第48話 メディカルツーリズム
予告から大幅に遅れてすみません!
休診日のくずはらクリニック。
待合室にも診察室にも人気はない。そのせいかヤニ臭さが際立つ。
「それで、俺に相談に来たってわけ?」
葛原が気だるそうに呟いた。
メビウスの配達を口実に上がり込んだせいで、機嫌が悪い。
「わからないものはわかる人間に見せるしかない」
そう答えて、本社から届いたクリアファイルを手渡す。
葛原はクリアファイルから白黒のフィルムを取り出すと、シャウカステンに挟んだ。
「アルコール性肝硬変」
指先で内臓をなぞりながら、もう一方の手で器用にカルテを手繰る。
「高血圧。脂質異常症。62歳。男性……中国籍?」
「外国人向けの特別入域許可が出ている」
「耐性審査、身元審査、医師同意書、特区進出企業の推薦、莫大な手数料……」
葛原が呆れたようにひとつひとつ指を折っていく。
「全部クリアしている、らしい」
重要取引先関係者、だと言われた。
物流・不動産関係の創業者らしい。
らしいという以上の情報は、課長代理には降りてこない。
肝硬変の根治を希望。
異界由来技術を用いた治療の可能性を検討して欲しい。
現地における実施可能性、概算費用、必要な体制を確認し、可能であれば日程調整まで行うこと。
本社からの指示はそれだけだった。
目を通し終えたカルテを、葛原が静かに置く。
「腹水は薬で抑えられてる。数字も悪いけど、今すぐどうこうって話じゃないな。ちゃんと禁酒して、薬飲んで、定期的に検査して。食道静脈瘤だの癌だの気をつけながら付き合ってく病気だ」
「治せないのか」
「元には戻らないね。……日本では」
「こちらでは?」
「治せる、らしい」
葛原がメビウスに火をつけた。
診察室には禁煙のステッカーが貼られている。貼った本人は気にしないようだ。
「あそこに一人いるんだよ。でかい再生魔術を使えるやつが」
「どこに」
「マハーラ教」
思わず眉間に皺が寄る。
教団に含むところはないが、静謐香の出所だったというだけで印象は良くない。
「欠損した四肢まで再生できるって話。いやはやファンタジーだねえ」
「それで肝臓も治せるのか」
「治せるっていうかね」
葛原が自分の右腹を軽く叩いた。
「開腹して、肝臓を全摘するのね。それで間髪入れずに再生魔術をかける。健康な肝臓が再生する」
「……随分と簡単な話に聞こえるな」
「そうでもないよ。専門の外科医が要る。門脈、肝動脈、肝静脈、胆管。必要な断端だけ、できるだけきれいな状態で残す。肝移植と同じことを、半分までやる必要がある」
外科チーム。手術室。再生魔術の使い手。
これは大事だ。
そこでふと手が止まった。
「……日本の外科で切って、現地の魔法で戻す」
「そういうこと」
「パッチワークじゃないのか」
「要するに、そうだねえ。人体でやるやつ」
坑道のドリルジャンボを思い出した。
身じろぎする重機。動力は電気か、魔素か。ポスチュレートの曖昧な挙動は変異を促進する。
「大丈夫なのか?」
「知らん。症例が少ない。ただ、その辺は織り込んででも、アルコールで腐った内臓を新品にしたいやつはいる」
「いるのか」
「いるから症例がある。症例があるから俺が知ってる」
葛原がメビウスを灰皿に押し付けた。
「唸るほど金があれば、次に欲しいのは健康だ。日本で手に入らないなら、ゲートだってくぐる。異世界版メディカルツーリズムってわけ」
* * *
事務所に戻り、過去の伝票をひっくり返す。
鰐淵の遺品整理の明細。
驚くべきことに喜捨の領収書が添付されていた。
しかも領収書には連絡先電話番号まで書かれていた。
話が早いのは助かる。
教団に電話をかけ、社名を名乗ると、渉外僧とやらにつながった。
再生魔術の件と伝えると、あっさりとアポイントが取れた。
ついでに喜捨の相場も尋ねたが、不躾な質問にもかかわらず丁寧に説明される。
細かくは応相談ということで、かなり広いレンジを呈示された。
想像していた額とは桁が違う。
統括オフィスに喜捨の相場と、変異リスクの程度を予測できないこと等を報告したが、どちらも問題ないと言われた。
『帰還不能事例があること含め、クライアントは承知で。うちはあくまでアテンドということです』
「金額は? 喜捨だけでなく外科チームの手配もいる。総額はとんでもない額になるぞ」
『それも、はい。実はクライアントの方がよくご存じで。これくらいだろう、と』
海外の超富裕層の間で、異世界の医療情報が出回っている。
嫌な気分になったところで、更に追い打ちをかけるような追加オーダーがあった。
『万一のため予備日も押さえてくれ、と言われてます』
