第47話 古物商
瀬戸は翌朝、無事に内地へ搬送された。
葛原から短い連絡があった。
変異の再発なし。意識清明。あとは向こうで経過観察。
それで俺の仕事は終わった。
代わりに、事務所のデスクには段ボール箱が二つ置かれていた。
元従業員の遺品だという。
一年以上前に現地退職済み。先日亡くなったという。死因は内因性。事件性なし。
社籍は残っていないが、遺族の連絡先を把握しているということで、会社が後始末を引き取った。
しかし、親族は受領を拒否。そもそも界差曝露による変質の疑いがある動産は、内地に送れない。
衣服、靴、文房具、眼鏡、腕時計、名刺入れ、スマートフォン。
段ボール箱の中身を取り出して並べた。
送られてきた書類で持ち主の名前を確認する。「三島」。
どこかで名前を聞いたことくらいはあったかもしれない。面識はない。
「現地において適切に処分願います」。
統括オフィスからの依頼は一行だった。
適切とは何か。
『……すみません、明日までに』
デスクの上でスマートフォンが喋った。
画面は暗い。
電源ボタンを長押ししても、何も映らない。充電端子は錆びていた。
『それ、私の方で……』
男の声だった。低くて、疲れていて、丁寧だった。
恨み言でも遺言でもない。
電話口で仕事をしていたときのような、意味のない断片だけが時折流れる。
「おっさん、それ捨てろよ」
書類を届けに来たハシュラが、デスクから距離を取ったまま言った。パーカーのフードを目深に被り直している。
「喋るやつは駄目だって」
「捨てられないから困ってる」
「川にでも投げろよ」
「不法投棄だ」
「そっち気にするのかよ」
もっともだが、会社の資産処理として川へ投げるわけにもいかない。
ハシュラは受領印だけもらうと、階段を二段飛ばしで降りていった。ガレージのシャッターが乱暴に閉まる音がした。
ナイリザは平然としていた。
自席から老眼鏡越しに一瞥して、それで終わりだった。
「ガラクタね」
「喋ってるぞ」
「こけおどしよ。残響が筐体に引っかかってるだけ」
ナイリザは帳簿に目を戻した。
「処理費、出るんでしょうね」
「若干額、と書いてある」
「若干ね」
益体もない話をしている間に、今度は自分のスマートフォンが震えた。
取り出して新着のショートメッセージを開く。
駄目元で送ったメッセージへの返信だった。
「おそらく買い手が見つかるだろう、と」
ナイリザがもう一度顔を上げた。
「誰がそんなこと言ったの?」
「……鰐淵だ」
「ああ」
納得された。
俺も同じ気分だった。
『はい。……はい。ごもっともです』
デスクの上で壊れたスマートフォンが喋った。
* * *
鰐淵が事務所に現れたのは翌日のことだった。
「買い手候補が見つかりました。一度、物を見せて欲しいと」
「本当か」
「ええ」
「誰だ」
「私の習い事の先生ですよ」
「先生?」
「ご紹介します」
鰐淵によれば、古物商の許可を取っていないため、売り手と買い手を直接つなぐ仲介という形にするらしい。
「今日は在宅だそうなので、今からうかがいましょう」
外に出ると照り付けるような日差しだった。
乾季は荒野からの熱風が吹くようになってからが本番だという。
まだまだ序盤だと思うと気が滅入る。早々にハイラックスに逃げ込んだ。
段ボール箱を後部座席に積み、鰐淵を助手席に乗せる。
西街区へ向けて車を発進させた。
前を行く、鈍足の荷馬車の尻を眺めながら、最徐行で石畳を進む。
ハンドルに手を乗せながら、ふと感じた疑問を口にした。
「習い事とはなんだ?」
「これですよ。これ」
鰐淵が指先を立てた。
小さな火が灯り、すぐに消える。
変異ではないとわかっていても、思わず腰が浮きかけた。
「……魔法か」
考えてみれば当たり前だ。
使えるのだから、誰かに習ったのだろう。
「貴族なのか?」
魔法を使えるということは、旧帝国では貴族であることを意味する。
「ええ。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。大変な人格者でいらっしゃる」
「反社じゃないならいい」
「加藤さんも随分と基準が下がりましたねえ」
どの口が言うか、とも思ったが、肩を竦めるだけにした。
窓の外を、東街区より古い石造りの家並みが流れていく。
「私も少し、加藤さんを見習おうと思いまして」
おもむろに鰐淵が呟いた。
「見習う?」
「ビニール傘、ブルーシート、原油。それと水」
「錆門通りの件なら連絡室のお遣いだ」
原油は会社の業務だし、これ以上水利争いに首を突っ込むつもりもない。
