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【幕間】 補給物資

 画像は数秒おきに止まる。

 画面の向こうで、制服姿の男が口を動かしている。声が届くのは、その一拍ほどあとだった。


『経産省は苦しいよ。国会でも相当に叩かれている。経済効果の一点で押したのは、そもそも連中だからね』


 男の声が笑った。

 統幕の担当部長。経産省、外務省、内閣府との政策調整など、政治的色彩の強い領域も所掌している。

 そして陸将補。つまり如月の上級者である。


『蓋を開けてみれば、市場規模は当初予測の一割にも達していない』


「はい」


 如月が相槌を打つ。

 一瞬、男の顔が四角い画素の塊になり、戻った。

 これでも優先回線なのだが。


『持ち込めない、持ち出せない、滞在にすら著しい人的損耗を伴う。民間主導は愚かな選択だった』


「はい」


『まあ、連中のアテが外れたこと自体は、溜飲の下がる話だがねえ』


 今度は如月は相槌を控えた。

 男がゆっくりと椅子の背にもたれる。


『……君は相変わらず愛想がないな』


「失礼しました」


『褒めている。慎重さは美徳だ』


 画面の中で、男が手元の資料をめくった。

 それに合わせ、如月も画面のこちら側で机の上の資料に目を落とす。


『とはいえ、対岸の火事、というわけでもないのが悩ましいところだよ』


 特区関連の予算要求は、どの省庁も軒並み縮小されていた。

 昨年度まで拡充を前提に組まれていた計画には、赤い訂正線が引かれている。

 一個一個にはもっともらしい説明がついているが、総額の減少は嘘を吐かない。


 経済効果が出ない。

 人的損耗が大きい。

 では事業を縮小すればよいのかというと、そう簡単でもなかった。


 負担は減らしたいが、政策そのものを失敗で確定させたくはない。

 そんな意図が透けて見えるような、じりじりとした後退。


『予算の締め付けは各省庁に等しく飛び火する』


「承知しております」


 男の指が机を神経質そうに叩いた。


『今になって国際管理だの、負担の公平化だのと言い出す者までいる。我々が十年かけて守ってきた領土だ。そう簡単に手放せるものか』


 如月は小さく頷く。


「レベル1の防衛態勢の維持が、最優先という理解でよろしいでしょうか」


『そういうことだ。レベル2の民間事業については、基本的にはタッチしない。向こうが身動きできなくなっている以上、こちらから無理に何か始める必要はない』


 男は少し間を置いた。


『いずれ主導権は取り戻す。しかしそれは今ではない』


「はい」


『余計なことをしないでくれ。それが今、一番ありがたい』


 如月は手元の資料を静かに閉じた。


「以前、管理本部の別室から、レベル3への護衛派遣を打診されたことがあります」


『別室……ああ、あの。完全変異したという経産の企画官か』


「今は内閣府の参事官です」


『で、受けたのかね?』


「お断りしました。小規模の武力衝突のおそれがあったので」


『結構。実に結構だ。君にはその調子でいてもらいたい』


 男は満足そうに頷く。


「はい」


 如月は無機質に回答した。


 坂崎の話を思い出す。

 現地経済の自走性向上。麗句に聞こえる。

 同行民間人の保護。名分もある。

 だがそこを判断するのは、如月の職分ではない。


『ところで』


 画像が止まり、余韻のように声だけ続く。


『八神くんは、どうしているかな』


 あえて「くん」と呼んだ。

 如月は訂正しなかった。二人が同期だったという話を聞いたことがある。


「特段の変化はありません」


『そうか』


 画像が動き出す。男は手を組み、顎を乗せていた。


『彼も、もう十年になるのか』


「はい」


『本来なら一佐。いや、功績を考えれば将補くらいにはなっているべき人間だった』


 男はそこで言葉を切った。

「人間だった」。

 過去形だ。

 如月は何も言わなかった。


『彼もまた自衛官だ。軽挙はあるまいが』


「はい」


 如月が返事をすると、男はこちらを覗き込むように身を乗り出した。


『くれぐれも頼むよ。君が現地のハーネスだ』


 その言葉とともに、通信が切れた。


