第十三話
ミクリオ回。
雨は依然として降り止まない。
雨季であるこの時期には時折こんな雨が降り続くことがあったが、大抵は一日でその雨足も緩やかになることから、目の前のレオナルドと言うこの男をミクリオは運がない日に来てしまった客人だなと思っていた。
森の禁を犯してしまった者は、領外の者であれば領主が精霊に取りなすことによって閉ざされていた森を抜け、一本道に戻ることができる。
だが、こうして精霊たちによって閉じ込められてしまった客人がカタロスの森で迷うことは、コックスでは別に珍しいことではない。
一例を上げるとするなら、前に欲に輪をかけて、『精霊の加護』のついた祭具を持ち出そうとした商人がいた。彼は二、三日放って置かれた後に漸く妖精がミクリオを呼びにきて、助け出した時には相当心身共に参ってしまっていた、と言うことがあったのを覚えている。
そのまま帰すのも危ないので、自分で帰れるくらいまでの治療をした後、領地に出る際に精霊や妖精の約束事は違えぬようにと伝えたら、その商人の首が取れるのではないかと思えるほど了承していたのは、ミクリオとしても印象深い話だ。
しかし、目の前にいるレオナルドはそう言った欲心の為に祭具の蔵に入った者とは、違うように見えた。
うっかり入ってしまったと言うのが本当のことを言っているようには見えないが、嘘を言っているようにも見られない。
そもそも、盗みなどと言った私欲の為に動きそうにはないタイプの人間にも感じられた。
何処か執事然としているその風体は、私情よりも公務を取りそうなタイプに見えたのだ。
そもそも、こんな小綺麗な身なりをしておいて森に入ろうとするのもおかしな話だと思う。
ミクリオは、自身のことを棚に上げてそう考えた。
雨は数日前から降っていたし、傘を忘れたなんてことは有り得ない。途中で壊れたにしてはその残骸もなければ、レオナルド自身ももう何時間も雨に打たれていたかのようにずぶ濡れだ。
ミクリオは、妖精の知らせを受けてすぐレティーシャに森の入り口までワープさせて貰ったと言うのに。
何か別の……特別な理由があって、わざとミクリオを呼び出すように禁を犯した、と言う方がしっくりくるような。
そんな風にして考えを巡らせていたミクリオは、レオナルドが自身を見分するように見ていることに気づかない。
ミクリオが考えている内容を肯定するように、レオナルドはこの時をずっと待っていたから。
あの男、この国の盤石を壊しかねないことをした国王と、あの忌々しい紛争の最後に会ったと言う、このミクリオという男と会えるのを。
レオナルドの手が、ミクリオへと伸びていく。
その手がミクリオの首に触れる。
直前だった。
「そこまでだ、ハッター伯爵」
レオナルドの首筋に、後ろから剣先が突きつけられたのは。
「……ガラルド殿下であられましたか。思ったよりも、早く見つかってしまいましたね」
後ろを振り返らないまま、レオナルドはガラルドが来ることを予測していたように、その名を呼んだ。
ガラルドもまた、レオナルドならばそう言うだろうと分かっていたので、そのまま応答する。
「優秀な人材が近くに居たんでな」
「それは、それは。縁というものは侮れませんね。……精霊に閉ざされた空間なら、少しは時間が稼げるかと思いましたが。
……聖女様が近くにいるのでしたら、それも関係ありませんでしたか」
ガラルドの後ろで、リックスに守られるようにして控えていたラウレンティーナが、ビクリとその肩を震わせた。
