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キンセンカ  作者: 櫻美


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15/16

十五

俺には父親の記憶がない。

何故なら、俺が生まれてすぐ

俺と母親を置いて何処かへ逃げてしまったからだ。

俺は、大阪の「ミナミ」と言われる地で産まれた。

その「ミナミ」と呼ばれる所は朝から晩まで

一日中賑やかで、とにかく人が多かったと記憶する。

大阪で住んでいる時の殆どは

ミナミから何駅か先にある祖母の家で過ごした。

祖母の家がある所は都会から離れている為

静かで、大きな公園があったり自分と同じ歳くらいの

子供も多かったので俺にとっては

祖母の家に居る方が居心地がよかった。

なので、久しぶりにミナミの家に帰ると

人の多さや騒がしさに恐怖した。

祖母に預けられて初めの頃は泣き喚いて

よく二人を困らせてしまったらしいが

祖母の家、なにより母親と離れて過ごす事に慣れるまで

そう時間はかからなかった。

俺の小さい頃の記憶は殆ど祖母との思い出ばかりで

遊びにも沢山連れて行ってもらったし

洋服も毎日毎日、着せ替え人形のように

祖母がコーディネートしてくれて

「何着てもよう似合ってるね」と

満足気に笑うのだった。

祖母の笑った顔は温かくて、小さい俺を安心させた。

けれど、あの男が来てから一変してしまった。

朝、俺は祖母の家で眠っているのか、起きているのか

その間を行ったり来たりしていると

玄関のチャイムが鳴り出した。

祖母は「はいはい」と返事しながら

朝食の支度をやめて、エプロンで手を拭きながら

玄関へと近寄って行った。

そこで完全に目が覚めた俺は興味津々に

玄関の方へ視線を送って耳を澄まして

様子を伺っていると祖母の声で


「急やね、どしたんよ。」

「明日来る予定やったんやけど、ちょっとね」


祖母は母を招き入れ

「電話ぐらいしなさいよ、こんな朝に。

誰が来たんかと思ったら。」とぶつぶつ

不満を口にしながら台所へと戻って行った。

母は俺の顔を見るなり「おはよう、もう起きてたん?」

愛嬌たっぷりの笑顔で俺の頬を撫で回す。

祖母の家で祖母と息子である俺がいる。そこに

祖母の娘である俺の母が家に来た。

どこもおかしくなくて、朝に来ようが夜に来ようが

急に来ようが、何でも良いはずなのに

妙に嫌な予感、胸騒ぎがする。そして、

そういう勘は大体当たるもんだからタチが悪い。

母親が来たところで俺は完全に目が覚めて

祖母が用意してくれた朝食を三人で食べる事になった。

母が先に座ってそれと向かい合うように祖母が座り

無意識に祖母の隣に座った俺をみて母親は

暗い顔をして小さく「いただきます」と言った。

食事の時の会話は他愛も無い話ばかりだった。


「今日は何、休み?」

「そう、休み。だから夜は何処か食べに行く?」

「そうね、たまには良いね。

あ、そうそう、あそこのー、ほら、

新しく出来たスーパーあるでしょう?

すっごい安かったの」

「あー、あそこね。オープンしたばっかりで

安いだけじゃない?」

「ハハハ、そう言うことか」


こんな調子で会話は続いて、その二人の顔を

交互に見ながら喋らずとも参加している風な顔をした。

食べ終えて片付けた後も二人は話し込んで

退屈な俺は二人に背中を向けて一人遊びをしていて

気がついたら眠ってしまっていた。

まだ視界がぼんやりする中、二人の喋り声が聞こえて

「豊さん」と言う名前だけが耳に入ってきた。

俺が目をこすりながら起き上がると

母親は「おはよう、よく寝てたね」と微笑んで

両手を広げ「おいで」と言った。

眠たい目を擦りながら母親の方へ寄っていくと

俺を抱き上げ自分の膝の上へ座らせ


「茂ちゃん、茂ちゃんもお父ちゃんが居た方が

嬉しいわよね?いっぱい遊んでもらえるわ」


俺の頭上から囁いた。

この時、俺はこの囁きが持つ意味など

まるで分かっていなくて、ただ祖母の顔は

眉を歪ませて不安そうな顔だった。


母は「大丈夫、大丈夫。良い人ですもの」

祖母は「あんたはそれで良いかも知れへんよ?」と

ちらりと俺の方を見てもう一度母親の目を見た。

その後も似たようなやり取りを続けていたけれど

母はずっと前向きな様子で、その様子が余計に

祖母を不安にさせていた。


「今日来たのはね、お母さんに会ってほしくて。」

「その、豊?さんに?」

「うん、どうかな?」

「どうかな?ってあんたね、私はいいわ、やめとく。

茂ちゃんとお留守番しとくわ。」

「なんで?会ってくれへんの?」

「そんなん、いいわいいわ。」

「なんでよ?何があかんの?」

「なんでって、あんた。会って私がね、もしよ?

この男はあかんやめとき言うたらどうするの?」

「なんでそんなこと言うの?」

「それに、、」

祖母は俺の方をちらりと見て言葉を詰まらせた。

母親も俺の方を見て少し言葉を詰まらせたのち

「良かったねって言ってくれると思ってた。」と

寂しそうにぽつりと呟き、続けて

「わかった、豊さんには断りの連絡しておく。

後、茂は夕方連れて帰ります。」


母は膝の上から俺を降ろすと立ち上がり

自分の荷物をまとめて振り返らずに

そそくさと玄関の外へ行ってしまった。

祖母は何か言いかけたけれどやめて

俺に視線を送ると、かたく抱きしめて、


「大丈夫よ、ばあばがいるからね。

よしよし、いい子いい子。」


俺を安心させたいのか、あるいは

自分を安心させたかったのかも知れない。








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