<3話> 私の会社、私の役割【志桜里side】
翌日――。
朝6時。
ピピピピ。ピピピピ。
アラームが鳴った。
私はアラームを消し、カーテンを開ける。
太陽の光がまぶしい。
今日は快晴だ。
腕を高く上げ、伸びをする。
「う~ん。今日も頑張ろう!!」
こうして――私の朝は、自分に気合を注入してから始まる。
顔を洗い、母、弟、自分の3人分の朝食を作る。
食事を済ませたら、洗濯物を回しながら、簡単に部屋の掃除。
せっせと家事をこなす。
父は幼い頃に亡くなった。
母は足を悪くしていて、杖がないと歩けない。
だから、私が家事担当だ。
周りに身の上話をすると、いつも同情される。
「可哀想」「誰かに頼ったらいいのに」
散々言われてきた言葉だ。
でも、つらいと思ったことなど一度もない。
私が一家の大黒柱。
母とまだ大学生の弟を支え、守っていく責任がある。
時計を見ると――7時を回っていた。
今度は自分の準備をするターンだ。
制限時間はたった30分。
前日に用意しておいた服を着て、化粧を始める。
化粧はとにかく、コスパ、タイパ重視。
プチプラアイテムのみを使って、最低限のメイクアップだけする。
瑠奈には「それ、すっぴんと変わらなくない?」なんて言われるほどの薄化粧だけれど、仕事で求められるのは可愛さではなく、清潔感だ。最悪、憎きニキビ跡とシミがベースメイクで隠せていれば何の問題もない。
そして、3分でヘアスタイリングを整える。
時短のためベリーショートにしたおかげで、寝ぐせを直すだけで済む。
最後に――ジャケットを羽織ったら準備完了だ。
服装自由な会社だけれど、私はいつもジャケットを着る。
仕事モードに気持ちが切り替わるから。
「いってきます!」
家を出る時間、歩く歩幅、乗車する電車の時刻――。
今日も、いたって通常運行。いつも通りだ。
8時15分。
会社のビル前に到着した。
私は立ち止まり、上を見上げる。
ビルは15階建て。
他にも、もっと高層のオフィスビルがたくさんあることはわかっているけれど――。
――高いなぁ。
今でも信じられない。
自分がこの――エンゲージグループに入社することができたなんて。
エンゲージグループは、男女の出会いの場の創出を掲げ、婚活相談・イベント事業で会社をスタート。今はマッチングアプリ、ファッションブランド、ウェディング、出版、グルメなど、関連する幅広い事業を展開している。
かくいう父と母も、このエンゲージグループの婚活イベントで出会い、結婚した。
そんな縁もあって、入社を決めた。
私が所属するエンゲージグループの子会社・株式会社Datingは、このビルの12階に構える。業界初の婚活雑誌『Dating』の名をそのまま冠した会社で、主に出版事業を行っている。
『Dating』は出版不況にもかかわらず、10万部を売り上げるヒット誌。
その最大の特徴は、実際に成婚した人の体験談をベースに企画されている、ということだ。
知名度の高い有名人の起用で部数を稼ぐのではなく、ただの一般人のリアルな生の声を届ける。そうすることで、「自分にもマネできるかもしれない」という共感を呼んだ。
とくに20代~30代の婚活中の女性にとってのバイブルとなっており、男性版の『Dating for men』、美容に特化した『Beauty for Dating』など、雑誌編集部ではいくつもの雑誌を毎月刊行している。
私は『Dating』編集部で働くことを夢見て、入社した。
でも、現実はそう上手くはいかなかった。
配属先として通達されたのは、希望した雑誌編集部ではなく――ここ、Web編集部だったのだから。
「おはようございます」
デスクにバッグを置いて、ちらっと和香様のデスクのほうを見た。
まだ――出社していないようだ。
私は急いで荷物を整理し、用意していた資料を持って、瀬戸 裕也編集長のもとへ向かう。
「編集長、おはようございます」
「おはよう、多部さん」
「これ、新しい企画書です」
「……あのね……」
「私、諦めませんから」
編集長は困った表情を浮かべながら、チラッと隣のデスクを見た。
「……まだ……副編集長がいらしてないから……」
そう言って、手元のパソコンに視線を落とした。
編集長はいつもこうだ。
絶対に和香様を通そうとする。
「どうして、副編集長の許可が必要なんですか?」
「そりゃ……俺の独断でってわけにもいかんでしょ?企画書はじっくり検討しないと……」
慎重に言葉を選んでいる様は、編集長としての威厳がまったくない。
「副編集長はいままで、ろくに企画のフィードバックをくださったことがありません。改善点がわからないままでは、いい企画が出せません。ざっとでいいので、今、見てくださいませんか?」
パソコンの画面を隠すように、企画書をぐっと差し出した。
編集長は、小さくはーとため息をつき「わかったよ」と言って、企画書を受け取ってくれた。
――よし!
ふと視線を感じて後ろを向くと――Web編集部の先輩たちがこちらを見ていた。
でも――私と目が合った瞬間、すぐに視線を逸らした。
私は、部署内で完全に異端児扱いだ。
でも、絶対に折れない。
誰かが声を上げ続けないと、この部署は何も変わらないから。
自分がヒーローになろうなんて大層なことを思っているわけではない。
ただ、この悪しき雰囲気を変えるには、誰かが抵抗を続けなくてはならない。
その役目を、自分が果たしているまでだ。
編集長は、1ページ目をぺらっとめくった。
でも――ものの数秒で企画書に目を通すのをやめた。
「君さ、正気?この予算」
「はい」
「カメラマン7万、スタジオ3万、ライティング3万、取材謝礼1万って……」
「ヘアメイクとスタイリスト代もありませんし、雑誌編集部よりも予算を抑えたつもりです」
「言ったよね?雑誌とWebは違うんだって。うちは、雑誌とは違って安定してマネタイズできるスキームがない。こんなに予算はかけられない。どうしても企画を通したいんだったら――予算はゼロを前提として企画書だしてくれる?」
「でも、それではクオリティが……」
背後から、ふっと私を嘲るような笑い声がした。
一気に全身がこわばった。
あの女の――おでましだ。




