もう人間をやめた時、羅刹
グレンエスパーダの炎の剣が魔王を一刀両断した。誰もがそのように見えた。実際、三歩下がって残心に剣を構えるエスパーダの目には、左右に割れた魔王の体が見えた。
『…………正義?』
エスパーダの耳に誰かの声が聞こえた。まるで耳元でささやくような声であった。その声には聞き覚えがあるエスパーダだ。
「え、本郷チドリ?」
『人間は、いつもそうだ。正義を口にしては、悪魔も恐れるような非道をする』
次の瞬間、ガラガラと音を立てて、魔王の黒い体が崩れていった。
『許せぬ人でなしを消す……私は何も、変わってなんかいない……!』
「どういうことかしら!?」
レジーナは、すぐ隣のオーシャンにそう問う。
「サナギだったんだ」
とオーシャン。
「私たちが戦っていた、あの姿はサナギなんだ。だから、今、羽化して……」
そこからは、ことさら言葉による説明は不要だった。黒いサナギを脱ぎ捨て、本当の魔王が姿を見せる。
「キレイだ……」
リコは、思わずそうつぶやいた。サナギから羽化したのは、まるで人間大のハナカマキリのようだった。純白で滑らかな表皮は、まるで白磁のようだ。しかし、まるっきり昆虫の形というわけではない。細い足は一対しかないし、両腕もカマにはなっていなかった。人間の手と同じ形の両手である。しかし、掌の中央には、鋭い、槍の穂先のような物が輝いていた。頭部はかろうじて人間の面影を残していたが、黒一色になった目が、彼女がもう人間ではないことをハッキリとあらわしている。
「それが、アンタの人生の集大成なんですか……」
グレンエスパーダがやっと口を開いた。エスパーダは、泣いていいのか、笑っていいのか、わからない。少なくとも、エスパーダの片割れであるサナエの心にとっては、羅刹と化したチドリの姿は、痛々しい。
もう一人の片割れ、グレンバーンの心がエスパーダの唇を動かす。
「今ここで決着をつけるしかない!」
チドリの背中に細い羽根のような物が広がる。その羽根は羽ばたきもしないのに、チドリの体をフワリと浮かせた。そんなチドリにエスパーダが剣を構え、突進する。
「あっ!?」
エスパーダが短く悲鳴をあげた。だが、周りで見ていた魔法少女たちには、理由がわからなかった。グレンエスパーダは、突然両膝を着き、腹部を手で押さえたのだ。
「おい!どうした、グレン!?魔王は何の攻撃もしていないんだぞ!?」
風見リコがそう叫ぶ。彼女の目には、たしかに魔王の攻撃は見えていない。つまり、時間停止をして攻撃した可能性はなかったのだ。
「しっかりして、エスパーダ!あなた、きっと、また幻覚を見せられたのよ!」
レジーナはそう叫んだが、エスパーダはゆっくりと首を横に振る。
「これは……幻覚じゃあ無いんですねえ……!」
エスパーダは、腹部を押さえていた手を離した。手に血がついている。エスパーダの腹部には、細い切り傷が走っていた。
「あ!傷が!」
アケボノオーシャンは異常事態に気がついた。エスパーダの腹部の傷が、まるで透明な刃物が食い込むように広がっていったのだ。一番近くでそれを見ているリコも戦慄している。
「どういうことだ!?透明な攻撃なのか!?」
「いや、違いますねえ……」
謎の攻撃の正体は、受けた本人であるエスパーダが一番よくわかっていた。しかし、エスパーダがそれについて話すよりも早く、レジーナはライフルをチドリに向けた。
(何がなんだか、わからないけれど!今やらなければ私たちが殺される!)
レジーナはライフルのトリガーに当てた人差し指に力を入れようとした。その瞬間、鋭い痛みがレジーナを襲った。
「えっ!?」
レジーナが見たのは、自分の人差し指に、深々と突き刺さった槍だった。これではトリガーが引けない。
「ちいっ!」
レジーナは指に刺さった槍を引き抜こうとする。だが、レジーナがよく見ると、自分の指は、まったくの無事であった。レジーナは困惑する。
「みんな!気をつけて!私、今、幻覚を見せられて……!」
レジーナの言葉が途切れた。
「そんな……嘘でしょ……!?」
レジーナの指に、火傷のような水ぶくれが広がる。やがて、そこからカミソリで切られたように細い傷口が走り、徐々に傷が深くなっていった。まるで、見えない槍が突き刺さっていくように。
「槍に刺された幻覚が!本物になって攻撃してくるわ!」
「いや、ちょっと違うかもしれませんねえ……」
苦しそうに腹部を押さえたまま、エスパーダが立ち上がった。
「もう一度……!」
エスパーダはチドリに襲いかかろうとする。が、突然足を止めた。
「!?」
エスパーダの喉元に、槍の穂先が突きつけられている。もう少し判断が遅かったら、串刺しにされていただろう。
だが、すぐ横でエスパーダとチドリを交互に見るリコには、わけがわからない。
「な、なんだ!?どうして動かないんだ、グレン!?」
「こ、この槍が見えていないんですか……?」
「え、槍」
エスパーダには、たしかに槍が見えている。しかし、リコには見えていない。
「まいりましたねえ、これは……これは、ちょっと、勝てない」
エスパーダは謎の攻撃の正体を悟りつつあった。




