第4話 ここはゲームではない
答える者はいない。
立ち止まっていても状況は変わらない。
雨は弱いが、日が暮れれば体温を奪われる。まずは水と、安全な場所。それから食料だ。
ゲーム時代の知識が通用するなら、森では水音を探すのが早い。
目を閉じ、耳を澄ませる。
雨音。葉の擦れる音。遠くで鳴く鳥。
その中に、わずかな水の流れを感じた。
音の方向へ歩き出す。
足元の草を枝で払い、毒虫や蛇がいないか確認する。歩き始めて数分後、視界の端に小さな表示が浮かんだ。
《行動経験を確認しました》
《〈野外歩行Ⅰ〉を習得しました》
「スキルを……覚えた?」
取得条件もポイント消費もなかった。
続いて、濡れた地面に残された小さな足跡へ目が留まる。
《〈痕跡観察Ⅰ〉を習得しました》
意識を集中すると、ただの窪みにしか見えなかった足跡から、動物が進んだ方向をなんとなく感じ取れた。
固有スキル〈万象適応Ⅰ〉。
説明文を開く。
《体験、観察、理解、訓練、契約を通し、関連技能を獲得する》
《習得技能は原則としてⅠから開始する》
《理解を伴わない模倣では獲得できない》
「なるほど。弱くなった代わりに、学び直せるってことか」
少しだけ希望が見えた。
今は何もできない。それでも、行動すれば力になる。
ただし、スキルが増えても腹が満ちるわけではない。まず生き延びなければ、その可能性を試すことすらできない。
焦って進めば、ゲームの癖が命取りになる。慎重さも、今の俺に使える立派な武器だった。
水音を頼りに歩き、やがて細い小川へ到着した。
透明度は高い。だが、見た目がきれいでも安全とは限らない。
布で泥を濾し、本当なら火を通したいところだが、道具がない。渇きに負け、少量だけ口へ含む。
冷たい水が喉を通った。
味に異常はない。
《〈水質観察Ⅰ〉を習得しました》
水を飲み、濡れにくい大木の根元で休む。
体力は多少戻ったが、腹は減ったままだ。
周囲を探すと、赤い木の実を発見した。ゲームにも似た実があったが、同じ物だとは限らない。
鳥が食べた跡を確認し、果肉をほんの少し舌へ触れさせる。
痺れはない。苦味も刺激臭もない。
慎重に一つ食べた。
酸っぱいが、空腹にはありがたい。
《〈食材判別Ⅰ〉を習得しました》
木の実を三つ食べ、残りは大きな葉で包んだ。
食べられると分かっても、一度に大量摂取するのは危険だ。遅れて症状が出る毒もある。三十分ほど待ち、腹痛や眩暈がないことを確認してから、もう一つだけ口へ運んだ。
続いて雨を避けられる場所を探す。
倒木の下は乾いていたが、獣の毛と古い糞が残っていた。今は空でも、夜になれば主が戻ってくる可能性がある。
大木の根元には人一人が座れる窪みがあった。風上にあり、小川が増水しても水が届きにくい。
《〈簡易野営地選定Ⅰ〉を習得しました》
便利な一方、スキルが判断を代わってくれるわけではないらしい。危険な倒木へ近づいたときは、何の警告も出なかった。俺が獣の痕跡へ気づいて初めて、関連情報が感覚として整理された。
自分で見て、考え、理解する必要がある。
〈万象適応〉は答えを与える能力ではなく、学んだことを形にする能力なのだ。
「何でもスキルになるんだな」
独り言が増えている。
会話相手がいないせいだ。
そのとき、茂みの奥で枝が折れた。
反射的に振り返る。
赤い目が二つ、草の隙間からこちらを見ていた。
白い毛。兎に似た身体。そして額から伸びる、鋭い一本角。
「ホーンラビット……」
ゲームでは最弱級の魔物。
初心者が最初に倒す、練習相手だった。
だが今の俺はレベル1。武器も防具も、助けてくれる召喚獣もいない。
ホーンラビットが前脚で地面を掻く。
角の先端が、まっすぐ俺の腹へ向けられた。
《敵性反応を確認》
《ホーンラビット 危険度F》
最弱の魔物が地面を蹴った。
俺には、それが弾丸のように見えた。
次回「最初の敵は角ウサギ」。武器も仲間もないレベル1の悠真に、この世界で初めての敵が迫ります。




