第41話 リエゾンたち 前編
久しぶりに、予定表の余白が余白のまま残っていた。
原油の件は、巻き直した基本条件確認書で無事社内稟議も通り、運用は統括オフィスへ引き渡した。錆門通りの証文は回収されたし、製氷機残り2台の納品も済んでいる。
仕事が片付いたというより、ひとまず手元を離れたという言い方が正しい。
それでも、こちらの受信箱に入っていなければ平穏と呼べる。
午前十時。
ナイリザは請求書を処理していた。老眼鏡を鼻先に掛け、空になったワンカップの瓶をペン立てにしている。俺は本社から来た安全衛生アンケートの回答欄を、すべて「特になし」で埋めていた。
階段を駆け上る軽快な足音。
「入るぞー」
返事をする前に扉が開いた。
「声をかければ入っていいとは言ってない」
「先に声をかけろって書いてあるじゃん」
ハシュラは悪びれずに入ってきた。
規則表の文言を修正した方がいいかもしれない。
ナイリザを見ると、聞こえないふりをして請求書に視線を落としていた。
「何の用だ」
「商談」
ハシュラはカーキ色のパーカーの腹を探る。
そして、小さな革袋を取り出すと、机の上にポンと置いた。
「買って」
「買わない」
即答した。
「まだ見てないだろ」
「見なくても買わない」
「話が違うし」
「何の話だ」
「この前言ったじゃん。値段は見るって。いいもの拾ったから、最初に持ってきた」
言ったような気がする。
「いいもの、なあ」
紐を解き、中身をあけた。
黒いプラスチックの欠片が三枚、デスクに転がった。
メモリカードだ。
「……メモリカードだな」
「いいだろ。キギョーヒミツとか入ってるかもよ」
ハシュラが勝ち誇った顔をして言った。
なんとなく聞き覚えのあるセリフだ。
俺はメモリカードをまとめて皮袋に戻し、ハシュラの前へと滑らせる。
「メモリカードは買わない」
「なんで!?」
「前にひどい目に遭った」
「アタシのせいじゃないし」
「半分くらいお前のせいだ」
最初に会ったときのメモリの中身が何で、どういう目に遭ったか。
詳しく話したことはない。知らなくていいことだ。
だが、また同じような代物を受け取るかどうかは別の話だ。
ハシュラが不満そうに口を開きかける。
そのとき、電話が鳴った。
ナイリザが受話器を取る。
「ヤシマ駐在員事務所――はい。おります」
こちらを見た。
嫌な間があった。
「カトウ。統括オフィスから」
「誰だ?」
「物流管理チームのアイハラ」
名前は知っている。業務での接点はほぼない。
そういう相手が突然電話をかけてくるということは、何かトラブルが起こったということだ。
現地駐在員に丸投げするしかない類の。
受話器を受け取った。
「加藤です」
『相原です。加藤さんの所掌ではないのは承知していますが、現地で開封確認が必要になりまして』
「何がありました」
『ゲート向けミスリルコンテナの内容物相違です』
平穏は午前中も保たなかった。
* * *
ゲート向けの納入物流は、俺の仕事ではない。
ミスリルはザファル商会からヤシマの集約所へ納入される。
そこで品位検査、計量、封緘を行い、レベル1側の物流班へ引き渡す。
統括オフィス、管理本部、検査員、輸送業者、リエゾン(現地連絡員)がそれぞれ決められた範囲を担当している。
俺は通常、その流れに触らない。
組織図でも別系統になっている。
ただし事故が起きた場合、組織図はあまり役に立たない。
現地に常駐している日本人が俺しかいないからだ。
荷捌き場は駐在員事務所から車で十五分ほどの場所にある。
ハイラックスに乗り込むと、ナイリザが助手席に座った。
後部座席のドアが開き、ハシュラが乗ってきた。
「お前は来なくていい」
「メモリ」
「買わないと言った」
「まだ見てもらってない」
降ろす方が時間がかかる。
そのまま発進した。
ヤシマ第二荷捌き場は、旧帝国時代の穀物倉庫を転用した施設だ。
石造りの巨大な倉庫の外周に、日本製の照明、監視カメラ、計量器が後付けされている。
中央の荷捌き広場には、荷馬車とフォークリフトが入り乱れていた。
ハイラックスを降りて来意を伝えると、作業着を着た中年のエルフが足早に案内する。
荷捌き場では、ヤシマのロゴが入った灰色のコンテナが開封されていた。
