第43話 流星号
誤配事件の顛末報告書の作成には難儀した。
ペクもハルガも俺の直下でもなんでもない、あの場限りの借りた人員だ。
俺の裁量で評価できないから、詳細な事実経過をしかるべき部署と共有しなければならない。
上級リエゾンのヌエロに至っては、そもそも課長代理クラスが指揮監督できる系統にない。
特例ということで、始末書かというレベルで精密な報告が求められた。
どうにか諸方面に配慮した報告文書一式を作成し、送ったのが先週末。
それが週明け早々には二件分のファクシミリになって返ってきた。
一件は、技術リエゾン・ペクの業務内容変更に関する告知。
配送管制、原票訂正及びマスターデータ変更の権限を停止し、今後の業務は端末入力、データ抽出及び通信機器の保守に限る。
データの修正は管理者承認制とする。
「権限の縮小だけ? 軽いわね」
ナイリザが覗き込んできた。
「厳重注意くらいはあったんだろうが。まあ、妥当だろう。重い処分で防止できる性質の問題じゃない」
「適材適所ね。本人も喜んでるかもね」
軽く頷いた。
要するに、できる仕事だけやらせることにした、ということだ。
問題はもう一件だ。
報告書に記載した現地協力者二名、つまりギンネとハシュラの所属、契約関係の照会だった。
「こっちはどうするの?」
照会書に目を走らせたナイリザが、片眉を上げて聞いてきた。
ギンネは店を構えた事業者で取引先でもある。こちらはそれでいい。
ハシュラについてどう回答するか。
「統括オフィスも現地の雰囲気くらいは理解している。単発の使い番、と書けば特に細かく追及はされないだろう」
「所属不明の未成年、住所は当社ガレージ……とは書けないものね」
だが今後もそれで通すのか、という話はある。
名無しの現地人のままでは、業務に貢献しても実績にならない。信用も積み上がらない。
何より突っ込まれたときに説明に窮する。
「業者登録するか」
「そうなるわね」
屋号を立てさせ、現地の小口配送業者、という態にする。
これなら説明しやすい。
登録して単価表を決めておけば、次からはヤシマとして発注できるようになる。
「いっそガレージの一部を正式な賃貸にしてしまう手もあるな」
今のままでは、浮浪児を無断で社のガレージに住まわせ、仕事を出し、金を払っているだけだ。
一行にまとめると、随分まずいことをしている。
「名目は? 資材置き場とか? 下請業務の作業場、でもいいかもね」
「そんなところだな。現状が整理できる」
「書面上はね。……単価表と貸与品の資産管理票を作っておく。あと、仮登録番号出しておくわね」
「助かる」
* * *
「これが報酬?」
ガレージで契約書を見せると、ハシュラは露骨に顔をしかめた。
「そうだ」
「紙じゃん」
「業者登録だ」
「銀貨は?」
「仕事を受けるたびに、この表で払われる」
単価表を渡す。
「20枚……使い番?」。ハシュラは紙面を睨みながらぶつぶつと呟いた。
発注区分から単価を引くのではなく、単価から発注区分に何が書かれているかを推測している。
「覚えろ。お前の値段だ」
「……今までだって仕事してたじゃん」
「今までは俺の裁量の小口で使っていただけだ。これからはヤシマの登録下請けとして受ける」
「同じじゃん」
「違う。俺がいなくなっても、登録は残る。信用、実績が残る」
ハシュラは口を開きかけて、閉じた。
何か考える顔をしたが、何を考えたのかは言わなかった。
「そのために屋号が必要だ」
「ヤゴウって?」
「仕事をするときの名前だ。店の名前みたいなものだな」
「ハシュラじゃ駄目なの」
「……もう少し事業者っぽい名前にしろ。『東門運送』とか」
「じゃ、それでいい」
あっさり決まった。屋号欄に「東門運送」と記入する。
申請書を一枚めくった。
「事故等発生時の連絡取次先もいるな。誰かいるか」
「ニャーラ姐」
即答だった。
「……保護者なのか?」
「違うし」
ハシュラが眉を寄せた。
「アタシ、ニャーラ姐の『枝』だから」
