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第十五話 承認待ち

店へ戻る頃には、夜の空気が少し変わっていた。


藍庭の夜は静かだ。だが、完全に止まっているわけではない。どこかで換気扇が回り、遠くでガラスの触れ合う音がする。人の気配は薄いが、消えてはいない。


天城は鍵を開け、店の扉を押した。


乾いた木の匂いがする。


昨夜より少しだけ、この空間に慣れ始めている自分に気づく。


照明を落としたまま、カウンターの内側へ入る。グラスを一つ手に取る。指先で縁をなぞる。


「……」


静かだった。


だが、頭の中は静かではない。


柑橘。


温度。


酒。


生姜。


山椒。


組み上げた順番を、もう一度反芻する。


あれは正解だったのか。


偶然だったのか。


まだ、分からない。


タブレットが短く震えた。


天城は視線を落とす。


――――――

案件処理:確認中

評価提出待機

――――――


それだけだった。


「……評価?」


小さく呟く。


その瞬間、入口のベルが鳴った。


振り向く。


黒スーツの三人組だった。


男が二人、女が一人。


前回と同じだ。


だが今日は、女が小さなケースを持っている。


「お疲れ様です」


穏やかな声だった。


天城は眉をひそめる。


「……何ですか」


「確認に来ました」


女は当然のようにカウンターへ歩いてくる。


ケースを開く。


中には、小さなガラス瓶が並んでいた。


透明。


琥珀色。


淡い緑。


それぞれ液体が違う。


「記録用です」


天城は視線を向ける。


「……何を記録するんです」


男の一人が笑う。


「杯ですよ」


「あなた、何をどう組んだか、ちゃんと覚えてます?」


天城は少し黙った。


「……大体は」


「大体では困ります」


女が淡々と言う。


「杯は再現できなければ意味がない」


ケースから細いペン型端末を取り出す。


「使用材料」


「温度」


「順番」


「量」


「反応」


「全部記録してください」


天城は眉を寄せる。


「……医療みたいですね」


「似ています」


女は即答した。


「ただし、こちらは病名を扱わない」


「扱うのは状態です」


男の一人が続ける。


「“壊れていない崩壊”を扱う」


天城は黙る。


女はタブレットを操作する。


「今回の対象者ですが」


画面が切り替わる。


男の情報が表示される。


年齢。


職種。


滞在時間。


食事量。


呼吸数。


「……記録してたんですか」


「店側から自動送信されています」


さらりと言う。


「食事速度、滞在時間、水分量、店内音圧、空気循環」


「藍庭の飲食店は大体繋がってます」


天城はわずかに眉を動かした。


「……空気循環?」


「はい」


女は淡々と続ける。


「人は環境に引っ張られます」


「音、湿度、温度、匂い」


「特に食事は、感覚同期が起きやすい」


天城は静かに聞いていた。


男の一人が肩をすくめる。


「一人止まると、周囲も止まり始めるんですよ」


「会話が減る」


「回転率が落ちる」


「判断が鈍る」


「だから、放置すると広がる」


天城は店内を見る。


静かな空間。


だが、今は息苦しくない。


「……感染みたいですね」


女は少しだけ笑った。


「感情も、認知も、呼吸も」


「人間は思った以上に同期します」


短い沈黙。


天城は言う。


「だから、杯なんですか」


「ええ」


女は頷く。


「薬では遅い」


「制度では間に合わない」


「でも、人は壊れる」


ケースの中の瓶が、照明を反射する。


「だから、壊れる前に戻す」


天城は視線を落とした。


頭の中で、昨夜の樹形図がもう一度立ち上がる。


匂い。


温度。


液体。


刺激。


順番。


「……」


女が言う。


「ちなみに」


「今回の杯、悪くなかったですよ」


天城は顔を上げる。


男の一人が笑う。


「特に山椒」


「感覚の固定点を作ってた」


「初回にしては上手い」


天城は少し黙った。


褒められている気がしない。


評価されている。


そんな感覚だった。


女はケースを閉じる。


「次の依頼は明日です」


「朝には届きます」


「場所は——」


そこで一度言葉を切る。


「砂渡です」


店の空気が、少しだけ変わった気がした。


男の一人が笑う。


「初砂渡ですね」


「失踪率、高いですよ」


もう一人が軽く続ける。


「“続かない人間”が集まる場所ですから」


天城は何も言わない。


だが、タブレットが再び短く震えた。


新しい通知。


――――――

事前警告:長期滞留案件

対象地区:砂渡

推奨滞在時間:二時間以内

――――――


天城はその画面を見つめた。


藍庭とは違う。


灰坂とも違う。


また別の“噛み合わなさ”が、そこにある。


黒スーツの三人は帰っていく。


ベルが鳴り、静けさが戻る。


天城はカウンターに手を置いた。


指先に残る木の感触を確かめる。


「……続かない、か」


小さく呟く。


その言葉だけが、しばらく店の中に残っていた。

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