↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

47/64

第40.5話 製氷機

読み切り短編として本編とは別に公開していた「異世界キャバクラに中古製氷機を売ったら、魔石と反社がついてきた件」を本編に編入しました。編入にあたり若干表現などを修正していますが、ストーリーに変更はありません。




 事務所裏のガレージのシャッターが開く音で目が覚めた。

 ハシュラが戻ってきたのだろう。


 時計は八時四十二分。間もなく始業だ。

 サラリーマンである以上、勤怠には拘束される。

 そこが異世界で、たった一人の駐在員であってもだ。

 ブラインドからは、二つの太陽の容赦ない日差しが射し込んでいる。


 ソファから身を起こすと、首と腰が同時に軋んだ。

 昨夜は錆門通りの件で処理が長引き、結局そのまま事務所で仮眠を取った。上着だけは脱いだが、ワイシャツは皺だらけだ。ローテーブルには、吸い殻の山になった灰皿が置かれている。


 事務所の鍵が開く音とともに、ナイリザが入ってきた。

 片手にコンビニ袋を下げている。


「死体かと思ったわ」


「生きてる」


「知ってる。死体ならエアコンが止まってるもの」


 ナイリザはデスクに鞄を置き、コンビニ袋から缶コーヒーを一本取り出して、こちらに放った。

 ブラック。冷えている。


「ひどい顔してるわよ、カトウ」


「鏡を見ていないから問題ない」


 缶を受け取り、プルタブを開けた。

 冷たい苦味が喉に落ちる。ようやく頭が動き始めた。


 ナイリザは俺のワイシャツを一瞥し、露骨に眉をひそめた。


「その顔で本社とのウェブ会議に出たら、駐在員のメンタルヘルス所見が一段悪化するわね」


「それで仕事が減るか試してみるか」


 ナイリザは返事をせず、自分のデスクに座った。

 帳簿を開く前に、俺の机の上を見た。


「錆門通りの証文、戻ったの?」


「さっき、戻った音がした」


 ちょうどそのタイミングで、階段を上がる軽い足音が聞こえてきた。


 ナイリザが眼鏡を押し上げる。


「ハシュラね。もうすっかりうちの下請けじゃない」


「頼んだ荷を勝手に売らない。そういう運び屋は貴重だ」


 ドアが開いた。


 ハシュラが、肩で息をしながら入ってきた。

 新品だったはずのエアマックスは、泥と油でまだらになっている。右手にはクリアファイルに入れた証文、左手には襤褸切れに包んだ何かを持っていた。


「錆門通り、片付いた。証文も回収」


「ご苦労」


 クリアファイルを受け取る。


「あと、これ」


 ハシュラは襤褸切れを机の上に置いた。

 中身が、硬い音を立てて転がる。


 握り拳ほどの黒い結晶だった。


 表面には細かな亀裂が走り、内部に薄い青い光が揺れている。


「何だこれは」


「掘り出し物」


 その言葉の割には、眉根を寄せた表情は浮かない。


「革職人の親父が露店に持ち込んでてさ。買い叩かれそうだったから預かってきた」


 ハシュラはこちらをのぞき込むようにして続けた。顔色を窺うような仕草。


「借金に薬代。子どもが三人。銀貨30枚必要だってさ。カイシャならもっと出せるだろ?」


 俺は結晶を見た。


 魔石だ。

 拳大でサイズは大きい。結晶も揃っているように見える。

 露店で売るような代物には見えないが、魔石の価値は正直よくわからない。


 銀貨30枚。為替レート換算で約8万円弱。日本の商社からすれば誤差のような金額だ。

 だが、会社は買わないだろう。

 魔石は信用商売だ。ギルドを通さない取引は角が立つ。こんな小さな取引で例外を認める理由がない。


「露店の商人はいくらと言っていた?」


「……銀貨四枚」


 やはりな、と思う。

 困窮売りの魔石なんて値がつくだけ儲けものだ。


「出元の不確かな魔石は買えない。お前だってわかってるだろう」


 ハシュラは視線を逸らし、顔を伏せた。

 この反応も予想していたのだろう。

 本当に掘り出し物だと思って持ってきたなら迂闊なだけなのだが。


