待ち人よ
我を倒そうとする灰髪の男が、眼前に迫る。
突然、灰髪の男が攻撃を止めた。
やっと解放されると思ったのに。
やっと、終われると思ったのに。
このやたらと、永いだけの生を。
絶望より怒りが勝った。
殺意を漲らせて、灰髪の男の首筋に噛みつこうとした時、不意に懐かしい香りが鼻腔を抜け、攻撃を中止するスカイフェンリル。
無意識に口が閉じ、牙が鳴る。
この匂いは。
いつかの記憶がフラッシュバックする。
◆
「何故、攻撃しないの?」
女性は責めるような口調で、口を尖らせる。
『する意味がない』
若きスカイフェンリルと話すのは、一級テイマーの女性。
「勝てば、いい暮らしが出来るんだよ?」
『所詮、良い暮らしでも、奴隷には変わりないだろう』
「奴隷じゃないでしょ?」
『ならば、我を解放するのか?』
奴隷ではないが、この闘技場からは出られない。
ならば、それは奴隷とどう違うというのか。
「それは…」
それ以上、言葉が出てこない。どう違うのか説明出来ない。
『出来まい、ならば、さっさと殺してくれ、何と言われようと、戦う気はない』
それだけ言うと、スカイフェンリルは、奥に引っ込んでしまった。
「………」
テイマーの女性は押し黙るしかなかった。
ある国の、山奥の採掘場跡。
その最奥にある、違法闘技場。
権力者や金持ちの道楽で作られたそれは、今日も満員御礼だ。
魔獣同士の殺し合いを、楽しむ下衆が集まる場所。
賭けも行われていて、絶叫が闘技場を叩く。
常に異様な雰囲気が充満している。
後に、ドゥーマの惨劇と呼ばれる事件が、この日起こる。
その渦中の、スカイフェンリルとテイマーの女性はそれに巻き込まれる事になる。
「私の仕事はこれまでです」
檻が開いていく音が響き出す。
「さて、どうなるやら」
コロコロと嗤う影は、スルッと消えて行った。
違法闘技場の檻が、何者かに破壊された。
解き放たれる凶獣の群れ。
逃げ惑う人々。焦る運営。
凶人達が凶獣に喰い荒らされる。
まさに、阿鼻叫喚の図であった。
『ふん、今頃報いがやってきたか』
鼻を鳴らすスカイフェンリル。
「なんてこと…」
口に手を当て、それ以上言葉が出てこない女性。
『丁度良い、我も外へ出たかった頃合いだ』
すっと、立ち上がるスカイフェンリル。
「ちょっと!手を貸してくれないの?」
『理由がないし、手もない。我にあるのは前脚と後脚だけだ』
「手を貸すって、そう言う意味じゃ!…そうよね」
寂しそうに顔を伏せるテイマーの女性。
『…くるぞ!』
凶悪な気配を感じとるスカイフェンリル。
「え?」
テイマーの女性は、その気配に気付けない。
スカイフェンリルの目の前に現れたのは、不気味な気配を撒き散らす合成魔獣のキマイラ。
その中でも、最凶のものだった。
闘技場の絶対王者と呼ばれる存在。
ドラゴンとクラーケンとガルーダ、そしてケルベロスの合成魔獣だった。
『逃がしてくれそうにはないな』
涎を垂れ流しながら、視線を彷徨わせるキマイラ。
逃げる事を諦めて、戦闘態勢を取るスカイフェンリル。
しかし、勝てる相手ではない事も分かっている。終わりが来たのだと感じた。
「あなた、私にテイムされなさい!」
『それに何の意味が…』
「生かしてあげるって言ってるのよ!」
この女性の言っている意味が分からない。
キマイラがじりじりと距離を詰めてくる。
垂れた涎が地面に染み込み、煙を上げ穴を穿つ。
『…迷ってる暇はなさそうだな、好きにするが良い』
スカイフェンリルの首に抱きつき、スキルを発動するテイマーの女性。
「ありがと、テイム!」
一瞬、スカイフェンリルの身体が淡い光に包まれる。
『…』
「能力アップさせるわ!これでも一級テイマーなんだから」
腰に手を当てる、ドヤ顔のテイマーの女性。
『それで、アレに勝てるのか?』
「勝てる訳ないじゃない!」
いっそ清々しいテイマーの女性。
『何だと?』
驚愕のスカイフェンリルは、開いた口が塞がらない。あれを倒すためのテイムだと、信じて疑わなかったのに。
「能力アップさせれば、あなただけは逃げ切れる…全力で走るのよ!」
倒す策ではなく、逃げる、否、逃がす策であった。
『何の為にお前は…?』
そこまでするのかとの言葉は、テイマーの女性の言葉に遮られた。
「死んで欲しくないの!あなたに!それだけよ。チャンスは一度だけだから、見逃すんじゃないわよ!」
キマイラから、目を逸らさずに言うテイマーの女性。
『全く…自分勝手なものだ…』
嘆息し覚悟を決めるスカイフェンリル。
「私が足止めする!絶対なんだから!」
スカイフェンリルは女性の事を信じ、本気で走る。
今までこんな速度で走った事はない。
風のように速い。
しっかりバフが掛かっているようだ。
『本当だったのだな』
外の光が見えた。
『もう少しだ』
出口の手前で身体が重くなる。
バフが切れたのだ。
『………』
テイマーの女性が死んだ証拠だった。
何とも言えない虚無感が身体に伸し掛かる。
廃採掘場を去ったスカイフェンリルは、何も考えずに彷徨う。
得たばかりの主を失い、目的を失い、ダンジョンと呼ばれる地下深くに逃げ込んだ。
しかし、ダンジョンと言うのは、中々静かには暮らせない場所だった。
冒険者と名乗る者たちが、我に挑戦者し、或る者は逃げ出し、或る者は敗北し朽ちていった。
◆
目の前の灰髪の男は何者なのだろうか。
今までの冒険者とは違う。
何が違うのかは分からない。取り敢えず匂いは違う。
あの女性テイマーが首に抱きついた時に、ふわっと鼻腔をついた香りに似ている。
待ってみようと思った。
今、我は機嫌が良い、そこの虎人の娘も待つが良い。
永い永い時を過ごして来た。
この男が目覚めるのを待つくらい、訳はない。
男が起きたら、何を話してくれるのだろうか。
今から胸が高鳴る。
初めての感覚だった。
本能が、この男と共に生きる事を望んでいた。




