第一話
メインの登場人物が出揃います。
時はラウレンティーナ・サンドール・ウィクリフ王女殿下、訪問当日の朝。
そう、当日の朝である。
(いやぁ、現実は無常だわー。ここ一週間、物資取りに行ったり勉強したり模様替え手伝ったり物資運んだり打ち合わせしたり物資整理したりで、全っ然休めなかったわー。てか、マジで人手足りないのよ。物資多すぎて過去最大級だったダンス練習初日夜より筋肉痛なんだが?)
ラウレンティーナ王女殿下の出迎えのために立って待っているだけでも筋肉痛で体が震える。
気分としては産まれたての子鹿なエステルだが、ここで姿勢を崩そうものなら、いつもおっとりしているけれど何かと驚くような一言を何気なく吐いてくる存在がいるので気が抜けないのだ。
その人こそ、エステルの母。レティーシャ・コックス辺境伯爵夫人である。
「あらあら、エステル。姿勢が三センチほど右に傾いてるわ。高位の精霊を呼んで魔法で癒しましょうか?」
「お心遣いは大変ありがたいのですが、筋肉痛ごときで高位精霊を呼ばないでくださいませ、お母様」
しかし、母の目は鋭い。
エステルは当たり前のように魔法杖を取り出すレティーシャの手を掴み、筋肉痛を忘れたような速度で下ろさせた。
『魔装石のアルカディア』と酷似したこの世界には、かの作品のタイトルにも使われているように魔のつくもの、即ち魔法が存在する。
ゲームでは主に攻撃や回復の手段として用いられていたが、現実でもその主な使用方法は特に変わりない。それ以外にも簡易的かつゲームに出てこないような魔法も多数存在するが、それは一旦置いておく。
ここでの魔法が一般のファンタジーに出てくるそれと違うのは……『魔装石のアルカディア』或いはこの世界では女神の使者である精霊や妖精たちが授けるものとして魔法が存在する、というところだろうか。
言ってしまえば、人間が学ぶだけでは魔法は使えず、精霊や妖精との契約によってのみその力を使えるのだ。
そしてその契約文こそ、魔法ならではの呪文。女神が定めた契約文に従い、定められた対価を差し出し初めて行使できる対等な共生関係ありきでの力……それこそが魔法だった。
精霊や妖精は単体で魔法を使えるが、彼ら単体ではその魔法は悪戯程度の効力しか発動しない。
一方で、人間は魔法を単体で使うことは出来ないが、魔法を使った時の効力は精霊や妖精の比にならない威力を出力できる。
故に精霊や妖精は信頼できる人間に魔法を授け、代わりに魔法を使ってもらうのだ。
それ故に、妖精や精霊が力を授ける時はその者が信頼できる者か確かめる為に、試練や一定の要求を課すことが多い。
それが所謂ゲームで言うところの『おつかいイベント』だ。
試練や要求を果たせばその精霊や妖精が担当している魔法の呪文を授けてもらえるし、そうでなければその魔法を使うことは出来ない。呪文だけ同じでも起源である精霊や妖精が認めていなければ発動できないのが、この世界の魔法だからだ。
人間と精霊と妖精、お互いの信頼関係を前提とした力のやり取りこそ、この世界においての絶対的な法則である。
だからこそこんなおっとりとした雰囲気の母、レティーシャも精霊の要求に応えて、彼らに認めてもらったからこそ魔法を使える魔法使いなのだが。
更に精霊の中にも階級が存在し、与える力が大きい精霊のことを高位精霊と呼んだ上で、そんな彼らと契約を結ぶことのできた人のことを魔法使いと呼ぶ訳なのだが……。
たかが筋肉痛を治すことに高位精霊を呼び出す魔法使いは普通いないし、大袈裟と言うにも余りある対応だと言うことを、ここに記しておく。
緊急時に呼び出すならまだしも、そんな用事で呼び出されてしまっては精霊に申し訳なさすぎる。
精霊を何だと思っているんだ。
「でも貴方、前もただの風邪だって言ってたら悪化して大変なことになってたでしょう?三日間も寝込んで高位精霊でも治せないって街一番のお医者様と冷や冷やしてたんだから」
だが母の心配に思い当たることもあって、エステルの息がグッと詰まった。
一ヶ月ほど前のこと、季節の変わり目に孤児院の子供たちと遊んでいたら、その子達から見事に風邪をもらったらしくエステルは体の調子が悪かった。
けれど安静にしていれば大丈夫だろうと、その時は高を括っていたのだ。
すると後日、農家の仔牛が逃げ出した場面に出くわして流石に協力しようと農民と一緒に止めようとしたら、仔牛の抵抗でエステル一人だけが川に落ちてしまった。
農民や当事者の仔牛までもが呆気に取られるほどに綺麗な放物線を描くようにして落下したそれは、まるでコントのオチような出来栄えであったという。
結果、エステルは高熱に魘されて三日三晩寝込むことになったのだ。
「……あれは風邪だったところに川に落ちたから悪化しただけです。お母様の高位精霊は怪我ならばどんなものでも治せても、病気はまた別分野の魔法だからお医者様をお呼びになったのでしょう?それに……お父様が滋養にとくれたリンゴを食べてからは本当に良くなりましたから、心配しないで?」
母を宥めるようにそう言って、熱に浮かされながら食べたあの日のリンゴの味を思い出す。
あの日父が持ってきた擦り降ろされたリンゴは瑞々しい蜜の詰まったもので、熱で麻痺した舌でも食べやすく、とても美味しく感じたものだ。