「それともこいつの持ち主に何か義理でもあるのか?」


 問い質す、というほどでもなく、軽く水を向ける。

 ハシュラは俯いたまま、躊躇いがちに口を開いた。


「……昔」


「ん?」


「腹を空かせてたとき。腐った芋をくれたんだ」


「……」


「その親父が、露店で膝ついて頭下げててさ」


 俺は煙草に火をつけた。

 甘えているわけではない。懇願するでもない。日本企業の財布の紐の緩さに一縷の望みを賭けて預かってきたのだろう。

 厄介な話だ。煙を吐き出しながら考える。


 現地からすれば、日本企業は無尽蔵の銀貨をばら撒いているように見える。

 だがそれは手続きに乗った場合の話だ。

 借金だ、病気だと、売り手の事情を稟議書に書き連ねたところで一顧だにされまい。


 会社が買わないなら、誰か買い手を探すしかない。


 ふと、後ろからやってきたナイリザが無造作に結晶を拾い上げた。

 老眼鏡を持ち上げて、緑色の瞳で射貫くように魔石を見つめる。

 蛍光灯の明かりにかざしながら、ぼそりと呟いた。


「第三層の石ね」


「価値は」


「状態は良くないけど、中央山脈の北側でしか採れない種類。管理本部の単価表なら20万円から30万円。レート換算で銀貨80枚から120枚。書類上はもう少し付くかも」


「書類上は、か」


「ええ。支払いは遅いし、出所も聞かれるわね」


 ナイリザの見立てなら、物は本物なのだろう。

 裏に流せる人間なら相場の半値で買っても十分利益は出せる。


「ハシュラ」


「何?」


「その石は預かる。売れたら、二枚はうちの取り分。二枚はお前の取り分。残りは売主の家に届けろ」


「二枚って、銀貨?」


「そうだ」


 ハシュラは一瞬だけ目を丸くした。


「カトウ、お人好しになった?」


「目利きの手間賃だ。次からは、買う前に連絡しろ」


「めんどい」


「めんどくてもだ」


 ナイリザが結晶を指先で転がした。


「どこに流すの。鰐淵?」


「あいつは安く買い叩く。違う」


 壁のホワイトボードを見た。

 火曜の午後、ザファル商会への納品の予定が入っている。


 ザファルは受託業務の処理が不透明《《なので》》重宝されている。

 ミスリル以外の単発の取引も増えているらしい。俺もすべては把握していない。


 ただし今回の納品は比較的まともな取引だ。

 ゲート周りの社員食堂で入れ替えになった中古の業務用製氷機が三台、廃棄扱いで出た。

 会社にとっては粗大ゴミだが、現地では氷を作れる魔法の箱になる。

 廃棄処理費をケチりたい会社と、日本の機械を安く仕入れたい商会の利益が合致した。


 価格も折り合い、ひとまず一台納品する予定だった。

 ザファルは残りも欲しいと言っている。

 実を言えば、三台ともザファル商会に売るということで既に稟議は通っている。


「ザファルに売る」


 ナイリザの眉が動いた。


「魔石を?」


「魔石も。製氷機も」


「抱き合わせ?」


「優先権だ。あいつは製氷機が欲しい。こっちは石を適正で捌きたい。両方まとめる」


「あなた、ザファルのこと嫌いでしょう」


「好き嫌いの話じゃない」


「私は嫌いよ」


「知ってる」


 ナイリザは結晶を机に置き直した。


「ザファルに会うなら、私も行くわ」


「来るのか」


「次にあいつと揉めたら、本当に殺されるわよ」


「かもな」


 * * *


 ザファル商会の倉庫は、歓楽街の裏手にあった。


 石造りの古い倉庫だ。

 表向きは酒類と乾物の保管場所になっているが、実際にはザファル商会がこの日本租界で扱う日本製品の中継所らしい。


 中に入ると、奇妙な光景が広がっていた。


 ゴブリンの荷役が、段ボールに入ったカップ麺を荷車に積んでいる。

 コボルトの帳場係が、日本語の品番を現地語の帳簿に写している。

 壁際には、ペットボトルの水、乾電池、ブルーシート、缶詰、使い捨てライターが積まれていた。


 その奥に、白い箱が一台。

 日本製の業務用製氷機。