「あの坂崎参事官に気に入られているということでしょう」
「違う」
「まあまあ」
鰐淵は楽しそうだった。
「私もレパートリーには自信があったんですがねえ。これは負けていられない」
「勝手に妙な競争を始めるな」
田村の件以来、前ほどこの男に警戒心が湧かなくなった。
信用しているわけではない。
だが、話していてもレベル1の同僚よりは気楽だった。
「ああ、そこです。その角を曲がったところ」
言われるまま細い路地へハイラックスを入れた。
その先に、かつてはそれなりの屋敷だったのだろう建物が見えてきた。
* * *
立派だった時代を想像できる程度には立派で、現在の困窮を想像する必要がない程度には荒れている。
そんな印象の邸宅だった。
鰐淵が玄関脇の呼び鈴を鳴らす。
「ハルディーム先生。お約束の品をお持ちしました」
呼びかけに応えるように扉が開いた。
現れたのは、頭頂部の寂しい中年のエルフだった。
「先生ではないと言っただろう」
「ではハルディーム卿」
「今さらそれも腹が立つ」
不機嫌そうに答えた男の面立ちは、それほど高齢には見えなかった。
40代くらいだろうか。
しかし、頭髪は両耳周りだけを残し、それ以外は細く疎らな猫毛が浮き上がるように生えているだけだった。
ナイリザを見慣れていたせいか、若くないエルフという存在に一瞬だけ戸惑う。
「加藤さん」
視線が頭頂部に向けてわずかに浮いたのを、鰐淵は見過ごさなかった。
「今、大変失礼なことを考えましたね」
「考えただけならまだ上品だ。ヤポンはたいてい口に出す」
ハルディームは不機嫌そうに俺を睨んだ。
「エルフが老いぬなどと、誰が言った。老いる。禿げる。借金もする」
「……失礼しました」
「入りたまえ」
家の中には古びた本と杖、壺、用途のわからない魔道具が所狭しと並んでいた。
ハルディームが自ら盆にのせた茶を運んでくる。
目の前にカップが置かれた。細かな文様の入った高価そうな磁器だった。
「いただきます」
カップを持ち上げて口をつける。薄い。というか、味がしない。
「渦は可能性の渦。生命の流れの渦でもある」
「はあ」
「渦から離れて観測する術を極めれば、肉体の時間が人の老いからズレる。まあ、席次がつくような魔術師ならの話だ」
まだその話が続いていたようだ。
「私はそうではない」
「すみません」
真顔だが、腹を立てているという風でもない。会話のテンポが掴みづらい相手だ。
「もっと極めると骨になるということですよ」
鰐淵が混ぜ返すように言った。
「ほら、あの……」
「おい」
ハルディームの眉が跳ねた。
「私の家でその名を呼ぶなよ。目をつけられる」
* * *
早速、品を確かめるというので、段ボールの中身を並べる。
画面が消えたスマートフォンを置くと、ハルディームはぐっと顔を寄せた。
「ヤポンの……物見の板か。また妙なものを持ち込む」
スマートフォンを持ち上げ、卓上のLEDライトにかざした。
『すみません。明日までに』
スマートフォンが喋るとハルディームは目を見開いた。
「……これは」
「危険なものですか」
「ただの残り滓だな」
拍子抜けする答えだった。
しかし、ハルディームはなおもスマートフォンを手に持ち、目を細め、向きを変えては眺めてはを繰り返す。
「ううむ。術具としても見るべきものがない。そして薄い……しかし、こんなに希薄なのに『声』とは。
まるで呪物のようだ……やはり器の性質か……」
徐々に目つきが熱を帯びていく。
「珍しい」
その一言とともに、感嘆するような吐息が漏れた。
強力でも、高価でもない。ただ珍しい。それだけらしい。
「お気に召したようで」
鰐淵が涼しげに言う。
「欲しい。いくらだ」
「銀貨四十枚でいかがでしょう」
高い。特に事前に値段を打ち合わせなかったが、ここまでふっかけるとも思わなかった。
「高い」
ハルディームが恨めし気な目で鰐淵を見た。
「分割できぬか」
「先生。即金でなければ物は止められません。他所に流すしかなくなります」
「ううむ。いや、しかし」
ハルディームの言葉に反応するように、スマートフォンが喋った。
『これ、持って帰れないやつですか』
初めて聞く言葉だった。
ハルディームの手が止まる。
俺も、何も言わなかった。
誰に尋ねた言葉なのかはわからない。
検問所か。医師か。会社の人間か。
束の間の沈黙が下りる。
やがて、ハルディームが口を開いた。
「やはり、どうしても欲しい」
鰐淵は肩を竦めると、ゆっくりと居間を見回す。
「では、そちらの壺と……そこの杖でいかがですか」
「な……!」
ハルディームの頭頂部が見る見る朱に染まった。
