第十四話
暴露回。
「これが、僕がやったことな訳だけど、納得はしてもらえたかな?」
「ええ。それはもう、十分すぎるほどにございます」
ティーカップの紅茶が冷めた頃に、ミクリオはそう言って言葉を締め括った。
それにいち早く返事をしたのはレオナルドで、彼は特に動揺した様子もなく言葉を返すと冷め切った紅茶を飲み込んでいる。
だが、エステルを含む他の全員はそうもいかなかった。
「せ、『精霊の加護』って……マジ?」
リックスが堪え切れないと溢した言葉に、エステルの口角が引き攣る。
国宝級の、盗まれれば国の財産が傾くほどの代物が何故、コックスにこんなに集まっているのかとは思っていた。
だが、まさかこんな返答が返ってくるとは思ってもみなかったのだ。
コックスの歴代領主は、本人が選択したものに対して一度きりに限り『精霊の加護』を齎すことが出来る。
それはつまるところ、コックスという土地そのものが、他国に知られれば侵略対象待ったなしの、金の成るどころか金塊の成る土地だということである。
「嘘でしょ……」
今日一日でエステルはどれだけ驚いたのかわからないが、絶対にこんな風に詰め込まれるようにして教えられるべき情報ではないことだけは確かだった。
「大体は領主継承の直前に、何かしら思い出の品を決めてチャチャーっとやっちゃうものらしいから、今代は歴代領主に比べたら大分有意義に使えたんじゃないかな?」
「いや、うちの先祖もお父様もなんか色々軽すぎるわ」
だが、そんなエステルの内情を知ってか知るまいか、呑気にアハハーと笑っているミクリオは終始抜けたような雰囲気を醸し出していた。
「えっと、コックス辺境伯爵?それ、ワタシたちが聞いても良い話だったの?」
それでもあまりにもあっさりと、コックスの中でも最上機密といってもいいだろう情報を話したミクリオに、心配が勝ったのだろうラウレンティーナがそう尋ねた。いい子である。
しかし、ミクリオはそんなラウレンティーナを慈しむようににこりと笑うと、こう答えた。
「大丈夫ですよ、ラウレンティーナ殿下。信頼あって、お話をさせて頂きましたから」
だが、その台詞に思わずエステルが反応した。
「えっ???何でティナのこと分かるの、お父様???」
確かにラウレンティーナは、今お仕着せは着ているものの目は閉じていない。
その王族の証である茜色に金色の瞳の目はバッチリ見えている訳だが、それだけでラウレンティーナだと確信できるはずもないのに。
それに表向きのラウレンティーナの年齢は十八歳だ。十歳未満にしか見えない彼女をもって尚更本人だと確信することは尚更できないはずだが、ミクリオはそうだと既に知っているような口ぶりだった。
エステルが疑問に思って質問すれば、寧ろその質問が意外だったと言わんばかりに首を傾げたミクリオは、だってと口を開く。
「エステルがラウレンティーナ殿下の為に用意してた櫛に使ってた香油の匂いが、彼女からしてたから」
「はっ!!!!」
「って言うか、多分主導はガラルド殿下だと思いますけど、本当に隠す気はなかったでしょう?」
「えっ!!??」
盲点だった。
まさか香油の匂いでバレるとは。
だが、それ以上にミクリオの続けた言葉にガラルドの方を向けば、そこには驚いた風もなく紅茶を啜っているガラルドがいた。
紅茶を飲み終わった彼の言い分はこうである。
「そりゃあ、流石に勝手に令状もなく避難しに来てるからな。要人くらいは共有しとくさ。いざと言う時はティナを匿って貰えるし、何か起こった際には知らぬ存ぜぬ、でもよかったしな」
「と、言うか普通に我が家の廊下で堂々と騒がれてましたよね」
「寧ろあんなガバガバで何でバレないと思ったんです?」
「あれっ!?これ私が責められる流れ!?」
心底呆れたような目でエステルを見るガラルドに、物申したいのはこちらの方だ。
何のために秘密保持をこれでも頑張ったと思うのか。否、勝手にやったことではあるのだが何だか納得がいかないエステルである。
「改めて、命令を伺っても?」
「城内王女暗殺の予言がなされた。全てが終わるまで、この領地で変装したラウレンティーナを保護し匿え。それ以外のことは、貴方は何も知らない」
「拝命しました」
だが、そんなエステルの不満もそっちのけで、ガラルドとミクリオは事務的にそれぞれの役職を全うし始めていた。
エステルの存在が無視されて悲しいとか、そんな訳ではない。ないったらないのだ。
そんな風に不貞腐れているエステルは気が付かなかったが、この際にガラルドがミクリオに命じたものの中には『変装したラウレンティーナ』の名前しかなく、ガラルド自身も自分を保護するように命じることはなかった。
