第三十七話 地図にない灯 2
白燈へ続く道は。
道と呼ぶには。
少し頼りなかった。
舗装はされている。
家もある。
電柱もある。
なのに。
ところどころ。
街から忘れられたように。
景色が古い。
天城と李海斗は。
並んで歩いていた。
「……。」
「……。」
数十秒。
沈黙。
先に耐えられなくなったのは。
海斗だった。
「天城さん。」
「はい。」
「本当にこっちですか?」
天城は。
古地図を見る。
「たぶん。」
「たぶん。」
「紙では。」
海斗はスマートフォンを見る。
画面。
⸻
この先に道路はありません。
⸻
海斗が。
前を見る。
道。
普通にある。
もう一度。
スマートフォン。
⸻
この先に道路はありません。
⸻
海斗。
「……ありますね。」
天城。
「ありますね。」
「でも無いって。」
「言ってますね。」
海斗は。
少し考えた。
そして。
道路へ向かって。
「こんにちは。」
天城。
「何してるんです。」
「一応、存在確認を。」
「道に話しかけないでください。」
「返事ないですね。」
「道だから。」
海斗は。
小さく頷いた。
「自販機より無口です。」
「比較対象がおかしい。」
⸻
白燈入口のバス停を越えると。
街の空気が。
少しだけ変わった。
派手ではない。
境界線があるわけでもない。
だが。
天城は気付いた。
「……街灯が違う。」
海斗が上を見る。
新しいLED灯ではない。
乳白色の古い灯具。
ところどころ。
交換されたものもあるが。
大部分は。
昔の形を残している。
「古いですね。」
「ええ。」
海斗。
「でも。」
「何です?」
「こっちの方が。」
街灯を見る。
「人の家っぽいです。」
天城が。
少しだけ海斗を見る。
「街灯を見て?」
「向こうの明かり。」
海斗が振り返る。
遠く。
藍庭側。
均一な白い照明。
「全部、同じ明るさでした。」
そして白燈。
家ごとに違う光。
黄色。
白。
暗い玄関。
窓だけが明るい家。
「こっちは。」
「バラバラです。」
海斗は笑った。
「だから、人が住んでる感じがします。」
「……。」
天城は。
何も答えなかった。
⸻
少し進む。
道端。
古い石垣。
その表面が。
妙に白い。
海斗が立ち止まる。
「これ。」
指で触る。
粉っぽい。
「塗ったんですか?」
「違うと思います。」
天城も見る。
石そのものに。
白っぽい筋。
その下。
崩れた部分には。
灰色がかった柔らかそうな層。
さらに。
ところどころ。
細かな砂礫。
「地層が露出してる。」
海斗。
「地層。」
「この辺り。」
天城は足元を見る。
「土地の作りが少し違いますね。」
「石?」
「たぶん。」
天城は。
断面を見る。
「火山灰っぽい層と。」
少し下。
「砂礫。」
さらに白い筋。
「石灰質のものも混じってるのかも。」
海斗。
「石灰?」
「まだ分かりません。」
「分からない。」
「見ただけで断定しません。」
海斗は感心した顔。
「天城さん、ちゃんとしてますね。」
「普通です。」
「僕だったら。」
白い石を指す。
「骨かなって。」
「やめてください。」
「違います?」
「違うと思いたいです。」
海斗は。
一歩。
石垣から離れた。
「急に怖くなりました。」
「自分で言ったんでしょう。」
⸻
さらに奥。
住宅が増えてきた。
洗濯物。
植木鉢。
錆びた郵便受け。
自転車。
玄関先で野菜を並べる老婆。
普通だ。
普通に。
人が暮らしている。
その横で。
海斗のスマートフォンは。
ずっと。
⸻
現在地を特定できません。
⸻
「天城さん。」
「はい。」
「これ。」
海斗が画面を見せる。
地図。
現在地を示す青い点。
くるくる。
そして。
突然。
二人がいるはずの場所から。
数百メートル離れた道路へ。
ぴょん。
と飛ぶ。
海斗。
「飛びました。」
天城。
「飛びましたね。」
数秒。
また飛ぶ。
今度は。
川の上。
海斗。
「泳いでます。」
「泳いでません。」
「地図上では。」
「現実を優先してください。」
「はい。」
海斗は。
スマートフォンをポケットへしまった。
思い切りがいい。
天城が見る。
「もう使わないんですか。」
「信用なくなったので。」
「早いですね。」
「人も機械も。」
海斗が言う。
「三回間違えたら。」
「少し距離取ります。」
