表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/46

第40話 浄土湯

第40話 浄土湯 作成中


 指定された場所は古い公衆浴場。

 しかし、入り口に掲げられた一枚板の看板には、日本語で「浄土湯」と書かれていた。


 漆喰塗りの低い建物。

 壁面には後付けの配管が這い、ところどころをビニールテープで補修してある。

 入口脇には家庭用エアコンの室外機が二台並び、そのさらに横に魔除けの札が吊るされていた。


 パッチワークではないと思いたい。


 夕方の日本租界は、いつもより少しだけ涼しかった。

 雨季の湿り気が抜け、かわりに乾いた埃っぽさが戻りつつある。

 通りには、仕事終わりらしき現地人がちらほら歩いていた。

 日本人の姿は少ない。


 馴染み深い温泉マークが染め抜かれたのれんを潜り、半地下へ続く階段を降りる。

 立て付けの悪い引き戸を開けると、熱と湿気、それに石鹸と鉱物じみた湯の匂いが混じって押し寄せてきた。


 入って一段上がった正面には番台風の受付が置かれている。

 受付には、ドワーフの老婆が座っていた。

 髭が薄いので、たぶん老婆だ。

 俺が顔を出すと、不機嫌そうに、壁の貼り紙を顎で指した。「本日貸切」と日本語で書かれている。


「坂崎参事官に呼ばれて来ました」


 帝国語で告げた。

 老婆はまじまじとこちらを見上げた。


「あら。お名前は?」


「ヤシマ・コーポレーションの加藤です」


「あらあら」


 態度が目に見えて柔らかくなった。

 台の下から布製のバッグを取り出してこちらに渡す。

 中にはバスタオル、ハンドタオル、館内着が入っていた。


「サカさん、もうお入りですよ」


 サカさん。

 一瞬誰のことかわからなかった。常連なのだろうか。


 * * *


 服を脱ぎ、ロッカーの鍵を首に下げる。

 ハンドタオルだけを持って、浴室に入った。


 石を組んだ古い湯殿の壁に、見慣れたケロリンの黄色い桶が積まれている。

 狭い浴室には、誰もいなかった。

 湯気の向こう、奥まったところに、木の扉がある。


 あそこか。


 掛け湯で体を流してから、扉を開けた。


 暗い室内。籠もった熱と蒸気が、いっぺんに顔に当たる。

 肌がひりつくような高温。

 サウナ室だ。

 木製のベンチの上段に、緑色の巨体が鎮座していた。


「どうも」


「どうも」


 同じ段に、間を空けて腰を下ろす。


 下ろすや否や、坂崎が口を開いた。


「基本条件確認書を、巻き直されたとか」


「ええ。昨日、無事に届きました」


 族長と、戦士長。

 連名の署名が入っていた。血判も、血手形もなし。


 坂崎が、無言で上体をのけぞらせた。


「どんな魔法を使ったのですか」


「彼らに読めるように、沼沢語の正本を作って送っただけです」


「沼沢語の正本」


 坂崎は、もう一度のけぞった。


「それこそ魔法ですよ。説明会からのわずかな準備期間で、どうやってそんなものを」


「エリファス法律事務所に依頼しました」


「なんと。それは……」


 坂崎は口を開けたまま、しばらく言葉を探し、そして呻くように言った。


「……勇者ですな」


「顧問先ですし。法律業務の範囲では、至って普通の法律事務所……のはずです。おそらく。たぶん」


「いやはや。加藤さんの胆力には、驚かされてばかりです」


 全身が胆力のような男に言われると、複雑な気分になる。


 そこで一旦、会話が途切れた。

 巻き直しの話は前振りだったのだろう。

 沈黙の中、ヒーターの石が時折ぴしりと鳴った。


 おもむろに、坂崎が口を開く。


「加藤さん」


「はい」


「この前は、醜態をお見せしました」


 坂崎は正面を見据えたまま。表情は見えない。


 やはり、本題は献杯のことだった。

 まだあれを醜態と呼ぶ感覚はある。少なくとも、場を凍らせた自覚はあるということだ。


「……いえ。そんなことは」


 曖昧に返す。


 また沈黙が下りようとしたところで、坂崎が続けた。


「加藤さん、ゲート関連事業の市場規模はご存じですか」


 話題が飛んだ。


「いえ」


「関連契約の総額ベースで申し上げると、現状で年一兆から三兆円程度というところです」


「大きいですね」


「国内でも、無視できない規模です」


 そう言って頷いた後、坂崎は宙に目を彷徨わせる仕草をした。


「収益構造としては、域外での資源アクセスを起点に、国内側の精選、認証、加工、物流、金融を通じて付加価値を積み上げるモデルになっております。ここは民間、とりわけ指定事業者にとっては、アクセス・プレミアムが乗りやすい。一定の超過利潤が出るのは、事実です」