外装に損傷はない。封緘は既に検査員が切っている。
コンテナ自体はゲート向けもそれ以外も同じ規格品だ。
側面の管理番号とゲート向けの赤いタグだけが仕向地日本であることを誇示している。
だが中身は別物だった。
金属片、曲がった釘、割れた鍋、錆びた工具、馬車の車軸らしき棒材。
どこからどう見ても屑鉄だった。
ナイリザがコンテナの中を覗き込む。
「ミスリルに見えなくもないわね」
「見えない」
作業員から受け取った書類の束をめくる。
コンテナ番号。封緘番号。積込担当。出庫時刻。重量。ゲート通過予約番号。
書類上は何もおかしくない。
だが、どこかでコンテナ自体を取り違えたなら、タグは何の役にも立たない。
携帯を取り出し、統括オフィスの物流班を呼び出す。
『……どうでした、加藤さん』
「屑鉄ですね。おそらくコンテナの取り違えでしょう」
電話の向こうで息を呑む音がした。
「いつの便のミスリルですか」
『……今日の夕方、第四便です』
第四便は18時だ。時計を見る。今は10時32分。
ゲート枠はトラックの予約時間ではない。
二つの世界を安定して接続し、指定された物量を通すための開口枠だ。
装置の稼働、周辺封鎖、検疫、魔素洗浄、レベル1側の受入態勢まで含めて押さえられている。
荷は所定の時間までにすべて書類通りに揃えてゲート前に鎮座していなければならない。
コンテナ一つ欠けていれば枠自体が潰される。
そろった物だけ通すということにはならない。
売上九百億円規模の事業で、主要原料の搬入枠に穴が開く。
『どうにか、なりませんか』
「取り違えなら、入れ替わった荷を回収できればあるいは」
『お願いします……統括長も駐在員対応でと……本件は最優先で……』
声が遠い。越界障害だろうが、心理的にも遠い。
ノイズ交じりの通話を終えた。
「どうだって?」
「最優先で本来の荷を回収」
「所掌じゃないんでしょ?」
「駐在員だからな」
ナイリザは小さく肩を竦めて溜め息をついた。
「あなた、便利だもの」
「褒めてないだろ」
こっちが溜め息をつきたい。
すぐ側で推移を見守っていた中年エルフに声をかける。
「この屑鉄の本来の宛先は」
「ちょっと、ええと、確認しないと」
「同じ時間帯に出たコンテナの一覧は?」
「リエゾンの方が今」
「誰だ」
「ペクです」
「呼んでくれ」
中年エルフは一瞬、困ったような顔をした。
「端末室から出たがらないものでして」
* * *
「ペクって、あのコボルト?」
端末室――荷捌き場脇のプレハブ小屋に向かう道すがら、ナイリザが聞いてきた。
「あのコボルトだろうな」
ペクは技術リエゾンだ。
現地の人間ながら情報技術に適応し、IT化した指示系統を適切にレベル2の実務に翻訳できる。
……と、いうことになっている。
「数字は速いけどね」
「速いのと正しいのは別だ」
プレハブ小屋のアルミドアを開ける。
中からもわっとした熱気が漂ってきた。
業務用端末が四台。通信中継器が二基。壁際には予備電源とケーブルの束が積まれている。
冷房は動いていたが、機器の排熱に追いついていない。
「すげー」
「触るな。踏むな」
追って入ってきたハシュラに警告する。
コボルトが一人、サーバーラックの排熱口の前に座っていた。
小柄で、茶色の毛に覆われている。
尖った耳にヘッドセットを掛け、ヤシマの支給ベストを着ていた。
デスクの横には空のエナジードリンク缶が並べられている。
モニター上では複数の表計算ファイルと出庫管理画面が開かれていた。
「ペク」
「今、出庫表を見てる」
振り向かずに答えた。
やがて観念したように顔を上げる。
「やっぱり表ではミスリル。ゲート向け。封緘番号も一致」
「それはわかってる。前後の荷の一覧を出してくれ」
ペクは怪訝な表情を浮かべながら、滑らかなキータッチで表を切り替えた。
早い。
爪の長い毛深い指先で、小器用にタイピングしている。
「番号の抜け漏れ、おかしな荷はないか?」
「あったよ」
「あった?」
「宛先タグ空欄の行があった。それで対応が一つずれてた」
思わずナイリザと顔を見合わせた。
ここで荷が特定できるなら幸先がいい。
あとはその荷を追えばミスリルを回収できる。
「空欄だったのはどの荷だ? それが取り違え元かもしれない」