天城。
「自販機には三回聞いたのに?」
海斗。
「忘れてくださいって言ったじゃないですか。」
⸻
その時。
前方。
子供が二人。
道端でしゃがんでいた。
何かしている。
海斗が覗く。
「何してるの?」
子供たちが振り返る。
「石集め。」
「何の?」
「白いやつ。」
掌。
小さな白い欠片。
海斗。
「きれいですね。」
男の子。
「夜に光るよ。」
天城。
「光る?」
女の子。
「嘘。」
男の子。
「光るって!」
女の子。
「光らない。」
男の子。
「八時になったら光る!」
天城の足が。
わずかに止まる。
八時。
古地図の端。
読めた文字。
海斗は。
子供の目線までしゃがんだ。
「八時に何かあるの?」
男の子が。
嬉しそうに言う。
「八時の水。」
女の子が。
すぐ遮る。
「言っちゃ駄目。」
「何で?」
「おばあちゃんが言ってた。」
海斗。
「何を?」
女の子は。
口を閉じる。
男の子は。
言いたそう。
海斗は。
ポケットを探る。
天城。
「何してるんです。」
海斗。
「お菓子。」
「買収しないでください。」
「違います。」
「何が。」
「友好です。」
「言い換えても駄目です。」
子供二人が笑った。
女の子が。
海斗を見て。
「変な日本語。」
海斗。
「……。」
少し傷ついた顔。
天城。
「子供は正直ですね。」
「天城さんまで。」
男の子が。
笑いながら言った。
「八時になったら、水が変わる。」
女の子。
「だから!」
「いいじゃん。」
男の子は続けた。
「お湯にすると。」
「白くなる。」
天城。
「白く?」
「輪っか。」
海斗。
「輪っか?」
男の子は。
両手で丸を作った。
「こう。」
「鍋に。」
女の子。
「それ以上言うと怒られるよ。」
男の子。
「何で。」
「家、消えるから。」
「……。」
天城。
止まる。
海斗も。
止まる。
子供たちは。
何でもないことのように。
石拾いへ戻った。
天城が聞く。
「家が消える?」
女の子。
答えない。
男の子。
小声。
「地図から。」
「……。」
海斗が。
天城を見る。
天城も。
海斗を見る。
数秒。
海斗。
「聞きました?」
「聞きました。」
「僕だけじゃないですよね。」
「二人とも聞きました。」
海斗は。
ほっとした顔をした。
「よかった。」
「何がです。」
「また僕が壊れたのかと。」
「その心配まだしてたんですか。」
⸻
天城は。
子供へ尋ねる。
「その話。」
「誰から聞いた?」
男の子。
「みんな知ってる。」
「名前は?」
「八時水。」
女の子が。
嫌そうに言った。
「本当は言っちゃ駄目。」
海斗。
「どうして?」
女の子。
「呼ぶから。」
「何を?」
女の子は。
少しだけ。
白い石を握った。
「白いの。」
天城。
「白いの?」
女の子は。
それ以上。
答えなかった。
男の子は笑う。
「幽霊。」
女の子。
「違う!」
「じゃあ何?」
「知らない!」
二人。
そのまま。
言い争いながら走っていった。
海斗が。
遠ざかる背中を見る。
「……白いの。」
「都市伝説でしょう。」
天城は歩き出す。
海斗も追う。
「信じないんですか?」
「根拠がありません。」
「でも。」
海斗は。
白い石を一つ拾った。
「こういう話って。」
「全部嘘ですか?」
「全部とは言ってません。」
「じゃあ。」
海斗が石を見る。
「誰かが最初に言った理由は。」
「ありますよね。」
天城。
「……。」
海斗。
「嘘でも。」
「何もないところから。」
「みんな同じ話しないと思います。」
天城は。
歩きながら。
海斗を見る。
「民俗学でもやってたんですか。」
「いいえ。」
「じゃあ何でそう思うんです。」
海斗は。
当たり前の顔。
「気になるから。」
「……。」
天城は。
小さく息を吐いた。
単純。
だが。
嫌いではない。
⸻
道が。
二つに分かれた。
古地図を見る。
右。
海斗は。
左を見る。
「こっちじゃないですか?」
「地図は右です。」
「匂いは左です。」
「匂い?」
海斗が鼻を動かす。
「出汁。」
天城も。
意識する。
「……。」
確かに。
左から。
弱く。
煮物のような香り。
その奥に。
焼いた魚。
醤油。
「でも地図は。」
海斗。
「さっき地図に道ないって言われました。」
「それは電子地図です。」