ミクリオは一見いい加減そうに見えるが、あれはあれで領主としても父としてもしっかりしている。
あの日もエステルの為に精霊から一番いいリンゴを貰ってきたんだと、母にはそう言っていたと言う。
精霊から与えられる物は、ゲームで言うところのバフが盛られていることか多い。
例えば、デバフ無効だったり持続回復だったり。
今回のリンゴは、病気を治す効能……つまりデバフ回復効果だったようだが。
それを後からエステルが聞いた時は、それはもう飛び上がるほど驚いたけれど。
精霊から貰えるものはかなり貴重だと言うのに、それをいつの間にか自分が摂取していたと言うのだから。
だが、同時に父に感謝もした。
昔から問題も起こしはするが、誠実性も真心もある行動の末でのことが多く、領民のことも家族のことも大切にしてくれている。
そんな父親であるから、エステルも何だかんだと、この振り回してくる父を嫌いにはなれないのだ。
そんなことを考えながらエステルがレティーシャを宥めていると、遠方から聞こえてきた馬蹄と車輪の土を蹴る音。
本日の主客にしてコックスの視察大使でもあられるラウレンティーナ王女殿下の、ご来訪である。
ガチャリと開かれる馬車の扉に、高いヒールの音を響かせて一人の女性が現れた。
「王家の使者として参りました。ジャスパード・サンドール・ハーデスが娘、ラウレンティーナ・サンドール・ウィクリフ。此度の視察、短い期間ではありますが、お世話になります」
粛々と扉を開けた護衛の手を取りエステルたちの前に出て、彼女は優雅に微笑みながら、そう言った。
耳馴染みのいいアルトボイスが、あの日の水中ではなく空気に乗って周囲に反響する。
だが、神託と全く同じ言葉を聞いても、エステルの中に湧き上がるのは、恐怖ではなく畏敬だった。
だって、綺麗だったのだ。
陽の光を浴びて濡れ羽色の長い髪は艶めき、葡萄酒色のアーモンド型に美しく釣り上がる目がキリリと涼やかに、透明を思わせる白皙の肌がそれこそ透き通った光を放っている。
その薄い唇ですら花々のように僅かに色めいていて、水底越しには分からなかった優美さが、正しく色を持って人の姿で、エステルの前に現れていた。
そのガーネット色のコルセットスカートに、胸元には刺繍のあしらわれたスカートと同じ色のスカーフ、首元や手元にフリルが広がる白いブラウスを併せた、ラフな貴族の休日着。細く長い指に嵌められたレースの手袋ですら、全て彼女を引き立てるようで。
神託を見た時には分からなかった、心打たれ痺れるほど憧れる女性が、そこにはいたのだ。
「ようこそ遥々いらっしゃいました。ここに歓迎の意を込めて、ご挨拶を。私は領主のミクリオ・コックス。こちらは私の妻のレティーシャ・コックスに、娘のエステル・コックスになります。短い間でありますが、ラウレンティーナ王女殿下、我が領地をゆっくり御観覧くださいませ」
そうして敬礼するミクリオの横でカーテシーをするレティーシャに、エステルは慌てて自分もカーテシーを倣った。
ドキドキと胸は落ち着かないが、ひとまずここは礼儀をしっかりしなければ、伯爵家の威信に関わる。
王族に対しての無礼な態度など、その筆頭中の内容だ。
「歓迎の意、しかと受け取りました。まずは、兄のガラルドとエステル様とのご婚約、祝賀申し上げます」
「陛下並びに王女殿下の寛大なお心に感謝します」
社交辞令の祝福を双方交わし合うミクリオとラウレンティーナ。
その当事者の片方であるエステルは、目の前の王女様に殺されるかもしれない云々で、この婚約こそ厄ネタの発端だったのではと、『神託』があった日から失礼なことを考える日々だった訳だが。
そんなことは当然露とも知らぬまま、ラウレンティーナはコックスに視察に来たメンバーの紹介を始める。
「では、私共の方も紹介を。こちらは私の護衛のリックス・カーデン。そして私の世話役のメイド、ティナです。私のことはこの二人がやってくれますので、皆様にはどうか、領地の様子などを教えて頂きたく」
「度重なる御配慮、感謝致します。御滞在の期間中は、娘とその侍女が案内を務めさせて頂きます。エステル、マリー」
「はい、お父様」
「はい、旦那様」
ミクリオに呼ばれ、エステルはマリーと共に前へ出る。
ミクリオはあんな事を言っていたが、ラウレンティーナが以前から指名していた時点で、エステルが領地の案内をすることは決まっていた。
秘密の視察であろうが実は牽制のつもりだろうが、裏の事情は兎も角、表向きには友好目的で来る王族に対して、示されていた期待に応えない、というのは貴族にはないのだ。
(こういう所は、ゲームの世界から感じ取った貴族のイメージにはない部分だったよなぁ)
ゲームはあくまでもアクションファンタジーで、こんな貴族の細かな内情など描写したら蛇足感極まりないのだから、当然と言えば当然なのだが。
その代わりと言ってはなんだが、よく描写されたのはとある種族。
王女の護衛と侍女はどちらも、ゲーム内では聞き覚えのない名前だった。
侍女は十歳くらいの少女で、薄桃色の結えられた髪以外で特徴的なのは、目が見えないのか瞼を閉じていることだろうか。それでも王家のメイドであるなら幼く盲目であったとしても、有り余る裁量の持ち主なのだろう。