 如月はヘッドセットを外し、予算案の資料をキャビネットに戻す。

 入れ違いで、決裁用のトレイから、昨夜届いた現地情勢報告書を取り出した。


 第一皇女の勢力が再び動き始めたという情報。

 双陽戦線を名乗る集団の活動。

 レベル3における不審な物流の増加。


 不穏ではあるが、確度の低い情報ばかりだった。

 如月はそれらを一つにまとめ、未確認情報として処理するつもりだった。


 そのとき、端末が鳴った。

 内線だ。


「如月です」


『緊急報告です』


 後方支援隊の副官だ。

 若い声が、いつもより少し高かった。


『警備隊が、双陽戦線の補給物資を押収しました』


 如月は顔を上げた。


「警備隊が?」


『あ、いえ。現地の衛兵隊の押収に警備隊が同行。押収物の管理を引き受けたとのことです』


「場所は」


『レベル2、東側商業区の倉庫です。武器と見られる物資を複数確認しています』


 頭を押さえる。

 レベル2。検問ですらない。現地人の倉庫から押収。


 領土外でそのような強制力を行使する権限は、自衛隊にはない。

 現地の衛兵隊を『盾』に使ったようだが、同行したのでは言い逃れはできまい。

 最初の言い間違いがすべてだ。


「誰の指示か」


『現在確認中です』


「押収物の目録は」


『まだ届いていません』


 如月は目を閉じた。

『余計なことをしないでくれ』

 先ほどの通信が、耳の奥で蘇る。


『ですが、口頭で確認した範囲では武器、魔石が含まれていたと』


 副官の声は高揚しているようだった。


「押収の根拠と経緯を、すべて報告させる。それから、八神隊長に連絡を」


『了解しました』


 通話が終わった。


 如月は椅子の背に身体を預けた。


「武器に、魔石だと」


 苦味を磨り潰すように呟く。

 現地では魔術師が火力を出すのに魔石を使う。重要な軍需品だ。

 事実なら、越権が霞むくらいの大手柄。


 だが、出来過ぎている。


 自衛隊には現地での捜査権限などない。

 雲を掴むような相手だった双陽戦線の補給物資の情報を、どこからどうやって得たのか。

 レベル1に引き籠っている警備隊が、どうやって現地の衛兵隊と繋がったというのか。


 如月はしばらくの間、黒い通信画面を見つめていた。


 * * *


 夢幻楼の娘たちも、今夜ばかりは客よりも客の隣に座る男を見ていた。


 ザファルだ。


 奥の広間が丸ごと貸し切られている。

 卓には日本の酒と帝都の果実酒が並び、いつもは一杯ずつ値段を数える嬢たちが、惜しげもなく瓶を開けていた。


 ニャーラは柱にもたれ、グラスの数を数えていた。


 今夜はアフターがない。

 それだけで、なかなかいい夜だった。

 客が酔いつぶれようが、どこかへ消えようが、最後に自分が連れていかれる心配をしなくていい。

 欲をいえば、このまま早仕舞いになってほしい。


「ねえ、見た?」


 隣にいた若いナヒリの娘が、ニャーラの腕をつついた。


「何を」


「あのヤポンの人」


 娘が顎で示した先では、ヤポンの男がザファルの杯に酒を注いでいた。


 がっしりとした体躯にスーツがまるで似合っていない。

 商社でも役人でもない。おそらく自衛隊。

 卓の嬢たちに「サンサさん」と呼ばれている。


 三佐。


 ニャーラには日本の階級などよく分からなかったが、相当に偉いらしいことは知っていた。

 少なくとも、この店に来る日本人の中では、上の方だ。


「ザファル様に、あんなに頭を下げてる」


「ふうん」


「すごいよね」


「そうね」


 ニャーラはグラスを一つ回収した。

 若い娘は頬を紅潮させて言った。


「あの方は、夜の守護者(ダラ=ナヒル)だから」


 ニャーラは返事をしなかった。


 その呼び名を聞いたことはある。

 帝国がまだあったころ、ナヒリの女や子供が理不尽な目に遭ったとき、ザファルの名を出せば助かることがあったという。


 皇帝の法を覆したわけではない。

 魔法貴族の気まぐれを止められたわけでもない。


 殴られた娘のために相手を殴り返し、盗まれた賃金を取り返し、行き場のない子供に食を与えた。

 その程度のことしかできなかった、とも言える。

 その程度のことさえ誰もしてくれなかった時代でもあった。