つまり、ガラルドがこの地でどんな損害を負ったとしても、そもそもガラルドはコックスに来ていないのだからコックス辺境伯爵家はその責任を負わないと言外に伝えていたのである。
そんなことを当然だと言わんばかりにするガラルドを見て、仕方がないと落ちる溜息が一つ。否、二つ。
リックスとマリーがお互いの溜息に驚いたように目を合わせると、それだけで相手が何を考えているのかをそれとなく察したようで、二人は何も口には出さなかったが確かめ合うように頷き合った。
ずっと傍で渡り歩いてきたリックスも、ついさっきガラルドの過去を聞いただけのマリーも……ガラルドと言う人間は、どうしようもなく無自覚で自分を犠牲にしてしまうようだと気づいていたので。
こういった輩は、どれだけ口で言い含めたとしても中々改善が難しい。
自身を懸けることで得られる安堵の方が、彼を想う人の忠告の言葉より大きいのだ。生き方をすぐ変えるのはどんな手練れでも難しいのだから、それは今ではなく生活の中で追々変えていくしかない。
そうであるならば、そんなどうしようもない彼が自覚し改められる日が来るまで、勝手に手を貸す人間がいたって構いはしないだろう。
(お嬢様の婚約者であらせられますし、早死は困りますからね)
つれない態度のメイドは、その表情を少しだけ和らげてそう思った。
ーーー
「そう言えば、解呪した?方法は聞いたけど、その後ジャスパード陛下ってどうやって王都まで戻られたの?」
別の情報に気を取られすぎて、肝心の話の続きが宙ぶらりんになっていることに気づいたエステルは、改めてそう口を開く。
だがそれに答えたのは、大体の話をジャスパード本人から聞いていたのだろうレオナルドの方だった。
「それは私めが説明させて頂きます」
それは王が消息不明になってから、数ヶ月後の出来事だった。
突如、国王謁見の間に魔法陣が現れたかと思うと、そこには件の消息不明だった国王が、ボロボロの衣服を纏ったまま片膝をつくようにして佇んでいた。
敵襲かと身構えた護衛たちも、その姿に割れんばかりの歓声をあげていたが、それを止めたのは第一王子その人で、まずは休養が必要だとして王を寝室へと連れていくように命じたのだ。
恐らくだが、この命令の本当の指示者は、ガラルドその人にによるものだったのだろう。
王の狂乱を知っていたガラルドは、寝室に運ばれたジャスパードの護衛を買って出ると、母に医者を呼びに行かせ、その他の寝室に居た者たちを全員退出させた。
ジャスパードとガラルド、紛争のあの地から両者が再会を果たすまで、僅か数ヶ月。
その期間をジャスパードは長かったと思っているし、きっとガラルドは早すぎたと思っていただろう。
それほどまでに、恨まれることをしたと……その当時のジャスパードは、嫌という程に分かっていた。
呪刻は取り除かれたが、ジャスパードは自分がしでかした全ての出来事を、自身の罪を覚えていた。
今思えば、何故自分があんなことをできたのか、することを許してしまったのか理解することすらできない。
まるで悪夢が自身を支配しているようだった。
だが、それをもってしても。
とても許されることはない罪を犯した。
そして、あろうことか目の前の息子に、その全てを背負わせた。
父としても王としても、弁解のしようもなかった。
このままガラルドに改めて切り伏せらたとしても、謝罪の言葉を口にすることすら烏滸がましいとされる罪だ。
剣を握り締め、俯く息子にジャスパードは受け入れるように目を閉じた。
だが、その瞬間。
『お待ちなさい、王の子よ』
「……!」
あの森でミクリオの傍に浮かんでいたトレントが、召喚もしていないと言うのに王都のジャスパードの寝室に現れたのだ。
それに驚いたのは、ガラルドだけでなくジャスパードも同様だった。
「何故、トレントが……」
『王の子よ、私は女神より言伝をしに参った。しかと聞け』
思わず声を漏らしたガラルドだったが、有無を言わせぬようにそう続けれれるトレントの言葉に、再び押し黙った。
それを確認したトレントは、続ける。
『王には『呪い』が掛けられており、その『呪い』は王に破滅の衝動を植え付け、その身をもってこの国を破滅させようとしていた』
「……」
『だが幸いにも『呪い』は解かれた。この王を殺してはならぬ』
「……!」
ガラルドが、弾かれたように顔を上げた。
その時ジャスパードは、再会してから初めて息子の顔をしっかりと見たことに気づいたのだ。
彼は、とても泣きそうな顔をしていた。
もしかしたら、ずっとそんな顔をしていたのかもしれない。
ガラルドは生意気だが、責任感のある子で、とても愛情深く……そしてとても我慢強い子だった。
そんな彼が、潤みかけた目を携えて、それでも必死に耐えるように眉間に皺を寄せていたのだ。