一方で目を引くのは、護衛のリックス。簡易的な甲冑を身に纏って腰に剣を携えている藍色の目を持つ彼は、白狼の獣人だった。
そう、獣人である。
『魔装石のアルカディア』にも、この世界にも獣人がいた。
だが彼らも人類として数えられているし、なんならエルフやドワーフもこの世界やその酷似したゲームでは人類として分類されている。
一般的な人間……純人間……と違うところを上げるとすれば、外見や数、寿命が種族によってそれぞれ異なるというところだろうか。
その中でも獣人は人口が多く、寿命も純人間と同じレベルだ。
彼らは明らかに獣の特徴を持つ外見をしているが、その程度は個々人によって異なり、耳やシッポだけの者も居れば、頭から足まで全て二足歩行化した獣のような外見の者も居る。能力も動物の種にある程度影響されているので、純人間とは違う生活をしなくてはならないこともあるが、コックス領で暮らしている獣人たちは概ね上手く適応して生きているといっていいだろう。
リックスはそんな獣人たちの中でも耳も尻尾もマズルもしっかりある完全獣型の獣人のようだ。
後学のために彼のような王都の獣人に、どんな生活をしているのか聞いてみたかったのだが、ここに王族がいる以上、優先するべきはそちらなのですぐに切り替えることにした。
「案内をつかまつりましたミクリオ・コックス辺境伯爵が娘、エステル・コックスでございます。殿下、ご滞在の期間、要望がありましたら何でも申し下さいませ。精一杯励ませて頂きます」
「では、私のことは是非名前で呼んでください」
「感謝申し上げます。私のこともエステルとお呼びください。ラウレンティーナ様」
「ええ、エステル。よろしくね」
基本的に、王族が名前を殿下呼び以外で許す、ということは友好の意志の表明でタメ口で貴方とは話したい、という意味だ。
勿論、貴族側から王族にタメ口をきくことは例外を除き殆どないが、この時点でコックス辺境伯爵とその一家は王族に懇意にしても良い相手として認められたことになる。
回りくどいことだが社交界、とはこんなことが常習の悪く言ってしまえば面倒なしきたりの多い場所なのだ。
ひとまず、問題なく挨拶も済みそうでエステルもホッとした。
流石に神託のように、初っ端から殺気を向けられるようなことはないようだ。
できればこのまま穏便に行きたいし、エステルの部屋には入らないままお帰り頂きたい。
そんな風に余所事を考えていたのがいけなかったのだろうか。
「では早速、この領地の田園について教えてほしいので、馬車にお乗りになって!最北の田園まで移動しますわ!」
「え゛っ」
あっという間に御者もいない馬車にマリーと共に乗せられ、気づいた時には屋敷の敷居を離れ窓の外には農村地が広がっていた。
(えぇぇぇぇぇぇっ!!?こっちが予定してたスケジュール、完全に丸無視されたぁぁぁぁぁっ!!!
てか、屋敷の案内とか滞在場所の案内とかが先じゃないの?!長旅でお疲れでとかじゃないの?!
よりによってこのどデカい領地の最北の田畑までってどんだけ体力有り余ってんの、この王女様!??!!)
言葉に出すことはなかったが、そこはエステル。心の中で思う存分ツッコんだ。
コックス領、辺境というだけあって領地の周辺は険しい山岳や谷になっており、都心に走る道など領地を抜けて長い悪路を行かなければならない一本道のみ。
道中は明らかに危険な場所もあるし、そうでなかったとしても王城のある都心から辺境まではかなり距離がある。長丁場な旅路であったことに違いないのだ。
それなのに、ラウレンティーナは寧ろ生き生きとした表情で窓の外に映る農場を見ている。
このコックス領、領土だけは他領の二倍ないしは三倍近くあるのではないかと言う広さで、最北の田畑まで二時間以上は移動しなくてはいけないというのに……。
凡そ、お姫様のしていい体力ではないだろう。
そんな風に色々と衝撃的すぎて諦観気味に黄昏ていたエステルだが、その心境を察したのか護衛のリックスが詫びを入れてきた。
「申し訳ございません。なんというか、姫様は大分奔放な方でございまして。お付き合い頂けると幸いです」
「あ、左様でございますか」
どうやらこの自由さがデフォルトらしい。
王族なのに、社交界や絵画ですら姿を拝見したことが無いわけだ。
ラウレンティーナ・サンドール・ウィクリフは深窓の令嬢である。
社交界にはほぼ顔を出さず、その噂だけが独り歩きしているような状態で、やれ絶世の美女すぎて王様が適齢期になるまで隠しているんだとか、はたまた実は妾の子であるが故に存在を認知されておらず、不遇の扱いを受けているのだとか。
どこの転生令嬢モノなのかと思わないでもない話が飛び交っていた訳だが……その実、美しすぎてと言われた方が納得ができる容姿と、その外見とは裏腹にあまりに活発すぎる性格から、まあ隠されても仕方の無いことかもと思わずにはいられなかった。
「まあまあ、楽しければいいじゃない」
そんなエステルの考えなど露知らず、あまりにも美しい微笑みを称えながら、そんな能天気な言葉を返され、最早何も言うまいと思わず出そうな溜息を飲み込んだ。
その油断が命取りだった。
「周りが私に振り回されてるのなんて、と・く・に!
