第52話 ルーヴァンの門
渉外僧のサーミルをハイラックスの助手席に乗せ、来た道を戻る。
鼠色の長衣にシートベルトというのはなかなか新鮮な組み合わせだった。
「円建てで構わないのか」
「ええ。本院名義の口座がありますので」
宇田川の退職金の半分を教団に寄付する。
金額が金額なだけに、日本租界での対面の手続が必要だった。
今日のうちに決済を済ませてしまいたい。
だが、東門のところで足止めを食らった。
大きな商隊の入都手続で時間がかかっているらしい。
ハイラックスが止められることはないから忘れそうになるが、日本租界に直結する東門の出入りはそれなりに厳重に管理されている。
「……不便だな」
「何がでしょう」
「本院が街壁の外にある。何かにつけて入門の手続がいるだろう」
ハンドルに手を乗せたまま、サーミルに尋ねた。
サーミルは納得いったという風に「ああ」と頷いた。
「禁じられていたのですよ。布教を認められてからも、本院を帝都に置くことだけは、遂に許されなかった」
「帝国に警戒されていた?」
「さあ。そこは私どもにはわかりません。ただ……」
サーミルが東門の上方、「偶発的接触」で損壊した部分を見上げて言った。
「我々は、ルーヴァンの門には守られていなかった」
ハイラックスがつんのめるように揺れた。
俺がブレーキペダルを踏み抜いたせいだ。
「……失礼。今、なんと?」
「ルーヴァンの門、ですか?」
サーミルが少し意外そうな顔でこちらを見た。
「この東門のことですよ」
「東門?」
「昔の呼び名です。この門に門楼があり、帝都防衛の要であった頃の」
ハンドルを握り直す。
窓の外の東門を見上げた。
「……初めて聞いた」
「そうですね。今は門楼も……跡形もないので。あえてその名で呼ぶ人もいなくなりました」
自衛隊に破壊された、とは言わなかった。
「……その昔、魔王エリファスが万の軍勢を率いて帝都に押し寄せたとき。ルーヴァン卿はこの門楼に籠り、抗戦しました」
サーミルが流れるように説明を始めた。
教団に関することではないからか、いつもより舌が滑らかだった。
「戦いは三日三晩に及び、ルーヴァン卿も命を落としましたが、門は破られなかった。以来、東門は帝都不陥の象徴だったのです」
「詳しいな」
「有名な話です。カトウ様もご存じかと思っておりました」
「なぜ?」
返事まで間があったので、サーミルの顔を見る。
サーミルは目を伏せながら答えた。
「ルーヴァン・イル=サリヤーン卿は、ナイリザ様の祖父御様ですから」
* * *
決済所を出て、サーミルと別れた。
そのまま事務所に戻る。
事務所の入り口に、見覚えのある公用車が停められていた。
連絡調整室の車だ。
「……なんだ?」
訝しみつつ、ハイラックスをガレージに入れる。
事務所に入ると、階段のところでハシュラと鉢合わせした。
「……カトウ、遅い!」
恨みがましい目でこちらを見る。
「坂崎が来てるのか?」
「待たせてもらうって」
「ナイリザは?」
「ちょっと出るから留守番してろって。あんなの来るなんて聞いてないし!」
ハシュラが手に持った盆を押し付けてきた。
茶でも出したのだろうか。
そのまま階段を駆け下りて行った。
オフィスの扉を開けると、狭い応接スペースに捻じ込むようにして坂崎が座っていた。
眼鏡をかけたスーツ姿の女性を連れている。
女性はソファの残されたスペースにどうにか尻を乗せて座っていた。
二人の前には湯呑が並べられていた。中身はペットボトルのお茶のようだが、湯呑の下にはコースターが敷かれている。
ハシュラなりの苦心がうかがわれた。茶托もあったはずだが。
「どうも」
「どうも」
坂崎と挨拶を交わす。
女性が名刺を持って立ち上がろうとしていたので、「狭いのでそのままで」と伝えてテーブル越しに名刺交換した。
伊藤事務官。安藤の後任のようだ。
「突然お邪魔してすみません」
坂崎と伊藤がそろって頭を下げる。
「いや、こちらこそお待たせして。何かありました?」
「大した話ではありません」
坂崎が答えた。
この男が大した話ではないと言ったとき、本当に大した話ではない確率は五割くらいだ。
伊藤がタブレットを操作した。
「高性能ノイズキャンセリングイヤーバッズ。現地装飾仕様。型番NCE二四の在庫について確認に来ました」