そんなことにも気づかぬまま、ジャスパードはまた、息子に全てを背負わせてしまうところであったことにも、漸く気づいた。
何故か自分まで泣きそうになりながら、せめて息子に何か言わなくてはと口を開く。
『しかし、この王の犯した罪は大きい。よって、女神よりその沙汰を言い渡す』
だが、トレントのその言葉によって発しようと思っていたものは音にはならず、口の中に沈む。
沙汰。当然だ。
女神を拝し、女神の思想を受け継ぐべくして統治を任されていたのが、王家の始祖だったのだから。
それを最悪の形で裏切っておいて、このまま何もなく、家族の元に帰るなど、それこそ国を治めるなどと、あっていい訳がない。
自分は大罪人なのだから。
ジャスパードは依然黙したまま、沙汰を待つことにした。
ガラルドもまた、息を飲むようにして、トレントの言葉を待っていた。
そして、告げられた言葉は。
『ジャスパード・サンドール・ハーデス。汝はこの国をこれより十年に渡って治め、いかなる問題、いかなる障害に遭っても、この国の平和を維持し、女神の思想を継ぐ賢王となるように努めなさい』
意外な知らせだった。
「……私は、この国を守る権利を……与えられたのですか?」
とても信じがたい言葉だった。
あれだけのことをして再び王座になど、そんなことがあっていいのかと。
『汝がそう考えるならば、そうとも言える。しかし、別の考えでは汝はこれより先十年、病に倒れようが再び呪いに侵されようが汝は王座に立たねばならず、この国の平和の維持に貢献し続けなければならぬ。それは、王座が汝を縛りつける牢獄となるに等しい』
しかし、トレントは公平だった。
公平なまでに、厳しく、優しい……女神の眷属だった。
「構いません。元よりこの身はこの国の為に生まれ、この国の為に滅びる。その為に、この国に生まれ育まれた命です。
お返しできるなら、それ以上に望むことは、ありません」
ジャスパードははっきりと、そう告げた。
未だ傷は癒えず、寝台に横になるばかりでも、それだけはジャスパードが誓いを立てなければならない言葉だ。
ガラルドは黙っていた。
それはジャスパードの宣言を聞いたトレントの返答を待っているかのようだ。
そしてジャスパードもまた、その言葉を待っていた。
暫しの沈黙の後、トレントが僅かに笑みを見せる。
そして、最後にこう告げた。
『女神からの言伝は以上だ。よく励むよう』
そのまま空気に溶けるようにして、その姿は消えた。
その直後、王妃が医者を連れて戻ってきた。第一王子も王の帰還に騒ぐ城内を一旦鎮静することができたのか、様子を伺いに駆けつけてくる。
ジャスパードはこうして確かに帰ってきた。
罪は消えないし、これからやらなければならないことも山積みだ。
ガラルドが情報操作を行なってくれているはずだが、これまでのジャスパードの行動を見てきた側近たちも貴族たちも居る。
これから先、自分のせいでこの国が荒れることになるのは必至だった。
それでも、帰ってきたのだ。
愛する家族と共に、またこの国を守っていける、この場所に。
確かにジャスパードは、帰ってきたのだった……。
ーーー
「以上となります。ガラルド殿下におかれましても、情報に相違はないかと存じ上げますが」
「ああ。確かにトレントが現れて、女神の言伝を告げていった。あれがなければ、今度こそ親父を殺してただろうな」
確認をとるレオナルドに、さらりと恐ろしいことを言うガラルド。
だがしかし、ガラルドからしたら殺したと思っていた狂乱の父親が帰ってきた瞬間だったのだから、その心情の葛藤は計り知れなかった。
世論を捏ち上げてまで王の汚名を隠したのに、その本人が帰ってきたと言うのだからその心が穏当ではなかったのは確かだ。
「親父が……国王がお前にこの話をしたのはいつの頃だ?」
「それほど前の事ではございません。ラウレンティーナ王女殿下がお目覚めになられた折に、国王陛下より王の知る全てを拝聴いたしました」
「だが、国王の記憶にはコックスの一連の出来事がなかった。だから、お前が確認しに来たんだな?」
「左様でございます」
ガラルドの隙間を埋めるような質問に、粛々と肯定するレオナルド。
そう言われると元々重症だった上に呪刻により意識も朦朧としていたジャスパードだ。
カタロスの森で自身に何が起こったのか分からなかったことだろう。
だが、少なくとも解呪を行なってくれたのがミクリオだと言うことは分かっていた。
そこでレオナルドに全ての顛末を話し、ジャスパードの代わりに事情を聞いてくるようにレオナルドがコックスに遣わされた、とそう言うことだ。
もっと前に聞きにくることが出来たのではないなのかと思わなくもないが、それは王城側の都合なのだろう。
そもそもラウレンティーナが目覚めたのが半年前で、暗殺の予言が約一ヶ月前。