「紙なら信用するんですか。」
「これは古地図です。」
海斗。
「古いなら。」
一拍。
「間違ってる可能性ありません?」
天城。
「……。」
正論。
海斗が。
少し嬉しそう。
「今。」
「一本取りました?」
「勝負してません。」
「じゃあ左?」
「……左へ行きましょう。」
海斗。
「鼻、勝ちました。」
「勝負してない。」
⸻
左へ。
狭い路地。
さらに奥。
古い家と家の間。
突然。
視界が開けた。
小さな広場。
中央。
古びた。
石造りの井戸。
屋根。
滑車。
今でも使われているのか。
横に。
金属製のポンプ。
海斗が目を輝かせた。
「井戸!」
「見れば分かります。」
「日本で初めて見ました。」
「そんなに珍しくは――」
海斗は。
もう近付いていた。
「触っていいですか?」
「俺に聞かれても。」
海斗がポンプを見る。
注意書き。
⸻
飲用可
ただし夜間は――
⸻
その先。
削れている。
天城が。
近付く。
「夜間は……。」
海斗。
「飲むな?」
「分かりません。」
「沸かすな?」
天城が。
海斗を見る。
「何でそう思ったんです。」
「さっきの子供。」
「……。」
海斗は。
ポンプを動かそうとする。
天城。
「待って。」
「はい。」
「何時です。」
海斗。
スマートフォン。
「十三時二十七分。」
天城。
「昼ですね。」
海斗。
「昼です。」
「……。」
海斗。
「飲みます?」
天城。
「何で飲む前提なんです。」
「飲用可。」
「そう書いてありますけど。」
「調査。」
「案件と関係あるか分からない。」
「じゃあ。」
海斗が。
真顔で。
「喉乾いたので。」
「最初からそう言ってください。」
⸻
ポンプ。
ぎい。
ぎい。
数回。
透明な水。
細い流れ。
海斗が手ですくう。
飲む。
「……。」
天城。
「どうです。」
「水です。」
「感想が死んでる。」
もう一口。
海斗。
「柔らかい?」
天城。
「柔らかい。」
天城も。
少量。
口へ。
癖は少ない。
少なくとも。
強い硬水らしさはない。
「……今は普通ですね。」
海斗。
「今は?」
天城。
井戸横の文字を見る。
削られた注意書き。
「夜に何か変わるなら。」
「昼との差がある。」
海斗。
「八時。」
天城。
「そういう話になりますね。」
海斗は。
少し嬉しそうだった。
「都市伝説。」
「楽しそうですね。」
「好きです。」
「意外。」
海斗。
「怖いの嫌いですけど。」
「矛盾してません?」
「怖いから気になるんです。」
「……。」
その感覚は。
少し分かる。
⸻
井戸の向こう。
さらに細い道。
そこへ。
古い木札。
⸻
三丁目
⸻
天城。
「着いた。」
海斗。
「本当にある。」
「だからあるって言ってるでしょう。」
「地図は無いって。」
「もう地図の言うこと聞かなくていいです。」
「天城さんも距離取りましたね。」
「三回以上間違えられたので。」
海斗。
笑う。
「同じですね。」
天城。
「一緒にしないでください。」
⸻
三丁目。
家々の間を進む。
そして。
天城が。
足を止めた。
その先。
古い木造建築。
二階建て。
軒先。
色褪せた暖簾。
入口横。
植木鉢。
自転車。
本当に。
どこにでもありそうな。
小さな店。
ただ。
看板だけは。
古い。
白い文字。
⸻
灯守亭
⸻
「……。」
海斗が。
紙袋を見る。
そこにも。
同じ名前。
灯守亭。
「見つけた。」
天城。
「ええ。」
その瞬間。
ガラッ。
二階の窓が開いた。
老婆が顔を出す。
「お兄ちゃんたち!」
二人。
見上げる。
老婆。
「そこ入るのかい?」
天城。
「はい。」
老婆の顔が。
少しだけ。
妙になる。
「……そうかい。」
窓。
閉めようとする。
海斗が聞いた。
「すみません!」
老婆。
「何だい。」
「ここ。」
「美味しいですか?」
天城。
「今それ聞きます?」
老婆は。
しばらく海斗を見た。
そして。
笑った。
「昼ならね。」
窓。
ぴしゃ。
閉じた。
「……。」
天城。
「昼なら。」
海斗。
「今、昼ですね。」
「ですね。」
海斗。
「じゃあ大丈夫。」
天城。
「その結論でいいのかな……。」
⸻
暖簾をくぐる。
ガラガラ。
引き戸。
中。
「いらっしゃい。」
低い。
男の声。
カウンターの奥。
一人の男。
