第4話 high & low ①
『カラーン』
薄暗い空間に並べられた高級そうなお酒。マスターと思しき眼鏡を掛けた色黒でガタイの良い男性はその太い腕でグラスを拭いている。
「ちょ、ちょっと翠さん!俺ら500円しか持ってないんですよ?なんでこんな高そうなお店に…」
鈴間翠の耳元で、玉木硬は発した。
「大丈夫だって、硬君。まぁ見ててよ。」
そう言って翠はお店に足を踏み入れ、右手を上げた。
「やっほ!久しぶりだね~亮ちゃん!」
終わった!このまま俺らは拉致されて海外に売り飛ばされるんだ…
「おぉ!翠じゃねぇか!なんだ?今日は翡翠じゃねぇのか?」
男の視線が一瞬鋭くなった気がした。
てか、あれ?知り合い?
「ちょ、ちょっと翠さんどういうことですか?」
「ん?あぁこの人はね、御子柴亮さん。ここのマスターでいろいろとお世話になってる人。」
「どうぞよろしく。」
亮と呼ばれる男は深々とお辞儀をした。その素振りは紳士的で男の自分でもほれぼれする程だった。
「ところでお客さんは翠さんとどういったご関係で?」
「あ、えと、自分は…」
何て説明するのが正しいのだろうか。おにぎりあげて、500円使われる予定の人間ですなんて言って、果たして理解されるだろうか?いや流石に――
「彼は玉木硬君。俺の新しいバディ。さっきこの子におにぎり貰って、これから彼の500円を使う予定なんだ。」
「な!」
馬鹿正直に全部言いやがったこの人!
「話があまり見えてこないが、そいつが今の翠のバディってことか。じゃあ、あの翡翠の噂は本当だったんだな。」
翡翠の噂?なんだそれは?
「まぁ、雑談は置いといて、亮ちゃん今から、いい人いない?できれば500円でも許してくれて、若者を馬鹿にするのが趣味のジジイがいいな。そういう性格が悪くて頭の固いジジイは読みやすくて楽だし。」
「少し待ってろ今確認してやる」
「できれば、またラピダリーに戻りたいから、それくらい稼ぎたいんだけど。」
ピタッと亮の手が止まる。
「本気で言ってんのか?生きてるだけでも幸運なんだぞ。」
ラピダリー?亮さんと翠さんが何の話をしているのか分からなかった。でも、当然だ。俺は翠さんと数時間前に知り合っただけだ。彼の素性や経歴、好きな食べ物から誕生日まで、俺は何も知らない。
「まぁ、俺に止める権利は無いけどよ。ん、あったぞ。お前の求めている人間。ここの住所に行ってくれ、そこの4階の405号室だ。電話はしておくから、今から行ってこい。」
「ありがとう!流石亮ちゃん!じゃ、硬君行こうか!」
出口に向かって翠は歩き出した。
「え?あ、はい。」
すかさず硬も後ろを追いかける。
「おい!分かってると思うが、ちゃんと料金は払えよ。」
「料金!?俺ら500円しか持ってないのにどうするんですか!?」
硬は翠の肩を掴み耳元で囁いた。
「今持ち合わせがないから後払いでよろ~」
な、なんて舐めた態度なんだ。まずい!あんな怖そうな人を怒らせると今度こそ本当に――
「あぁ、頼むぞ。」
返事は呆気なかった。しかし、なぜかそこに信頼を感じられた。もしかしたら俺の目の前にいる人は想像以上に大物なのかもしれない。
*
「ちょ、ちょっとまってよ、はぁ、はぁ、意外と距離あったね。」
翠は息が上がっていた。あのバーを出てから2時間ほど歩いただろうか。あたりはすっかり暗くなっていた。
「そりゃあ、俺ら500円しか持ってないんでタクシーも電車も使えませんし、この辺は坂道が多いですもんね。」
「そ、そうだけどさ、はぁはぁ。なんで硬君はそんなに平然といられるわけ?疲れてるでしょ?はぁ。ひぃ~。」
「あぁ。俺は常に金がないんで、徒歩移動には慣れてるんですよね。体力には自信があります!!」
「はぁ、凄いね、硬君。」
そう言って翠は腕で自身の額の汗をぬぐった。
「それより、そろそろじゃないですか?メモに書かれた住所。」
「え?あぁ。はぁ。ちょっと待ってね。ふぃ。ええと、あの角のマンションだね。」
「え?あそこ?」
書かれた住所の場所ははたから見れば普通のマンションだった。
上がっていた息を整え翠は真っすぐマンションを見つめていた。
その目は力強く、敗北を考えていないようだった。
マンションに入りエントランス前のインターホンで405号室を押す。
返事はない。数秒の沈黙。
間違えたかと思い再びインターホンを押そうとした瞬間。
『ガーッ』
自動ドアが開かれた。
「いいね、歓迎されてるみたいだ。」
翠はニヤリと笑っていた。さっきまで息が上がっていた人とは同一人物とは思えないように、彼の額の汗はもうなくなっていた。代わりに硬は何故か緊張して額に汗をかいていた。
