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聖堂懐胎~誰にも選ばれなかった者  作者: 酒とゾンビ/蒸留ロメロ


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修道院のエミリア

 修道院は、街の喧騒から少し外れた場所にあった。高い石壁に囲まれ、門は閉じられている。装飾は少なく、外観は質素だった。

 門の脇にある小さな扉を叩くと、しばらくして内側から音がした。開いた隙間から、修道服の初老の女が顔を出す。愛想のない女だと康正は思った。


「エミリアさんはいらっしゃいますか」


 毎度のことながらアリアナが対応する。康正は後ろで待機した。


「どちら様ですか」

「も、申し訳ありません。アリアナと申します」


 康正はアリアナの後ろから顔を出し、


「康正です」


 初老の女が、二人を交互に見、


「どのようなご用件でしょう」

「差し支えなければ、用件を含め、直接ご本人とお話ししたいのですが……」


 アリアナは堂々と言った。


「お取次ぎ願えませんか」


 沈黙のあと、少々お待ちください、と初老の女は扉をとじた。


「通るでしょうか」


 アリアナが振り返り、小声で訊いた。康正は肩をすくめる。

 しばらくして、再び扉が開く。


「中へどうぞ」


 扉が奥まで開かれる。初老の女は身体を引き、二人を迎え入れた。


 中へ足を踏み入れると、空気が一段ひんやりとした。石造りの廊下は外の光をほとんど通さず、奥へまっすぐ伸びている。足音が小さく反響した。


「こちらでお待ちください」


 初老の女はすぐ脇の小部屋を示した。扉のない、控えの間のような場所だった。壁際に簡素な長椅子が置かれているだけで、装飾らしいものはない。

 二人が中に入ると、女は軽く会釈し、そのまま奥へ引っ込んだ。足音が遠ざかる。

 残された空間は静まり返っていた。

 アリアナは周囲を一瞥し、椅子には座らず、壁際に立ったまま小さく息を吐いた。


「あっさり通りましたね」

「ですね」


 康正は短く返す。視線だけを廊下の奥へ向けた。

 しばらく、何も起きない時間が続いた。遠くで誰かの足音がかすかに響き、また消える。

 やがて、廊下の奥から別の足音が近づいてくる。先ほどの女のものとは違い、やや軽い。

 足音は二人の前で止まり、


「……ヤスマサ様でしょうか」


 唾を飲み込んだような、一拍置いての確認だった。

 姿を現したのは、三十代半ばほどの女だった。修道服は同じだが、表情にはいくらか柔らかさがある。さきほどの初老の女とは、根本から雰囲気が違った。

 女は康正へ視線を向けていた。

 康正はわずかに眉を動かす。名を呼ばれる覚えはない。だが女の目は逸れず、こちらを見ている。


「そうですけど」


 康正は短く答える。


「エミリアと申します」


 彼女はまるで待っていたというように、


「アスカちゃんからよく、あなたの話を聞きました」


 康正の表情が固まる。


「……ここでは落ち着きませんね。よろしければ、こちらへ」


 そう言って初めてアリアナへも顔を向け、エミリアは廊下の奥を示した。二人は顔を見合わせ、エミリアの後に続いた。


 廊下はまっすぐに伸びていた。三人分の足音が石壁に反響する。窓は高い位置に小さく切られているだけで、外の光は淡く差し込む程度。

 エミリアは振り返ることなく歩き、いくつかの扉の前を通り過ぎる。そのどれもが同じ造りで、どこへ連れていかれているのか判然としない。


 やがて一つの扉の前で足を止めた。


 中は小さな部屋だった。石の壁に囲まれ、中央に簡素な机と椅子が置かれている。余計なものはなく、壁際に棚が一つあるだけだ。

 先に二人を中へ入れ、扉を閉めるとエミリアは机の向こう側へ回った。


「お掛けください」


 二脚の椅子を手で示した。

 二人が椅子に腰を下ろすと、エミリアもゆっくりと椅子に腰を下ろし、机越しに二人を見た。

 口を開きかけたアリアナへ、エミリアは手を添え、


「アスカちゃん、のことですよね? 何をお聞きになりたいのでしょうか」


 アリアナは一度、息を整えた。視線を落とした彼女は、どこから話すべきかを選び直しているように、康正には見えた。やがて顔を上げると、これまでに辿り着いた経緯を、順を追って語りはじめた。

 発端は、裕太からの依頼だった。自分は無実であると、そしてそれを証明してほしいと託されたこと。大聖堂の私室で見つけた彼の日記の内容、──六月一〇日、彼の魔術に異変が生じたこと。そして同じ日、飛鳥が礼拝堂で助聖女たちとともに意識を失っていたこと。