目覚めたラウレンティーナの生活を整える為に試行錯誤している段階で訪れた暗殺の予言に、城内がパニックになるのは想像に難くなかった。
そんなことを考えていると、ふとリックスが気になったようにこう尋ねた。
「そう言えば、なんだけど、陛下に贈られた『精霊の加護』って……人に付けられるとどうなるんだ?」
それは、確かにと思う質問だった。
エステルも知っている『讃礼回祭』などで見かける祭具たちに『精霊の加護』はついているわけだが、いずれも物に付与されていた。
なので何年経っても定期的にメンテナンスすれば壊れないし、楽器のような物なら素晴らしい音色を狂いなく奏でてくれる。
それが人に付与されていた場合、どんな効果を齎すと言うのだろう。
そんな風に思った時だった。
『それは私から説明しよう』
ミクリオのすぐ横に、トレントが現れたのは。
「!!!????」
ミクリオ以外の全員が、驚いて声も出なかった。
エステルも母が呼び出す高位精霊を近くで見たことはあるが、こうして……ミクリオの隣に座っていたのはエステルなのでつまりエステルの横でもある……隣の近い距離に居て、喋る精霊を初めて見たのだ。
(喋ったああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!)
驚きすぎて声は出なかったが、エステルの内心では絶叫ものだった。
しかし、父は慣れっこだと言わんばかりにトレントを見上げると、気軽に話しかける。
「やあ、久しぶりだね。君の方から呼ばなくても来るなんて、珍しいじゃないか」
『領主よ。汝がいつまで経っても取りなしにこないが故、私がわざわざ赴いたのだ。申し開きがあってもよいのではないか?』
「いや、すまないね。でも、君も今の今まで静観していたってことは、事情は知っているんだろう?」
『食えない奴め』
小難しい口調のトレントに、トントン拍子に会話を進めていく父。尊敬すればいいのか羨ましがればいいのか分からない。
だが、少なくとも怒っている訳ではなさそうなトレントは、意外にも自分からリックスの方を向くと、話を戻して説明してくれた。
『して、先程の質問だったな。白狼の子よ、まず先に断言しておくが、王に与えた『精霊の加護』は既に失われている』
「へっ……!?……えっ!!?な、何で!?」
『呪刻の構築された言語を上書きする目的で使用されたから、だな。我らの加護も対象に直接、魔力を言語として書き込む祝福故、言語同士が潰し合い相殺と言う形をもって消滅した』
まさかの真実である。
つまり、ミクリオは解析できない言語で構築されていた呪刻の呪いを、同じく言語で構築された加護で、塗り潰すようにして消滅させたのだ。
正に、力技の奇跡であった。
「だから……と言う訳ではないけれど、陛下に刻まれた呪刻はもう機能することはないはずだよ。魔法構築ごとパイプを塗り潰したからね」
『左様。尤も、こんな使い方を考える者など、領主くらいしか居らぬだろうが』
「そもそも『精霊の加護』なんて手段を、一般人はおろか魔法師団の魔法使いですら持ってないんだよなー」
トレントが呆れたように言った言葉に、遠い目をしてリックスが反論する。
さっきから思っていたが、普通に会話に参加してるあたり意外とリックスの度胸が凄い。
それはそうとエステルも気になったことがあるので、おっかなびっくりではあるものの聞いてみようと口を開いた。
「え、えっと……じゃあ、『精霊の加護』が人に付けられたら、どうなる、ん、の?」
「何どもってんですか」
「どう喋っていいのか分かんないんだよ!!察しろ下さいっ!!!」
だが早速入ったガラルドの鋭い指摘に、エステルはそう強く返すことになった。
エステルにとって精霊とは憧れの象徴だ。
妖精たちも勿論好きだが、精霊は何というか尊敬の対象なのである。
例えるなら憧れの先輩に話しかけたいけど変に緊張して上手く話せない、と言ったところか。
幼少期から拗らせている自覚があるだけに、こればかりは慣れるまで仕方ないのだ。
一方、トレントは先程の辿々しすぎるエステルの発言を気にした風もなく、その答えをくれた。
『人に『精霊の加護』が付与された場合、所謂その人間は我らのお気に入りになる訳だが……
特に変化はない』
「え?」
が、まさかの答えに拍子抜けした。
『物ならば兎も角、人間の寿命を種族を超えて悪戯に伸ばしたり過ぎた力を与えたりすれば、自ずと我らのお気に入りになった人間の人生に大きな影響を与える。それは理に反することであり、要らぬ不幸を呼び込む事でもある。どちらにとっても、我らの望むところではない。
故に、その人間は『精霊の加護』と言う印が刻まれただけの人間になる』
