33 第二王子の兄としての立場と、
「っ………?」
「目が覚めたかギル」
微かな呻き声を漏らすギルに、落ち着かせるように意識して呼びかける。既に一度、精霊堕ちから浄化され会話もした相手であるギルに、今度こそ私の方も冷静でいなければと自分自身に言い聞かせた。
ゆっくりと瞼を開けたギルは、暫くは部屋の天井を見上げたままだ。
情報をまた一度に伝えるよりも、少しギルも落ち着いてから話をする為に敢えて黙る。十秒、二十秒と、天井を見つめ続けるギルに、本当に意識があるのか気になってまた胃が痛くなった。精霊堕ち中も殆ど放心状態だった私は一年間の記憶が殆どないが、その反動のように胃の痛みが酷く懐かしくもまだ慣れない。
何も考えられない一年は、その代わりに感情も痛みも本当に今思えば恐ろしいほど感じなかった。
「…………セシル。スピカは、……無事か」
「!ああ、……無事だ。治癒魔法も掛けて今は火傷の一つもない」
兄上もと、頭に浮かんだがそこは敢えて止める。さっきのように兄上の存在を告げた途端に精霊堕ちすれば、せっかくの彼女と兄上の捨て身の浄化も無駄になってしまう。………本当に、二人とも無茶をしたものだ。
特にスピカ、いやスロースはもう少し兄上の身になって欲しい。兄上があそこまで親しげに関わろうとする女性なんて、私が知る限り一人もいなかった。
「そうか、良かった」と擦れた声で平坦に返すギルは、ちゃんとさっきの記憶もいくらかはあるらしい。ギルは昔から少し喧嘩早いというか短気な部分はあったが、それにしてもあれは取り乱していたなと思う。………………いや、私も浄化後は同じようなものだったか。
重そうに右手を額に乗せ、天井を見つめたままのギルは僅かに眉間に力を込めた。
「彼女に……何があった?あんな無謀なことをする女ではなかった筈だ……」
「……私もそう思う。だが、私達が精霊堕ちになってから月日も経っているんだ。きっと変える何かがあったんだろう」
そしてそれを私達からは尋ねるべきじゃないと思う。
スロース本人も、昔から自分のことは語りたがらなかった。私も、そしてギル達も当時から何か彼女が隠しごとをしているとはわかったが、暴こうとは考えなかった。当時、突然婚約者候補として連れてこられた彼女は、当初から国一番の魔法使いと称えられているとは思えないほどおどおどして、常に何かに怯えるように小さくなって俯いていた。それが今ははっきりと兄上にまで物言いをし、生死を問うような無茶をするほどの行動力まで見せてきた。
一年、私達を精霊堕ちにしてしまったということをきっと彼女も彼女なりに気にして苦しみ続けたのだろう。一年間精霊堕ちとして停滞し続けた私達が不甲斐なく感じるほどに。
「それに……エリアスも。あれは、本当にエリアスなのか……?」
「?そうだ。ギルは私より子どもだったからよく覚えていなくても無理はないな。だが、城に姿絵なら何度も見ただろう?」
「嗚呼……見た。何度も、何度も………………何十枚も」
まずい。
言いながら、頭を抱えたギルの声が忌々しげに変わっていった。眉間の皺も刻まれたように深くなり、歯までギリリと食い縛る。冷静だったギルについ、私も以前の調子で話してしまった。
城には何枚も兄上の肖像画が飾られていた。兄上の帰還を祈るように、私達兄弟の誰よりも飾られる枚数も多ければ城中の廊下を歩けば必ず見るほどだった。私にとっては誇らしく兄上が見守ってくれているような気分にもなったが、ギルは精霊を宿した頃から特に兄上の肖像画を嫌うようになっていた。一度、兄上の肖像画を半分でも良いから撤去できないかと直接ギルに相談をされたこともある。
何か、話題を変えようと思考を巡らせても、一度兄上のことを思い出した所為で兄上のことしか浮かんでこない。
「エリアスも……変わったのか?それとも………あんなだったか?昔から……」
ぐったりとした重い声で続けるギルは、意外にも苛立ちは長く続かなかった。険しい表情も怒っているのではなく、もしかしたら記憶を探っていただけだったのか。
兄上が城を出た時、まだギルは十二だった。兄上との思い出が全くないわけではないが、それでも思い出せないものも多いんだろう。それこそ、城の人間からの兄上の武勇伝ばかり聞いて記憶もいくらか変わってしまっている可能性もある………多分、私もその一人なのだろう。兄上への憧れが強すぎて、ギルが嫌がるようになるまでは、会うたびに兄上のことを話題にしていた。
「……兄上は昔からああいう人だった。ただ、誤解していた部分がいくつもあった。私も、お前達も」
エリアス兄上を、美化し過ぎた。
そう今はもう思い知った後だ。言ってしまえば簡単で、嬉しくもないのが口が笑う。消えた兄上を慕っていたつもりだった私も、それに反発していたギルも結局兄上の本当の姿は見えていなかった。
ギルとは、一年前には兄上の話自体あまりしたことはなかった。私が一方的に懐かしむくらいで、ギルは精霊を宿してからは特に兄上の話題を嫌がった。けれどやっぱりギルも兄上のことを同様にそう見えていたのだと確信がある。
「お前も話してみろ。きっとすぐにわかる」
良くも悪くも思い知る。子どもの頃は雲の上の存在だった兄上が、完璧とはほど遠い人だったことを。
私の言葉にギルは目を伏せ、口を閉ざした。一年ぶり、………それ以上の懐かしいギルの言い返せない顔だ。