ガラルドの視線がより剣呑な光を湛え、より一層レオナルドの首元にその刃が近づく。
「お前……その情報を、何処で知った?事によっては、首から上が繋がることはないと思え」
だが、その言葉を聞いても尚、動揺した素振りを欠片も見せることのなかったレオナルド。
その人は、ただ事実を告げるようにして、何の色もその言葉に乗せぬまま言葉を放つ。
「貴方がたのお父上……我らが国王、ジャスパード・サンドール・ハーデス陛下からでございます」
ガラルドは、その目を見開いた。
雨の降りしきる中、互いに目を合わさぬまま穏当ではない時間が、張り詰めた糸のような空間と共にゆっくりと流れる。
剣先から伝った雨が、その剣身を伝い柄を通ってガラルドの手元を濡らしていく。
収穫の時期が近づく冷たい雨が、ガラルドとレオナルドの全身の熱を奪っていった。
ガラルドとレオナルド、両者の間で重い沈黙が続く。
だがそれは、ガラルドがその剣先を納めたことで収束を迎えた。
「ハッター伯爵、お前は自分が今回の件の内通者候補になっていることを知った上で、此処まで来たのか」
「左様でございます」
「厳戒態勢の今、そんな魔法を使えば……お前は筆頭容疑者になると、知っていてもか」
「覚悟の上にございます」
ガラルドの質問に対し、事務的に淡々と返していくレオナルド。
だがその言葉にはまるで鉛が乗っているかのように重い。
レオナルドの口が言葉を発する度に感じるその重みは、決して気のせいなどではないのだろう。
ただ二人の間には、降り続く大雨だけがその意図を汲むように流れている。
ガラルドは、暫く口を結んでいたが、深い深い溜息を吐くと…………最後にこう決断を下した。
「お前は内通者ではない」
レオナルド・ハッター伯爵。
このユートロピア王国の宰相は、国を守護する補佐官たり得たのだと。
緊張の糸が切れて漸く、エステルはミクリオの方へと駆け出した。
「お父様、大丈夫!?」
「おお、エステルー。お前も精霊への取りなしを手伝いに来てくれたのかー?」
「いや今絶対そんな雰囲気じゃなかったよね!?今の二人の会話は総スルー!!??」
だが、あんまりにも見当違いなミクリオの発言に、泥濘んだ地面にスライディングするのを何とか我慢したエステルは、それでもすかさずツッコんだ。
今の今まで何を聞いて見ていたんだ、この父親は。
「いやー、だって僕この二人とも初対面だし。何の話なのかもサッパリ分かんないからさー」
「いや、確かにそうだけれども!!そうじゃないけどそうだけれども!!!」
何とも言い難いミクリオの勘違いに、エステルが形容し難い葛藤を抱えていると、まるで助け舟を出すかのようにレオナルドがガラルドの紹介をミクリオにしてくれた。
「辺境伯爵。こちらは、ガラルド・サンドール・ウィクリフ殿下。第二王子であらせられます」
そんなレオナルドの行動に、エステルが意外に思う。
だが、しかしそんなエステルの驚きににも浸らせてくれない、ミクリオの言った言葉は以下の通り。
「おや、じゃあ貴方がエステルの!
よかったなぁ、エステル!お前より断然顔の良い婚約者ができて!!」
……。
「いっっっっっや!!めっちゃ失礼だなぁぁぁぁぁぁっ!!!
まず挨拶しなよ!!相手王子!!この国の王子だから!!あと実の娘にその顔面評価・イズ・何!!?半分は自分の顔なんだからもうちょっと愛着持ってくんない!!??最後に、近所の下世話なおじちゃんみたいなそのノリは一体何なの!!??