なんと言う事だろう。
少しは超人的な魔法を使えるようになったり、特別な守護の力が宿ったりなど想像していたが、まさかの何もなし。
そんな名前だけ豪華な一般料理、みたいなことがあるとは思いもよらなかった。
「なんか、夢がねーな」
「うん……うん」
白けた目をしたリックスの言葉に、深く深く頷くエステルだった。
だが、そんな二人の反応も気にならないのか、説明し終えたことに満足したトレントは、スッとレオナルドの方を見て話を振る。
『それでは話も終わったところで、そこの山猫の子。森の禁を破ったのはお前だな』
「はい。コックス辺境伯爵領主に会う為とは言え、手荒な方法を取りましたこと誠にお詫び申し上げます」
トレントの言葉に粛々と頭を下げるレオナルドだが、他ならぬトレント自身がそれを留めた。
『いや、よい。事情は聞いていた故に、今回のことは不問と処す。汝が欲心を持って働いた所業でもあるまい。王にしかと説明し、事の顛末を語るが良い』
「有り難きお言葉。寛大な御心に、感謝いたします」
どうやら、ミクリオがカタロスの森に来た当初の目的である精霊への取りなしは、まさかの精霊本人からのお咎めなし、の通告をもって終わりを迎えたようだった。
あまりに急展開すぎるやり取りに、目を見開くエステルである。
レオナルドの返事を聞き終わると、役目を終えたと満足そうなトレントは、二回ほど拍手をして、その場を仕切り直した。
『これにて用事は済んだ。人間の子ら、汝らも家に帰るがよい』
しかしそう言ったトレントは、ふとエステルたちの側からゆっくりと別の方へと歩き出す。
そして、それまでトレントをただ見ているだけだったラウレンティーナの元に歩み寄ると、精霊はその膝をつき、彼女に頭を垂れた。
「あ……」
『そのままでよい。女神の愛娘よ』
慌てて椅子から降りようとしたラウレンティーナを、慈愛の満ちた声が制した。
それまで聞いたどの声とも違う、あらゆる感情の詰まったトレントのその声は、ただそれだけでその場にいる全員が、精霊からラウレンティーナへどれ程の言葉に出来ない大きな愛を向けられているのかを実感させる。
不安げなラウレンティーナに、トレントは告げた。
『汝はまだ何も分からぬだろう。葛藤もあるだろう。しかし、それでよい。汝が助けを求める時、我らはいつでも傍にある。
我らは汝を待っていた』
そして、その言葉を最後にそれまでそこにあったテーブルも椅子も、家も全てが消え去って、家の中に居た全員がコックス側の森の入り口に放り出されていた。
当然、外は未だ大雨の中。
やっと乾いてきたかなと思われた服も髪も全てずぶ濡れになり、精霊が慈愛の声を向けていたラウレンティーナさえも全身濡れ鼠のようになったまま、全員が尻餅をつくようにして泥濘んだ地面に座り込むことになってしまった。
雨まみれの泥まみれとは、正にこのことだろう。
唐突すぎる終わりに呆然とする一同。
「いや最後の最後に雑ぅぅぅぅぅっっっ!!!!」
張り付くようにして重みをかけてくる服を肌で感じながら、エステルは大雨に負けないツッコミを入れたのだった。
ーーー
そうして帰りもまた、ガラルドの転送魔法を使って辺境伯爵邸に帰ってきた一同。
馬車で片道二時間の道を、ただでさえ冷え込んでいたというのに大雨の中歩いて帰るのはない、と言うのが全員一致の意見だった。
「おかえりなさいませ。既に湯浴みの準備は出来ておりますから、男性は大浴場へ女性は小浴場へお向かい下さい」
屋敷に帰ってくるなり、玄関で待っていたレティーシャがそう言って、全員に毛布を渡してきた。
屋敷には浴場が二つあり、基本的には大浴場を普段使いにし、小浴場は時折使用人たちが使っているのだが、この視察の期間はエステルたちが使用しているのが小浴場、両親が使っているのが大浴場といった風に使い分けられていた。
今では殆ど瓦解していたと言ってもいいが、ガラルドたちの秘密保持の為に、小浴場はエステルたち専用として使わせて貰っていたのだ。
だが、秘密はここにおいて意味をなさず、ガラルドも変装を解き、全員濡れ鼠の泥まみれ。特殊な分け方をする必要はもうなかった。
「それじゃあ、ティナのこと頼みました。エステルさん、マリー」
「了解」
「承知いたしました」
そうして、大浴場にはミクリオとガラルドとリックスが、小浴場にはエステルとラウレンティーナとマリーとレオナルドが向かうことになった。
「ん?ん!?」
そう、レオナルドも小浴場の方に向かっているではないか。
エステルの驚きに、言い忘れていたとでも言うかのように既に遠くの所まで歩いているガラルドが補足する。
「因みに、レオナルド・ハッター伯爵は女性です。なので、そちらの相手もよろしくお願いしますね」
「!!!!????」