「ああ、ノイズキャンセラー」
「ええ」
坂崎が頷く。
「管理本部でも別口で確保していたのですが、少々足りなくなりまして」
「それで、うちに?」
「こちらで、いくつか押さえておられると聞きました」
本当に大した話ではなかった。
相変わらずのフットワークの軽さに、意外を通り越して少し呆れる。
参事官がそんな用件で出向いてくるのは、セキュリティとしてもいかがなものか。
そうも思ったが、この男を直接どうこうできる存在など、レベル2にもそう多くないだろう。
「一点ありますよ」
正確には二点ある。
だが、一点はナイリザ用の予備だ。
残り一点は、事と次第によっては融通してもいい。男爵のラズワーンに依頼されて贈答用に用意したものだからだ。
派閥の上位者に、ノイズキャンセラーを入手するよう圧をかけられたそうだ。急ぎではないだろう。
「誰に回すんです?」
「第二皇子殿下です」
「第二皇子」
聞き返すと、坂崎がわずかに首を傾げた。
「ご存じありませんでしたか」
「皇族が残っていることくらいは」
第一皇女だの第二皇子だの。
旧帝国の系譜を覚えるような仕事はしていない。
「先帝崩御後も即位はなさらず、さりとて皇城を離れることもなく。もう十年になります」
「即位せず、皇城に?」
「ええ」
「何をしてるんです」
「何も」
坂崎が答えた。
「何も?」
「それが大事なのですよ。我々には非常に協力的な方です」
わかったようなわからないような話だ。
統治権力不在のまま、なんとなく経済依存だけを進めていくのには都合が良いのかもしれない。
そうした旧支配層を程よく存続させるためには、贈答品ひとつも政治というわけだ。
いずれにせよ、民間の一中間管理職には無縁の話である。
「以前お納めしたものをお気に召したそうでして。同型を追加で、との話です。管理本部で二点は用意できたのですが、殿下としては、今回下賜予定の三つの家には、差をつけずに配りたいということで」
メーカーの担当者も品薄だと言っていた。
量産品では駄目で、試作の装飾入りがとにかく人気なのだという。
「わかりました。一点そちらに回します」
「よろしいので?」
「貴族の依頼で取り置いたものなので。第二皇子が所望してるなら文句はないでしょう」
「助かります」
坂崎が頭を下げた。
金庫に保管していたノイズキャンセラーの在庫一点を渡し、代わりに伊藤から受領書を受け取る。
用件はあっさりと片付いた。
二人を入り口まで送るために立ち上がる。ふと、坂崎が思い出したように口を開いた。
「そういえば」
「はい?」
「サリヤーンさんは?」
「今は外しています」
「そうですか」
少し間があった。
「……最近、特に交友関係の変化などは?」
ドアを開けようとしたところで、手が止まる。
振り返り、坂崎を見た。
「交友関係? いや、特には把握していませんが」
「ふうむ」
坂崎は顎に手を当てて考え込むような素振りをした。
「なぜそんなことを?」
「難しいお立場ですからな」
「監視してるんですか」
「はっきり申し上げれば、そうです。管理本部としては、常に注視しております」
坂崎は悪びれもしなかった。
「サリヤーンさんはレベル2でも有数の武力でありますし」
レベル2有数の武力にそう言われると複雑な気分になる。
伊藤が小さく首を傾けると、目だけ動かして坂崎を見上げた。
何か思うところはあったのかもしれない。
「もし、旧臣から接触を受けているようならお知らせください。管理本部も何かお役に立てるかもしれない」
去り際に言うにはいささか不穏な言葉を残して、坂崎は公用車に乗り込んでいった。
「旧臣」
引っかかる言葉だった。
帝都にいる貴族たちはすべて双陽神聖帝国の旧臣だ。
だが、坂崎が掌握している貴族たち――参与やら顧問やらの肩書を与えられて囲われている者たちを指して言ったわけではないだろう。
来訪の理由の何割かがナイリザの動向確認なのだとしたら、穏やかではない。
* * *
翌日、今月の名板貸しの清算のため、ダラハール家に向かう。
ギンネの寄合を通した取引は徐々に増えつつある。品目数も、取引額もだ。
先月、円建ての支払いをどこまで銀貨に両替するか見直したいという話も出ていた。
