悪阻の時
(見間違い……かな?)
ツグミが見つめるアヤの顔には、再び笑みが戻っている。しかし、ツグミにはライズの表情から、どこかぎこちなさを感じた。
「誰を探していたの?」
本当は、このような問答をせずにライズと脱出すべきだとわかっていたが、ツグミはそう尋ねずにはいられなかった。
「もちろん、ツグミちゃんだよ!」
「なんか、違う人のような気がした」
「…………」
「……何か、ひどいことされたの?」
ライズはその質問に、首を横に振った。ツグミは、まさかライズことアヤが、もう一人の自分と仲良くここで暮らしていたことなど知らない。だが、ライズからは言いにくいことだ。
「帰ろう、アヤちゃん」
ライズは再び首を横に振った。ツグミは、アヤが聞き間違いをしたのだと思った。
「帰ろう、って言ったんだよ、アヤちゃん」
「私は、帰らない」
「え?」
「ここに残る」
「何を言っているの?」
「そうだ!」
ライズは、名案を思いついたとばかりに手を打った。
「ツグミちゃんも、ここに住みなよ!私と、ずっと一緒に、ここで楽しく暮らすの!」
「ここで?」
「そうだよ!」
ライズは誇るように腕を広げた。
「この楽園全部、私たちのモノなの!見て!あの木も、どの木も!美味しい果実は、好きなだけ食べ放題!水も綺麗だよ!寝るのも、いつ起きるかも自由!ここには、私たちをイジメてくるようなモノは何もない!」
そこまで一気に言って、ライズは懇願するようにツグミを見つめた。
「ツグミちゃん、言ったよね?いつまでも、一緒にいようね、って。嘘じゃ、なかったんだよね?」
閉口するツグミに、ライズは押しつけるように、洋梨に似た果物を握らせた。
「これ、おいしいよ!ツグミちゃんも食べてみて!他にもおいしいフルーツがたくさんあって……」
とここで、ライズの顔色が青くなった。すぐさま大きな木の影に駆け寄り、ゲーゲーとその場で嘔吐した。
「アヤちゃん!」
ツグミが駆け寄ろうとすると、ライズは口元を拭きながら、自分からすぐにツグミの側に戻った。
「だ、大丈夫!大丈夫だから!えっと、それのせいじゃなくて……!」
ツグミが手にもった果実を見つめたので、ライズがそう付け加える。
「ちょっと最近、体が、その……」
「もしかして……」
とある、おぞましい考えがツグミの脳裏をよぎる。
「妊娠……してるの?」
ライズの顔色が、先ほど嘔吐した時よりも、さらに悪くなった。ツグミが見つめるライズの顔が小刻みに揺れたが、首を横に振っているのか、それとも縦に振っているのかは判別がつかない。
「誰の子どもなの?」
ツグミの問いに、ライズは答えなかった。ツグミは、我ながらバカな質問をしたと思った。誰の子かは、ある程度察しがつくが、この際どうでもいい。
「ねえ、アヤちゃん」
ツグミは、顔を背けようとするライズを許さず、真正面から彼女を見つめる。
「アヤちゃんが私に、ここに居てほしいというなら、私はそうする。だけどね、その条件として、アヤちゃんが本当に好きでもない人の子を妊娠しなくちゃいけないとしたら……私はとても耐えられない。許してはおけない」
怒れるツグミの、手にしていた洋梨が彼女の握力で破裂した。ライズ、すなわちアヤとて、ツグミの怒りは理解できる。もしも逆の立場であったら。つまり、誘拐されたのがツグミの方で、彼女が妊娠した状態で発見したら、アヤも怒りを抑えられなかっただろう。
だが、アヤの立場にも言い分はある。
「だって、しょうがないじゃない……しょうがないじゃない…………」
「ごめんね、アヤちゃんを責めたいわけじゃないよ」
ツグミが手を差し伸べるが、ライズはツグミから一歩引いた。
「私はもう、元の生活には戻れない……お父さんも死んで……学校も何ヶ月も行ってないし……」
「言い訳を並べている場合じゃ……」
「ツグミちゃんを助けてもらえると思ったから!」
ライズの感情が爆発した。
「ツグミちゃんが……チドリちゃんが魔王の力を持ったのも、私のせいだから!なんとかしてくれるって、約束してもらえたから!だって、このままじゃチドリちゃん、新たな魔王になってしまうから!」
「私が魔王……」
その未来については、ツグミはすでに、異世界で会ったディーバレジーナから聞いている。
「なら、私が死んだら、アヤちゃんは安心する?」
「ああ、だから嫌なの!」
今度はライズが怒る番だった。
「チドリちゃんは、そういう風に考えるから、いけないんだ!そうやって……そうやって自分だけで解決しようとするから!」
「ごめん」
ツグミは謝った。だが、肩で息をするライズは感情を抑えようとしても抑えきれなかった。
「一緒に居てくれないなら……帰って」
「え?」
「チドリちゃんのことは、神様になんとかしてもらうから……帰ってよ。私はここに居る」
「そんな……!」
ツグミが言葉を失っているのを尻目に、羊に似た生物が、ライズの吐瀉物を食べていた。ライズはツグミに背を向けて、その生物を撫でた。
「私はここで暮らす。だって、ここは居心地がいいんだもん。わざわざ会いに来てくれて、ありがとう」
「一人ぼっちになるよ?」
「ちがうよ……ほら!」
ライズが突然、あらぬ方向へ手を振ったので、ツグミはしばし混乱した。彼女が手を振る方向を見て、ツグミはさらに困惑する。
「あれは……私?」
ツグミとライズの視線の先に居たのは、もう一人のツグミ、ムラサメツグミであった。
「ツグミちゃん!」
そうライズに呼ばれたムラサメツグミは、ゆっくりと歩いてライズに近づく。やがてライズの方からムラサメツグミに抱きついた。
「ああ!もう、どこに行ってたの!?私、寂しかったんだから!」
とはいえ、ムラサメツグミの視線は、もう一人の自分、村雨ツグミに注がれていた。二人のツグミは、互いに困惑の表情を浮かべて見つめあった。