成長するにつれてギルは、家族にも私にも誰に対しても気を張り詰めるようになっていた。いつか彼の心を緩めてくれるような存在が現れればと、何度思ったか数知れない。兄である私でも結局ギルが動きやすいように手助けするか、後始末を担うくらいしかできなかった。
不死鳥の精霊を得てから特に、己の全てに責任を負うようになってしまった。私の記憶の中で、一番新しい記憶ではもう兄上のことを「エリアス」と呼んでどこか敵視しているようにも恨んでいるようにも見えた。
もともと、ギルには兄上との対話は難題だった。何度スロースが浄化魔法を使おうと、防げるようなものじゃなかった。ギルの兄として一番長い私がそれを理解するべきだったと、今更になって省みる。………兄上にも、そしてスロースにも悪いことをした。
「ギル。先ほども言っていたが、兄上はお前から何も奪うつもりはない。ただ、………本当に、信じられないとは思うが、精霊堕ちになった私達の状況を彼女から聞いて助力する、本当にそれだけの為に戻られたんだ」
「言われなくても覚えているッ……。……まさかあのエリアスがただ連れてこられただけとは思わなかった……しかもあの、小心者で黙って私の十歩後ろについて回るだけだったようなスピカが」
頭を痛そうに片手で押さえ出すギルに、それは私も同じだと意志を込めて深く二度頷く。
永年行方不明だった兄上を、まさか身内でもないそれどころか城から追い出されたらしい彼女が見つけ出して共に行動するなんて私だって理解するのは大変だった。
彼女がどうしてあんなにも変わったのか、この一年にどれだけのことがあったのかは私もわからない。だが、兄上を動かしているのは間違い無く彼女だ。
きっかけは兄弟である私達の精霊堕ちでも、兄上がああも人に従う姿自体私は初めて見た。
「どちらにせよスピカには謝罪だな……。頭に血が上っていたとはいえ、まさかこの俺が巻き添えにすることになるとは……」
ハァ、とそこでギルがまた倒れた。仰向けにバタリとベッドに倒れた時には目を閉じていたギルだが、すぐにまた開き、何もない天井を見つめ出す。
その態度に、私もほっと息が溢れた。精霊堕ちが再発する気配はない。いつもの責任感の強いギルバートだ。もともと、王妃候補とはいえスロースが魔獣討伐に同行することも安全の意味から当時あまり快くは思っていなかったギルにとって、今回彼女にまで火傷を負わせたのは想定外だったのだろう。………そして私もだ。
精霊堕ちになったギルの動きを奪う為程度にしか思わなかった空間魔法の沼に、まさかスロース本人が飛び込んだ時は驚いた。私の精霊では、ギルの不死鳥の炎を消せるわけがないのに。
「……そうだな。謝った方が良い。今、兄上と別室にいる。……兄上には、会えそうか?」
「ああ、大丈夫だ。エリアス兄上にも勝手な思い込みで無礼を働いた」
倒れ込んだのも束の間に再び身体を起こし、今度は両足もベッドに降ろし座り直した。身嗜みを整えようと手での黒髪を押さえながら鏡を探すギルに、それこそ今更過ぎるとは想いつつ鏡の場所を指で示す。
ベッドから降り完全に立ち上がれば一瞬だけふらついたギルバートだが、それもすぐ持ち直した。髪は大して乱れもなかったが、鏡を前に……わかりやすく顔を歪めた。一年も着替えをしなかったギルバートの服は当然王族どころか敗残兵のような擦り切れっぷりだ。討伐した魔獣の返り血はいくら浴びても気にしなくても、衣服の汚れを気にするギルバートに今の服はさぞ自分でも見苦しいだろう。
「……俺は一体何年徘徊していたんだ……」
「一年だ。一人で生き延びたのは流石はお前だ」
覚えてないのか?と、既に一度説明した筈の話を尋ねてはみるが、ギルバートもあの時は精霊堕ちの交互で記憶が混濁していても仕方が無い。私だって精霊堕ちを繰り返した前後は朧気だ。
着替えをと、小さく溢したギルはそこですぐに飲み込むようにして諦めた。今ここは城でもギルの隊でもない宿屋の一角だ。せめてと一番汚れてボロボロの上着を脱いだギルだが、下のシャツもやはり見れたものじゃない。
少し小さいとは思うが、私の上着を脱ぎ渡す。羽織る程度ならまぁできるだろう。
そういえば兄上も濡れただけではなくギルとの戦闘で服も大分ボロボロになっていた。これはもう一度衣服を新調する必要がありそうだ。さっき着替えを買った店もこの時間じゃ閉じてしまっているだろう。
「私ので良いか?兄上も今は着替えがないし、スロースも気にしない」
「ス……ああ、今はその名で呼べば良いのか」
鏡の前で納得いくまで髪を整え、古びたシャツの皺を伸ばしたギルに、肯定を返しながら扉に向かう。そろそろスロースも兄上と話が付いている頃だと良いんだが。
私とは別の部屋を借りている兄上に、城のように廊下に響かせて呼ぶわけにも行かず一度部屋を出た。………………そういえば、男女を同じ密室にするのは間違いだったか?スロースが王妃候補だったのは昔のことで、兄上も王族の血筋として妙な真似はしないとは思うが。
過った瞬間、扉の前でノックを鳴らすかも少し躊躇った。話し合いにしては、あまりに扉の向こうが静か過ぎるように思える。
兄上がスロースのことを心配して怒っていたからこそ二人で話し合えばと思ったが……まさか。いやだが兄上も完璧ではない一人の人間だと私もわかったばかりで、仮にも女性と、しかも兄上に強く言える女性と二人きりにして、この場合私にも責任の一端がッいやまず双方合意でないのであればやはりここは私が声を掛けるしかない!
ギリギイギリと胃が痛む中、覚悟を決めてノックを鳴らす。