「何だ、それは」
「ニャーラ姐に言えば、アタシに届く。アタシに何かあれば、ニャーラ姐に届く」
ギルドなどの所属組織の系統とは違うらしい。
むしろ所属がない者同士が、所在を確認し、つなぎをつけるための街場の知恵といったもののようだ。
「連絡網みたいなものか」
「親とかじゃないから!」
「聞いてない」
本人の承諾が必要だ。
夢幻楼へ電話を入れ、ニャーラを呼び出してもらった。
事情を話すと、受話器の向こうで少し間があった。
『紙に名前を残す話なら、顔を見て聞くよ』
「来るのか」
『あの子がどんなところに居ついたか、一度見ときたいし』
* * *
ニャーラは一時間ほどで来た。
「お待たせ」
「わざわざすまん」
白いTシャツにだぼっとした薄手の現地風パンツ。夢幻楼とは違う素の装いだった。
こちらの顔を見て、少しだけ口を尖らせて言う。
「最近、全然お店に来ないじゃない」
「この前、顔を見せただろ」
「カウンターで一杯飲んだだけでしょ」
俺の顔に向けて人差し指を立てると、探るような上目遣いをしてくる。
「指名替えした?」
「してない」
「じゃあ単に、私にお金を落とさなくなっただけね」
「そういう言い方をするな」
軽いジャブのような会話を終えると、ニャーラはガレージの入口で一度足を止めた。
薄暗い内部をぐるりと見渡す。
ブルーシート。段ボール。折り畳まれた毛布。エアマックスの箱。壁に貼られた「火気厳禁」の絵入り規則表。
「本当に、ここにいるんだね」
「作業区画だ」
「寝床があるけど」
「作業者用の休憩設備だな」
「毛布まで?」
「寒冷時対応」
「カトウさん、そういう言い訳するんだ」
ニャーラは肩をすくめて小さく笑った。
そこで、ハシュラが奥から顔を出した。
「ニャーラ姐! 来てたの」
「『枝』のあんたの居場所くらい確認しておかないとね」
そう言いながらハシュラを手招きした。
近寄ってきた顎をつかみ、左右へ顔を向ける。ハシュラは嫌がらずにされるがままになっていた。
「ちょっと太った?」
「太ってないし」
「前より顔色いいじゃん」
「最近は食べれてる」
「ふうん」
ニャーラはそれだけ言って手を離した。
ハシュラは文句を言いながらも、その場を離れなかった。
折り畳み机に、申請書一式を広げる。
「これが連絡先の承諾書だ」
「連絡は受ける。でも、この子の借金も不始末も引き受けないよ」
「それでいい。保証人欄ではない」
ニャーラは頷いたが、すぐには署名しなかった。
「仕事は断れる?」
「発注ごとに受けるか決める」
「専属じゃない?」
「違う。他所の仕事も受けられる」
「仕事がなくなっても、ここにはいられるの?」
「業務委託と作業区画の賃貸借は別だ。仕事を切ったからといって、即日退去にはならない」
薄暗いガレージの中で、猫の瞳がじっとこちらを見た。
書面の確認というより、答え方を見ている目だった。
「なら、いいんじゃない」
ようやくペンを取る。
「ハシュラ。字が読めなくても、今聞いた条件は覚えときな。後で違うことを言われたら、私のところに来な」
「カトウはそんなことしないだろ」
「今のところはね」
「信用ないな、おっさん」
「契約書は、信用していても作るものだ」
ニャーラは署名欄にペン先を滑らせた。
ニャーラ、ジャラランダ。
本名。丁寧に、氏族名だか集落名だかまで書かれている。
「連絡先は夢幻楼でいい?」
「構わない」
街区、通り名、店名。
住所の書き方にも淀みがない。
「……まだ、しばらくあそこにいるつもりなのか?」
口にしてから、少し踏み込んだ質問だと思った。
ニャーラのペン先が止まる。
「うん。まだあそこにいる。また変わるかもしれないけど」
「そうか」
少し間が空いた。
ニャーラが夢幻楼へ移ったのは、マーリハを追ってのことだった。
マーリハは、もういない。
やはり、ニャーラと顔を合わせると、どうしてもそのことが付きまとう。
「……お店変わったら、また案内状を出すね」
ニャーラを見返した。