五十九歳。
短い白髪。
日に焼けた顔。
太い腕。
無駄のない動き。
真壁宗一。
まだ。
天城は名前を知らない。
男が。
天城を見る。
次に。
海斗。
最後に。
海斗の紙袋。
視線が。
止まった。
「……。」
海斗。
「これ。」
紙袋を持ち上げる。
「届け物です。」
男の顔が。
ほんの少し。
変わった。
「誰からだ。」
海斗。
送り主の名前を告げる。
男は。
しばらく黙った。
そして。
「そうか。」
それだけ。
紙袋を受け取る。
中は開けない。
店の奥へ。
静かに置いた。
天城は。
店内を見る。
カウンター七席。
小上がり。
古い柱時計。
壁に。
何十年も貼り重ねられた写真。
客の写真。
祭り。
子供。
酒盛り。
誰かの誕生日。
この店だけで。
小さな町の歴史が出来そうだった。
そして。
香り。
出汁。
焼き魚。
味噌。
油。
葱。
海斗が。
小声。
「やっぱり。」
「何です?」
「ここでした。」
「匂い?」
「はい。」
お腹。
ぐうううう。
大きな音。
「……。」
海斗が。
腹を見る。
天城も見る。
真壁も見る。
近くの客まで見る。
海斗。
「……。」
天城。
「正直ですね。」
海斗。
「僕じゃなくて腹が。」
真壁が。
初めて。
少しだけ笑った。
「座れ。」
「飯くらい出す。」
海斗。
「いいんですか?」
「腹に聞け。」
海斗の腹。
ぐうう。
真壁。
「返事早ぇな。」
店内。
小さな笑い。
天城も。
思わず口元が緩んだ。
⸻
二人。
カウンターへ。
真壁が。
鍋の蓋を取る。
湯気。
香り。
海斗の目。
完全に。
料理へ吸い寄せられる。
天城は。
タブレットを見る。
Help。
対象者。
店主。
つまり。
この男。
真壁が。
今回の患者。
だが。
見たところ。
元気。
手も震えていない。
動きも速い。
受け答えも普通。
何が。
異常なのか。
真壁が。
味噌汁を。
小皿へ。
少量。
味見。
眉を寄せる。
「……薄い。」
塩。
ひとつまみ。
入れる。
また味見。
「まだだな。」
もう。
ひとつまみ。
天城の目が。
少しだけ細くなる。
真壁。
醤油。
少量。
さらに。
味噌。
海斗が。
小声。
「いっぱい入れますね。」
天城。
「見てます。」
真壁。
もう一度。
味見。
ようやく。
「……よし。」
二人の前。
味噌汁。
置かれる。
「食え。」
海斗。
「いただきます!」
勢いよく。
一口。
「――っ!!」
海斗の目が。
限界まで開いた。
頬。
膨らむ。
飲み込むか。
出すか。
人生最大級の判断。
数秒。
ごくん。
海斗は。
無言で。
水を掴んだ。
一杯。
ごくごく。
二杯目。
ごくごく。
三杯目。
天城。
「……。」
真壁。
「どうした。」
海斗は。
口を開く。
しかし。
一度。
天城を見る。
言っていい?
という顔。
天城。
小さく首を傾げる。
海斗。
真壁を見る。
「……すみません。」
真壁。
「何だ。」
海斗。
真顔。
「これ。」
一拍。
「味噌汁じゃなくて。」
「海ですか?」
「ぶっ!」
隣の客が。
吹いた。
天城は。
片手で額を押さえた。
真壁。
「……あ?」
海斗。
「しょっぱいです。」
店内。
静かになる。
天城が。
隣を見る。
先客たち。
誰も。
笑っていない。
さっきまで。
普通だった顔。
一斉に。
硬くなった。
真壁は。
海斗を見る。
「しょっぱい?」
「はい。」
海斗。
まだ分かっていない。
「かなり。」
天城が。
味噌汁を一口。
「……。」
濃い。
かなり。
海斗の誇張ではない。
明らかに。
塩味が強い。
だが。
その瞬間。
隣の老人が。
笑った。
「いや。」
「いつも通りだよ。」
別の客。
「うん。」
「いつもの味だ。」
さらに。
「そうそう。」
「今日も旨い。」
「……。」
天城は。
客たちを見る。
海斗は。
味噌汁を見る。
そして。
客を見る。
「……?」
明らかに。
分かっていない顔。
天城の中。
最初の枝が。
伸びた。
真壁の味覚。
そして。
もう一本。
客の反応。
患者は。
本当に。
店主一人なのか。
天城は。
静かに。
味噌汁の椀を置いた。
壁の時計。
午後二時七分。
八時まで。
あと。
五時間五十三分。
そして。
店の外。
先ほど飲んだ井戸。
今は。
まだ。
透明だった。




