十六
母親が出てから俺とばあば(祖母)は
普段通り過ごしていた。ただ、ばあばが
「公園でも行こうかね?」と言ってくれた誘いに
どうしても気分が乗らなくて
「ううん、行かない」と返事したらばあばは
驚いた顔をしたが、すぐに
「そうね、暑いしお家でのんびりしようね。
後でアイスクリームでも買いに行こうか」
俺の心を察して切り替えた。
そして、日が暮れて辺りが暗くなった頃
母が俺を迎えにきた。
「あんた、ちょっと待ちなさいよ。」
強い口調でばあばは母のことを叱りつけた。
そっと壁に寄りついてドキドキしながら
二人の様子を伺った。
「なんよ、もう、いちいち大きい声出さんといてよ」
ふらふらと呂律もうまく回らない母。
どうやら酷く酒に酔っている様子だった。
「そんなんで茂ちゃん連れて帰ったら、可哀想や。
今日は一人で帰り」
「なんでよ、大丈夫やわ。連れて帰る」
「そんなふらふらで、呑んでから
迎えに来るなんて信じられへんわ」
「なによ、大人やねんからお酒呑んでもいいでしょ?
意識もはっきりしてるし、大丈夫やから」
「そういう事じゃないでしょ?
時間も遅いし、何時か分かってんの?」
二人はどんどん激しく言い合いを続け
両者一歩も引かない様子だった。
ばあばは俺を守るように、両手で包んで
「茂ちゃんも酔っ払いと一緒に
帰りたくないって言うてるわ、」
「そんな事ないもん、そんなん言うはずないわ。」
母親は癇癪を起こして、両手で目一杯
テーブルを強く叩きつけた。
「ちょっと、落ち着きなさいよ。
そんなんなるまで呑みなさんな。
座ったら?一旦お茶でも飲んでね?」
「なんなん?私が悪いの?
お母さんが私から茂を取り上げようとするからよ。
茂までおらんくなったら私、もう死ぬからね」
「またそんな馬鹿なこと言うて、これやからあんたは
すぐヒステリックを起こすねんから。」
「もう、私の事をなんで、そんなに責めるの?
私そんなにあかん事したんかな、」
母は床に座り込んで、長い黒髪が
顔に垂れてもそれを避けようとせず
俯いて涙をポロポロ流し始めた。
俺はその光景を目の当たりにして、
脳裏に焼きついてしまう程の異常事態が
起こっていると思った。
母親ではない「なにか」別の者を見ているみたいで
恐怖して泣く事も、動く事も出来なかった。
「ちょっと、もう。あんたも今日は
泊まって行ったら?それがいいんちゃう?」
「ううん、いい帰る」
母は涙を手のひらで乱暴に拭きながら
続けてこう言った。
「迎えに来てくれるから。大丈夫、茂も、
一緒に帰るもん。私と茂はずっと一緒なの。
だから連れて帰るの。」
「はぁー、」ばあばは呆れ、深い溜息をついて
「あんたがそんなんで、茂ちゃん可哀想やわ」
「お母さんは茂を奪う気なんやわきっと、
きっとそうやわ。」
「何でそうなるの?」
「そうやわ、そうに決まってる。
私から、茂を奪わんといてよ」
大きい声を出した母親、いや、女は
荒々しく荷物を持って俺に近づこうとすると
ばあばはそれを阻止するように母の肩を持って
「落ち着き、ね?」
「うるさいな、離してよ」
ばあばの手を振り払って、おまけに突き飛ばし
テーブルに身体を打ちつけたばあばは
尻もちをついて動けなくなった。
「ほら、帰ろう茂。」
手を引っ張られながら振り返ると
ばあばは座り込んだまま床を見つめていた。
その姿を見て大変胸を痛めたまま俺は外に出た。
家から出てヒールをカツカツと
音を鳴らしながら駅の方へ向かった。
手を引かれ、泣く暇も与えてもらえない俺は
ただ手を引かれ連れて行かれた。
大通りまで出るとやっと足を止め
女は携帯を取り出して、キョロキョロ辺りを見渡す。
「まだかな、」
呟いてからすぐ黒い車が近づいて
俺たち二人の前で止まった。
女は乗り慣れているのか躊躇なく車の中へ
滑り込んで外で立ち尽くす俺に向かって手招きした。
動き出して、俺は落ち着かなくて母親の顔を
チラチラ見てみたり、身体をひっつけて
アピールしたけれど窓の外を眺めるばかりで
俺の事は知らんぷりだった。
沈黙の中、最初に口を開いたのは男で
ミラー越しに俺と目が合うと微笑んで
「こんばんは、茂くん。初めてで緊張するな。
怖いおっちゃんじゃないからね、」
男が言い終えると、母は窓の外を見つめながら
「茂、この人はね
これから貴方のお父さんになる人よ。」
この日を境に、ばあばとは会えなくなった。
「大丈夫かな?泣いてないかな?」
ばあばの事を思うと悲しくて仕方がなかった。
反芻して暫くの間、中々眠れず
相変わらず母親の事は許せないままだった。




