第55話 自由法廷
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蝋燭通りの角を曲がったところで、怒鳴り声が聞こえた。
ギンネの店の前で、通りがかりが何人か足を止めている。
中から声が二つ。
片方は聞き慣れたしゃがれ声で、もう片方にも覚えがあった。
「だから十枚は返したじゃろうが!」
「あと十枚!」
「半分は半分じゃ!」
「なんで私が半分被らなきゃならないんですか!」
天幕をくぐる。
帳場を挟んで、ギンネとナズィムが向かい合っていた。
それ自体は珍しくない。
取引のある二人だ。
ただお互いの剣幕が常ではなかった。
向こう側でギンネ老が算盤を叩きつけんばかりに睨みつける。
手前ではナズィムがずんぐりした体を揺らして食い下がっていた。
来月の調達枠の打ち合わせに来ただけなのだが、入るタイミングを完全に間違えたらしい。
俺の姿に気づいたナズィムが、救世主でも見つけたかのように駆け寄ってきた。
「ああ、カトウさん! ちょうどよかった、聞いてくださいよ!」
ナズィムの言い分はこうだった。
先日、ギンネから青い布――ブルーシートをまとめて買い付けた。
代金は銀貨二十枚。
前払いでギンネに支払い、荷は東側商業区の貸し倉庫に入れて受領待ちになっていた。
ところが一昨日、その倉庫に衛兵隊が踏み込み、中の荷をごっそり押収していったのだという。
「荷を受け取ってないんだから、代金は全額返してもらうのが筋でしょう!?」
「筋じゃと? 倉には入れた、預り証も切った。 引き渡しの準備はとうに済んでおったわい!」
「それならギンネさんは倉庫主に請求すればいいじゃないですか!」
「衛兵隊が押収したんじゃ。倉主に落ち度はないわ!」
ギンネが負けじと吠えた。
このままでは埒が明かない。
事情はわかったようなわからないような、だ。
両隣から挟まれて渋々口を出す。
「……よくわからんが、なんで衛兵隊がブルーシートなんか押収したんだ?」
「知るか! うちの荷だけではない。倉の中身丸ごとじゃ」
「衛兵隊に返してもらうことはできないのか。心当たりはないんだろう?」
「とっくに掛け合ったわい」
ギンネが不機嫌そうに腕を組んで言った。
「『押収物はヤポンに渡した』の一点張りじゃ」
「ヤポン?」
「ほれ、あの緑色の」
「……自衛隊か」
「そういうことなら、同じヤポンなんだからカトウさんが取り戻してきてくださいよ」
「無茶言うな」
矛先をこちらに向けて詰め寄ってきたナズィムを押し返す。
自衛隊が絡んでいるなら、民間の一駐在員が口を出してどうにかなる話ではない。
「『皇帝の兵による押収接収は倉主の責めを問わず』。荷送人と荷受人で半損が商事ギルドの古法じゃ」
「そんなカビの生えた約款!」
ナズィムが悲鳴を上げた。
「だいたい、皇帝なんてもういないじゃないですか!」
「兵は残っとる。詰所にはまだ衛兵庁の紋がかかっとる」
ギンネは腕を組んだまま深く椅子に沈んだ。
意固地になっているように見える。
争っている差額は銀貨十枚。日本円にして三万円にも満たない。
「なあ」
悩んだが、結局、口を挟んだ。
「銀貨十枚だろう。どっちかが折れれば済む話じゃないのか」
「そんなことはわかっとる!」
「カトウさんは黙ってて!」
なぜか双方から怒鳴られた。
「ギンネさん。何も違約金を払えというんじゃないんです。うちも厳しいんです。代金だけでも返してくださいよ」
「払わんとは言うとらん。十枚払ったじゃろが」
「残り十枚ですよ!」
「半損じゃ」
「払え!」
「払わん!」
一喝されたナズィムがぶるぶると拳を震わせる。
「ああ、そうですかそうですか。わかりましたよ。……話にならない!」
ギンネに指を突き付けて叫んだ。
「訴えてやる!」
捨て台詞を残すと、ナズィムは肩を怒らせて店を飛び出して行った。
跳ね上げられた垂れ幕が、しばらく揺れていた。
嵐が去った後の店内で、ギンネは忌々し気にパイプを吹かす。
「……訴えるとは?」
「自由法廷じゃな」
それ以上の説明はなく、黙り込んだ。