「わからない」
「わからない?」
「もう直したから」
「……直す前の表は出せるか?」
「なぜ?」
「どこを間違ってたか知りたいからだ」
「ないよ。間違った表は直した。ラベルを打つ前で良かった。空欄がないように詰めた」
堂々巡りのようで会話が噛み合わない。
要するに宛先タグに漏れがあった。それはいい。ヒューマンエラーだ。
問題は、その空欄をペクがデータ上だけ直したということだ。
現物を見て宛先を確認したのではなく、データ上だけ帳尻を合わせた。
「どの範囲を直した」
「ここから……ここまで」
「二十六本」
ゲート向け。ザファル商会向け。蝋燭通りの寄合向け、鍛冶組合向け、管理本部検査室向け。
宛先が整然と並ぶ。
荷と宛先は綺麗に対応しており、どこに問題があるかわからない。データ上は。
実際はすべてズレている可能性がある。
横でナイリザが小さく舌打ちした。
「何をしたかわかってるのか」
ペクは犬耳をぺたりと伏せて、きょとんとした顔で瞬きした。
「カトウが何を言っているのかわからない。表は直した。表が合えば、現物も合う」
「合わない」
頭が痛い。これが技術リエゾンの実態だ。
得体の知れない魔法の小箱を言われたとおりに使うことはできる。
だが、データが何を意味しているか、当たり前のことすらわかっていない。
「二十六本のコンテナのうち、まだ構内にあるのは」
ペクが別の画面を開きながら答える。
「四」
「出たのは」
「二十二」
ナイリザが小さく息を吐いた。
「配達中か、配達済みのコンテナを二十二本、全品検査ね」
「そうなる」
「ペクが気を利かせなければ、元の表を見て追えたのに」
「僕、直した」
「ええ。とても綺麗にね」
皮肉は通じていなかった。
俺はモニターに並んだ宛先を見た。
「同時刻に出た荷を全部止める」
* * *
まず真っ先にやったのは統括オフィスへの応援要請だ。
圧倒的に手が足りない。
配達中のものは連絡がとれればそのまま戻らせる。
配達済みのものは納入場所を訪ねまわって中身を検めて回収する。
並行して、納入先の立場のある人間に遅配の謝罪と検品への協力を要請しなければならない。
統括オフィスは現地の取引先など多少無碍に扱っても銀貨で済ませられると思っている。
ある面では事実だが、不満のしわ寄せは現場に来る。
だから、多少前後してでも話は通しておくことは絶対に必要だ。
「物流管理から人は出せない? 越境許可ありの人員が出払っている?」
統括オフィスの反応は鈍い。
人を出せないのか、出さないのか。
「とにかく手すきのリエゾンでも、誰でもいいので……お願いします」
オフィスとの通話を切って携帯電話を置く。
「カトウ」
間髪入れずにナイリザに呼ばれた。
端末室の固定電話の通話口を押さえている。
配送トラックに連絡をとってくれていたようだ。
「東側の二台、もう荷下ろしに入ってる。ギンネ向けは所在確認中。再処理材の一台は運転手が昼食中で連絡がつかない」
「連絡がつかないのに、なぜ昼食中だとわかるんだ?」
「食堂の主人が出たわ」
「本人を出させろ」
「食べ終わったら戻るって」
「今戻れと」
別の電話が鳴った。
受話器をとると、別の運転手からの折り返しだった。
「今どこに? ……納入済みか。わかった。後で向かうから、封緘を切らないようにとにかく止めてくれ」
電話を置く。
また電話が鳴った。同じ運転手だった。
「はい――もう開けた?」
止まらなかったらしい。
* * *
運転手への連絡が一通り済んだところで――といっても戻せたのは二本だけだが――統括オフィスからファクシミリが届いた。
「おっさん、なんか来てるよ」
ファクシミリに見慣れつつあるハシュラが先に気づいた。
旧式のファクシミリから3ページ分の感熱紙が吐き出される。
最初のページは送信状。連絡事項欄に「リエゾン1名派遣済み。上級リエゾン1名使用許可。」と書かれていた。
次のページは擬態行為同意書。
最後のページは個人情報等一時利用に関する免責確認書。
「……ヌエロを使えと」
「ドッペルゲンガーの?」
ナイリザが感熱紙を覗き込みながら聞いてきた。
「そう書いてある」
ヌエロ。
上級リエゾン名簿で名前だけは見たことがある。
交渉、立会い、本人代行。