私が愉快で楽しいんだから!!!」
「それは計画的現行犯なんよ!最早ただの性癖ドSなのよ!!」
(あ)
マリーの呆れたような視線がエステルに突き刺さる。
ラウレンティーナもリックスも目を丸くし、侍女のティナですら目を閉じたままどこか驚いた顔でエステルの方にその顔を向けていた。
(や、やっちまったぁぁぁぁぁぁっ!!
つい王族にツッコミ入れちゃったって何してんの私!!これマジで不敬罪あったりする!?失礼なこと言った自覚はあるけど!!ヤダよ、王族に対してツッコミ入れたなんて理由で罪に問われるのも家に迷惑かけるのも!!!)
冷や汗がドッと出て、背中にダラダラと流れるのが止まらない。
言い訳をさせてもらえるなら、エステルだってこんなはずではなかった。
相手だって王族なのだ。いくら深窓の令嬢だろうと、もう少しお淑やかで配慮と礼儀に精通した、それこそこちらの態度だけ気をつければいい相手だと、そう思っていたのだ。
それがまさかのこちらの予定ガン無視からの、きらびらやかな絶世の笑みから出たとは考えられない、人の事情を掻き回すのを楽しむなんていう性癖の、王族としても令嬢としてもちょっと……いや大分待ったな人物が来るとは思わなかったのだ。
エステルとしては身内のとんでも振りを見ている気持ちになって、いつものようにツッコんでも仕方がないではないか。
そもそも一般的な令嬢は身内にツッコミなんかしない?それはそう。
取り繕ってもいられず絶望顔を晒すエステル。
だが、そんな彼女のどんよりとした空気を切り裂いたのは、一つの笑い声。
「アッハハハハッ!!!何ですかそれ、アンタ、さっきまでより余っ程面白いじゃないですか!!」
そう、目の前の王女様である。
心底面白そうに、腹を抱えて笑うラウレンティーナは、どこをどう見ても絵画から飛び出てきた美女には見えず、寧ろどこか少年らしさを感じさせるような気さえする顔をしていた。
そしてエステルは、何故か既視感のある引っかかりを覚える。
(あれ?この笑い方って……)
それはいつかの前世で聞いた、笑い声。
画面越しに、あのキャラクターが心の底から楽しい時にだけ使う、特有の笑い方が脳内に駆け巡る。
そう、あのキャラクターは……。
「ガラルド・サンドール・ウィクリフ?」
「えっ?」
言葉は一つだったが、音は二人分聞こえた。護衛のリックスと、侍女のティナだ。
マリーですら、声こそ発さなかったものの、信じられない視線をエステルに向けている。
だが、エステルの目の前にいる彼女……否、彼だけは違った。
アーモンド型の涼やかにつり上がった目を少し丸くした後、次の瞬間にはそれこそ面白いものを見つけたように、美しい顏がうっそりとその口に弧を描いて、どこか悪どく微笑んで見せる。
そして、こう言った。
「はい。貴方の婚約者のガラルド・サンドール・ウィクリフです」
聞き心地の良いアルトボイスがテノールにその音域を変えていき、麗らかな少女から艶を帯びた青年の声に変わっていく。
涼やかだったはずの目元も鋭さを増して、女性と言うにはあまりにも力強く鋭利な目つきが、エステルを捉えた。
「では、何故俺が妹のラウレンティーナではなくガラルド本人だと気づけたのか、是非ともお聞かせ頂きたく。田園につくまで話し合いをしましょうか、婚約者殿?」
それこそまるで刃物がエステルの喉元に突き立てられているかのように、剣を含んだ声が馬車に響き渡る。
先程までいた絶世の美女はそこにおらず、虎視眈々と獲物は逃がさないと言わんばかりの圧を放つ、狩人だけがここには居た。
そうしてエステルは漸く気づく。
通常、否、通常どころか非通常だろうが、ただの視察ごときで第二王子が第一王女に扮してコックス領に来るわけが無い。
つまり、これは何かとんでもない理由が背後にあるということ。
そしてここは、王家の馬車の中。つまりガラルドのテリトリー、そのど真ん中である。
藪蛇とは、つついてしまうから藪蛇と分かるものだと、誰かが言っていた。
今度は別の意味で冷や汗が止まらない感覚を上の空で感じながら、エステルは息を飲みこんだ。
そして、とんでもなく大きな藪蛇を今しがた自分がつついたことを自覚しながら……これからそのとんでもない理由に自分が巻き込まれていくのを予感したのだった。
ーーー
「成程、『魔装石のアルカディア』……ですか」
「……はい」
結果的に、前世的な部分は全部吐かされた。
半ばパニックになっていて拙い説明だった上に、マリーの何言ってんだこいつと言わんばかり目を向けられながらの問答は中々応えたエステルだが、そこは王族の命令。絶対である。
しかし、質問していたラウレンティーナ、改めガラルドは興味深そうに顎に手を当ててリックスを見ていた。
それを受けてリックスも頷いているが、それが何を意味しているのかエステルには分からない。
だがそれは、ガラルド本人の言葉によってすぐに解消されることになった。
「貴方の言う所の前世に、動画サイトなどは存在しましたか?」
大分、前世の記憶に既視感のある言い方だったが。
「アキ●ーター?」
「いいから答えろ」
「あ、はい」
ついでに出たツッコミは、彼のドスの効いた声と圧によって封殺された。
「いくつか存在しました」
「では、その中のメジャーな動画サイトにて、ゲーム実況などを収益化して生計を立てているような職業は存在しましたか?」
