第5話 最初の敵は角ウサギ
考えるより先に、身体を横へ投げた。
白い影が脇腹すれすれを通過する。
避けた――そう思った直後、左腕に熱い線が走った。
「ぐっ……!」
角の先端がシャツを裂き、皮膚を浅く切っていた。
傷口から赤い血が滲む。
痛い。想像していたより、ずっと痛い。
ゲームなら生命力の数値が少し減るだけだった。今は心臓が暴れ、指先が震え、頭の中で逃げろという声が鳴り続けている。
ホーンラビットは数歩先で着地し、素早く反転した。
「待て。少しくらい話し合えないか?」
通じるとは思っていない。
それでもテイマーだった癖で声をかけた。
返ってきたのは、喉の奥から絞り出すような威嚇音だった。
赤い目に理性がないわけではない。ただ、ひどく興奮している。縄張りへ入った俺を敵だと認識し、追い出すより殺すことを選んでいる。
〈魂約テイマーⅠ〉を意識してみる。
《対象は契約を拒絶しています》
《信頼関係が存在しません》
「やっぱり、いきなり契約は無理か」
当然だ。
初対面の人間に、仲間になれと言われて頷く者はいない。ゲームでは弱らせて捕獲用アイテムを使う方式だったが、今のスキルは相手の同意を必要とするらしい。
逃げるか、戦うか。
ホーンラビットが再び前脚で土を削る。
背を向けた瞬間に刺される。
俺は足元に落ちていた、腕ほどの長さの枝を拾った。
武器と呼べる代物ではない。先端も丸く、少し力を入れれば折れそうだ。
それでも素手よりはましだった。
《棒状物を武器として認識》
《〈棍棒術Ⅰ〉の習得条件を一部達成しました》
「一部じゃなく、今すぐ覚えさせてくれ」
返答の代わりにホーンラビットが突進する。
枝を横へ振る。
当たった。
だが軽い。枝は兎の身体を叩いただけで、勢いを止められなかった。
角が腿をかすめ、俺は地面へ転がる。
ホーンラビットも姿勢を崩したが、すぐに起き上がった。
「ゲームの初心者武器って、かなり親切だったんだな……」
今さら木剣のありがたさを思い知る。
力任せに殴っても勝てない。相手の方が速く、角もある。こちらには防具すらない。
周囲を見る。
小川。濡れた石。斜面。太い木と、その根元から突き出た固い根。
使えるものは全部使うしかない。
俺は小川へ向かって走った。
背後で土を蹴る音がする。
振り返らず、濡れた石を飛び越える。ホーンラビットも追ってくるが、小さな身体では水へ踏み込まなければならない。
水しぶきの音。
今だ。
俺は反転し、拾っておいた拳大の石を投げた。
狙ったのは頭ではない。目の前の水面だ。
石が落ち、大きな飛沫が上がる。
驚いたホーンラビットが一瞬だけ目を閉じた。
俺は横へ跳ぶ。
白い身体が通過し、そのまま斜面へ駆け上がった。
速度を乗せたまま方向転換はできない。二度の突進で分かっていた。
《対象の行動傾向を理解しました》
《〈突進予測Ⅰ〉を習得しました》
視界の中に、薄い赤線が現れた。
ホーンラビットの角から伸び、次に通る軌道を示している。
「これなら……!」
俺は木の根元へ移動した。
ホーンラビットもこちらへ向き直る。興奮しきった赤い目は、俺しか見ていない。
突進。
赤線が木の根へ向かって伸びた。
衝突する寸前、俺は幹の陰へ飛び込む。
鈍い音が森へ響いた。
角が木の根へ深々と突き刺さっている。
ホーンラビットは後脚をばたつかせるが、抜けない。
今なら逃げられる。
一瞬、そう考えた。
けれど、こいつをこのまま放置すればどうなる。角が抜ければ、また襲ってくるかもしれない。抜けなければ、時間をかけて苦しんで死ぬ。
どちらにしても、俺が始めた戦いだ。
「……ごめんな」
折れた枝の中から、先端が鋭く尖ったものを拾う。
両手で握り、ホーンラビットの首元へ突き下ろした。
一度では終わらなかった。
二度。三度。
白い毛が赤く染まり、後脚の動きが止まる。
《ホーンラビットを討伐しました》
《経験値を獲得しました》
次回「生きるための代償」。勝つために選んだ行動が、ゲームでは味わわなかった重さを悠真へ残します。
本日は第10話まで連続投稿します。後半では、悠真が最初の相棒と出会います。