ついでに、ノイズキャンセラーの件も一言入れておけばいい。
旧帝都西区。
初めて来た頃と比べれば、屋敷の様子は少しだけ持ち直していた。
庭木が以前より刈り込まれている。
玄関先にいた使用人も、一人増えていた。
ヤシマとの取引だけで家が蘇ったとは思わないが、以前よりは金が回っている。
来意を告げるとすぐに中へ通される。
「これはこれはカトウ殿」
「今月の清算に来た」
出迎えた使用人頭は、困ったように頭を下げた。
「主人は今来客を迎えておりまして、少々お待ちいただくかもしれません」
「構わない」
応接間の前まで通されたので、廊下の椅子に腰を下ろす。
下ろしたところで、分厚い扉の向こうから鋭い声が漏れた。
「……はできない!」
ラズワーンだ。
珍しく声を荒らげている。
立ち去りかけた使用人頭が首を竦め、気まずそうにこちらを見た。
中では口論になっているようだ。
相手の声は一つではない。
低い怒鳴り声が幾つか重なった。
聞き耳を立てずとも嫌でも空気は伝わってくる。内容までは聞き取れない。
しばらくして、何かを卓に叩きつけるような音がした。
扉が開き、三人の男が出てくる。
先頭はエルフだった。
黒いフード付きローブ。
上等な生地だったのだろうが、あちこちに継ぎがある。
左腕は肘から先がなかった。
後ろの獣人は片目を布で覆っている。
もう一人のエルフは、頬から首にかけて古い火傷の痕が残っていた。
そして、全員が腰に剣を佩いている。
三人とも俺を見た。
部屋のすぐ前では身を隠しようがない。
先頭の男の眉が動く。
「ヤポン」
底冷えするような声だった。
背後の獣人の男が何か短く言う。
三人はそれ以上足を止めず、廊下を歩いていった。
足音が遠ざかる。
使用人が扉を押さえたまま、俺に頭を下げた。
「どうぞ」
応接間へ入ると、ラズワーンが立っていた。
卓上には書類が数枚散らばり、茶器の一つが倒れている。
いつもきっちり撫でつけている髪も、一房だけ額に落ちていた。
こちらを見るなり、咳払いをする。
「……失礼。見苦しいところを」
「さっきのは?」
ラズワーンの表情が強張った。
倒れた茶器を起こす。
「豺狼どもです」
「豺狼?」
「当家が持ち直したことを、どこぞで聞きつけてきたのでしょう」
吐き捨てるような言い方だった。
その後の打ち合わせでは、どこか上の空で、こちらの提案に頷くばかりだった。
今月分の支払いも全額銀貨に替えるということで了承を得る。それでよいならこちらは困らない。
ついでにノイズキャンセラーの在庫を第二皇子に回す話を告げる。
ラズワーンは、突然覚醒したようにこちらを見た。
「もちろんです。殿下がご所望とあれば否やはございません」
何度も頷いてみせると、こちらの手をとらんばかりに身を寄せて言った。
「カトウ殿。当家は第二皇子殿下に連なる者です」
「はあ」
「……くれぐれも、くれぐれも誤解なきようお願いしたい」
* * *
夕方、事務所へ戻ると、ナイリザは自席にいた。
「ラズワーンと話はついたの」
「……ああ。先月と同じ処理で構わないと」
「そう」
そう答えるナイリザの横顔を見た。特に変わりはないように見える。
机の上の空き瓶を確認した。今日は三本空いている。いつもより多い。
昨日、珍しく事務所を空けていたことを思い出した。
「ナイリザ」
「なに」
「今日、例の酒亭に行くか」
ナイリザの赤ペンが止まった。
「……何よ、急に」
「嫌ならいい」
「誰が嫌って言ったのよ」
眼鏡を外す。
「おごり?」
「おごりだ」
「なら行くわ」
日が落ちてから、事務所を閉め、二人で酒亭に向かった。
裏通り。
色褪せたタペストリー。
日本租界にありながら、日本製品が何ひとつ見当たらない店。
ナイリザの機嫌は良い。
店の入り口を潜ると、歩調が少し緩んだ気がした。
カウンターにつく。
主人は注文を聞かなかった。
白濁した蒸留酒を二つ。
ナイリザの前に、小さな皿に盛られた乾燥果実が置かれた。
「頼んでないわよ」
「前回、よく食べておられましたので」
「余計なこと覚えてるのね」
そう言いながら、果実を一つ摘まむ。
主人は少し困ったように笑った。
俺の前には何もない。
「俺には?」
「常連になってからだそうよ」
「金払ってるのは俺だぞ」
「そういう店じゃないの」