「してましたけど……まさか……」
「はーい。俺は、過去に某動画サイトにてゲーム実況で生計を立ててましたゲーマーの記憶持ちデース」
「いや衝撃的真実の暴露かっるぅぅぅぅぅぅっ!!!そんなフランクに前世暴露ってするものだったけぇっ!!?」
まさかの事実である。
この第二王子、女装でドSで前世持ちだった。
要素爆盛り過ぎてもはや過剰だが、どうやらそれがエステルの婚約者であるらしい。
「うん、大丈夫。悲しくなんてない!」
「突然何言ってんですか、頭湧きました?」
「誰のせいだとお思いで!?」
また流れるようにツッコミ返してしまったが、ガラルドは最早エステルのツッコミには驚かないようだった。
それどころか、そのまま会話を続けるようだ。
「まあ、いいです。ところで、貴方は地球の会社員とコックス領のエステル嬢、どっちですか?」
「?コックス領の辺境伯爵の娘のエステルですけど?」
「そうですか、俺自身も自分はユートロピア王国の第二王子、ガラルド・サンドール・ウィクリフだと思っています。因みに、前世の死因とかは分かってます?」
「……いや、そう言えば死んだ時の事とかは全く記憶にないかも。『魔装石のアルカディア』をしてた周辺の記憶がしっかりある、みたいな感じで」
「では、そこも俺と同じですね」
納得したような表情のガラルドに比べ、エステルと言えば今更その違和感に気づいたので、頭を悩ませるばかりだ。
よくよく思い出してみれば、『魔装石のアルカディア』の設定はゲームを熱中してやっていた時のように鮮明に思い出せるが、前世の家族や友人、それどころか過去の自分の名前すら朧気で誰なのか分からないことに気がついた。
その反面、触れてきた作品、アニメやゲーム、ライトノベルなどは仔細には思い出せずとも、割とすぐこんな内容だったなと把握ができる。
転生にしては大分変な記憶構成ではないのだろうか?と、前世の中で転生モノの小説や漫画を見てきたエステルは、その時漸く疑問に思った。
「多分今、貴方も同じ結論に達したと思いますが、俺たちのこれは多分前世の記憶ではない何かです。その当時、自分が何をしていたのかという情報はあれど、個人情報や詳細な過去の体験等はない。思い出せるのは、その人物が特化していた情報のみ。けれどこれまた不思議なことにある一定時期の、この世界に酷似した『魔装石のアルカディア』をやっていた記憶だけはその人物の当時の記憶を丸々コピペしたように二人して鮮明に残っている」
「つまり、私たちは転生とか後世とかではない?」
「恐らく。脳領域に『魔装石のアルカディア』と言うゲームをしていた人の記憶を直接焼き付けられたこの世界の住人、と言ったところですかね」
つまり、エステルとガイラルトは身も魂もこの世界の者であり、異世界の人間の記憶だけが貼り付いただけの実際の地球とは全く関係のない人間、とそういう事だ。
「……転生ではない異世界の記憶だけのコピペ?それって意味あるの?」
転生モノの相場と言ったら前世チートだったり転生特典のチート能力だったりする訳だが、ただの記憶だけがある、とはまた中途半端な設定だ。
否、前世を覚えていたとしてもチートが出来るような完全な知識は恐らく持っていなかっただろうが。
異世界の一部の記憶があるだけというのは、そのメリットが分からない上に、この世界がゲームとしてプレイできたというその記憶は、色々拗らせそうでエステルとしては寧ろデメリットの方を強く感じた。
「……どうやら、婚約者殿は考え方が固いようで。そういう時は見方を変えるんですよ」
「見方を変える?寧ろゲームとして考えるってこと?」
「はい。ゲームという媒体はプレイヤー側に神視点で登場人物のある一定の未来までの追体験を齎すものである、という風にです」
ゲームをプレイする。チュートリアルで大まかな戦闘や世界観について学ぶ。そして先に進む事に大まかな未来について、主人公、またはその他のキャラクターの視点にて、物語として体験する。
これは、この世界の住人には出来ないプレイヤーだからこその観点だ。
自分以外の立場の者を客観的に操作し、得た知識と体験というのは、それこそ神の視点といっても良い、主観の入り混じらない純粋なデータである。
「そう考えると、俺たちはこの世界において世情に左右されることなく行動できるメリットが生まれてくる訳です」
「確かに!食べ物とか武器とかの相場なら、吹っかけられても全然対応できるって自信がある!!標準価格分かってるって便利!!」
「……思ったより大分庶民的なのが出てきましたけど、その認識で納得できるなら、一先ずはそれで構いません」
流石第二王子、頭が良くて話を主導するのが上手い。
それにどうやら記憶主が配信者だけあって、ガラルドは発想力やトーク力について理解のある人物のようだ。
一方エステルの記憶主は、なんというかかなりオタク特化な人物だったのだろう。
その記憶も漫画やラノベ、アニメ以外のことは夢とか百合とか薔薇とか正直、この世界を生きる貴族にとって微妙な顔をするしかない知識が大半を占めている。
それに片や配信者、片やオタクな会社員。極めている分、前者の方がこの世界でも役に立ちそう感が半端ない。
なんとも言えない敗北感を微妙に味わったエステルであった。