 さらに目覚めたあと、人数が一人足りなかったという話。だが実際には、その一人は最初から来ていなかったと伝えられていること。飛鳥自身は、気を失う直前、確かに十六人いたと断言していること。祈祷の前に飛鳥は必ず人数を数える習慣があり、見間違いは考えにくいこと。

 断片を拾い集めるようにして、アリアナはそこまでを繋いだ。

 六月一〇日、礼拝堂にいたはずの「十六人目」と、来なかったはずの助聖女。その齟齬。そこに何があったのかを知りたいのだと、要点だけを残して話を結んだ。

 言い終えると、室内に短い沈黙が落ちた。

 エミリアはすぐには口を開かなかった。机の上に置かれた自身の指先を見つめたまま、わずかに視線を揺らす。何かを選び取るような、あるいは伏せてきたものに触れるかどうかを量るような間だった。

 やがて、静かに顔を上げ、


「その助聖女ですが」


 エミリアの声は落ち着いていた。


「彼女は、その日の件で修道院を離れています。現在の所在は、私にもわかりません」

 

 アリアナの肩が、わずかに強張った。

 続けてエミリアは、当時その本人から聞いたという話を淡々と述べた。祈祷の支度を整え、礼拝堂へ向かうはずだったこと。だが途中で記憶が途切れ、気づけば翌朝だったこと。倒れていたのは自室の扉の前で、身に着けていたはずの衣装も仮面もなく、裸だったこと。