「やめろ! それは父祖伝来の品だぞ!」
「では諦めますか」
ハルディームはもう一度スマートフォンを見た。
「……持っていけ」
項垂れるハルディームを見つつ、鰐淵に小声で聞く。
「おい、大丈夫なのか?」
「問題ありませんよ。壺も杖も普通に骨董屋で銀貨に替えられる代物です。スマートフォンと違ってね」
鰐淵は笑った。
「では先生。鑑定料は仲介手数料と相殺で」
「強盗か」
「古物商です」
「……いつの間にそんな商売を始めた?」
「今、思いつきました」
鰐淵が壺を包み始めた。
「サービスです。ほかの品もまとめてお譲りしますよ」
「いらないぞ」
「古道具屋にでも売れば二束三文にはなるでしょう」
「……」
ハルディームは何も言わなかった。
少しでも足しになると、思い直したのだろう。
つまらなそうに衣服や腕時計を検めていたが、急にその手が止まった。
「待て」
ハルディームが杖に手を伸ばす。
そして、段ボールに残った名刺入れを、杖の先でつつき、他の品から押し退けた。
「これは引き取らない」
「なぜです?」
「持ち主が残っている」
ハルディームの声から、急に軽さが消えた。
杖の先で名刺入れを開く。
中には数枚、名刺が残っていた。
「ほんの欠片ほどだがな。名前に引っかかっている」
「スマートフォンとは違う?」
「違う。あれは跡だ。これは本人だ」
鰐淵が頷いた。
「ではマハーラ教団に?」
「それがいい。渦に溶かしてくれるだろう」
白い布で名刺入れを丁寧に包み始めた鰐淵に訊く。
「教団が引き取るのか?」
「ええ。喜捨は必要ですがね。
……私の方で処理しておきましょう。処理費は別立てでいただきますけれど」
マハーラ教団。瀬戸が入っていった、あの礼拝所を思い出す。
「渦に溶かす、というのは」
「言葉の通りだ」
ハルディームは茶を淹れ直しながら言った。
「魔術は、己を保つ技だ。渦に触れても、こちらへ戻ってくるための術だ。
杖、血統、名、師、家門、記憶。何でもいい。自分を岸に結ぶ杭が要る」
「マハーラは」
「杭を抜けと言う。抜いた先に安らぎがある、と」
「信じていないんですか」
「信じているとも。だから嫌いなのだ」
ハルディームは茶器を乱暴に置いた。
「あれは貧者の魔術だ。名を呼ぶだけで渦に触れる。そして戻ってこない」
戻ってこない。嫌な言葉だ。
鰐淵が手にした名刺入れを見る。
黒い革の、どこにでもある名刺入れだった。角が白く擦れていた。
「それは、救いなのか」
「救いでしょうねえ」
答えたのは鰐淵だった。さらりとした言い方だった。
「帰れない方、戻る形を失った方には、とてもよく効くのでしょう」
名刺入れを閉じる。
「私は御免ですが」
「私もだ」
ハルディームが間髪入れずに同意した。
「なぜ」
「まだ私だからだ」
苛立ったように杖を鳴らす。
「禿げても、家を失っても、端金で術を売っても、私はガフラーン家の魔術師だ」
少し間を置いた。
「杭を抜いてたまるか」
* * *
数日後、鰐淵が明細と銀貨を持って事務所に来た。
「こんなに?」
壺と杖は、かなり高く売れたらしい。
そこから鰐淵の手数料が引かれている。
スマートフォンの仲介時と、壺と杖の売却時で二回。
まあ、それはいい。
問題は名刺入れだった。
「こんなにかかるのか」
マハーラ教団への喜捨は、鰐淵の手数料より高かった。
「教団も慈善事業ではありませんからね。ハルディーム先生の見立てです。しっかり供養する必要はあるでしょう」
ナイリザが顔を上げた。
「ハルディーム?」
「知ってるのか」
「あいつ生きてたのね」
それだけ言って、また帳簿へ戻った。
残った銀貨を数える。
遺族は所有権放棄済み。
本社は現地処分を指示。
売却代金を会社の正規の雑収入に入れると、売却の経緯から教団への喜捨まで説明しなければならない。
PCを開いた。
misc。
『現地残置物処分差益』
一行だけ追加した。
「そうそう、加藤さん」
鰐淵が新しい名刺を差し出してきた。
以前のものには氏名と連絡先しかなかったが、今回は違う。
『鰐淵商会』
その下に『古物商許可番号(異特)第108号』と記載されていた。
「古物商」
「ええ。戸籍がなくても事業主の届出だけで取れました」
「いつの間に」
「今後も遺品の処分などでお困りでしたら、お声がけください」
遺品の処理業務が流れてくるのも、これで最後ではないだろう。
受け取った名刺は、捨てずにしまった。
数日後、ナズィムの店に見覚えのある腕時計が並んでいた。
スマートフォンはハルディームの家にある。
名刺入れはもうない。
次回8/29(土)更新予定です




