第十九話 甘党は味覚を感じない 4
女は、三口目で手を止めた。
今度は、止まっても次を探していない。
スマートフォンにも触れない。
ただ、口の中を確かめるみたいに、ゆっくり咀嚼している。
白崎が小さく呟く。
「……止まった」
天城は首を横に振る。
「違います」
視線は女のまま。
「追いついたんです」
女がゆっくり顔を上げる。
「……追いつく?」
天城は頷く。
「甘味って、本来ちょっと遅れて来るんです」
白崎が聞く。
「遅れて?」
「はい」
天城はカウンターへ戻りながら言う。
「香りを感じる」
「温度を感じる」
「噛む」
「そのあと、脳が“満足した”って判断する」
短く区切る。
「今までは、それより先に次の刺激を入れてた」
女は黙って聞いている。
天城は続ける。
「だから、満腹中枢が追いつかない」
白崎が眉を寄せる。
「……でも、食べてたら普通満腹になるでしょ」
「胃はなります」
天城は即答した。
「でも、“満たされた感覚”は別です」
静かな声だった。
「脳って、予測して満足するんです」
「今、いい匂いがした」
「温かい」
「噛んだ」
「甘味が来た」
「だから終わっていい」
一拍。
「その順番が必要なんです」
女はクレープを見る。
さっきより、ちゃんと見ている。
「……私」
小さく言う。
「ずっと、早送りみたいだった」
天城は何も言わない。
女は続ける。
「動画も」
「仕事も」
「食べるのも」
「全部、次、次って」
指先がわずかに震える。
「止まると、置いていかれる気がして」
白崎が静かに視線を落とした。
店の奥で、生地の焼ける音が小さく鳴る。
天城は淡々と言う。
「短い刺激って、強いんです」
「でも、定着しにくい」
「だから、また欲しくなる」
女がぽつりと聞く。
「……依存ってことですか」
天城は少し考える。
「そこまで大げさじゃないです」
「ただ」
一拍。
「脳が“次を探す状態”に慣れてる」
女は静かに聞いている。
天城は続ける。
「今って」
「待つ前に次が来ます」
「通知」
「動画」
「広告」
「甘味も同じです」
白崎が小さく苦笑する。
「派手な方が売れるしね」
「はい」
「だから、強くなる」
天城は店内を見回す。
白。
ピンク。
砂糖。
照明。
香料。
全部が、“すぐ反応するもの”で埋まっている。
「でも」
天城は言う。
「強い刺激って、慣れるんです」
「慣れると、もっと強いものが必要になる」
女はクレープをもう一口食べる。
今度は、かなりゆっくりだった。
「……これ」
小さく言う。
「ちゃんと味する」
白崎が驚いた顔をする。
「うちのと、そんな違う?」
天城は静かに頷く。
「甘味を減らしたんじゃないです」
「順番を戻しただけです」
白崎は少し黙った。
天城は続ける。
「焼き目が先に来る」
「少し苦味が来る」
「噛む」
「最後に甘味が残る」
「だから、脳が終われる」
女の指が、無意識にスマートフォンへ伸びる。
だが、止まる。
今度は、自分で止めた。
視線が皿へ戻る。
「……」
その沈黙は、さっきまでと違っていた。
“空白を埋める沈黙”じゃない。
“留まっている沈黙”だった。
白崎が、小さく息を吐く。
「……私も、急ぎすぎてたか」
天城は焼き台を見る。
火がまだ少し強い。
「回転は必要です」
「でも、早すぎると途中が消えます」
白崎は苦笑した。
「クレープ屋で人生説教されるとは思わなかった」
「してません」
天城は即答する。
「構造の話です」
女が、少しだけ笑った。
本当に少しだけだった。
だが、初めて“反応”ではなく、“感情”として出た笑いだった。
天城はそれを見て、小さく息を吐く。
完全ではない。
明日になれば、また動画を見るだろう。
また甘いものも食べる。
全部は変わらない。
だが——
一度、“途中を感じた”。
それは残る。
女はクレープを食べ終える。
そして初めて、自分から水を飲んだ。
ゆっくり。
一口。
喉が動く。
「……あ」
小さく声が漏れる。
「水の味、する」
白崎が目を丸くした。
天城は静かに頷く。
「感覚、戻ってきてます」
店の空気が、少し落ち着いていた。
甘い匂いも、さっきより柔らかい。
白崎は焼き台の火を少し落とす。
その動きを見て、天城は小さく息を吐いた。
多分——
この店は、少し変わる。