そんな風に、本題では無いところでほんのり傷つきつつ、自分が個人的に気になった部分についてエステルは話を進める。
「ところで、ゲーム以外の……記憶主の名前とか家族とか他の情報が曖昧な理由は何か思いつく?」
「それはあれじゃないですか。コピー領域と貼り付け領域のサイズが違うため、エラーが発生しました」
「弾かれたってこと?」
「まあ、地球の常識とこの世界の常識はかなり違いますからね。人体構造も似てるようで非なるものとして、この世界にとって不必要なものは上手く表示出来なかったんじゃないでしょうか」
有り得なくはない考察である。
そもそも地球で魔法は架空のものでしかないし、精霊や神の存在性も地域によって解釈が様々だった印象の記憶がある。
この世界では魔法が生活の一部として存在するが、地球では科学が主流であったことからも、その違いというのはエステルが考えているより遥かに大きいのかもしれない。
「因みに、今まで話って根拠はあったりするの?」
「根拠はありませんが、俺の記憶は十年前からです。それにも関わらず、この記憶に一切の欠けも更新もないんですよ」
「成程……てか、十年前って九歳の頃?記憶との年齢までチグハグで大変じゃなかった?」
「お気遣いどうも。まあ、少しはありましたが、それ以上に王子としての人生の方が忙しかったので言うほど気になりませんでしたよ」
気になって根拠を聞いてみたが、まさか別の衝撃が返ってくるとは。
エステルは十六に今年なったところだ。この世界で言うところの成人年齢が低いこともあり、記憶主の女性とそれほど差異は感じなかった。
だが、ガラルドは今年十九歳を迎えたばかり。
その十年前の九歳となれば王族と言えどもまだ子供の頃のはずだ。本人は言うほどとのことだが、相当大変そうである。
けれど、王族の暮らしを詳しくは知らないエステルが、どれほど王子としての生活が忙しいのかは想像の域を出ないのだ。
余計なことは言わないようにしようと、宥めようとした口は閉じることにした。
すると、思わぬところから剽軽な声が聞こえてくる。
先程までかなり真剣な面持ちだったはずのリックスだ。
「それにしても、本当にラディ以外にも記憶持ちに出会えることってあるんだな!オレ、初めて聞かされた時は、とうとうラディがおかしくなったのかと思って城中駆け回ろうかと思ったもん!」
「え゛っ!?」
にっかりとその大きな口を見せて笑う姿は護衛の騎士と言うよりも少年の面影を残す気さくなお兄さんのようだが、言っていることはとんでもない。
本当に城中に言いふらしていたとしたら、リックスは不敬罪として処罰されても仕方ないし、よしんば信じてもらえたとして、今度はガラルドが精神を病んだとして表舞台に立てなくなる可能性が高い。
非常に危険な行為だったのだが、言い触らされそうだった本人はあっけらかんと乾いた笑いをして言った。
「大丈夫です。その前に顔面殴り倒して気絶させたんで」
「何にも大丈夫じゃないよ!?寧ろ暴行事件起きてるよ!!てか止める方法物理かよ!!護衛を護衛対象が気絶させちゃダメでしょうが!!」
「おー、ラディ。お前の婚約者さん、本当に面白いね」
「よかったですね、褒められてますよ」
「何処が!?なんにも嬉しくないんだけど!?」
どうやらこの主従、リックスがラディというガラルドの愛称を使っていることからも、旧知の仲であり気の置けないこの距離感が本来の関係性らしい。
ガラルドがゲーム内でも無法なのは知っていたが、その護衛もとい従者までこんなお気楽な態度であると誰が思うか。
そもそも誰が面白いか。
それを一般的な令嬢がどう喜べと言うのか、是非ともお伺いしたいところである。
「お嬢様、どうせお嬢様はツッコめばツッコむだけ愉快なことには変わりないので諦めた方がよろしいかと」
「マリィィィィィッ!!ここでの開口一番がそれ!?せめて私のメイドだけは私の味方であれよ!!」
だがそこでまさかの伏兵、メイドのマリーである。
人様の従者のことを言っている場合ではなかった。エステルのメイドも相当である。開口一番、主人を貶すとは失礼にも程があるだろう。
どうやらここにはエステルの味方は居ないらしい。
そもそも王族の前でその口調はいいのだろうか。エステルが言えたことではないのは重々承知の上で、ほんのりそう思った。
だがしかし、やはりそこは無法者のガラルド。
エステルとマリーを見て、寧ろ楽しそうに口角を吊り上げると、満足気に手に顎を載せた。
「本当に、アンタたちは予想以上に胆力のあるタイプの人間みたいですね」
「何故だろう、とても嫌な予感がする」
「これならこっちの事情に巻き込んでも問題ないですね!」
「あ、これやっぱりこっちの言い分は聞いてくれないやつなのね!」
「今更逃げれるとお思いで?」
「あ、はい」
流石王族、一般貴族の言うことなど容易く潰せる。そこに痺れもしなければ憧れたくもないけれど。
罠にかかったウサギよろしく、エステルに拒否権は無いのだ。
仕方がないと諦めて、話を聞くことにした。
「では、早速ですけど。
二週間前、うちの妹のラウレンティーナに、暗殺の予言がされました」
「サラッと打ち明けられるには荷が重いっ!!!!」
まさかの王族殺しの予言である。
因みに予言とは王家のお抱えである神官と言った存在が、受けた神託を王族に対して進言する場合に使われる言葉で、女神から授かった未来予知という意味では神託と違いはない。