 ステンレスの外装に、社員食堂の管理シールが残っている。

 油性ペンで「厨房2」と書かれていた。


 異世界の石倉庫に、日本の厨房機器。

 妙に場違いで、妙にしっくりきていた。


 製氷機はどこからともなく引かれた延長コードに繋がれて、低い駆動音を立てていた。日本人である俺の立会いのもと、試運転をしている。


 ザファルは製氷機の前に立っていた。

 光沢のあるスーツ。銀髪を撫でつけ、口髭の先を指で整えている。ダークエルフの伊達男だ。ただし、手の甲に禍々しい蜘蛛の刺青がある。


「歓楽街で氷は金になる。酒を冷やせる。魚を保てる。熱を出した女に当てられる。客は冷えた酒に銀貨を払う」


 ザファルは上機嫌で駆動する製氷機の表面を撫でながら言った。


「カトーサン、あと何台卸せる?」


「手持ちはあと二台だな」


「同じ値段でいい。全部こっちに回してくれ」


 今日は表の顔なのだろう。微笑を浮かべていた。


「……ほかにも引き合いがある」


 俺の一言でザファルの手が止まった。笑みが一段深くなる。


「何だって?」


 ほんの僅かだけ低い声に、不穏なトーンが滲んだ。

 背後でナイリザが身じろぎしたので、軽く手を振って落ち着かせる。


 ザファルの声音は、まだこちらに聞かせるための演技の不穏さだ。

 商談をする気はある。

 なければとっくに取り巻きが動いている。


「日本品を扱う商人が欲しがっている。ニュー・エデンか夢幻楼か、店に直接話を持っていってもいい。管理本部の職員食堂が買い戻したいと言っている、という話もある」


「嘘が混じってるな」


「一つだけだ」


 ザファルはわざとらしく眉間をもむような仕草をしてからこちらに向き直った。


「条件は何だ? 言ってみろよ、カトーサン。

 今日は機嫌が良いんだ。水を差さないでくれ」


「ついでにこいつを買って欲しい」


 ナイリザが鞄から布包みを取り出し、テーブルに置いた。

 子供服の切れ端を開く。黒い魔石が、倉庫の灯りを受けて青く揺れた。


 ザファルの目が、一瞬だけ動いた。


「……第三層か」


「状態は良くないが、石としては本物だ。相場は銀貨80枚。半値でいい。悪い取引ではないだろう」


 ザファルは魔石を手に取った。

 光に透かし、亀裂を見ている。


「どこで?」


「個人ルートだ」


「事情付きか」


「事情のない石なんてあるのか」


「いい言い方だ」


 ザファルは小さく笑うと、手の中の魔石を転がした。


「カトーサン。わかってるだろうが、うちに偽物を流したら」


「うちの経理社員の目利きだ」


 視線を向けると、ナイリザは嫌そうに肩をすくめつつ頷いた。

 悪いが元宮廷魔術師の肩書を使わせてもらう。


 ナイリザにちらりと視線を向けたとき、ザファルの瞳に一瞬ひりつくような憎悪が宿った。

 かつての支配階級であるエルフへの怨念はこの男の素だろう。

 だが、だから鑑定も信用できない、とはならない。

 損得勘定はできる男なのだ。


「……いいだろう」


 ザファルは鼻を鳴らすと、興味を失ったように魔石をテーブルに置いた。


 そして、いつの間にか駆動音が落ち着いた製氷機の蓋を開ける。

 氷を一粒、宝石でも検めるようにつまみ上げた。


「ヤポンのものはいい」


 ため息のように呟くと、目を細める。

 ザファルは摘んだ氷を滑らせるようにして手のひらに握り込んだ。


「金で氷が手に入る。ゲートが開くまでは考えられなかったことさ」


 呟いたザファルの拳に力がこもった。


「……エルフの魔法貴族どもに頭を下げなくても済む」


 暗い、冷えた瞳で、手が白くなるほど握りしめる。

 溶けた氷の雫が手の甲の蜘蛛を伝って流れた。


 一瞬ののち、こちらに向き直ったザファルは、表向きの顔に戻っていた。

 右手を差し出してきたので、握り返した。

 相変わらず、親しみと頼もしさを演出する、力強い握手だった。


 握手を解くと、ザファルは部下に指示を飛ばした。

 ダークエルフの若い男が銀貨袋を持ってきた。ザファルは中身を確かめもせず、テーブルに置く。魔石の分は即金だった。


