合掌の時
ふと、アケボノオーシャンはサンのことが気になり、そちらへ視線を向けた。驚いたことに、サンは体から光を放っていた。
「グレンサン……?」
オーシャンに呼びかけられたサンは、少し迷ってから、目に巻きつけられていた白い布をほどいていった。やがて、目を覆う布を全て取り去ったサンが、ゆっくりとまぶたを開いた。
「サン……君、見えているの?」
「……」
サン自身も驚いたように、無言でオーシャンにうなずいた。
やがてサンは、泣いているサナエと、そのサナエが抱きしめているグレンに近づいていった。サナエがサンに気がつき、少し驚きながら彼を見上げた。
「お母さん……」
サンはそうつぶやき、自らとは反対に、グレンのまぶたを手でそっと閉じた。サナエには、サンがどうして視力を回復したのか、理由がわかっている。
「サン……君は、人間ではなくなってしまったのですね」
「そうですね」
サンにとっては、それも覚悟の内の行動であった。そして、サンにはまだ大事な仕事が残っている。
「彼らを連れて行きましょう。私の母が、望んでいた世界を守るために」
その言葉にサナエが呆気にとられていると、サンはグレンの体を抱え上げた。それは、小柄なサンの力が思ったより強かったという感じではなく、まるでグレンの体自体が羽のように軽くなったようだった。さらに、サンのつま先が地面からふっと浮き上がる。
「あ、あれぇ!?」
そうおののくサナエの前で、サンがゆっくりと地面から離れ、上空へと登っていった。
それだけではない。
「見て!悪魔たちが!」
そうレジーナが指差して叫ぶように、サンを追うようにトンボの悪魔たちが空へ上がっていく。しかも、トンボだけではなく、白いイルカのような悪魔、あるいは諸々の、異なる形態の悪魔たちが、サンに従うように彼を追いかけていく。
「あいつら……どこへ行くんだ?」
風見リコは、怪我をした足を手当てしながら、誰とはなくそう尋ねた。サナエには、なんとなくわかる気がした。
「きっと、すごく……遠いところへ行くんですよ。悪魔たちが……新しい生き物として生きていけるような……そんな世界に…………」
致命傷を受けた魔王チドリもまた、虚ろな眼で空を見上げていた。夕闇の迫るそらに、悪魔たちの光る体が、まるで天の川のように見える。
(私は置いてけぼり、か)
徐々にチドリは意識が遠のいていった。
「これが私の人生。これが私だけの人生。人生がこれか。ああ、嫌だ嫌だ」
サナエはチドリの声が聞こえた気がして振り向いた。そのチドリは、サナエの目からは抜け殻に見えた。
(逝ってしまったんですね、チドリさん)
サナエは、誰に対して、何に対してそうすべきかはわからなかったが、両手を合わせた。そして、西の空に沈んでいく太陽に向かって合掌した。
そして翌日。
天気は雪であった。2024年の世界は、今は2月である。それを考えたら珍しい気象条件ではないのだが、レジーナの見解は違った。
「不思議ね。雪が降るのは、魔王が目覚めて以来のことだわ」
不思議なことは、それだけでは無かった。昨夜、つまりグレンサンが昇天してからは、悪魔は姿を現さなかった。
「本当に、あのサンという子が悪魔を全て連れて行ってくれたのかも、ね」
そう口にするレジーナに替わり、今日はリコがバンを運転していた。まるで昨日の行動をなぞるように、魔法少女たちはある地点を目指していた。
それはまさに、魔王チドリの遺体がある場所である。グレンバーンが彼女を倒して以来、魔法少女たちは何度も、何度も、チドリがたしかに死んでいる事を確認した。魔法少女たちがチドリの遺体に向かうのは、彼女を火葬するためだ。
そう決めたのは、昨夜のことだった。
「お前たちの仲間だったからか?」
チドリを火葬すると聞いて、まずリコがそう口を開いた。魔王の火葬を決めたのはアケボノオーシャンこと、和泉オトハだ。
「あ〜」
曖昧な音を出すオトハの横で、サナエが答えた。
「死んでしまったら、誰だって仏様ですよ?遺体をイタズラされないように、火葬してあげましょう、例え魔王だったとしても」
サナエの横で、レジーナもうなずいた。レジーナも、火葬に賛成しているのだ。
「あの魔王の体……放っておいたら、どんな災厄が起きないとも限らないわ。遺体は完全に焼却すべきよ」
リコに、他の三人の魔法少女たちの視線が集中する。
「なんでオレを見るんだ!?オレだって、別に遺体を燃やすのに反対しているわけじゃねーからな!そうした方が、アイツが確実に死んだって思えるから……やろうぜ!」
そして現在、バンに木材と燃料を満載にして昨日の戦いの地に行くところだったのだ。
「見えてきたわ!」
レジーナが指をさす先で、チドリの遺体に、うっすらと雪が積もりつつあった。
「誰かいる!」
レジーナがそう言った通り、誰かがチドリの側にしゃがみ込んでいるようだった。薄紫色の衣装に、ポニーテールの、魔法少女のようだった。だが不思議なことに、少女は立ち上がったとたん、その姿が蜃気楼のように消えてしまった。
「なんだ、アイツ?」
リコが後ろに振り返った。後ろの席から、サナエとオトハも謎の魔法少女を見ていたはずだ。
「…………」
サナエは涙ぐんだ様子で、黙っていた。かわりにオトハが答えた。
「さあ、わからないな」
そう言いながら、オトハはとある言葉を思い出していた。
『死んでしまった人間は、どんな魔法でも生きかえらせることはできない。でも、死んだ人間は、完全に消え去ってしまうわけではない。天国の誰かを想う時、その人は私たちのそばに、そっと立っている』
(想ってくれる人は、いつも側にいたんだよ、チドリちゃん。悪く、ないでしょ?)
その後、4人の魔法少女は黙々と火葬の準備を進めた。オトハは、たまたまリコの側に来た時、彼女に尋ねた。
「そういえば、どうして変身しなかったの?」
たしかに、風見リコは魔法少女のカンノンプラチナに変身しなかった。もっとも、プラチナの場合、変身しなくても戦闘に支障はないのだが、それだけが理由ではあるまい。
「……お前みたいに格好良く正体を明かしてやろうと思ったが、タイミングがわからなくてな」
リコはそう言ったが、首を上げて、自分の声が十分に届かないほど、レジーナから離れているのを確認して、自嘲気味に笑う。
「それに、アイツが憧れているカンノンプラチナが、オレみたいな奴だって、知らない方が幻滅しないで済むだろ。お前とちがってな」
「……そんなこと、ないと思うよ?」
オトハがニヤリと笑みを返すと、リコの顔も、まんざらではなさそうに口角が持ち上がった。
やがて、火葬が始まった。チドリの体が燃え上がり、煙となって天に登っていく。サナエは、またしても自然に両手を合わせていた。
「チドリさん……もう、人間への怨みは忘れてください。あなたは、もう自由になったんです。好きな所へ行けるんですよ……」
サナエの声は、果たしてチドリに届くだろうか。ただ、音もなく雪が地面に落ちていった。




