘密を分かち合うには遠く、得られる信用もそれに足りる実績もありはしない。
エステルはそれを、これから勝ち取らなくてはいけないのだから。
「ティナ、そろそろ出ようか」
「……うん!」
「マリーの髪を乾かす魔法は凄いんだよ。あっという間に乾くの」
「えー、うちにも欲しい!」
結局、そんな取り留めもない話をして、この日の入浴は終わることになった。
ーーー
「じゃあ、おやすみ!エステルさん!」
「いやいやいやいや、ティナこっちで寝る気なの?!流石に就寝は護衛と一緒じゃなきゃダメでしょ!!」
だが、服を着せてもらって部屋に戻って御髪を整えて、さあいよいよ就寝だ。エステルにとっての束の間の休息だ。とはならないのが、本日のお客様である。
ラウレンティーナは当たり前のようにエステルのベッドに横になっているが、ここは甘やかしては駄目な場面だ、と言うことはエステルにも分かる。
目をキラキラさせてこちらを見てくるラウレンティーナを無言で横抱きにすると、そのまま隣の部屋の前まで連行した。
「ラウレンティーナ様、エステルでございます」
「ええ、入ってちょうだい」
ノックの後に挨拶をし、返事がきてからドアを開けて客間へ入ると、この状況を察していたのだろう。したり顔のガラルドと、雪色のワイシャツと常磐色のワイドパンツを履いたリックスが、苦笑いでこちらを見ていた。
様子を見る限り、エステルの判断は正しかったのだろう。
その証拠にガラルドの傍には何も無いが、リックスのもたれかかっている壁にはいつでも抜けるよう、剣が立てかけられていた。
「お宅の侍女様をお連れしましたよ」
「はい、約束を守ってくれるようでなによりです。それと、王女と言えど甘やかさないのも合格です。良い共犯者ですね」
「誰が共犯者だ、誰が」
楽しげにこちらを評価するガラルドに文句を垂れながら、さっきと打って変わって不満そうな顔を隠しもしないラウレンティーナを客間のベッドに横たえる。
お泊まり会をしたかったのかもしれないが、そこは安全第一の要人。しっかり客間にて護衛に守ってもらわなくては。
それに半日ほどしか一緒に過ごしていないが、馬車の中といい先程の部屋への突撃といい、嫌というほど理解できた。
この兄妹、好き勝手やるだけやってこちらを振り回すタイプだと。
片やドSで片やお転婆といった違いはあれど、本質的に似ている部分をあげるならそうなるだろう。
残念ながら、身内に似て非なる振り回しタイプが居るので、そういう類の人間に対する所作は悲しいほど身についている。
つまり、遠慮の逆。こちらも振り回すつもりで相手取ることであると。
何故王族相手にそんな無礼にもなりそうな対応をしなくてはいけないことに?と思わないではないが、コックスに来た王族がこんな破天荒な二人なので仕方ない。
仮に護衛のリックスがエステル同様振り回される側であったとしても、従者の立場上、手伝ってはくれないだろうことは先程の苦笑いの時点で察しているので。
(そう言えば、王様はもっと破天荒だって聞いたけど……)
そんな考えがふと浮かび上がり、この国の未来を少し案じる。
こんな王族で大丈夫か?大丈夫だ、問題ない……訳はないけれど、エステルが気にしたところで現状は変わらないし、王族にどうこう言って楯突くのは危険すぎるので考えないことにした。
「明日は朝からティナの着替えと髪結いを手伝うってことでいいの?」
「はい。それと朝食が終わったら今度は南の方の果樹園に視察に行きたいので、また案内よろしくお願いしますね」
「……案外、視察には乗り気だよね」
「まあ、コックスのような辺境は他国でも珍しいですからね。これを機にしっかり調べ上げるつもりです。婚約者冥利につくでしょう?」
「自分で言うか。じゃあ、また明日」
軽いガラルドの冗談を同じく軽口でいなしつつ、エステルは部屋を後にする。
扉を潜れば一時の休息を味わえると浮き足立つ彼女は早足で自分の部屋に戻った為、その直後に客間の空気が変わったことも、その会話の内容も聞こえることはなかった。
「…………お兄様、本当にこのままでいいの?」
「お前の暗殺はの予言は嘘じゃない。最大限、誠意は見せただろ」