どこを取ってても辺境伯爵家当主の威厳もないの、やめてくんないかなぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!???」
レオナルドの思わぬ気遣いさえも無駄にする、悲しき父親ことミクリオである。
因みに、ここまでのエステルとミクリオのやり取りで、ガラルドの腹筋は無事に死んだ。
それにリックスやラウレンティーナにも被弾したらしく、王族組三人の堪え切れない笑いを収めるために暫く時間を要することになった、とだけは記しておく。
どうしてこうなった。
ーーー
「あー、笑った笑った」
「笑い過ぎだから」
全くもって遺憾だ。
エステルが恨めしげに睨みつけるが、当のガラルドは悪びれもなく肩を竦めるばかり。
寧ろ仕方がないとでも言いたげなガラルドは、エステルの不満をさらりと受け流す。
「それは兎も角、まさか森の中で雨宿りができるとは思わなかったな。それも、それなりに立派な家で」
そして、周囲を見渡すようにしてそう言った。
それに倣うように、エステルも周囲をぐるりと見渡す。
木に囲われた壁に臙脂色のカーペットが広々と敷き詰められた床。広間は大きな会議室ほどの広さがあり、全員が着席しても余りある大きなテーブルに、アンティーク調の椅子がずらりと並んでいた。
壁際の南側と北側には小洒落た窓ガラスが均一に嵌め込まれ、外の雨が室内に入るのを防いでいる。
西側の壁には一つの大きな煉瓦の暖炉が建て付けられており、炉の中では焚き火が燃え上がり、雨に濡れて冷え切ったエステルたちを暖かく包み込んでいた。
そして、残る東側。
東側の壁にはエステルたちが入ってきた扉が取り付けるられている訳だが、その扉には……否、この家を森で見た時からその姿には見覚えがあった。
この家の切っ掛けは、ガラルドたちが耐え切れぬ笑いに身を捩らせていた時に、ミクリオが言った言葉。
「うーん、よく分からないけど、多分皆何かしら話があってやって来たんだよね?屋敷に戻りたいけど、精霊への取りなしもまだだし……
うん、一回『家』に行こうか」
その言葉の意味を理解するより前に、突如一つの一軒家が目の前に出現した。
思わず全員が言葉もなく固まった瞬間である。
その家は、煉瓦で組み立てられた外壁に白い扉、洋瓦で出来た深緑屋根に突き刺すようにして煙突が浮き出ていた。
そしてそれは、とても見覚えのある『家』だった。
だが、決してこのような大きさではなかった、と記憶している。
それはガラルドたちとの視察の際に、一緒に見たいつかの『宝物庫』。
その完成系であったはずの小さな『家』が、エステルたちの何倍もある大きさで、目の前に現れたのだった。
「この家はね、代々の領主が精霊たちとお喋りする時に使う『家』なんだよ」
中に入って席に座っても尚、物珍し気に家を見分するエステルたちにミクリオは優しい声色で、先のガラルドの質問に答えるようにそう言った。
「精霊たちと、お喋り……でございますか」
それに少し驚きの色を含ませて、返事をするのはレオナルドだ。
驚くのも無理はない。
以前のエステルであれば、驚きこそすれその事実をただ羨んだくらいの反応しか返せなかっただろうが、今は違う。
そもそも精霊とは魔法使いたちが召喚するものをさし、そんな彼らとでも魔法を授ける以外は殆ど人々と交流などしない、そんな存在が一般的な認識のはずだ。
しかもその殆どが、畏怖と訓示の象徴とされ遠巻きにされている。
とてもミクリオの言うように、気さくな話し相手として軽く挙げられる存在には思えなかった。
だが、領外の人間にそんな反応を返されることも、長年領主としてやってきたミクリオはとっくに知っていたのだろう。
彼が穏やかな顔をして、コンコンとテーブルをノックすると、すかさず淹れたての紅茶が人数分テーブルに現れる。
それが全員の目の前にあるのを確認すると、ミクリオは自身の分の紅茶を一口飲み込みこんで、まるで詩でも諳んじるように、こう言った。
「彼らは別に、人と喋るのが嫌いじゃないよ。ただ彼らには女神や自然界を優先する責務があるから、どうしても口を噤まなければならない時が多いだけさ」