「数えてくれ」


 ナイリザが無言で袋を取った。

 銀貨を一枚ずつ机に並べる。40枚。

 最後の一枚を弾いて音を確かめた。


「本物ね」


「信用してくれよ、ナイリザさん」


「信用してないから数えたのよ」


 軽口のようなやりとりの間も、ナイリザとザファル、互いに視線は交わさない。

 俺は小さく肩をすくめた。


 * * *


 待機していたハシュラに銀貨袋を渡した。

 手数料銀貨二枚は引いてある。ハシュラが二枚抜いても、残りは36枚だ。

 ハシュラは銀貨袋を胸に抱えて、しばらく黙っていた。


「こんなに?」


「お前が届けろ。売主の受領印はもらってこい」


「きっと薬代も出せるよ」


「かもな。うちの分はもう抜いてある。お前の取り分はしっかり抜いて渡せ」


「銀貨二枚」


「そうだ」


「……いいのかよ」


「仕事だ。ただで動くな。施しになる」


 ハシュラは銀貨袋を懐に入れた。

 いつものように軽口を叩かなかった。

 フードを深く被る。

 だが、出ていく直前に振り返った。


「次、いいもの拾ったら、最初に持ってくる」


「買うとは限らない」


「値段は見るだろ」


「まあ、見るな」


 ハシュラは笑った。

 少しだけ、安心したような顔だった。


「じゃあ、十分」


 そう言い残すと、駆け出していった。


 事務所に戻ると、ナイリザが帳簿を開いていた。

 老眼鏡をかけ、銀貨の動きを記帳している。


「魔石委託販売。売主に銀貨三十六。ハシュラ手数料、二。カトウ手数料、二。ちゃんとつけておきなさいよ。会社の帳簿には製氷機三台分の売買しか載らないわ」


「あとでな」


 ナイリザは缶コーヒーを開けた。

 本物のジョージア。

 冷蔵庫で冷やしてある。プルタブを開ける音が、やけに日本的に響いた。


「善人じゃないけど」


「何だ」


「死に金を動かすのは上手いわね」


「褒めてるのか」


「帳簿上はね」


 俺は煙草に火をつけた。

 窓の外を見る。

 この世界の空は、日本のどの空とも違う色をしている。第二太陽が沈み、第一太陽だけが街の屋根を赤く照らしていた。


 * * *


 その夜、夢幻楼に立ち寄った。

 用件は特にない。

 ただ、ザファル商会の製氷機がどこに流れたか、見ておきたかった。


 カウンターの奥に、昼に納品したばかりの白い箱が置かれていた。

 社員食堂の管理シールは剥がされている。代わりに、帝国語で「氷・一杯銀貨半」と書かれた紙が貼ってあった。


 ゴブリンの黒服が、トングで氷を掴む。

 グラスに落とす。

 酒を注ぐ。

 日本の氷が、現地の蒸留酒の中で音を立てた。


 ニャーラがカウンターの向こうからこちらを見つけ、片手を上げた。


「カトウさん。これ、あなたの?」


「会社のだ」


「ふうん」


 氷入りのグラスが差し出された。

 薄い琥珀色の酒。

 透明な氷の中で、店内の間接照明が薄く歪んでいる。


「一杯おごり。冷たいの、珍しいんだから」


「金は払う」


「いいの。今日は店が儲かってる」


 グラスを軽く揺する。ガラスと氷がぶつかり、硬質な音を立てた。


「ハシュラが言ってた。病気の革職人の石が、これになったって」


「石は石だ。これは機械が作った氷だ」


「そういうことじゃなくて」


 ニャーラは苦笑した。


「まあ、いいや。あの子、ちょっと嬉しそうだったよ」


「そうか」


「うん」


 氷がグラスの中で小さく鳴った。


 日本租界の夜は暑い。

 湿気と獣脂と香水と煙草の匂いが、低い天井の下に溜まっている。


 その中で、日本の社員食堂から流れてきた白い箱が、ぶうん、と低く唸っていた。


 ただの氷を作るために。

 ただの氷で、夜の酒を少し冷たくするために。


 俺はグラスを傾けた。

 酒はまずかった。

 氷は、ちゃんと冷たかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。