 だからザファルは、夜の守護者だった。


「私のお母さんも、お世話になったんだって」


 娘は耳の先を紅潮させ、ザファルの卓を見つめていた。


「そう」


 ニャーラは曖昧に頷いた。


 ザファルは必要があれば同胞でも商品にする。

 ニャーラはそれを知っていたが、口にはしなかった。


 広間の中央で笑い声が上がる。

 三佐が身を乗り出し、ザファルに向けて言った。


「今回の件は、本当に助かりました」


 日本語だ。

 周囲には聞き取れないと思っているのだろう。


 不用心だ。

 日本人客を相手にしていれば多少は日本語を覚える。

 ニャーラも細かな言い回しは分からなくても、何を話しているかくらいは聞き取れた。


「とんでもない」


 ザファルは人懐こい笑みを浮かべた。


「我々も、帝都の平穏を願っておりますので」


「いや、それでもですよ。あれだけの情報を、よく」


「偶然ですよ。善良な方が知らせてくださった。それだけのことです」


 三佐は笑った。


「その善良な方にも、ぜひ礼を申し上げたいものですな」


「伝えておきましょう」


 ザファルも笑った。


 ニャーラは、三か月ほど前の夜を思い出す。

 同じ三佐が、ここに来ていた。

 そのときもザファルが接待していた。


 しかし、男の態度はまるで違っていた。

 ザファルが頭を下げても、男はろくに顔を向けなかった。

 この街の有力者だと紹介されても、関心を払う様子はなかった。


 ナヒリの男が日本人に媚びている。

 それだけの光景だった。


 それが今夜はどうだ。


 三佐の方がザファルの顔色をうかがっている。

 酒が足りなくなる前に注ぎ、ザファルが冗談を言えば真っ先に笑う。


「怖いね」


 ニャーラは誰にも聞こえないように小さく呟いた。


 ザファルはナヒリの男だが、魔術を使う。

 魔素ではなく、銀貨と欲と恐怖を使う魔術だ。


 卓ではヘルプの嬢が入れ替わり立ち代わり席に着く。

 ザファルの卓に着くために待ち構えている嬢までいる有様だ。


 時間切れで席を立ったナヒリの娘に、ザファルがさりげなく声をかけていた。


「いつも世話になっているな」


「とんでもありません、ザファル様」


 ザファルは嬢の手元に銀貨を一枚滑らせた。


「今夜は楽しんでくれ」


 ナヒリの嬢は受け取った銀貨を両手で押し抱く。


「ありがとうございます!」


 泣きそうな顔で笑っていた。

 ニャーラは冷めた目でその様子を見ていた。


 銀貨一枚。


 まあ、安いものだ。


 * * *


 裏口を出ると、露出した肩を夜気が撫でた。

 第二太陽が顔を出すまでのこの時間が一番涼しい。


 ニャーラは煙草をくわえ、火をつけた。


 夢幻楼の裏手には、使わなくなった酒樽と空瓶の箱が積まれている。

 厨房から漂う油の匂いに、昼の砂塵の名残のような匂いが混じっていた。


 表の喧騒が嘘のようだ。


 今夜はもう、誰の相手もしなくていい。

 煙草を一本吸ったら戻って、適当に片づけを手伝う。

 そして帰る。


 悪くない。


 そんなことを考えていたところで、複数の足音が近づいてきた。


 裏口の扉が開く。

 ニャーラは思わず、反射的に壁に身を寄せた。


「連中は相当怒ってます。補給線を一本、完全に切られた」


「放っておけ」


 ザファルの声だった。


「ですが」


「別の便を回す。多少遅れても死にはしない。夢を食って生きていける連中だ」


「はい」


「倉庫主は」


「何も知りません。巻き込まれたと思っているだけです」


「実際、そうだろう」


 ザファルの声に笑うような響きがあった。

 ニャーラは煙草を指に挟んだまま、動かなかった。


「荷主は?」


「今回は、ジャイフでした」


「ああ」


 ザファルの声が一段低くなった。


「善良な男だった。そういう奴は若死にする」


「ええ」


「もう?」


「はい。『沼』に」


 ニャーラの手がかすかに震えた。

 煙草の火種が落ちる。

 それを払おうとして、肘が空箱に当たる。


 ごとり。


 微かな音だった。

 だから一瞬、気づかれないのではないかと期待してしまった。

 隠れ続ける方がまずい。そう判断した時には遅かった。