ミクリオ・コックスは、この辺境領の領主。
それは、対外には殆ど秘されていると言ってもいいこの『精霊の都』を代々守り継いできた、精霊に認められ、コックスに認められたこの地の主人であると言うことを指す。
彼がただ口を開いて言葉を交わす、ただそれだけなのに、この家の中を妙な納得感が全体に広がっていくかのようだ。
普段はやることなすこと非常識人であるのに、こうしたところを発見すると、やはり辺境伯爵本人であると認めざるを得ない。
そんな誉れ高いんだか悔しいんだがよく分からない感情に包まれるエステル。
しかし、そのまま呆けている訳にもいかない。
気持ちを切り替えて、エステルはレオナルドに話を振ることにした。
「無礼を承知で失礼します、ハッター伯爵。私はミクリオ・コックス辺境伯爵が娘、エステル・コックスと申します」
「先に無礼を働いたのはこちら、お気になさりませんように。私はレオナルド・ハッター。陛下より伯爵の号を賜り、首都オーデンより南の地を治め、現在はこの国の宰相として国の為に仕える身にございます」
貴族のマナーとしては本来、目上の者から先に挨拶をする。目下の者が先に声をかけるのはご法度だ。
だが、既に無礼講よろしく父にツッコミを入れているところを目撃された後。
それに、ガラルドが内通者ではないと言ったことからも敵ではないが、まだコックスにこのレオナルドという男が来た理由もわかない。
最早聞き出した方が早いとこちらから名乗り出れば、レオナルドはかえってエステルを気遣うようにして、そう名乗り返してくれた。
そして、更にこのようにまで付け足して、エステルをフォローしてくれる。
「言葉遣いも気になされませんように。ここは社交場ではございませんし、第二王子殿下にも砕けた口調で話し合える仲のご様子。私だけ気遣って頂くわけには参りません」
「それなら、一先ずは簡単な敬語で失礼します。……ハッター伯爵、貴方は何をしにコックスまで来たんですか?」
ここまで気遣われて、寧ろこの人には少なからず敬意を払いたいとエステルは思った。
貴族の言い回しとも違うが、砕けすぎてもいない敬語でそう尋ねれば、レオナルドはその質問が来ることを予め見越していたのだろう。
一度自身の目の前に置かれたティーカップを眺めてから、それを差し出したミクリオの方に、彼は見定めるように視線を向けた。
そうしてこの国の宰相が言った言葉は、エステルたちにとっても驚くべき言葉だった。
「こちらの、ミクリオ・コックス伯爵。
ジャスパード国王陛下が消息不明となったかの紛争の終結後、国王陛下にかけられた『呪い』を解呪し、最後に会ったとされる一連の出来事の立役者に、当時のお話を伺いに参りました」
それは、ガラルドが話そうとした続きの物語。
エステルが結局聞くことの出来てきていなかった、『あれ』についての答え。
だがしかし、それ以上に衝撃的なのはそれより後半の内容だ。
その言葉は、その場にいたミクリオとレオナルドを除く全ての人々を驚愕に叩き落とし、絶叫を轟かせた。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!???」
ーーー
大体二年前。
それはコックスでもままある曇天の日の出来事だった。
ミクリオはこの日も妖精たちの知らせを受け、カタロスの森で精霊たちとの禁を破った者の為に、妻のレティーシャに東の森の入り口まで送ってもらい、その中へと入っていったのだ。
だがすぐにいつもと様子が違うと、森が入った側から感じ取る。
膜を通り抜けるような感覚がいつもより早く、それでいて森が騒めくようにして不安気に揺れていたのだ。
雲により日は差していないが、風はまだ乾いているはず。なのに、じっとりとした空気が何処からか流れ出ているのを感じる。
普段なら適当な木々に留まる妖精たちも、何故かその姿を見せない。
これは恐らく森の禁を破った者の取りなしではないと、ミクリオは早々に察した。
そしてそれを肯定するかのように、一人の男が森の中央で踞るようにして倒れていた。
「君、君、大丈夫かい?」
ミクリオはすぐに倒れ込んでいたその男を抱き起こすと、その意識を呼び起こすように声をかけた。