ナイリザが鼻で笑った。
そして、酒を一口飲む。
事務所にいるときとは、やはり少し違う気がした。
肩の力が抜けている。
声も低い。
初めてここに来た時のことを思い出す。
あのときは、六杯飲んで歌まで口ずさんでいた。
「今日は二杯までにしろよ」
「何よそれ」
「帰りが面倒だ」
「誰が送れって頼んだの」
「袖を掴んできたのは誰だ」
一瞬、ナイリザが黙った。
「……覚えてないわ」
「嘘つけ」
「うるさい」
二杯目を頼んだ。
カウンターの端では、フード付きローブを羽織ったエルフが一人で酒を飲んでいる。
奥のテーブルから低い話し声。
誰も騒がない。
電子看板。
LEDの照明。
プラスチックのコップ。
エアコン。
この店だけ、そういうものがない。
僧正の話。ルーヴァンの門。旧臣との接触。
そういったものが少しだけ脳裏をかすめた。
だが、口に出すのはやめた。
今夜は久しぶりに上機嫌のナイリザを見れただけでいい。
「……何よ」
「なんだ」
「さっきからこっち見てる」
「見てない」
「見てたわよ」
「気のせいだ」
ナイリザはグラスを口元へ運びながら、小さく笑った。
もちろん二杯で終わるはずもなく、ナイリザが躊躇なく三杯目を頼んだ。
主人の手が後ろの酒棚に伸びたところで、棚ががらがらなことに気づく。
「酒、減ったな」
「ええ」
主人は振り向かずに答えた。
「仕入れは?」
「もうしていません」
そして、三杯目を差し出しながら続けた。
「今夜で店を閉めます」
実は、という言い方ではない。
あまりにも当たり前のような口調だった。
そこに、妙な引っかかりと胸騒ぎがする。
隣りを見ると、ナイリザも出てきた三杯目に手をつけず、主人を見つめていた。
「……なぜ」
「もう、ここで貴女を見る必要がなくなりましたので」
主人は微笑を浮かべたままだった。
そして、ナイリザに向けて静かに首を垂れた。
「サーリス。サーリス・ナジュラ=キル」
その一言で、店内の落ち着いた静寂が、不穏なそれに塗り替わる。
いつの間にか、ほかの客たちが交わす小さな話し声も聞こえなくなっていた。
「同志より預かっているものがあります」
主人の手がカウンターの下から一通の封書を取り出し、ナイリザの前に置いた。
厚手の紙。
現地式の封蝋。
封書にはっきりとした筆致で、宛名と、送り主の名が書かれていた。
『ルーヴァンの門の護り手へ』
『今なお貴女の弟子たる ファリード』
ナイリザは手に取らず、一瞥する。
送り主の名まで見たところで、わずかに瞳の表情が揺れた気がした。
ナイリザが顔を上げた。
表情が抜け落ちた顔だった。
長いこと主人の顔を見つめていた。
そして、ぼそりと呟いた。
「双陽戦線(サヒル=ヴァルヤ)」
その単語を耳にして、ほとんど反射的に腰を浮かせる。
帝国残党。反日組織。
咄嗟に周囲を見渡した。
入ったときには、二、三組の客がいて談笑していたはずだった。
今は三人。カウンターに一人。後ろのテーブル席に二人。
全員が黒フード付きローブを羽織ったエルフだった。
カウンターの端のエルフが表情のない目でじっとこちらを見ていた。
主人は「同志」と呼んだ。
つまり、日本人である俺の前なのに、隠す素振りも見せていないということだ。
酒気が飛び、首筋に嫌な汗が噴き出す。
改めてカウンターに立つ主人を見た。
主人はつまらないものを見るような目でこちらを見返し、そしてすぐに視線をナイリザに戻した。
困ったような微笑を浮かべて俺に酒を出していた男はどこにもいなかった。
「我々はしばらく帝都を離れます」
主人が口を開いた。
「ファリード殿が、どうしても、最後に一度お会いしたいと」
獣油の爆ぜる音とともに、ランプの光が小さく瞬く。
タペストリーに映ったナイリザの影がゆらりと揺れた。
「ご返答は明日まで。こちらで承ります」
主人の言葉には答えず、ナイリザは静かに立ち上がった。
無言で銀貨を数枚取り出し、カウンターに置く。
「今日の酒代よ」
「いりません」
「なら、捨てなさい」
ナイリザはカウンターに手を伸ばし、そして一瞬の躊躇のあと、封書を掴んだ。
「行きましょう」
そういったナイリザの表情は、ランプの光を背負ってよく見えなかった。
次回は10/10(土)更新予定です。