「そういう話じゃないって分かってんだろ?良かったのかよ、『呪い』のこと話さなくて」
「それこそ、余計な話だろ。……少なくとも、あいつはもう元に戻ってる」
「どうして元に戻ったのかも、何も分かってないのにか?」
「……」
「ねぇ、お兄様」
「……何だ」
「エステルさんね。ワタシに何も聞かなかったの。隙ならいっぱい見せたし、気になるように色々言ったのに……。あの人、思った以上によく考えてる人だね」
「…………それは、同感だな」
だから、そんな会話が客間で行われていたことなんて、エステルは最初から最後まで知らないのだ。
「……『呪い』、ですか」
エステルの部屋からも客間からも離れた伯爵家の庭の木陰で、柘榴色の目を夜闇に光らせながら様子を伺っていた、マリー以外は……。
ーーー
田舎の朝は早い。
牧畜の鶏が日の出と共に鳴き声を上げ、領民たちの生活が始まると共に辺境伯爵家の一日は始まるのだ。
「エステルさーん!!朝だよー!!」
だが、鶏の声と時を同じくして駆け込んできたのがこの王女様である。
ラウレンティーナは昨夜と同じく、ノックも挨拶もせずにエステルの自室の扉を開け放ち、寝巻きのままエステルを叩き起こす。
優雅な朝とは程遠い大声に起こされたエステルは、この二ヶ月間は毎日こんな朝を迎えるんだろうなと寝ぼけた頭で痛感した。
「……おはよう、ティナ。朝の支度しようか。マリー」
「はい、お嬢様。ラウレンティーナ様、こちらへ」
「ふふっ、マリーさんもティナでいいよ!」
「では、ティナ様と。使用人の身でございますので、様は外せませんが」
「わかった!マリーさん、よろしくお願いします!」
エステルの合図と共に扉を閉め、ラウレンティーナの支度を始めるマリー。
お仕着せを手早く着せると、鏡台へと連れていき香油の着いた櫛で薄桃色とローズゴールドの髪を丁寧に梳かしていく。
ふんわりと香るのは、ほんのりとした花の甘さと爽やかな若葉の香り。艶出しとして重宝されるコックス北の森の希少な木の油を精製して、精油と混ぜ合わせた香油の香りだ。
この香油はエステルが神託でラウレンティーナを見た際、つまりガラルドを見た際に前もって作ったものだったが、本物のラウレンティーナにも合う香油だったのは幸いだった。一応他にも用意はしていたが、これ以上に高価で質のいいものはなかったので。
匂いが上品に香るようにと職人に頼み込んで用意してもらったのだが、華やかな雰囲気のラウレンティーナがその香りを纏うと、まるで本物の花のように自然と統一されるのだから、やはりどれほど幼く見えても彼女は麗しい王女様なのだろう。
ラウレンティーナの長い髪がまとめ上げられた頃合に、昨夜の宣言通りエステルが留め金をし、更にマリーが纏め上げ、最後にシニヨンカバーで覆っていく。
その容姿が完全に整えられたことを確認すると、エステルも自分の服に着替えることにした。
ラウレンティーナはマリーに着せてもらっていたが、人手不足で肉体労働もする令嬢が自分で着替えられない、ということはない。エステルはさっさとクローゼットから本日のラフなドレスを選んだ。
麦藁色の髪のエステルに似合う服、というのは鮮やかな色よりは自然を思わせる色が多く、この日も深碧のジャンパースカートドレスに乳白色のブラウスといった出で立ちで落ち着いた。
そうして着替え終わる頃には鏡台にラウレンティーナの姿はなく、代わりにエステルが鏡台につくことになる。
マリーは早速先程まで使っていた櫛を箱にしまうと、普段エステル用に使っている櫛を取り出しエステルの髪を梳かしてくれた。
その様子を見て、意外そうな顔をするのはラウレンティーナの方だ。
「ワタシの時とエステルさんの時、櫛も香油も違うの?多分だけど、櫛の素材も加工も違うよね?」
「うん。髪質が違うし肌とか香りとか、合う合わないがあるからね」
目利きであるのは、それだけ富んだ教育と実物を見たことがある証左だ。
王女であるラウレンティーナは、当然その違いにすぐ気がついたようだった。
秘密にする意味はないで、エステルもすぐに首肯する。