「更に費用が嵩むんじゃないか」
『倍額出してもいいそうです』
眩暈がする。個人がポンと出す金額ではない。
まるで別世界の話だと思ったが、よく考えたらここが別世界だった。
いずれにせよ、条件がマッチするなら進めるだけだ。
* * *
マハーラの本院は、帝都の外にあった。
ハイラックスで東門を抜け、巨大な帝都城壁に沿って北へ回る。
石壁の影に、街からこぼれたものが堆積していた。
墓地。施療所。布にくるまれた死体。
巡礼者。松葉杖をついた男。乳児を抱いた女。痩せた犬。
レベル3のスラムとはまた違う。
生活の痕跡は薄く、死と病の翳りが濃い。
その先に、突然、色彩が現れた。
赤。黄。青。緑。
原色に近く染め上げられた幾百もの細長い布が、漆喰塗りの建物から四方へ張り渡されている。
風が吹くたびに、一斉にはためいた。
巡礼道の入口に自衛隊の高機動車が駐車されていた。
駐車位置を迷わないのは助かる。
少し間隔を空けてハイラックスを止める。
本院の門は、渦巻くような巡礼道の先にあった。
「ヤシマのカトウ様ですね」
門では僧形のダークエルフが待ち構えていた。
質素な鼠色の長衣を纏った中年の男だった。
両手の指先同士を合わせる奇妙な組み方をして、こちらに頭を下げる。
「渉外僧のサーミルと申します。僧正がお待ちです」
渡した名刺の表裏を確認してから、胸元の小袋へしまう。
慣れた動作だった。
サーミルに先導されて、境内に入る。
煮炊きの煙。消毒薬。汗。排泄物。
人間が集まる場所の匂いに混じって、ほのかな甘いバニラの香りがした。
中庭では、大鍋から粥が配られていた。
獣人、オーク、ゴブリンといった種族が、同じ列に並び、同じ木椀を受け取っている。
エルフやダークエルフの姿もあった。
配給所の裏に積まれた食料箱はヤシマとは別系列の商社のものだ。
その隣に雑然と重ねられた毛布には、管理本部の払い下げ票がついたままだった。
中庭を抜けて薄暗い回廊に入る。
通気のためか壁の少ない造りで、柱の合間から雑然とした設備類が並んで見える。
「発電機もあるのか」
「ええ。城壁外なので自前で発電しませんと」
発電機には『寄贈』と書かれたプレートがついていた。
贈り主の社名を確認する。
重工業系の異界進出企業だ。
並びに設置された樹脂製の貯水槽には、また別の化学系企業の名前があった。
「ずいぶん日本企業と付き合いがあるんだな」
「皆様、大変慈悲深くていらっしゃいます」
サーミルは真顔で答えた。
ヤシマは出遅れているようだ。
聖堂らしき大広間に入ったところで、サーミルが中にいた僧と一言二言交わす。
そしてこちらを振り返ると、申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。
「少し前の予定が押しているようです」
「構わない。待たせてもらう」
「よろしければ、先に施術関係の施設をご案内します」
設備の確認は必要だったので、むしろ助かる。
やはり手馴れているな、と思った。
聖堂から別の回廊を抜けて建物の奥へ。
床材が急に変わった。
樹脂だ。
サーミルが突き当りの金属扉を開ける。
「……おお」
思わず声が漏れた。
手術灯。麻酔器。モニター。輸血用保冷庫。ステンレスの手術台。
神殿の中に、日本の手術室が埋め込まれていた。
「これも寄進?」
「はい」
奥の壁に、やたらと分厚い観察窓がある。
「あれは」
「施術時の退避室です」
再生魔術を行使した際の界差曝露を防ぐためだという。
日本側医療者は担当作業が終わったら別室に下がり、モニター越しに経過を見守るようだ。
「よく考えられているな」
「試行錯誤の結果です」
「試行錯誤」
「三名ほど耳が尖りまして」
「日本側の医師が?」
「はい」
「戻ったのか?」
「お二人ほどは」
一人がどうなったかは聞かなかった。
ふと、この電気設備をどうやって動かすのか気になった。
レベル1ではない。アンカーなしで機械が動くほどポスチュレートは濃くない。
とりあえず、十分な設備があることは確認できたので、元の聖堂まで戻る。
まだ僧正は先客と面会中らしい。
応接室の扉は閉まっていた。
サーミルと二人、扉脇に置かれた木椅子に座って待つ。
「……魔術を使えない者のための教えだと聞いた」
「はい」
暇つぶしではないが、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「なぜ術者を抱えている」
「我らは持たざる者の教え。授かった者は、施すために在ります」
淀みない答えだった。