調達案件の書類を帳場に置いてみたが、目もくれない。
しばらくして、ギンネが顔を上げた。
「お前さん、代理人をやってみるか?」
「は?」
「ナズィムが訴え出れば、しばらくそちらにかかり切りになる」
「来月の調達は?」
帳場に置いた書類を指さす。
しかし、ギンネは鼻を鳴らして言った。
「裁定が済んでからじゃな」
「それじゃ間に合わない」
「なら、お前さんが早く片付けてしまえばいいじゃろう」
まじまじとギンネの顔を見返す。
どういう思い付きで俺を代理人にしようとしているのかはわからない。
だが、本気で調達案件を後回しにするつもりらしいことはわかった。
「……何をすればいい」
「まずは座って頷いておればええ」
ギンネが火の消えたパイプを咥え直した。
片手で頭を掻きながら考える。
要は銀貨十枚の話だ。
こじれたら、俺が十枚出して取り下げさせる手もあるだろう。
裁定とやらの手続に噛めていれば、対応のしようもある。
「わかった」
「そうか」
「だからせめて、調達の話も少し進めてくれ」
「後じゃ」
* * *
結局、調達の件は何も進まなかった。
事務所に戻ると、ナイリザはいつものように自席で仕事をしていた。
モニターに向かい、赤ペンを片手に伝票を照合している。
机の隅に空き瓶がひとつ。
今日はまだ二杯目。
酒量が増えていないことに、少しだけ安心する。
「なに?」
ナイリザが顔を上げた。
いつも通りのやや不機嫌そうな表情。
「ああ、いや」
自席に腰を下ろしながら聞いてみる。
「自由法廷って知ってるか?」
「……何をやらかしたの」
「何もやってない」
「じゃあなんで」
「ギンネの代理人を引き受けることになりそうだ」
「は?」
ことのあらましを説明する。
商事紛争。銀貨十枚。当事者はナズィムとギンネ。
「……何をやっているのよ」
ナイリザが眼鏡を外し、眉間を揉みながら呻いた。
俺も同感だ。
「自由法廷は蜘蛛の連中が仕切っているやつよ」
「盗賊ギルド? 商人同士の揉め事だぞ」
「裁くのは参審人。今回は商事ギルドの長老たちね。盗賊ギルドは法廷を開いて、出た裁定を執行するだけ」
「なんでそんな仕組みになっているんだ」
「……皇帝の裁判所がなくなったからよ」
ナイリザの言葉に硬い響きが籠もる。
「帝国のころから、ナヒリたちは独自の法廷を持っていた。帝国法院が失われて、揉め事はそちらに持ち込まれるようになったってわけ」
「よりによって盗賊ギルドか」
「金を払えと命じても、取り立てる力がなければ紙切れだわ。蜘蛛の連中にはその力がある」
合理的、と言えるのだろうか。
盗賊ギルドが司法というのは悪い冗談にも聞こえるが。
「で、あなたが代理人?」
「成り行きでな」
「物好きね」
* * *
訴状は翌日、呼出状とともにギンネの店に届いた。
ナズィムは本気だったようだ。
通常業務の傍ら、証拠となる伝票の整理やらに付き合ううちにあっという間に期日を迎えた。
調達の話はまだできていない。
ギンネと二人で期日に出頭する。
場所は商事ギルドの集会所だった。
何度か来たことはある。
なんの変哲もない大きめの木造二階建て。
だが、その日は少しばかり雰囲気が違っていた。
入り口に武装した男が二人立っていた。
黒い衣服。腰に短剣。
顔には、妙な仮面をつけている。
白く塗られた木製の仮面で、目の部分だけが大きくくり抜かれていた。
銀髪、黒檀色の肌、尖った耳。
仮面越しでもわかる。二人ともダークエルフだ。
ギンネが一言二言話しかけると、男たちは黙って道を開けた。
「随分と物騒だな」
「物騒でなければ裁定にならん」
待合室のような小さな部屋に通される。
木製のテーブルに椅子が二脚。
ギンネは受付で渡された書類をテーブルにどさりと置いた。
向かいに腰を下ろすと、一枚の書類を突き出された。
「これに署名を頼む。ヤポンの文字で構わん」
「これは?」
「代理人の宣誓書じゃ」
帝国語で書かれた内容に、ざっくりと目を通す。
「『自由法廷の法に従い、定められた執行に異議を申し立てない』」