405号室の前まで来たが、そこはただのマンションの廊下だった。だから異質だった。
「翠さん。これ本当にここであってるんですか?見たところ普通のマンションですけど…」
「大丈夫だよ。入ればわかる。それに亮ちゃんは仕事で嘘はつかないからね。」
そう言って翠はインターホンに指をあてた。
『ピンポーン』
数秒の沈黙。
『カギは空いています。どうぞ、お入りください。』
返ってきたその声は落ち着いていて、少しかすれていた。
「じゃあ行こうか。」
翠はそう言ってドアノブに手を掛け、捻った。
部屋の中は異質だった。薄暗い空間、家具と呼べるようなものはないが、高級そうな絵画やつぼが飾られている。
翠と硬はゆっくりと歩きながら、リビングと思しき部屋に繋がる引き戸を開けた。
するとそこには、
「よく来たね。話は電話で聞いているよ。ささ、座って座って。」
見るからに高そうな服を身にまとい、高級そうなソファーに腰掛ける老人がいた。
老人の前には大きめのテーブルと一人用のいすが置かれている。テーブルの上には何やらカードが数十枚置かれていた。
「翠さん。どうします?」
「あぁ。硬君は好きなようにしててよ。やるのは俺だからさ。」
翠は椅子をひきどさっと座り、足を組んだ。その偉そうな態度に老人は眉を顰める。
好きなようにしてて、て言われても、こんな空間でどうすれば…
「わしは正というものでな、若者にチャンスをくれてやってるんだ。早速だが君はここに何をしに来たのか聞いてもいいかな?何、簡単な自己紹介さ。」
正の目は値踏みをするかのようだった。そして、翠が老人を見る目も同じだった。
「鈴間翠。ここに来たのは偏屈なジジイの鼻を折ってやろうと思ってさ。どうぞ、よろしく。」
挑発するような発言とは裏腹に翠の目は冷たく、鋭かった。
「ハハハ。これは良い。」
正はそう言って手をバシバシと叩いた。
「いやね、これまで何人も若者がここに来たが、これから何をやるかも知らないのに、お金を貸してくれだの、ひどい人ではお金をくれなんて言ってきたやつもいた。だが、君は違う。これから行われることがギャンブルだと知っていて来たようだな。」
老人は杖を持ち上げ翠を指した。
「じゃあ、何を賭けるんだ?」
翠はフッと笑い握られていた右手を差し出し、こぶしの中の物をテーブルに投げつけた。
『チャリーン』
跳ねた500円は老人の前まで転がり、倒れた。
「これだよ。たりないかな?」
正はゆっくりと杖を降ろし、翠と硬を睨みつける。
「舐めておるのか?」
そりゃそうだ、あんな舐めた態度で出してきたのが500円だけって。でも、どうするんだ翠さん俺らは500円しか持ってない。
「そう怒らないでよ、おじいさん。ちゃんと他の物もあるからさ。」
ハッタリだ。
翠さんはハッタリを仕掛けている。流石翠さんだ、こんな状況でも顔色一つ変えずに嘘をつける胆力。やっぱりこの人はすごい人だ。
「俺が負けたら、俺とこいつを好きなようにしていいよ。」
翠は親指で後ろに立っている人物を指さしている。なるほど、金という要素ではなく、人を賭けることで乗り切ろうということか。
…ん?
だとすると、その指の先にいる人って…
「ちょ、ちょっと翠さん!!何勝手なことを!!」
「ハハハ、おもしろい。貴様らのような小僧がわしの役に立つとは思えんよ。」
「そ、そうですよ!って、そういう話じゃないですって。何勝手に人を担保に賭けをしようとしてるんですか!!」
翠の肩を強く掴み、顔を覗き込んだ。翠の顔は冷たく、深く、黒い。その目は狩人のそれだった。思わず力を込めたはずの手が離れてしまった。
「安心してよ、硬君。君一人では行かせない。それに、俺はこんな奴には負けないよ。」
翠は数秒目を瞑り、フッと笑って口を開けた。
「…ラピダリー」
ぼそっと呟いたそれに正の動きがピタッと止まる。
「知ってんだろ?こんなまねごとをしてるくらいだ。知ってて当然だよな。」
正は姿勢を前のめりにする。
「貴様らが、ラピダリーと関係あるのか?」
正の声は確かに力強かった。
「それは勝ってからのお楽しみだよ。少なくともその名を知っている人間はあんたにとっては放っておけないだろ?」
2人の間に沈黙が流れていた。硬はただ黙ることしかできなかった。
「いいだろう。賭け金は500円。もしわしが勝ったら、知っていることを全て話してもらうぞ。その後は海外にでも売り飛ばそう。」
「いいね。じゃあ早速始めようか。」
とんとん拍子で決まっていく。
…ん?決まったのか?今?俺海外に売り飛ばされる可能性あるの?