何百回も言い慣れた口上だとわかる。
「御祖もそうでした。マハーラ。マハーラ。アル=サフィール」
サーミルが御祖とやらの名を唱える。
唱名というらしい。
会話が途切れたところで、ちょうど目の前の扉が開いた。
日本人の男が三人ほど出てくる。
薄いカーキ色の作業服。
胸元に階級章。
先頭の男のそれを見る。
二等陸佐だった。
特区に三人しかいない自衛隊トップの一人。
如月ではない。レベル2で警備隊長を見かけることはない。
つまり、この男が異界特区派遣技術試験隊長の真鍋二佐だ。
直接話したことはない。
できれば、話したいとも思わなかった。
自衛隊と余計な接点を持って、いいことがあるとは思えない。
だが、この距離で二佐を無視するわけにもいかなかった。
「お疲れ様です」
軽く頭を下げた。
真鍋が足を止めてこちらを見た。
視線がブルゾンの胸元のロゴに落ちる。
止むを得ず、名刺入れを取り出した。
「ヤシマコーポレーションの加藤です」
名刺を差し出す。
真鍋は自分の名刺を出さなかった。
片手で無造作に受け取る。
「ヤシマ」
一度だけ見る。
「ああ」
顔が上がった。
「製油所の」
「はい」
それだけだった。
真鍋は名刺を胸ポケットへ突っ込み、そのまま前を通り過ぎた。
小さく息を吐いた。
サーミルが立ち上がり、扉へと手をかける。
「ああ、そうだ」
背後から声がした。
振り返ると、真鍋が数歩先からこちらを見ていた。
少し首を傾げている。
「ヤシマさんも、再生魔術でしょ」
一瞬、答えるべきか逡巡するが、あえて嘘を吐く理由もない。
「……まあ」
「だよねえ」
真鍋が笑った。
何がおかしいのかはわからなかった。
「頑張ってください」
「はあ」
「どうにも手強い」
肩をすくめる。
「参った参った」
独り言のようにそれだけ言い残し、今度こそ歩いていった。
靴音が回廊の角を曲がり、消える。
閉じた扉を見た。
「よく来るのか」
「真鍋様ですか」
サーミルは少し考えた。
「時折」
「何をしに」
「さあ」
微笑む。
「僧正がお話しになることですので」
それ以上聞かなかった。
サーミルが扉を開く。
「ヤシマコーポレーション、カトウ様でございます」
「おお!」
奥から、よく通る声が返ってきた。
「これはこれは。遠路ご足労いただきまして」
室内はこれまで見たどの部屋とも違っていた。
床には毛氈が敷かれ、壁には極彩色のタペストリーが飾られている。
飴色の大きな木机の上には、日本企業からの贈答品だろうか、妙な日本製のオブジェが並んでいた。
よく整理された室内には塵ひとつない。
合皮張りの黒いデスクチェアから立ち上がった男は、今にも両手を揉み合わせそうな笑顔を浮かべていた。
老齢のエルフらしく、髭はない。剃髪した頭部に、皺深い猿のような顔。
七十近いように見える。
赤と紫と金糸を重ねた法衣を纏っていた。
「僧正のハリールでございます。いやあ、ヤシマ様には日頃より大変お世話になっております」
一瞬だけ、真鍋の言葉を思い出す。
どうにも手強い。
目の前の老人は、そうは見えなかった。
* * *
「なるほど、なるほど。構いませんぞ。祈りは異世界にも開かれております。渦の前には等しく塵芥」
再生魔術の使用については実にあっさりと受け入れられた。
「臓腑の再生ですな。摘出の人員はそちらで。手術室はご覧になられた? あれはご自由に使っていただいて結構です。私どもには扱えないものですし」
「それでその、費用、喜捨の額についてですが」
「ええ。ええ。円建てで八千万円ほどでお受けしましょう」
さらりと口にした。
予め覚悟していたとはいえ、事前にサーミルに聞いていたレンジの上限に近い。
「高い、とお思いですかな」
僧正が満面の笑顔でこちらを覗き込む。
「まあ……その」
「しかしこればかりは。双陽眩きころには、再生の御業を受けることは皇族にのみ許されておりました」
そもそも別の選択肢がないのだから価格交渉の余地などない。
とはいえ、交渉担当としては上限額でそのまま持ち帰るわけにもいかない。
配給所の裏に食料箱が積まれていたのを思い出す。
金より物の方が需要がありそうだ。
「物資でお納めするのではどうでしょう?」
口にした途端、僧正の笑みが深まった。
「もちろん。浄財以外の寄進も随時お受けしております」
僧正が顔を向けると、サーミルが用意していたA4の紙面を木机に置いた。
置かれた紙を手に取る。
物資表だった。
粉ミルク、抗生剤、包帯から、発電機用フィルターまで。
数量だけでなく円換算まで入っていた。
「三割ほどを物資でいただく形ではいかがですかな?」
