第十六話 甘党は甘味を感じない 1
砂渡から戻って二日後。
昼過ぎ。
タブレットが短く震えた。
天城はカウンターでグラスを磨く手を止める。
表示を見る。
――――――
店名:白雨
地区:藍庭 南通り
業態:クレープ専門店
依頼主:白崎 澪
状況:客一名、反復来店
備考:糖分過剰摂取傾向
優先度:中
――――――
その下に追記。
――“甘味反応低下”
――――――
「……甘味反応低下?」
天城は小さく読む。
少し考え、コートを羽織った。
藍庭南通りは、中心部より人通りが多い。
だが騒がしくはない。
歩く速度が少し緩い。
小さな雑貨店や喫茶店が並び、空気に甘い匂いが混じっている。
目的の店は、通りの角にあった。
「白雨」
白い外壁。
ガラス張り。
店の前には数人並んでいる。
若い客が多い。
手には色とりどりのクレープ。
苺。
キャラメル。
チョコ。
蜂蜜。
焼かれた生地の匂いに、温かい乳脂肪の香りが混じる。
普通なら、食欲を引く匂いだった。
だが——
「……重いな」
天城は小さく呟く。
甘い。
だが、輪郭が潰れている。
砂糖の匂いが前に出すぎている。
焼き目も、果物も、全部押し潰している。
店へ入る。
ベルが鳴る。
「いらっしゃいませー!」
明るい声。
店主だろう。
若い女だった。
白崎澪。
二十代後半くらい。
エプロンには粉がついている。
忙しそうに動いているが、目の下に少し疲労が見えた。
天城を見ると、一瞬だけ表情が変わる。
「……依頼の人?」
「はい」
白崎は小さく息を吐いた。
「奥、います」
店の端。
窓際の席。
女が一人座っていた。
年齢は三十前後。
机の上には、食べ終わった包み紙。
その横に、新しいクレープ。
さらに、その横には空のドリンク。
「……」
女は食べている。
速くはない。
むしろ丁寧だ。
だが——
止まらない。
一口。
咀嚼。
飲み込む。
すぐ次。
表情が変わらない。
満足がない。
「朝から八個目です」
白崎が小声で言う。
「吐いてるわけじゃない」
「苦しそうでもない」
「でも、止まらない」
天城は女を見る。
目が乾いている。
瞬きが少ない。
頬は少し赤い。
呼吸が浅い。
だが、一番引っかかったのは——
「……甘味、感じてないな」
白崎が振り返る。
「分かるの?」
天城は頷く。
「感じてたら、途中で止まります」
女はまた一口食べる。
苺クリーム。
かなり甘い。
だが、反応がない。
脳が“満足”を受け取れていない。
天城は店内を見回した。
甘い匂いが強い。
強すぎる。
砂糖。
ホイップ。
シロップ。
全部が前に出ている。
だが——
奥行きがない。
「……」
天城はカウンターへ近づいた。
「生地、ずっと同じ温度で焼いてます?」
白崎が少し驚く。
「……え?」
「火、強いですよね」
「回転上げるために」
白崎が少し黙った。
「……最近、客増えて」
「待たせると帰るから」
天城は頷く。
「生地、香り飛んでます」
「砂糖だけ残ってる」
白崎が息を止める。
天城は続ける。
「クリームも重い」
「冷えすぎてる」
「だから、甘味だけ先に当たる」
一拍。
「満足感が来ない」
白崎は何も言わなかった。
図星だった。
天城はもう一度、女を見る。
まだ食べている。
だが、食べたいわけじゃない。
探している。
“満たされた感覚”を。
ずっと。
「……仕事、何してる人ですか」
白崎が小さく答える。
「配信編集」
「短い動画、ずっと作ってる」
天城は小さく息を吐いた。
「なるほど」
短い刺激。
短い快楽。
短い達成。
それを繰り返している。
だから——
感覚の閾値が、上がっている。
甘味が届かない。
満足が、定着しない。
女はまたクレープを口へ運ぶ。
止まらない。
だが、嬉しそうでもない。
「……」
天城は店内の匂いをもう一度吸った。
強い。
だが、薄い。
砂糖だけが先に来る。
途中がない。
奥がない。
「今回も」
小さく呟く。
「順番が潰れてるな」