一般人が受け取った神託とは段違いに、優先されるのが予言というだけだ。
なにせ王家が直接雇うほど、聖なる力を持った者が賜う神託なのだから。
それがまさかの第一王女暗殺の未来。
どう考えても辺境伯爵家の令嬢でしかないエステルとそのメイドのマリーに聞かせるには、荷が勝ち過ぎている。
そもそもそんな予言がされている第一王女がコックス領に視察に来る理由も分からなければ、その替え玉として兄の第二王子が変装してくる理由もわからない。
「あっ、もしかして情報撹乱の為に王女様はこっちに居ることにして、本物は王家で厳戒態勢を敷いてるとかそういうやつで?」
で、あれば女装の理由も分かるし、エステルたちも最低限の協力で済むかもしれない。
だが、そんなエステルの希望を打ち砕くようにガラルドが言った。
「いえ、本人もこっちに来てます」
「衝撃の真実二度目ぇぇぇぇぇっ!!!ご本人様もこっちに来ちゃってるの!?何処に!?」
エステルの悲鳴のようなツッコミに応えるように、手を挙げたのはもう一人のメイド服を着た薄桃色の少女。
ずっと黙ったまま、そして目を閉じたまま大人しくしていた十歳ほどの、侍女と紹介されていたティナである。
そう、ラウレンティーナ第一王女の愛称の一つであるティナと、同じ名前。
それが指すことはつまり……。
「はーい!ワタシが本当に視察に来たラウレンティーナ・サンドール・ウィクリフこと、通称ティナです!!よろしくね、エステルさん!マリーさん!!」
パッチリと開けた目は茜色に月のように光る金色の瞳。
にっこりと満面の笑みで元気に自己紹介をする第一王女が、そこには居た。
(流石王子、王女様だー。まぶしー)
天真爛漫に笑う姿はとても愛らしく、ガラルドが絵画から出てきたような芸術的な洗練された美と称するなら、本物のラウレンティーナ本人は春を彷彿とさせる大輪が咲き誇る華やかな愛らしさを含んだ美だろう。
兄妹揃って美人とは、これが王家の血筋なのだろうか、それとも異世界でキャラクターに抜擢されるほど美しい容姿を持った家系ということなのだろうか。
などと脳死気味で現実逃避をするエステルだったが、そうは問屋が卸さないのが現実というものであって、その思考はマリーの手刀によって打ち切られた。
「ぐふっ!」
「お嬢様、お気を確かに」
「……後頭部を的確に叩くのやめてくれる?別の意味で意識飛びかけたよ?」
「大丈夫?エステルさん」
「ありがとうございます。ラウレンティーナ様。ところで、どうして貴方様までこちらに?」
心配そうに駆け寄ってくれたラウレンティーナだったが、エステルの話し方が何処か気に入らなかったのか、その頬を分かりやすく膨らませる。
どうやら兄と違って、彼女は見た目相応に幼い性格をしているようだった。
「名前長いし、ティナでいいよ!あと、お兄様と同じようにタメ口で話して!」
「…………まあ、この面子だけでなら」
「よろしい!」
ふくふくと満足そうに笑う彼女には、先程までの寡黙で粛々とした侍女らしい面影はなかった。
と、言うより王女らしい気品も感じられず、普通の少女という方がしっくりきてしまう。
困惑したように目を瞬かせるエステルの心情を察してか、ガラルドが口を開く。
「こんな調子で、まだまだ淑女教育も進んでない妹なんで、表に出す時には色々と大変なんですよ」
「……第一王女って、今年十八歳だったような」
「色々あるんですよ、色々」
どうやら、理由は黙秘ということらしい。
エステルとしても王族の秘密を暴いてこれ以上の藪蛇をつつきたくはないので、気にしないことにした。
「と言うか、それなら何でティナ様「ティナ!!」……ティナをコックス領に?王城の方が王家直属の騎士団や魔法師団も居て、安全なんじゃないの?」
途中でラウレンティーナに口を挟まれつつ、エステルが尋ねたことは最もな意見だ。
コックス領は辺境領というだけあって、別に兵がない訳では無い。
だが、それでも王家が抱える軍隊ほど兵力がある訳ではない。
ユートロピア王国の主戦力と言えるその軍隊は、いざと言う時の国防の要だ。
剣術、武術、魔術のあらゆる精鋭を集め鍛えられた部隊が、国王に統率されている訳だが、その権威は隣国の戦力を二つ併せても余りあると囁かれている。
それが王家のある首都、オーデンにあるサンドール城の王国軍だ。
視察に来る道中の危険性も加味して、王城の方が余程安全であるのは、言うまでもないこと。
けれど、ラウレンティーナはコックス領に来ている。
つまり、王城には居られない何かがあったのだ。
エステルのその考えに首肯するように、ガラルドは答えた。
「暗殺の予定地は城内です」
「……城内」
まさかの城そのものが暗殺の舞台だった。
ガラルドは尚も続ける。
「加えてうちのお抱えの神官が何度ティナの暗殺回避を神託で募ろうとしても、城内暗殺と言う未来を託されてしまうんですよ」
「……つまり、王城に他国の内通者が?」
「多分、そういう事でしょう。しかも、その内通者のことはどれ程神官が祈っても女神は神託を出さず、期日は二ヶ月以内。その期間中、王城でティナはずっと命を狙われることになる」
「迷惑なことだよね!まったく!」
プンプンと怒るティナに緊張感が足りないこと以外は深刻な内容に、エステルは思わず渋面を浮かべる。