エステル本日何度目かの衝撃であった。
ーーー
「我が家の家訓でございまして、男も女も平等に男系の名前を子供につけるのが慣わしになっております。我が家は男女関係なく長子が家督を引き継ぐと決まっておりましたので、そのまま私が当主の座を引き継ぎました。陛下からは宰相の地位も授かり、現在はその責務を全うしています」
レオナルド・ハッター伯爵は、湯船の中で自身のことをそう語った。
しっかりと着込んだ紳士服の時はスタイルのいい細身の男性のようだったが、こうして裸になっていれば、しっかりとした体格の女性であることが分かる。
どこに仕舞われていたのか胸もそれなりに大きいのに、その性別に全く気が付かなかったのが不思議でならない。
「気づかなくて、すみません」
「貴族名簿でも名前や爵位は載っておりますが、性別を書かれることはないので致し方ないかと。記者が一度、数百年ぶりの女宰相として記事を書かせて欲しいと言われた時も断りましたので、王都でも知らぬ者は多いかと存じます」
流石に失礼すぎたので謝れば、レオナルドはそう言ってエステルをフォローした。
彼女の目は、右がエメラルド、左がアンバーの色をしたオッドアイだ。普段はその内の右目の方にモノクルをしているが、湯浴みの最中である今は外しているようだった。
「男物の格好をしているのも、家訓の慣わしで?」
「いえ、ただの趣味です」
「ただの趣味」
一番気になっていた部分を少し遠慮気味に聞いたのに、直球で返ってきた回答に思わず鸚鵡返しするエステルである。
王子であるガラルドはノリノリで完璧な女装をしていたし、宰相は趣味で男装しているし、この国のトップの人々には性別不詳にならなくてはならない使命でも持っているのだろうか。
「世界は広いね、マリー」
「そんな世界はごく少数だと思われますよ」
思わず感嘆したようにマリーに雑なボケを振るが、そんなエステルの諦観したようなボケも簡潔にツッコまれて終わる。
そんなエステルたちを優しげな目で見ていたレオナルド。
だが、ふと彼女はこんな事を語り始めた。
「……私は、ジャスパード国王陛下とは学院時代の頃からの知り合いになります。私は主席で学院を卒業し、陛下もその頃の同卒でありました。私は卒業後、領地を暫し治めておりましたが、かつての学院でのその腕を買われ、ジャスパード国王陛下直々に、宰相の任に就かないかと相談されました」
それは、ジャスパードとレオナルドの馴れ初めだった。
どうやら二人はオーデンにある学院での同級生だったらしい。
だが話を聞く感じ、仲も良かったのではないだろうかとエステルは思う。
そうでなければ、いくら主席卒業と言っても宰相の責務を任せようとは思わないはずだ。
少なくとも、信頼に値する思い出のようなものが両者の間にはあったのだろう。
「私はその任を請け負いました。国民の皆様も私を受け入れて下さり、それより以降は、宰相として陛下を支え、『影』たちを集め、この国の為に身を捧げる日々でございました。
……あの日までは」
レオナルドの眉間に皺がよる。
苦々しくも見えるその表情は、きっと城内に襲撃のあった日のことを思い出しているのだろう。
彼女は語る。
「あの日、城内で襲撃があった日、私は城内に蔓延る魔物の処理で動くことが叶いませんでした。国王一家が事態鎮圧の為に女神謁見の間に向かったことで、陛下に代わって指揮権を取る者が他にございませんでしたので。『影』を陛下の援軍に向かわせてはおりました。しかし、事が終わった後、向かった者は全て、屍となって道半ばで事切れておりました。……結局あの日の私は、この国の為に命を賭した王の、お力になることは出来なかったのです」
ガラルドから城内に魔物が出たことは聞いていた。そして、王家以外の全員がその対処に追われていたことも。
だがこうしてレオナルドから話を聞くと、それ以外にも要因がありそうなきな臭さを感じた。
でなければ、選りすぐりの実力者であるはずの『影』が全員死ぬようなことはなかったはずだ。
可能性としてあるのは、やはりネクロヌースの存在なのだろうが、その手法が分からない限りは詮索はよした方がいいだろう。
ただでさえ国家機密の話の、その裏話だ。
後ろ暗いものの中に飛び込む無謀さも、それを跳ね除けるだけの実力もないエステルが踏み込んでいい話ではない。
それに、話はそれだけではない気がする。
そんなエステルの直感を肯定するように、レオナルドは尚も続けた。
「それでも王は一命を取り止め、多大な犠牲は払いましたが国は守られました。第一王子殿下が国王代理を務められ、不安定ながらも国の政治は維持することも可能でした。
そして国王陛下が回復し王座に戻られれば、以前のような運行が可能な範囲にまで、やっと漕ぎ着けたのです。