「誰だ」


 声は穏やかだった。

 ニャーラは動けない。


 空き箱の山を回り込むように、ザファルたちが姿を現した。


「ああ」


 ザファルはニャーラを見て言った。


「お前か」


 その顔には、広間で見せていたのと同じ笑みがあった。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる。


「煙草か」


「ええ」


「休憩中?」


「はい」


「そうか」


 ザファルはおもむろに、左手に巻いた腕時計を外した。

 金属の留め具が、小さく鳴った。


 ロレックスだった。

 ニャーラは、日本人の客が何度か自慢していたのを覚えている。


 ザファルはそれを丁寧にポケットへしまう。


「何を聞いた?」


「何も」


 ザファルは笑った。


「それは困るな」


 次の瞬間、ニャーラの後頭部が壁に叩きつけられた。


 喉を掴まれ、壁に押し付けられる。

 ザファルの指が、首筋へ食い込んだ。

 息ができない。

 声も出ない。


「何を聞いた」


 もう一度同じ質問が繰り返される。


 ニャーラは口を開いた。

 ザファルが指先をわずかにずらす。

 気道が通ってひゅうと喉が鳴った。


 だが喉を締める力は変わらない。


「ジャイフが」


 絞り出すように答える。

 何を聞いていなければ助かるのか、考えをまとめる暇がない。


「ジャイフが?」


「死んだ」


「それから?」


「荷主はジャイフ」


「それから?」


「……倉庫主は何も知らない」


 首筋の血流が止まって脳が痺れる。

 ザファルは力を緩めなかった。


「ほかには?」


「怒ってる」


「誰が?」


「倉庫主」


 最後だけ嘘を混ぜた。


 話の流れからすると、怒っているのは送り先だ。

 それで何が誤魔化せるかはわからない。

 祈るような嘘だ。


 ザファルはしばらくニャーラを見つめていた。


 やがて、首にかかった手の力が緩んだ。

 ニャーラは膝から崩れ落ちる。

 地面に手をつき、咳き込んだ。


 顔を上げると、ザファルがこちらを見下ろしていた。

 表情は見えない。


「いくらかかる?」


 ザファルが尋ねた。

 質問の意味がわからない。

 ニャーラが困惑している間に、後ろに控えた男が答えた。


「この娘ですか」


「ああ」


 男は少し考えたようだった。


「高くつきます」


「なぜ?」


「人気の嬢で、ヤポンの常連が何人かついています。特に、厄介なのが一人。いなくなれば騒ぐでしょう」


「口止めか、代わりをあてがうか」


「はい」


 ザファルが小さく「面倒だな」と呟いた。

 その目はニャーラの方を向いていたが、ニャーラを見ていないようだった。

 消せばいくらかかるか。

 処分品の見積を見ているような目だった。


「今回はいい」


 ザファルが言った。

 男は黙って頭を下げた。


「立てるか?」


 ザファルの声に、慌てて頷く。

 ニャーラは壁に手をついて体を起こした。


 立ち上がったニャーラの肩にザファルの手が伸びた。

 反射的に身を引きかける。

 しかし、今度は何も起こらなかった。


 ザファルの手が外れかけた肩紐を戻す。

 乱れた胸元の飾りを直す。

 服の埃を払う。


「怖がらせて悪かったね」


 懐から何かを取り出してニャーラに握らせた。


「今夜の分だ」


 握った手を開く。

 銀貨が一枚。


 ニャーラは銀貨を見て、ザファルを見た。


 ザファルはもうこちらを見ていなかった。

 背を向けて、男を連れて、店の中へと戻っていく。

 裏口の扉が静かに閉まった。


 ザファルが去って、しばらくしてから強烈な怒りが込み上げてきた。

 頭に血が上り、手の中の銀貨を地面に叩きつけようと振り上げる。


「……なんなのよ。なんだっていうのよ」


 振り被ったところで、ふっと冷静になり止める。


 ニャーラは銀貨をきつく握りしめた。

 握った手を見下ろす。


「銀貨一枚」


 吐き捨てるように呟いた。

次回は10/31(土)更新予定です

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