男は長いこと流浪していたのだろうか、無精髭が顎に無造作に生えていたが、それ以上に泥や砂埃でよれ大きな裂傷が走る胴体の方が気を引いた。相当な重症だ。
だが別の違和感にも、ミクリオはすぐに気がつく。
その男が身に纏っているその服には、ただの放浪者にしては不釣り合いなほど、高価な物に見えたのだ。
長い濡れ羽色の髪がかろうじて括られているのが見えるが、それも裂傷から飛び散った血の汚れで絡み合い外せなくなってしまっただけのようで、解こうとして失敗したような痕がある。
だが、その括られている紐ですら、恐らく王都の高級店でしか見たことのない、加工を施された物に思えた。
そして、極めつけはその顔の出立ち。
ミクリオはこの男とよく似た人物を、肖像画やごく稀に参加する夜会にて、見たことがある。
「う……ここ、は……?」
目を覚ました男が、その瞼を開ける。
そこには真紅に金色の瞳が覗く、この世に類を見ない……この国にとって唯一の目があった。
「ジャスパード、国王陛下?」
重症を負ったボロボロの主君を前に、ミクリオはその名を呼ぶ。
これが、ミクリオとジャスパードの出会いであった。
ーーー
「恐らく、西の谷に落ちたジャスパード陛下はそのまま西に向かったのでしょうね。崖や谷に覆われていようとも、表道に出る洞窟や抜け道くらいはあるものです。怪我をした陛下は方角も分からぬまま、そちらを抜けてコックスまで辿り着かれたのかと」
ジャスパードがカタロスの森に辿り着いたことを、レオナルドはそう考察した。
それを首肯するように、ミクリオもまた言葉を繋ぐ。
「うん。陛下も回復した後、そう仰られていたよ。出血も多かったから、よくあそこまで辿り着けたものだと、本人も驚いていたけれど」
「いやいやいやいや、それもそうなんだけど、そうじゃなくてっ!!私、そのこと知らないんだけど!?何で国王陛下が来たこと教えてくれてない訳!!??箝口令!!??」
だがそれに待ったをかけるのが、辺境伯爵の娘ことエステルである。
話の腰を折ることになってしまうが、ここで聞かなければ、いつ教えてもらえるか分かったものではないのがミクリオだ。
明らかに時系列的にはジャスパードがガラルドに谷底に切り落とされてから少し経った後でのことだろうが、保護したはずの辺境伯爵家で、その娘であるエステルが聞いていないのはおかしくないだろうか。
だが、父の言葉は以下の通り。
「え?話したよ?」
「いつ!!!???」
初耳である。
そんなビッグニュースが伯爵家に伝わっていれば、エステルが覚えていないはずはないのに一体いつ言ったというのか。
しかし、ミクリオはさらりとこう告げる。
「ほら、ガラルド殿下との婚約を話した時、言っただろ?
『領地の森に赴いたら偶然国王陛下とお会いしちゃって』って」
「それかぁぁぁぁぁぁっ!!!てか、めっちゃ最近んんんんんんんんんっ!!!!」
だが、まさかの開幕プロローグの冗談みたいな話が、このことだったらしい。
否、あんな言い方でこんな壮絶な裏事情が広がっていると、誰が思うのか。
そもそも二年前の出来事のはずなのに、エステルが聞いたのが約三週間前って、本当に報連相をしないのもいい加減にしてほしい。
テーブルを思わず叩きたくなる衝動を何とか堪えながらも叫ぶエステルに、流石に哀れに思ったのか同情的な目を向けてくるガラルドたちとマリー。
そんな生粋のドSや無礼なメイドにまで気を遣われていると言うのに、悪びれた様子もないミクリオは話を続ける。
「まぁ、後は下手に突っ込まない方がいいと思ったんだよね。あの日は丁度、エステルが孤児院の子供たちの面倒を遅くまで見てくれた日で、陛下周りの事情も辺境伯が安易に踏み込んじゃ不味そうな雰囲気だったんだよ。だったら、エステルには詳細は伝えないでおこうって」
「エステル嬢には申し訳ありませんが、英断だったかと。あの当時はまだ、国王陛下の消息不明にラウレンティーナ王女殿下の長期間に渡る面会謝絶と、戴冠式も正式に行われないまま代理で回り続けている政治。城内は混乱を極めておりましたので。もし不用意に事情に介入されていれば、必ずこのコックスにとっては損失となる事態に巻き込まれていたかと推察されます」