「そういうことじゃ。宣誓せぬ者には発言は許されない」
「『本人のために、または本人に代わって弁論し、証言、雪冤、決闘その他の立証の手続を行う』」
読み上げていた目が止まった。
「いやまて……決闘?」
顔を上げてギンネを見る。
「やらんわい。そんなもの」
ギンネはうるさそうに手を振った。
「元が蜘蛛の連中の内裁きだからそういった定めもある。だがこれは商事ギルドの参審じゃ。そんな話にはならん」
「……」
「そんなことより手洗いは済ませておけよ。審理が終わるまでは法廷から出れなくなる」
「そういうことは早く言ってくれ」
宣誓書にペンをすべらせ、慌てて手洗いへ向かった。
* * *
仮面の男に呼び出され、ギンネと二人、大集会室へと向かう。
観音開きの扉を開けると、そこは法廷だった。
普段は商人たちがちょっとした寄合に使う大広間だったはずだ。
今は長机の並びを変えられ、精一杯法廷としての体裁が作られていた。
目を引くのは正面。
舞台のような高座の最奥に古臭い紋布が掲げられている。
蜘蛛と人を合体させて意匠化したような紋様だ。
そのすぐ前に仮面を被ったダークエルフが一人座っている。
他の男たちのものより高級感のある白塗りの仮面。ゆったりとした黒長衣。
あれが一応裁判官役なのだろう。
足を組んで背もたれに身を預けているが。
その前にずらりと長机と椅子が並び、商事ギルドの商人たちが座っていた。
種族は様々だが、皆老人のようだった。
右端から二番目の長老は腕を組んだまま目を閉じ、船を漕いでいるように見える。
気のせいであって欲しい。
彼らの前には左右対面するように机と椅子が置かれていた。
左側の席には既にナズィムが座っていた。
俺とギンネが並んで入室すると、ナズィムは目を剥いた。
「カトウさん!?」
そういえばギンネの代理人になるという話はしていなかった。
「ひどい!」「裏切り者!」立ち上がって叫ぶナズィムを仮面の男たちが宥めて座らせる。
言っていなかったのは悪かったが、そもそもナズィムの仲間になった覚えはない。
麻雀仲間ではあるかもしれないが。
こちらが席に着くのを見計らって、壇上の裁判官が宣言した。
「開廷する。法廷封鎖」
それに従って、剣を佩いた男たちが扉を閉め、その前に陣取った。
こういう手続だけは妙に厳めしい。
本当に手洗いすら禁止なのかは気になるが、身をもって確認するつもりはない。
「では、当事者から宣誓を」
まずナズィムが立ち上がった。
壇上の男の、あるいはその後ろの蜘蛛の紋布を見ながら、両掌を天に向けて宣誓書を読み上げる。
「訴えは?」
「ギンネはナズィムに銀貨十枚払え」
そこで参審席の老人たちがざわめきだした。
「……十枚じゃと?」
「金貨の間違いではないのか」
「意味がわからん」
無遠慮なささやきに少し我に返ったのか、ナズィムが顔を紅潮させて俯く。
次はギンネの番だった。
「第四街区寄合のグアシェルのギンネが謹んで奉る」
ナズィムと同じように宣誓書を読み上げる。
「ナズィムの訴えには理由はない。直ちに破却されたい」
参審人の一人が声を上げた。
「訴えは銀貨十枚払うかどうかでよいのじゃな?」
確認するような問いかけに、ギンネはゆっくり首を振った。
「違う」
「違う?」
「わしはあっせん人たる資格を賭ける」
その一言に動揺が走った。
長老たちがぽかんと口を開ける。
ナズィムの顔がみるみる青ざめていった。
もちろん俺もだ。
そんな話は聞いていない。
退屈そうに頬杖をついていた裁判官が、少しだけ身を乗り出した。
「あーそれは、敗訴したらあっせん人株を返納するということかね」
「いかにも」
裁判官の問いに、ギンネは落ち着き払って言った。
「もともと半損の理を説くのはあっせん人の職分。倉主が廃業するかどうかもそれで決まる。なら、あっせん人も廃業を賭けるのが筋じゃ」
ギンネのあっせん人資格が関わるなら、来月の調達案件どころの話ではない。
隣に立つギンネを見上げるが、ギンネの目は壇上に注がれたままだった。
次回は11/7(土)更新予定です。