「ちょ、タイム!タイム!」
大慌てで再び翠の肩を掴む。
「何勝手に決めてるんですか!500円の使い道は翠さんの物ですけど、俺自身の使い道は翠さんに決められるのはおかしいですよ!」
「はは、大丈夫だよ、硬君。」
翠はゆっくりと硬に目を向けた。その目は勝利しか見ていなかった。だが、俺はそんなに楽観的にはなれない。
「大丈夫って、なんでそんなことが。」
「だって俺は負けないから。こうしたギャンブルにおいてはね。」
「で、でも負ける可能性だってあるじゃないですか。」
翠はポリポリと頭を掻きながらはぁとため息をついた。
「硬君はさ、普段パチンコ打ってるよね。あれの勝率知ってる?大体40%だ。一番勝てると言われているバカラでさえ、勝率は51%程度。」
「そ、それが何だっていうんですか。」
翠は頭を掻いていた手を降ろす。
「99.9%だ。俺というギャンブルの勝率は、だから安心していい。」
そういう問題ではない。勝手に人を担保にするな!そう言ってやりたかった。でもなぜかその言葉に安心感を得てしまった。その言葉を頼もしいと感じてしまった。なにより、翠さんが負けないと俺の直感が、さっき帯びた熱が言っていた。
「喧嘩は終わったかな?」
待ちきれないという風に正は翠に目線を向ける。
「あぁ、待たせたね。じゃあルールを教えてもらおうか。」
~high & low~
ルール
・チャレンジャーとディーラーで分かれて行う。
・お互い1~10の数字が書かれたカード、1枚ずつ計10枚の手札で行う。
・ディーラーは手札のカードを1枚伏せる。
・チャレンジャーは伏せられたカードが何かを予想し、自身の手札から1枚を伏せる。
・その際、自身のカードがそれに対して大きい数字なら「High」小さい数字なら「Low」と宣言する。
・実際に宣言通りならチャレンジャーの勝利。外したら、チャレンジャーの敗北となる。
・また、同数のカードを出した場合もチャレンジャーの敗北となる。
・使用したカードは2度目の使用はできない。
・ゲームはチャレンジャーが敗北するか、手札を全て使用するまで続くものとする。
「なるほど、ずいぶんチャレンジャー側に不利なゲームだな。」
「ハハハ、そりゃそうだろう。このゲームは本来ならチャレンジャーはリスクがほぼ無いゲームだからな。」
正はゆっくりと自身の足元に置かれた鞄に手を掛け、その中身を机の上に音を立てて置いた。それは札束だった。
「…」
「本来は1万円を失うことだけが、このゲームのリスクだったんだがな。誰かさんが人を賭けるなんて言ってしまうから。」
正の口元は異様なほど歪んでいた。翠はそんな彼を見ず手札を見ながら何かを考えている。
「おっと、話がそれてしまったな。まだルール説明の途中だった。このゲーム、わしがディーラー固定だ。そして賭け金はチャレンジャーが勝つごとに倍になっていく。今回なら500円が1000円、2000円、4000円…最終的には512,000円だ。その代わり、1度でも負ければこれまでの勝ち分は全額没収だ。」
「ご、ごじゅ…」
「何、どうしてもというなら途中で降りることできる。ただし、その時はその時点で獲得した金額の半分になるがな。つまり-1連勝分になるということだ。」
硬は自分の指を折り曲げながらお金の計算を始めた。翠は目線をカードから正に向けた。
「はぁ、たかだか51万でラピダリーの情報を貰おうなんて、ずいぶん安く見られたもんだな。」
「今更文句を言っても遅いぞ。お前はもう500円と宣言したんだからな。」
正の顔は醜く歪んでいる。彼の目は札束よりもギラついていた。
「まぁいい。始めようか。」
硬が計算を終え、顔を上げたころにはもう二人ともカードに目線を向けていた。
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