だが、それを肯定するように補足されたレオナルドの言葉に、ぐうの音も反論は出なかった。
国境を守る辺境の貴族の権力は、平等でなければならない。
そうでなければあらゆる物資の供給や人員、防衛ラインに傾きが現れ、他国から侵入しやすい経路が何処かしらに生まれてしまうからだ。
父はジャスパードに恩を売ったようだが、それをその場で収め、家族にも秘匿したことは正しかった。
当時の国の情勢が不安定で危うい時に、西の辺境伯爵が利を得るようにして国王陛下を保護したなどと宣言していたら、様々な奸計に巻き込まれてしまったことだろう。要らぬ嫌疑を向けられていた可能性もある。
そもそも、この話はエステルがまだ成人もしていない時の話だ。友好関係など碌にない娘とは言え、吹聴する可能性は減らしておくに越したことはなかったのだろう。
「はぁ……。だったら、それはもういいけどさぁ。話を折ってごめんだけど、続きの話を聞かせてもらえる?」
そうであるならば、やはり本題を進めるべきだろう。
そうやってエステルが続きを促せば、ミクリオは頷いてティーカップの紅茶を再び一口飲み込み、それから語り始めた。
ーーー
「ジャスパード、国王陛下?」
ミクリオがその名を呼べば、ジャスパードは痛みに耐えるように、僅かに身動ぎながら、こう言葉を口にする。
「お、前……、ここは……何処、だ?」
「コックス辺境伯が治めております、コックスのカタロスの森にございます」
かなり大袈裟に切られた傷に、恐らく長距離を移動してきたのだろうその格好に、ミクリオは簡潔に答える。
こうしてジャスパードが僅かに意識を取り戻し喋れているのも、相当ギリギリの状態のはずだ。
であるならば、至急保護しなければならないが、ここでそのまま領地に運べば何処まで人目につくか分からない。ジャスパードの意識がある内に、指示を仰がなければ。
しかしジャスパードの口から出た言葉は指示などではなく、ミクリオから告げられたその名を繰り返すように口を開くばかり。
「コックス……『精霊の都』、か……。まさか、ここに……辿り、着くとは……。
ぐっ!!!」
だが、その直後。
切られた傷、否、それより少しズレた左胸の辺りを掻きむしるようにして、ジャスパードが苦しみ始めた。
「陛下!!……精霊!!いや、トレント!!来てくれ!!!」
ミクリオはすかさず、森に向かって呼びかける。
木々が呼応するように揺れ、何処からともなく、若草色の長い髪をした人型の精霊が、ミクリオの傍に現れた。
トレントとは、森を司る精霊の名前。
彼らの力は森に由来しており、彼らの授ける魔法にはあらゆる怪我をも治す治癒の能力が備わっているとされている。
ミクリオ自身は治癒の魔法など使えないが、精霊のその知識は人間の一生涯でも超えられない量と質に及ぶ。急な発作や応急処置くらいならば、教えを請えることを期待して呼び出したのだ。
だが姿を現したトレントは、そんなミクリオの期待に応えられぬと言うように首を横に振った。
『領主、王の症状はいかなる魔法を持ってしても、凡人には治せぬ。その左胸の紋様を見よ』
ミクリオはすぐにその指示に従い、無礼を承知でジャスパードの衣服を裂いた。
果たして、その左胸にはトレントが治せないと言っていた、その理由が刻まれていた。
それは、黒い蛇のような文字の羅列。
まるでその下の臓器を蝕むようにして巻きつく、黒い魔力の『呪い』そのものだった。
「これは……呪刻!?」
『ああ、だが大半の力は失われた残り滓のような呪刻だ。対象を取り殺すだけの力は最早残っていないが、その僅かな残滓でもネクロヌースの魔力を用いて、破滅の衝動を起こす存在へと王を書き換えようとしている』
王城が襲撃されたあの日、ラウレンティーナの聖女の力によってジャスパードの体から追い出され、消滅したネクロヌースの魔力。
しかし、完全な呪刻を刻むことが叶わなかったそれは、不完全ながらも僅かな呪刻を刻み込み『呪い』として機能していた。
呪いはジャスパードの体を支配し、魔力の出処であるネクロヌースの本願を果たそうと、彼を戦争と破壊を振り撒く狂人へと、その存在を変質させようとしていたのだ。