「カトウさんは、いいお客さんだから。いつでも遊びにおいでよ」
「……ああ。そうだな。また飲みに行く」
「アフターは?」
「アフターはしない」
ニャーラは喉の奥で笑った。
ハシュラが俺とニャーラを交互に見たが、何も言わなかった。
記入済みの承諾書を受け取る。
あとは、ハシュラに、時折ニャーラに確認をしながら、申請書の空欄を埋めていく。
書類はすぐに完成した。端を揃えてクリアファイルに仕舞う。
「登録したら、何かいいことあんの?」
ハシュラは頬杖をつきながら、指先で机を叩いた。
「登録番号が発行される」
「それだけ?」
「ヤシマへ請求書を出せる」
「字、書けない」
「帳票はナイリザに作らせる。数字と印だけ覚えろ」
「ほかは?」
「作業区画を使える」
「今も使ってる」
ハシュラはまた頬を膨らませた。
仕方なく、ガレージ奥に掛けていたブルーシートをつかんだ。
「それから、配送用の貸与品がある」
シートを外す。
銀色の自転車が現れた。
日本の工事現場で構内移動に使われていた業務用実用車だ。
頑丈な鉄のフレーム。太い荷台。両立スタンド。前には大きな籠がついている。
前輪の泥除けはひしゃげ、チェーンは外れ、塗装には浮き錆が出ていた。
減価償却済み。簿価ゼロ。
廃棄リストへ載っていたものを、現地連絡用備品として復活させた。
「わ、わ……何、これ?」
「自転車」
「何に使うの?」
「乗る」
ハシュラが自転車の周りを一周した。
籠を触り、タイヤを押し、ペダルを指で回そうとする。
外れたチェーンが垂れ下がったままなので、後輪は動かない。
「これも報酬?」
「業務用の貸与品だ。私用も禁止はしない。ここの賃料は今まで通り一日銅貨二十枚。自転車の使用料はそれに込みだ。ただしメンテナンスは自分でやれ」
「どうやって?」
「今から教える。滅失全損したら簿価、帳簿上の価格で賠償させる」
「ボカでバイショウ」
ハシュラが噛みしめるように呟いた。
やはり、目の前の物についてだと集中力が違う。
簿価は0円だが、そのことには触れない。
ニャーラも近寄り、前照灯を指で叩いた。
「これで夜道を走るの?」
「ライトは直す」
「ちゃんと動く? 止まる?」
「これから直す」
その会話を聞いてハシュラが悲鳴を上げた。
「壊れてるんじゃん!」
「どうせメンテナンスを教えるからな。修理がてらだ。お前がやるんだぞ」
「これを……あたしが、直す?」
目は自転車から離れない。
その様子を見て、ニャーラが苦笑した。
「子どもは紙より物だね」
「これは報酬じゃない。業務用の貸与品だ」
「そういうことにしとく」
ニャーラが立ち上がった。
「さ、用事も済んだし、私は行くね」
「ああ。昼からすまなかった」
ガレージの入り口から通りに出る。
照りつける陽光が、暗闇に慣れた目に辛い。
「あの子、無茶するからね」
「そうだな」
手で庇を作り、目を眇める。
「カトウさん」
「なんだ」
「今度は、連絡先の確認じゃなくて来てね」
「……ああ」
「それ、来ない男の返事」
「また飲みに行くと言っただろ」
「覚えとく」
ニャーラは片手を上げ、昼の通りへ出ていった。
猫獣人の尾が路地の角へ消える。
ガレージに戻ると、ハシュラはまだ自転車のハンドルを握っていた。
* * *
油まみれの軍手をはめ、自転車の前にしゃがみ込む。
「今からこいつを直す。直し方を覚えろ」
「メンテナンスだけじゃなく?」
「基本は一緒だ」
「壊れたらカトウが直してよ」
「俺が全部直して渡したら、次に壊れたとき、お前は俺を探すしかない」
「それでいいじゃん」
「仕事先で壊れる。夜中かもしれない。俺がいない場所かもしれない」
ハシュラは外れたチェーンを見下ろした。
「自分で戻せるところまでは、自分で戻せ」
まずはチェーンを洗い、歯車へ掛ける。
ハシュラに後輪を浮かせて持たせ、ペダルをゆっくり回した。
噛み合ったチェーンが、油を引きながら歯車の上を滑っていく。