それを、あの男は……っ!!」
ぞくり。
空気を震わすほどの、恐ろしいまでの怒気が小浴場に伝わる。
ビリビリと痛いくらいの低い声が響き、エステルは目を見開く。
レオナルドは怒っていた。
自らの国を治める王に対して、怒りを露わにしていた。
「あの男は本当に頭が良かった。宛ら狡猾な蛇のようだった。
私がその同行を『影』に監視させようが、全てのことが露見するその日まで、巧妙に情報を流し、ついには紛争を引き起こしてみせたのだから!!」
これは、裏切りだ。
それは祖国を愛し忠信を誓った臣下を裏切った、そんな王に対する……この国を守る者たち全員の怒りだった。
そんな怒りの炎が、最後に怨嗟の言葉を吐き出す。
「西の街であの男に出会ったのがガラルド殿下で本当に良かった。
私であったなら、谷底に切り落とすどころか、
その四肢切り裂いて確実に殺していた」
それは、この国王の側近たちが抱いていたであろう意思の断片。
決して忘れられることのない、王への不信と失望。
それを引き起こしたのが呪いであろうが、本人の意思ではなかろうが関係ないのだ。
一度犯した罪は消えない。
過去が覆ることはない。
人々の時間も感情も、そして失ってしまったものも、全ては不可逆なのだから……。
沈黙が浴室を充満する。
レオナルドは押し殺すように黙っていたが、エステルもまた、黙ったままレオナルドを見つめていた。
だがそれ以上、何かをする気も起きなかった。
エステルはこうして彼らの過去の話を聞いたとしても、それで誰かを責めるつもりもなければ、誰かを庇うつもりもないのだ。
エステルにそんな資格はないし、彼らには彼らの意思があり、感情がある。
それをどのように持ちどんな方向に持っていくのかは、彼ら自身が自由に決めるべきだと、彼女は知っていた。
だから、何も言わない。
それがエステルの答えだ。
レオナルドはただ黙ったままでいるエステルを見て、僅かにその目を眇める。
ざぱりと音を立てて、湯船から体を起こした彼女は会話を締め括るようにして最後にこう言った。
「私が申したかった内容は以上となります。後は御三方で入浴をお楽しみくださいますよう」
そしてそのまま小浴場から去っていった。
とても冷たい言い方だし、怖い人だとは思う。
しかしそれ以上にきっと、彼女は愛国者だ。
先程の怒りにも臣下として裏切られたからと言うよりも、国を傷つけられたから怒っていたように思う。
恐らくレオナルドは義を重んじる人だ。
ガラルドも勿論そうなのだが、彼の場合はそれでも最後には情が残るタイプに見える。
だが、レオナルドはその逆。情などその場で叩き潰し、徹底的に義を実行するタイプの人間だ。
その為なら王も殺せる。
だが、そんな彼女だからこそ、この国の宰相を任せられているのかもしれない。
憶測でしかないし、エステルに王の考えが測れる訳でもないので、妄想の域は出ないのだが……何となくそう思った。
ーーー
レオナルドには入浴を楽しむように言われたが、実際はまだまだ楽しめそうにない。
何故なら屋敷に戻ってきてからずっと、否、それよりもっと前、トレントが現れてからずっとラウレンティーナが喋っていないからだ。
「ティナ、どうしたの?」
体を拭いた時も、湯浴みで汚れを落とした時も、今浴槽に入っている時さえ、彼女は僅かに俯いたままじっとして、まるでここに居ないかのように押し黙っている。
昨日までの彼女は、いつも楽しそうに喋っては笑って入浴していたと言うのに。
エステルは自分とマリー、ラウレンティーナだけの空間になったのを確認して初めて、ラウレンティーナにそう声をかけた。
何故だか、そうしないと話してくれない気がしたのだ。
果たして、ラウレンティーナはあまりにも消えそうな声でポツリと漏らした。
「ねぇ……聖女って、何なの……?」
湯船の中に沈んだラウレンティーナの手が強く握られているのが見える。
だが、質問の意図がわからない。少なくとも聖女という概念を聞いている訳ではなさそうだった。
「ティナ?」
「何で、ワタシが聖女なの?ワタシは、お父様とお母様の娘で、大兄様と兄様の妹で、第一王女で……それだけじゃ、ダメなの?」
けれど答えを尋ねている訳ではなかったのだろう。
エステルが問いかけるよりも早く、ポツリポツリとラウレンティーナから言葉が漏れていく。
「何でワタシだけ、こんなに小さいの?ちょっと前まで、お兄様もワタシよりちょっと背が大きいだけだったのに、何で皆大人になって
……何で、もう十年も経ってるの……?」
限界まで汲まれていた水が、その線を越えたように、今まで抑えていたものが抑止力を失ったように堰を切って溢れ出しす。
「何で、何でっ……!!全部昔の事みたいに言うの!!?