「……これを解呪するにはどうしたらいい?」
ミクリオはそれが難しいと分かって、それでもトレントにその方法を尋ねた。
呪刻の解呪など、その呪いの希少さからも前代未聞の大業だ。魔法使いでもないミクリオに、それができるとも思えなかった。
しかしそれでも、ジャスパードはこのユートロピア王国の国王だ。
辺境伯爵として、この問題を解決しない訳にはいかない。
この国を愛し、守る者として、この国に愛すべき者がいる人間として、その王を助けるために足掻かないでいい理由など、ありはしないのだから。
ミクリオの覚悟を受け止めたトレントは、その答えを授ける。
『魔力源との繋がりを絶て。
ネクロヌースは魔力を我らの領域より簒奪する愚か者だが、真に理を変えることは出来ん。呪刻は魔法陣をより根源の言語にし、直接刻む呪い。刻印に刻まれる魔力そのものの供給が止まれば、魔法の法則を用いた呪刻は消える』
しかしそのトレントの教えに、ミクリオは口を強く引き結ぶ。
魔力源との繋がりを断つ。
それは、手段としては簡単だが、実際にやるとなると相当な時間や、或いは力が必要となる方法だったからだ。
魔法は使用者がその構築を始めると同時に特殊なパイプによって使用者の魔力と魔法陣が結ばれる。
そうして十分な魔力が、呪文の完成までに注がれると魔法が展開するのだ。
しかし、そのパイプを増やすことは簡単だが、外すこと自体は至難の技とされていた。
構築と同時に結ばれる特殊なパイプ。それは全ての魔法によって接続される場所が違う特殊な通路。
魔法を構築する為に必要な魔力を魔法陣のどこに重点的に充てるのか、その能力によって場所が異なるためだ。
だからパイプを外す場合、その魔法のどこに重点的に魔力を注がれているかを解析しなければ、そもそもパイプそのものが見つからないというのが魔法界の常識だった。
だと言うのに呪刻はトレントの言う通り、魔法陣ではなくミクリオには少しも読むことのできない言語で、蛇状の痣の形に蝕むように広がっている。
これでは何処にパイプが設置されているのか、分かるはずもない。
解析魔法が使えたとして、解呪などできる訳もなかった。
だが、手立てがない訳でもない。
「トレント。コックス領主の盟約を、今ここに示せ」
ミクリオははっきりと、そう宣言した。
トレントはその言葉を受けて、神妙な顔つきをすると、その意志を確かめるようにして言う。
『盟約は当代領主に、一度限り許された特権である。異論は無いな?』
「ああ、始めてくれ」
ミクリオの了承を聞き、トレントの姿が森の中に溶け込むようにして消えていく。
しかし、その声は森全体に響き渡るようにして、領主の願いを果たすべく伝令をコックス全土へと伝える。
鈴の音が鳴り響くように、森に声がこだました。
《コックスに住まう全ての精霊、妖精たちよ。今盟約により、今代領主ミクリオ・コックスが宣誓を成した。我らは契約を重んじ、女神の神威を示す者。
盟約に従い、王に祝福あれ》
木々が鼓動し、風が歌う。
曇天の空から僅かに差し込む光がミクリオたちをほのかに照らすのを合図に、草葉から空に向かって魔力の光が立ち上る。
精霊たちが、妖精たちが口遊む讃美の歌が、森の中に広がっていき、ミクリオたちを囲むようにして降り注いだ。
そうして上空に現れたのは、オパールのように様々な色に光り輝く虹色のオーブ。
それは徐々に高度を下げていき、ミクリオの目の前をも通り過ぎ……。
ジャスパードの左胸に落ちると、黒い呪いの影を上書くかのように、呪刻の跡を消しながらその体に吸い込まれていった。
ミクリオはこうして、魔法を構築する言語そのものを『精霊の加護』による完全な上書きをもって書き潰し、ジャスパードの呪いを消滅させることに成功したのだった。
と、言う訳でミクリオがプロローグで言っていた部分の、実際に起こっていたことでした。
ミクリオは魔法使いではありませんが、『精霊の都』の領主として、少しだけ特別な存在でした。
自由奔放なようでいて、貴族としての責任感も、その手腕もちゃんとある掴みどころのない有能な人物、それがミクリオです。