ラウレンティーナに使われているのは木質が緻密で、粘りがある耐久性に優れた上質な木櫛。艶を出し、髪に潤いを与えるのに適している。
一方エステルの櫛の木は成長が遅い分、密度が非常に高いため耐久性に富んでおり、湿気や乾燥などといった要素による狂いの少ない木材で作られた木櫛。
香油もエステルの方はコックスの西の森で木の実から採った油脂を、少し青みのある柑橘系の香りの精油と混ぜた物を使っており、こちらは完全にエステル用になっていた。
だがそんな説明をしても、目を丸くしているラウレンティーナは質問を続ける。
「……櫛とかお化粧とか、普通は家ごとに御用達のがあるから自分のお家の物を持ってくるよね?」
「うん、そうだね。だからこれは、うちの献上品ってところかな。他に紹介できるものも、特にないし」
「……これが?」
「……気に入らなかった?」
「ううん!!すっごく気に入った!!これ他にはない一品だよ!ワタシ、絶対お城で自慢する!!」
「そこまで褒めてくれるなら、職人さんにもいい顔できそうだよ」
「あー、エステルさん本気にしてないなー」
明るい顔でラウレンティーナ用の櫛の入った箱を見つめてくれるだけでも、エステルとしてはお釣りが来るくらいの喜びだ。
だだっ広いだけの辺境の田舎で、王族を饗すことのできる物はそう多くはない。王族が使っている物に比べたら劣るだろうそれを、自慢までしてくれると言うのだ。嬉しくない訳がない。
なので信じていない訳ではないとエステルは主張するが、結局どれ程言い募ってもラウレンティーナは頬を膨らませるばかりで納得はしてくれないようだった。
そんな会話を経ながらも全ての支度が終わった頃合に、丁度よく部屋のドアを叩くノックの音が聞こえる。
「どうぞ」
「おはようございます、エステルさん。ティナの方は大丈夫そうですか?」
「うん。マリーが仕上げてくれたから、問題ないはずだよ」
「ありがとうございます。マリーも助かった」
「勿体ないお言葉です」
すっかり令嬢の姿になったガラルドが、リックスを連れて部屋の前までやってきた。
本日のコルセットドレスはレモンイエローといった明るめの色で、ブラウスは昨日と同じく白だが、まとめあげられた髪に胸には差し色として誂えられたグレーのスカーフと同じ色の上品なペルリーヌが重ねられており、総合的に良い塩梅を出して仕上げられている。
相も変わらず美少女にしか見えないそれが、女としては尊敬の対象として見れたのに男だと分かった瞬間に劣等感を感じるのは何故だろうか。
エステルは少し黄昏たい気分になった。
「お兄様!見て見て!!ワタシに献上品ってエステルさんがこれくれたの!!」
だがそんなエステルとは違い、どれほど実兄が美少女に化けようが動じないのがラウレンティーナである。
木櫛の入った箱ごと扉の前に居るガラルドの方へと持っていくと、胸を張って自慢しにいった。
正直、そんなに堂々と自慢しに行かれると思っていなかったエステルは内心狼狽えたが、そんなこと知らぬ存ぜぬなガラルドは箱ごと木櫛を持つと予想以上にしっかりと見聞し始める。
「これが献上品、ですか……」
「あ、はい。そんな物で申し訳ないですが」
「何突然敬語になってるんですか?気持ち悪いですよ」
「敬語使っただけで何で?!寧ろ本来使わなきゃいけない相手だよね!?」
「それは置いといて。アンタのご両親からも献上品は既に貰っているんですが……これはアンタからラウレンティーナ個人にということで合ってます?」
「置いとくな!!……まあ、一応そうなるかな?一週間で急遽制作を依頼したから、箱まではしっかりした物は作れなかったんだけど……」
少し尻込みしてしまうのは、そういう事だ。
本来ならば箱までちゃんとした物を用意するべきだが、短い期間に職人たちに急いで作ってもらうのは櫛一本が限界だった。
通常の職務を押してまでエステル個人の依頼を優先してもらう訳にはいかなかったので、箱は断念して一般より少しお高い箱に専用のクッション材を入れて誤魔化していたのだ。
目線が流れそうになりつつ、自信なさげに語るエステルに反し、ガラルドは溜息のような呼吸を一つ挟むと、事も無げに言う。