顔貌、声、体格を一時的に再現できる。
利用には対象者本人の同意が必要。契約締結、捺印、金銭授受は禁止。擬態中に生じた誤認、風評、精神的不利益について会社は責任を負わない。
同意事項が十二項目あった。
容貌の使用。音声の使用。歩行、姿勢、癖の使用等々。
欄外に「模倣は外形的なものに限られ、対象者の記憶及び人格が複製されることはありません」とあった。
わざわざ書いてあるせいで、余計に不安になる。
「人を出せない分、俺を一人増やせということらしい」
「言い方」
「違うのか」
「違わないのが嫌ね」
話している間にもう一枚分ファクシミリが届いた。
送信状のみ。連絡事項欄に手書きで「ヌエロと連絡とれず。所在不明」と書かれていた。
「意味が分からん」
「上級リエゾンは管理が緩いのよ」
「今連絡とれなかったら意味がない」
そこでハシュラがわざとらしく声をあげた。
「ヌエロって、あの顔貸し屋だろー?」
見るとニヤニヤと勝ち誇った顔をしていた。
「知ってるのか」
「知ってるっていうか、見たことあるっていうか。見たことある顔じゃない時もあるけど」
「……捕まえられるか?」
「んー、まあ伝言くらい届けられるかも」
「頼む。ここに来いとだけ伝えてくれ。できるか?」
藁にでもすがりたい心境だった。
どのみちほかに連絡をとる術はない。
ハシュラは懐から取り出し皮袋を俺の目の前にぶら下げた。
「メモリ」
「……」
皮袋をつかみ取る。
「これが片付いて事務所に戻ったらな」
「忘れない?」
「見るだけだぞ」
「オッケー、オッケー」
ハシュラは満足そうにうなずくと、エアマックスの足で荷捌き場を飛び出していった。
* * *
ほどなくして端末室のドアが開いた。
大柄な男が、頭を下げて入ってきた。
統括オフィスの指示でやってきた助っ人。ハーフオークのハルガだった。
純粋なオークほど厚くはない。エルフほど細くもない。灰緑色の肌。下顎から短い牙が覗いている。
黒髪を後ろへ撫でつけ、ヤシマの支給ブルゾンを着ている。
ただし、ブルゾンの中になぜかサラシを巻き、白鞘のドスを捻じ込んでいた。
「カシラ。お呼びと聞きました」
「俺はカシラじゃない」
「失礼しました。カトウ課長代理」
ハルガとは、以前に一度、護衛立会いで会ったことがある。
オークとエルフ系の混血で、見た目ほど珍しい種族ではない。
普段は護衛、現地業者との立会い、揉め事が予想される回収業務に使われている。
真面目で責任感があり、指示も聞く。
普通の相手なら、ちゃんと使えるリエゾンだ。
ただ、以前会ったとき以上に、任侠の真似が進行している点が気になった。
ヤシマのリエゾンは数こそ多いが、日本企業の実務を理解している者などほとんどいない。
機械を怖がらない。日本に悪感情を持たない。指示を聞く。
どれか一つでもあれば採用理由になった。
ハルガは、荒事で足が止まらず、こちらの指示も聞く。
ついでに日本映画が好きだった。
採用面談では対日理解が高いと評価されたらしい。
どのジャンルの日本映画が好きなのかまでは、誰も確認しなかった。
「状況は聞いているか」
「荷が入れ替わったと。納入先を回って、内容を確認。ミスリルなら最優先で回収」
理解している。
それなら使える。個人の趣味に立ち入る気はない。
「俺とハルガで納入場所を当たる。ナイリザはここでオフィス、配達員、俺やハルガからの連絡への対応。ヌエロが来たら俺に代わって遅配の謝罪回りをやるよう指示してくれ」
謝罪回りは本来駐在員の仕事だ。
人を遣って済ませると相手の面子を潰しかねない。
だが今はミスリルが最優先だ。
俺の顔で頭を下げて回るのはヌエロにやらせる。
「ハシュラがヌエロを連れてこれなかったら?」
「そのときはそれでまた考える」
「現場判断ね」
ナイリザが軽く頷いた。こちらは問題ないだろう。
ハルガに向き直る。
「来て早々悪いが納入場所を回ってくれ。俺は西地区をやる。ハルガは東地区を」
「承知しました」
「揉めるようなら俺を呼んでくれ」
「大丈夫です。スジは通させます」
「……通させなくていい」
ハルガは拳を胸に当て、一礼して出ていった。
時計を見た。12時04分。
第四便まで、あと六時間だった。
次回は7/18(土)更新予定です。