ワタシはまだ、八歳になったばっかりで止まってるのに……!!!」
ボロボロと茜色に金色の瞳の目から大粒の涙が溢れて、湯船に落ちた。
そのことに、エステルは目を見開く。
ラウレンティーナが泣いているところを、エステルはこの時初めて見た。
「全然、全然わかんないよ!!聖女だって、女神の愛娘だって、そんなの言われても全然わかんない!!頭下げられてもわかんないよ!!!」
彼女は、ラウレンティーナと言う少女は、ずっと我慢していた。
我慢して我慢して、もう限界だった。
彼女が目が覚めたのは、大体半年前。
その時には全てが変わっていた。
年の近い兄は一人だけ先に大人になり、大神官が殊更丁寧に、彼女を扱うようになった。
城の中は時折重たい空気でひりつくようになり、その度に家族全員が悲しげな顔をしていた。
新しい教育係は大量の本を持ってきて、これくらいはやれなくてどうすると急かし、ダンスも刺繍も難しいステップでいっぱいになった。
自分だけ置いて行かれたような気持ちになった。
ベッドの上で、未だに小さい自分の服を見て、おかしいと感じるようになった。
皆、皆大きくなって、全部、全部おかしくなって、自分一人だけ『秘密』と『特別』と言う部屋の中に閉じ込められた気がした。
そして一ヶ月くらい前に、自分が城の中で殺されると言う予言がされた。
驚いたけれど、それ以上に城の中がひっくり返ったかと思うくらい驚いて、大きな騒ぎになった。
しかも予言にネクロヌースの妨害があると分かって、尚更城の中は荒れに荒れた。
自分を守ろうとして、たくさんの人たちが動き回らないように、決して護衛から離れないようにと言って、自分を部屋に押し込めた。
苦しかった。
その度に、元気に振る舞っていたけれど、心配かけないように誤魔化しながら、家族には笑って話していたけれど。
本当は……もうずっと、言いたかった。
「こんなの嫌だよぉぉぉぉぉ」
置いて行かないで、一人にしないで。
ラウレンティーナ一人を置いて、未来に行ってしまわないで。
「聖女なんて、言わないでよぉ」
特別なのが嫌だった。
家族と違うのが嫌だった。
ただのラウレンティーナで、ありたかった。
「好きで眠ってたんじゃないよ。好きで特別になったんじゃないよ。ただお父様とお母様、大兄様とお兄様、皆と一緒にいたいだけなのが、何でそんなにいけないの。皆と一緒に大きくなりたかったのに、何でワタシだけなれないの。そうまでしたのに……
何でお父様たちを助けられなかったの……」
結局、自分のやったことは中途半端だった。
中途半端に力に目覚めて、肝心な時はずっと眠って、やっと起きれたのは全部が終わったその後。
自分がやってきたことは何だったのか。
これじゃあ、何の為の聖女なんだ。
大切な人たちすら救えない聖女の、何が女神の愛娘なんだ。
ラウレンティーナは泣いた。
自分の寂しさに、苦しさに、そしてその不甲斐なさに。
エステルとマリーは、そんな彼女をただ抱きしめた。
答えなどなくとも、やっと触れた彼女の孤独に寄り添うことはできたのだから……。
レオナルドの一人称は「私」と書いて「わたくし」なのですが、激情を吐き出す時は「わたし」になります。
今回はラウレンティーナの心情を吐き出す回でもありました。
三話で片鱗を見せていた部分に、漸く光が当たった感じです。
次回もまだ少しお風呂が続きます。
それでは、また。