「……そうですか。こちらとしては、問題ありません。なんなら、ここでの期間はその櫛で今後も手入れしてやって下さい。その方が友好アピールにも丁度良いんで」
「あ、そう。ていうか、今アピールとか言った?」
「ティナ、大事にしろよ」
「もっちろん!言われずとも!」
「無視!!!」
やいのやいのと朝から騒がしく会話する、一見そうとは見えない王族と貴族の団欒を後ろ手に見ていたリックスは、何やら訝しげな顔をしてマリーに手招きした。
その所作に、既に何を言いたいのか察していたのだろう。何食わぬ顔でマリーはその側へと寄っていく。
マリーが近くに来たのを確認すると、リックスは小さな声で秘めるように尋ねた。
「……ねぇ、マリーさん。あれってかなりの上物じゃないの?木材もだけど、多分香油?の方もかなり希少なやつだし、見ただけで凄腕の職人が作ったって分かりそうな品なんだけど……」
「左様で。この領地の北にある希少な木材とそれとは別の希少な木の油を使い、それぞれこの領地一番の工芸職人と調香師に依頼して作らせた一品物でございます」
「……あと何か、エンチャントとか『妖精の加護』?みたいのも掛かってる気がするんだけど」
「はい。この地は精霊や妖精の宝庫ですからね。些細な日用品でも、職人の手により加護が掛かることがございます」
リックスの白い毛皮のためにそうとは分からぬはずの顔色が、青くなっていくのが手を取るように分かる。その心情があまりに想像だにしやすいこと。
マリーは呆れたように肩を竦めた。
だか、特に勉強不足などとコメントをすることもしない。
かく言うマリーも、奉公しに初めてコックス領を訪れた時はそれはもう大層驚いたので。その心情は嫌という程覚えがあったのだ。
「それを何の交渉材料にも使わないまま、片手間に献上って……辺境伯爵夫妻もそうだったけど……おたくのお屋敷、大丈夫?」
「伯爵夫人は外から来たにもかかわらず、夫婦とその娘、揃いも揃って箱入りもここに極まれりな有様ではありますが……
これこそコックスに認められ、その領主として迎えられる一家の所以でもあるのでしょうね」
「……それはまた、珍しいことで」
目を細めて何処か眩しいものでも見るようにエステルを見るマリーに、得心のいったリックスはそれ以上の追求を止めた。
あまりに規格外のものを昨日から見すぎていたので。
本来魔法は、簡単なものであろうと誰でも行えるものではない。
大半の国民は、学院に入学する前の年頃に、教会にて初めて低位の妖精を呼び出しを行い、呼び出せたかによって魔法が使えるようになるかが決まる。
そこで魔法を使える者と使えない者とのふるい落としがなされるのだ。
そこから更に、学院などに通える者は中位や高位の妖精あるいは精霊を呼び出し研鑽する中で、彼らに認められた者だけが高位の魔法を使えるようになり、魔法使いを名乗れる。
それだけ簡易的な魔法を使える者も、魔法使いも貴重な存在なのだ。
だが、リックスは前日の出来事を思い出す。
領地を囲む森をぬけた瞬間の、信じられないと思った光景を。
一面に広がる豊かな実りある土地に、自由にのびのびと行き交う妖精たち。
魔力に溢れ、水や植物、生き物も……この世の森羅万象全てが潤い繁茂する、田舎と言うにはあまりにも麗しい自然界の宝庫を。
そして北の田園に赴いた時の、魔力など大雑把程度にしか扱えなかった筈の老人を。
いつもの習慣のように妖精と手と手を取り合い、祈るように使ったささやかだが確かに広大な小麦畑全体に影響を及ぼした、あのおまじないと言うには尊大で奇特な魔法と、それを受け入れている人々を。
土地もそこに住まう人々も、その魔法でさえも、決してユートロピア王国……否、全世界を探してもこれほどまでに精霊に愛され、祝福された場所は存在しない。
険しい地形に守られたユートロピアの最西端にある、人類にとっての楽園のようなその場所の名前こそ…………コックス。
それは『精霊の都』と呼ばれる、特別な場所。
魔法をやっと書けました。
一話でも書きましたがこの世界の魔法は基本的に呪文ありきです。
短縮する方法がない訳ではないけれど、今回は出ません。




