第二十四話 愛着半径 2
月島は小さく息を吐いた。
「毎日、こうなんです。」
雫は席へ戻っている。
さっきまでの勢いが嘘みたいに静かだった。
フォークでショートケーキを少しだけ切る。
口へ運ぶ。
ゆっくり噛む。
味わっているようには見えない。
それでも食べる。
そして。
また月島を見る。
目が合う。
少し笑う。
安心したように。
その数秒後。
また不安そうな顔になる。
天城はその変化を見逃さなかった。
「いつ頃からですか。」
月島は考える。
「三か月くらい前です。」
「最初は普通のお客さんでした。」
「本を読んで。」
「コーヒー飲んで。」
「二時間くらいで帰って。」
少し笑う。
「静かな子だなって思ってました。」
一拍。
「でも。」
「ある日から急に。」
「私、迷惑ですか?」
「嫌いになりました?」
「帰った方がいいですか?」
「そればっかり。」
天城は黙って聞いている。
月島は続けた。
「最初は相談を聞いてたんです。」
「学校のこと。」
「友達のこと。」
「アルバイトのこと。」
「恋人のこと。」
「全部。」
「でも。」
月島は少し困ったように笑う。
「答えても。」
「十分後にはまた同じことを聞くんです。」
天城は静かに頷いた。
「安心が続かない。」
月島が驚く。
「え?」
「答えは入ってます。」
「でも。」
「残ってない。」
静かな声だった。
「だからまた確認する。」
月島は雫を見る。
「そういうことなんでしょうか……。」
「多分。」
天城はそれ以上言わない。
⸻
雫はカフェラテを持ち上げた。
少しだけ飲む。
唇を湿らせる程度。
また置く。
その動きが三回続いた。
「……。」
天城はその様子を見つめる。
飲めない。
ではない。
飲まない。
でもない。
飲み切れない。
その違いだった。
⸻
「仕事は。」
天城が聞く。
月島は答える。
「コンビニ。」
「夜勤。」
「昼は寝てるって。」
「でも最近。」
「寝られないって言ってました。」
「食事は?」
「甘いものばっかり。」
「コンビニスイーツ。」
「エナジードリンク。」
「グミ。」
「そればっかり。」
天城は小さく頷いた。
「温かいものは。」
月島は首を横に振る。
「ほとんど。」
「食べないですね。」
⸻
その時だった。
店の入口が開く。
常連客が入ってくる。
「こんばんは。」
月島が笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ。」
その瞬間。
椅子が鳴る。
雫だった。
また立ち上がっている。
歩く。
速い。
一直線。
月島のすぐ目の前まで来る。
「……。」
顔が近い。
あと三十センチ。
いや。
二十センチ。
近い。
近すぎる。
「ねぇ。」
月島が笑う。
「どうしたの?」
雫は真っ直ぐ見つめる。
「その人の方が大事?」
月島が固まる。
「え?」
「今。」
「笑った。」
「私にはそんな顔しない。」
店内が静かになる。
常連客も動きを止めた。
雫は気づいていない。
ただ確認したいだけ。
「私。」
「嫌われた?」
「もう来ない方がいい?」
「邪魔?」
「ねぇ。」
「ねぇ。」
「答えて。」
その声は震えていた。
責めている声ではない。
泣きそうな声だった。
⸻
天城はそこで初めて口を開いた。
「違います。」
雫が振り返る。
「……。」
「月島さんは。」
「あなたを嫌ってません。」
雫は黙る。
天城は続ける。
「でも。」
一拍。
「あなたの脳は。」
「そう聞こえるようになっています。」
店内が静まる。
雫は小さく首を傾げた。
「……どういうこと?」
天城は淡々と言う。
「人は不安が続くと。」
「相手の表情を悪い方向に解釈しやすくなります。」
「心理学では。」
「ネガティブ・バイアスと呼ばれています。」
雫は黙っている。
天城は続ける。
「本当は。」
「月島さんは常連さんに笑っただけです。」
「でも。」
「あなたの脳は。」
「“自分が嫌われた”と先に結論を出した。」
「だから確認した。」
一拍。
「それを繰り返しています。」
雫はゆっくり視線を落とした。
初めて。
何も言い返さなかった。
⸻
天城はカフェラテへ目を向ける。
もう冷え切っている。
表面の膜が揺れていた。
「……。」
小さく呟く。
「まず。」
「温かいものを飲みましょう。」
その一言に、
月島も、
雫も、
少しだけ目を見開いた。