そして気づいた。
今回の視察の期間が、丁度二ヶ月だったということに。
「じゃあ、ティナを守るために視察の名目で他領に逃がしたってこと?でも、何でうちの領に?」
「それは…………あのバカ王がそんな危機的状況下なのに俺とアンタの婚約を結んだことの公表ばかりか、そのお祝いにとお祭り騒ぎで王城に人を呼び込もうとしたからですよ」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!!嘘でしょっ!!?」
父親をバカ王呼ばわりもすっ飛ぶほどの驚きである。
何で、わざわざ内通者どころか暗殺者を招くようなことを始めてしまうのか。
「残念ながら本当なんですよねぇ、これが。おかげでティナを逃がす場所を一から探す時間もなければ、人員を割くことすら出来なかった。手っ取り早く理由がすぐ用意できるコックス領に来る手筈を整えて、俺とリックスが護衛として、ティナの影武者も俺が兼任して……そうやって最低限の警備を整えるのが関の山でしたよ」
心労察して余りある惨状である。
そして、どうして国王とミクリオの気が合ったのか、何となく分かった気もした。
否、そんな理由なら分かりたくはなかったけれど。
「……でも良かったの?ガラルドの為のお祝いの席でガラルドまで居なくなって」
「ああ、それはバカ王に対しての嫌がらせなので特に問題ありません」
「問題しかないけど、何だかもう疲れたから本人がいいならそれでいいや」
エステルの許容範囲を既にゆうに超えた話に諸手を上げて倒れ込みたいくらいだ。当然、ツッコミも放棄した。
お嬢様がツッコミを放棄するなんてというような視線をマリーから向けられたが、度重なるツッコミ疲労からかエステルが気づくことはなかった。
「それで、エステルさんに頼みたいことは理解して頂けましたか?」
「このことは秘密にしたまま、ティナの安全確保に協力しろってこと?」
「はい。ついでに、ティナの最低限の身嗜みも手伝っていただきたく。俺は見ての通りこの姿を保たなくてはいけないし、リックスに手伝わせる訳にはいきませんから」
「嫁ぎ前の王女様だもんね。しかと拝命しました」
「よろしい。引き続き暗殺に関してはこちらでも調べますが、エステルさんも万が一に備えて警備は固めていてください。婚約者殿に何かあっては、俺も気が気ではないので、ね」
ニッコリと笑ってそう言うガラルドだが、とても言葉通り心配しているとは思えない。
だがしかし、ふと『魔装石のアルカディア』に登場するガラルドについての設定が頭を過ぎり、その内容に微妙な顔をしつつもエステルは今更納得した。
(そう言えば、ゲームでのガラルドの公式設定も……ドSだったな)
つまりこの第二王子、エステルの疲労困憊する姿を見て楽しんでいる、とんでもない婚約者だった。
どうせ会うのはまだ先だと思って、仔細に思い出さないようにしていたらこれである。エステルの人生はとことん思ったようにはいかないらしい。
「それでは、堅苦しい話はこれまでにしましょうか」
「あ、やっと終わる?少し休んでもいい?」
「何言ってんですか。寧ろここからが本番ですよ」
「は?」
訳が分からない、と言った表情を隠しもせずに首を傾げたエステルに応えるように、馬車が止まる。
そう、ここは馬車の中なのだ。そしてエステルたちは、最北の田園に向かって屋敷を飛び出してきたのだった。
「さあ!馬車を降りる準備をしてください!早速北の農業についてご高説頂きますよ!」
晴れ晴れと令嬢の皮を被って手を差し伸べるガラルドに、意気揚々と立ち上がるラウレンティーナと慣れたように苦笑いで追従するリックス。
何かを察したように準備をし始めるマリーを横目に、エステルは心の底から叫んだ。
「いや結局視察もするんかいっっっ!!!!!」
そしてはたと、一週間前の『神託』を思い出す。
あの夜に見た殺気に満ちた令嬢を『神託』で見た時は、自己紹介の時の言葉通り、彼女をラウレンティーナだと思っていた。
だが、実際に瓜二つなのは女装したガラルドの方である。
つまり、エステルの部屋でエステルを殺すのはガラルドであるはずで……。
(あれ?もしかして私、婚約者に殺される?)
結論としてはそうなる。
だが、ただでさえ王女に殺されるのも謎だったのに女装した王子に殺されるとはこれ如何に。
混沌も混沌な状況に、エステルの思考は暫し固まった。
だが、そのまま呆けているのを許してくれないのが婚約者様な訳で。
「あら?エステルったら変な顔して呆けてどうしたの?そのただでさえ平和ボケしていそうな知能がお猿さん以下に見えるわよ?」
「お嬢様言葉でも誤魔化しきれない悪口!!」
「貴方も普段は言葉遣いに気をつけてね?出ちゃいけないものが出ちゃう」
「それは手とか足とか物理的なものでございましょうか??」
「さあ、まずは田畑の水捌けの様子から説明してくださる?」
「無視なさらないで……!」
結局、今日も今日とて神託についてろくに考える時間を与えられないまま、仕事を全うすることになったエステルだった。
早速問題が豪速球でやってきました。
今作のヒーローことガラルドと、今作のヒロインことラウレンティーナになります。
エステルは主人公なので、ヒーローとヒロインが別個に登場している、とそんな感じで次回に続きます。