「……粉ミルクは銘柄まで指定があるんですか」
「以前、あまり質のよくないものをいただきまして」
僧正は深く頷きながら言った。
「慈悲にも品質管理は必要ですな」
円換算はレベル2の相場で書かれていた。
レベル1で調達すれば安く済む。総額もレンジの中間くらいに収まる計算だ。
肩の力を抜いて、物資表を机に戻した。
ここまで周到に用意されて駄々を捏ねても仕様がない。
「この条件で持ち帰らせてください」
「ご理解が早くて助かります。直近では13日後に空きがありますので、お返事はお早めに」
「一点だけ。対象となる者の体調もある。13日を押さえて、予備日もいただきたい」
僧正は少し困ったような顔をしたが、即答だった。
「できませんな」
「……その分の喜捨は上乗せします」
「できません」
「倍額でも?」
「いやはや」
取り付く島もない。僧正は大きくかぶりを振った。
「再生の儀はひと月に一回。理由は問わず、再度の施術にはもう一度並んでいただくほかない。あらかじめ枠をお売りするということもしておりません」
「……枠を決めた方が収入も安定するでしょう」
「そうでしょうな。しかしその分、今回のような新たなご縁を繋ぐ機会が減る」
「こちらとしては助かりましたが……無駄が出てしまう気がするのですが」
素朴な疑問を投げただけだった。
僧正はゆっくりとデスクチェアに背を預け、視線を虚空に泳がせた。
「全部売ってしまうと、値決めができなくなります」
そして視線をこちらに戻したときには、先ほどまでと同じ、胡散臭い笑みを浮かべていた。
「商売では、売り切らないことも大切です」
「教団ですよね」
「昨今では坊主にも算盤が必要と言うわけでして」
* * *
帰り際、契約条件をまとめた資料を渡された。
術者との直接面談は事前事後含め禁止。
研究目的の接触も禁止。
予約枠の転売禁止。
専属契約の交渉お断り。
要するに教団、ひいては僧正にすべてを囲われているということだろう。
統括オフィスには、予備日の交渉は不成立と報告。
喜捨額、物資表、契約条件、日程、すべてそのまま送った。
特に何も言われなかった。
代わりに統括オフィスが手配した外科チームの資料が届く。
移植外科医二名、麻酔科医一名、看護師三名。
全員耐性評価C以上。日帰り出張は問題がないライン。入域許可も取得済。
ただし耐性評価Aのアンカーはいなかった。
『医療機器の正常な作動のためアンカー一名を手配されたい』
無機質な業務依頼書に苛立ちが湧く。
「俺か」
都合よく手配できるなら駐在員などいらない。
しかも続きがあった。
『本件は日本医学と現地魔術を併用する特殊施術であるため、現地魔術に十分な知見を有する者一名を当社側立会人として確保すること』
顔を上げる。
向かいで、ナイリザが電卓を叩いていた。
マハーラ本院は帝都の外だ。
人の出入りは多いが、貴族やらがうろつく場所でもない。
「十三日後、半日空けられるか」
「何」
「本社から、現地魔術師の立会人を一人出せと言われた」
「それで私?」
「ほかに誰がいる」
「エリファス」
考えていなかった。
確かに魔術師としては申し分なく、翻訳能力も高い。
本人同意の取得という名目なら法律業務に含まれるのだろうか。
「……ちょっと、真面目に考えるの止めて。冗談に決まってるでしょ」
「そうか」
「場所はどこなのよ」
「マハーラ本院」
電卓を叩く指が止まった。
一瞬だけ。
「……誰と話をつけたの?」
「ハリール僧正」
今度は、少し長かった。
ナイリザが顔を上げる。
「知ってるのか」
答えはなかった。
老眼鏡を押し上げ、また伝票へ目を落とした。
「もし差し支えるようなら……」
「日当」
「もちろん出す」
「二倍」
「一・五」
「二」
「一・八」
「二」
溜息が出た。
替えが効かないものには、価格交渉の余地はない。
教団もそうだが、ナイリザもそうだ。
「わかった。二倍でいい」
「行くわ」
食い気味の答えが返ってきた。
答えを聞いてから、しかし、先ほどの間が気になった。
「……いいのか?」
「生前解脱者を連れて教団に乗り込むよりはマシでしょうよ」
「すまん。助かる」
端末の予定表を開く。
十三日後。
『マハーラ本院 再生術同行』
その下に二行。
『現地魔術立会:ナイリザ』
『術中アンカー:加藤』
入力してから、少し眺める。
アテンドだけ、という話だったが。
いつの間にか、自分も手術の部品に入っていたようだ。
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次回は9/12(土)更新予定です。