「裸?」


 アリアナは思わず目を細めた。


「勤勉な子でした。遅刻どころか、体調不良で祈祷を休んだことすら、ほとんどありませんでした」


 アリアナは視線を落としたまま、思考を組み立てているようだった。

 やがて顔を上げ、


「では、その方は──」


 言葉を選ぶように一拍置き、


「何者かに襲われた可能性がある、ということですか。衣装を奪うために」


 エミリアは即答しなかった。ほんのわずかに目を伏せ、


「……わかりません」

「のちに妊娠しただとか……他の助聖女についてはどうですか? 飛鳥さん以外にも、のちに妊娠した方がいただとか」

「ないと思います」


 はっきりとエミリアは言った。


「ないと言い切れる、何か根拠があるのですか」

「処女でなければ助聖女にはなれません。助聖女が妊娠したという話は聞きいていませんし、彼女も衣服がなくなっていた以外、被害はなかったそうです」


 エミリアは一呼吸入れ、


「聖堂協会は、その一件をただの寝坊と判断したようです」

「エミリアさんは、寝坊だとは思っていない?」

「……はい」

「では、何があったとお考えですか」

「外傷がないことから、何か飲まされたか、魔術か……わかりません」


 再び、沈黙が落ちる。

 その静けさの中、アリアナが思考をゆっくりと言葉に落とし込んでゆく。


「衣装と仮面を奪われた助聖女の代わりに、何者かがそれを身に着け、礼拝堂へ入った。そして祈祷の列に紛れ込み……」


 そこで言葉がわずかに滞る。だが止めずに続けた。


「何らかの方法で、その場にいた全員の意識を奪い──」


 机越しに、エミリアの指先がかすかに動き、


「アスカちゃんを、襲った」


 エミリアは、自分の口から出た言葉を自覚したように、わずかに目を伏せた。

 康正は口を開いた。


「飛鳥について、何かご存じなんですか」


 エミリアは首を横に振った。


「いいえ。ただ……」


 言葉を探すように一度区切り、


「私は、アスカちゃんの世話係でした。誰と会っていたとか、日々の予定も含めて、ある程度は把握していましたから」


 静かな声で続ける。


「妊娠が分かるおよそ一月前、最後に会っていたのはユウタ様です」


 そこで一度、エミリアは二人を見た。


「ですが、そのお方ではないのですよね」


 確認するような問いだった。

 康正は短く頷いた。エミリアは目を伏せる。


「六月一〇日……あの日のことを、アスカちゃんは覚えていません」


 その一言で、話は途切れた。

 また沈黙が落ちる。先ほどまでの話の延長にあるはずの問いが、どこかで切り離されたようだった。室内の空気だけが先に進んでいく。

 アリアナが何かを言いかけてやめたように、康正には見えた。視線を落とし、組み上げかけていた推測を引き戻すように、彼女は口を閉じた。

 エミリアは机の上に置いた手を揃えたまま、しばらく動かなかったが、やがてわずかに顔を上げた。


「……これは本来、外部の方にお話しすることではありません」


 一度、二人の顔を見てから彼女は続ける。


「本日、病院からアスカちゃんの子が、礼拝堂へ移されました」

「移された?」


 康正は問い返す。


「儀式が行われます。加護が継承されているかどうか確認するために」

「礼拝堂というのは、大聖堂の?」


 アリアナが訊いた。


「別の礼拝堂です。古くからある、協会の。……普段は使われていません」

「飛鳥の子が生まれたのは、確か今日ですよね。生まれてすぐ、母親から引き剝がしたってことですか?」

「心苦しいですが、加護を失ったいま、聖堂にとってアスカちゃんは不要なのでしょう」


 そこでエミリアは一度言葉を切った。


「私も、立ち会うことになっています」


 地下牢から大聖堂、病院から修道院、──これまでの流れとは少し違う気配を感じた。康正は、その古い礼拝堂へ呼ばれているような気がした。


「その儀式はいつ行われるのですか」


 アリアナが訊いた。


「日が落ちる前には」


 再び落ちた沈黙は、これまでのものとは性質が違っていた。考えるためのものではなく、決めるためのものに近い。

 アリアナが椅子の背にもたれたまま、視線だけを横に動かした。隣にいる康正へ向ける。

 康正は視線を受けても何も言わなかった。机の向こうのエミリアを見たまま、数拍遅れてから、ゆっくりと息を吐く。

 行くかどうか、というより、すでにその場面に巻き込まれているようだった。

 エミリアが立ち上がる。


「……ご案内はできませんが、道は分かります」


 それだけ言うと、椅子を引いた。




 修道院を出るころ、日はすでに傾きはじめていた。

 言葉どおり、エミリアは案内をしなかった。ただ歩き出し、その背を追わせるだけだった。

 裏口から外へ出ると、すでに列ができていた。黒の装束に身を包んだ女たちが、二列に並び、黙したまま同じ方向を向いている。葬列のように。儀式に向かうためのものだと、説明を受けるまでもなかった。

 その端に、二人は紛れ込む。

 修道院を離れる際にエミリアより借り受けた装束は、身体に馴染まず、重たい布の感触がまとわりつく。フードを深くかぶれば視界は狭まり、互いの顔もはっきりとは見えなかった。


 やがて列が、ゆっくりと動き出した。

 石畳を踏む音が揃う。誰も口を開かない。規律というより、そうすることが当然であるかのような静けさだった。

 最後尾に並び、前を行くエミリアの背を見失わないよう、二人は列に従った。

 数分ほど進んだところで、康正は声を落とす。


「どうして飛鳥の子を取り返しに行くんですか。アリアナさんには無関係でしょ」


 隣を見ずに言った。


「目的は裕太の無罪の証明だ。あいつの処刑は来週。こんなことしてる余裕ないでしょ」


 前の列との間隔を保ちながら、さらに声を潜める。


「アリアナさんに関係ある話でもないでしょう。自分の子でもないんだし」

「ヤスマサさんの子でもありません」


 アリアナが即答する。


 数歩、沈黙が続いた。


「ヤスマサさんにはあるのですか」


 やがて、アリアナが言った。


「……何がですか」

「子を取り返す理由です」


 康正はすぐには答えなかった。

 視界の端で、列の先が緩やかに曲がるのが見える。その間に浮かんだのは、病室の光景だった。


 飛鳥の表情と、声。


 ──生まれたんだよ。


 あのときの表情だけが、やけに鮮明に残っている。


「……あのままにしておけないだけです」


 少し遅れて、言葉が出る。


「飛鳥が悲しむ」


 康正は、それに、と前置きし、


「赤子の血を調べれば、裕太が父親じゃないってわかるんじゃないですか?」


 振り向いたアリアナの瞳が揺れていた。希望を得たように。


 やがて街並みは背後に沈み、足元の石畳はいつの間にか砂へと変わっていた。乾いた風が、装束の裾をわずかに揺らす。

 周囲には背の低い岩が点在し、地面は赤みを帯びている。人の手が入った痕跡はほとんどなく、ただ踏み固められた道だけが、かろうじて進むべき方向を示している。

 前方、岩肌の裂け目のような狭い谷が口を開けていた。列はそのまま、迷いなくそこへ吸い込まれていった。

 両側から迫る岩壁は高く、空は細く切り取られる。足音が反響し、先ほどまでの静けさとは別の閉塞が生まれていた。


 やがて、視界が開けた。その奥に、それはあった。


 自然の岩を削り出して形作られた、彫刻のような入口。壁面と一体化したそれは、建造物というより、地形の一部のようだった。風化した縁取りが、かつての意匠の輪郭だけをかろうじて残していた。

 列は足を止めない。先頭から順に、その暗がりの中へと入っていく。康正たちもまた、歩調を崩さぬまま、その口へ踏み入れた。

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