ジャララ、と軽い音がして、後輪が回った。
「おお」
「手を入れるなよ。指を持っていかれる」
潤滑用の油を差す場所を教える。
ブレーキワイヤーの張りを調整する。
前照灯は予備と交換。
泥除けは完全には戻らなかったが、タイヤへ擦らないところまで曲げ直した。
タイヤの空気圧を確認し、外した古いチューブでパンク修理の練習をさせる。
「水に沈めろ。泡が出る」
「すぐ貼るな。表面が乾くまで待て」
一時間後、ハシュラの指は黒い油にまみれていた。
額を手の甲で拭い、鼻の横に黒い筋を作っている。
「できた」
「もう一回」
「できたって」
「一度できたのと、次もできるのは違う」
「カトウ、絶対先生向いてない」
「俺もそう思う」
日が傾き始めた頃、ようやく自転車を外へ出した。
ガレージ前の小さな空き地と街路。
ハシュラがサドルに跨る。足はどうにか地面へついた。
「最初にブレーキだ。右が前、左が後ろ。急に前だけ握るな。頭から落ちる」
「わかった」
「本当にわかったか?」
「うるさいな。早く押せよ」
「ハンドルを固めるな。前を見ろ。止まっているより、少し速度がある方が安定する」
「動いてる方が倒れないって、理屈がおかしいだろ」
「そういう機械だ。漕げ」
荷台をつかみ、軽く押す。
ハシュラがペダルを踏み込んだ。
最初は大きく蛇行した。
「離すなよ!」
「まだ持ってる」
「絶対だぞ!」
「前を見ろ」
数メートル進んだところで、手を離した。
ハシュラは気づかないまま走り続けた。
右へ傾き、慌ててハンドルを切る。今度は左へ傾く。それを何度か繰り返しながら、次第に蛇行の幅が小さくなっていく。
「カトウ!」
「前を見ろ!」
「離してんじゃん!」
「走れてるだろ!」
ハシュラは振り返りかけ、慌てて正面へ戻った。
隣家の壁が迫る。
「ブレーキを使え!」
「あっ」
ぎりぎりでレバーを握る。
後輪が横へ滑り、自転車は壁の手前で斜めに止まった。
二回目は、最初から一人で漕ぎ出した。
そこからは早かった。
運び屋として駆け回っていた分、身体能力と平衡感覚は鍛えられている。
五分もしないうちに空き地を周回し始め、十分後には立ち漕ぎを試していた。
カーキ色のパーカーが風をはらむ。短い黒髪が揺れる。
「速い!」
「飛ばすな!」
「アタシが走るより速い!」
「ブレーキを覚えたばかりだろ!」
聞いていない。
空き地を二周して、俺の前へ戻ってくる。
今度は両方のブレーキを使い、滑らずに止まった。
「どうだ」
「すごい」
ハシュラは息を弾ませながら、ハンドルを撫でた。
「これ、名前あるの?」
「現地連絡用貸与備品、資産管理番号八八二三号」
「それ、名前じゃない」
「自転車に名前はいらない」
「いる」
しばらく銀色の車体を眺め、断言した。
「流星号」
「……好きにしろ。昭和のセンスだがな」
「ショーワ?」
「褒め言葉だ」
* * *
事務所に戻り、伝票を一枚切った。
発注者、ヤシマコーポレーション駐在員事務所。
受注者、東門運送。
今回は仮登録番号で発行する。
業務、書類配送一件。
契約書写し及び連絡先登録控えを、夢幻楼のニャーラ宛に届けること。単価表に基づき、銅貨十五枚。
「最初の発注だ」
封筒を差し出すと、ハシュラは伝票の数字を確かめてから受け取った。
「曲げるな。開けるな。途中で誰かに預けるな」
「はい」
返事は一回だった。学習している。
流星号が門を出て行く。ペダルを踏むたびに車体が左右に揺れ、それでも速度は上がっていった。
ダイナモの音が遠ざかり、角を曲がって見えなくなった。
デスクに戻り、契約書の綴りをキャビネットに収める。
書類は整った。
東門運送。新しい登録事業者。業務内容は小口配送、渉外補助。単価合意あり。
作業場兼資材置き場としてガレージの一部を賃貸。
貸与品は軽車両一台。工具類若干。
カーキのパーカーと、毛布と、エアマックスの箱が配送用資材に含まれるかどうかは、監査人の解釈による。
次回は8/1(土)更新予定です。