 淀みがなかった。

 資料も見ず、暗い蒸し風呂の中で、坂崎は流れるように諳んじた。


「アクセス・プレミアム」


 そこで坂崎の声が一段低くなった。

 舌のうえで転がすように呟く。


「坂崎さん?」


「道。付加価値。早い者勝ち。超過利潤。利潤。利潤とは、何だ」


 記号の列が、ばらばらにほどけていった。


「坂崎さん」


「利潤。金。入れた以上に出ること。それがある限り、この世界は意味がある。国にとって」


 官僚答弁はいつの間にか、陰鬱な独語に入れ替わっていた。


「ゲートが、管理本部が、調整室が、まだ使い物になる……私が、」


「坂崎さん」


 自分で思ったよりも硬い声が出た。

 坂崎の独り言が止まる。

 そして、ゆっくりとこちらを見返した。

 その表情は、どこか困ったような苦笑いだった。


「ははは。日々、詰め込んではおるのですがね。なかなか。……献杯。献、杯。ケンパイは、なかったな」


 静まり返ったサウナ室に、乾いた笑いが残響した。

 その余波も静まると、再び沈黙が戻る。


 これまでよりも更に重い。

 息苦しさはサウナの熱気だけが原因ではないだろう。

 沈黙に押されるように、口を開く。


「なぜ、それを俺に」


 ようやく、それだけ聞いた。


「加藤さん」


 坂崎は、上段の壁に背を預けた。


「あなただけですよ。あそこで、『見てしまった』という顔をしていたのは」


 そこで一度言葉を切った。


「あれは、何を見たかわかっている人間の顔でした」


 その言葉に、息が漏れた。


 俺は「見てしまった」と思い、坂崎は「見られた」と思った。

 その答え合わせのために呼び出されたということだ。


 優秀な男。あるいは、優秀だった男。

 曝け出された以上、こちらも正直に答えざるを得ない。


「エリファスが、以前、妙なことを言っていたので」


 俺は、前を見たまま言った。


「……ほう」


「自分は、日本の法律を、魔術として読み解いているだけだと。本当に理解しているわけではない、理解したフリをしているだけだと」


「……」


「それと同じことだろうと」


 そこまで言ったところで、坂崎が引き攣ったような笑いを上げた。


「フ、フハハハ。千年の存在と、同じやり方だったというわけですか。それはいい」


 困ったような表情のまま、手を打って笑う。

 空気がどよめき、汗が噴き出した。

 手のひらで額の汗をぬぐう。 


「エリファスは」


 坂崎に、というより、自分に言い聞かせるように続けた。


「優秀な法律顧問ですよ。少なくとも、自分にはそう見える」


 坂崎が、虚ろな笑いを止めて、じっとこちらを見た。


「処理できるなら、同じでは。それで困りません」


 実際は困ったことだらけだが、言葉の綾だ。

 事実として、概念を理解できたところで、困る程度は変わらない。


「駐在員も、よくわからないものを、右から左へ処理する業務です」


 サウナの熱気に当てられて、少し言葉が軽くなっている気がする。

 自分でも、何を言っているのかよくわからない。


「加藤さん」


 坂崎が、不意に言った。


「あなた、戻る気はあるんですか」


 直球すぎて、返答に窮する。


 普通であれば、日本に戻る気はある。あるに決まっている。

 だから、わざわざ聞かれたりはしない。


 帰任の辞令が出たらどうするのか。

 考えたことはなかった。考えても仕方がない。

 日本への執着は薄い方だと思うが、こちらに留まって先があるわけでもない。

 概念を失い、存在が薄れていくに任せるか。

 それでも何も失ってないかのように振る舞い続けるのか。

 鰐淵のようなよくわからない存在になるのか。


「わかりません」


 正直に答えた。


 帰還不能者に対して、配慮を欠く言い方だったかもしれない。

 だが、坂崎は何も言わなかった。


「出ましょうか。少し、のぼせてしまったようです」


 * * *


 ふらつく足元に注意しながら、水風呂に沈む。

 続いて坂崎が入ると、波を打って水があふれだした。


「失礼」


 水風呂は常温だった。

 温度差で冷を感じたのは一瞬だけだ。


「ぬるいですね」


「レベル2ですからな」


 体が少し落ち着いたところで、水風呂を出る。

 サウナチェア代わりの石のベンチに腰を下ろした。

 坂崎が、隣にどかりと座る。


 石壁に背を預けると、強烈な疲労感と、酸欠のような眩暈に襲われた。

 水で締めた血管を、まだ熱を帯びた血が巡っていく。

 四肢がじんじんと痺れるようだった。


 気怠い脱力。

 さっきまでのサウナ室での緊張が、どうでもよくなってくる。

 

 しばらく、互いに無言で身を投げ出していた。

 天井から垂れた滴が、ときおり湯面を打って、不規則な水音を立てる。 

 それだけの、静かな時間だった。


「整いましたな」


 ほどなくして、坂崎がむくりと身を起こした。


「2セット目といきますか」


 耳を疑う。


「俺は、まだ動けません」


「それはいけない。心肺機能が衰えているのでは」


「どうにも、不摂生なもので。……坂崎さんは、お若いですね」


 そこで坂崎は、なぜか、不意をつかれたような顔をした。

 そして一拍の後、低い含み笑いをしながら言った。


「フフフ。加藤さんは、おいくつですか」


「三十六になりますね」


「おや。年上でしたか」


 さらりと返されて、しばらく理解が追い付かなかった。

 まだ朦朧とした頭に、時間をかけて意味が浸透する。


「…………え?」


「ははは。あなたでも、そんな顔をするんですな。いや、貴重なものを見られた」


 坂崎は、心底おかしそうに、牙を見せた。


「私はこう見えて、三十五歳なんですよ」


 確かにそうは見えない。

 冗談めかした物言いに、真顔で返しそうになって止めた。


「……いや。室長というのは、もっと、年次が上の方がやるものかと勝手に」


「この、変異した体の賜物ですよ。本省としては、レベル2に室長くらい置かないと格好がつかない。さりとて、誰も来たがらない」


 そう言って坂崎は肩を竦めて見せた。


「まあ、そんなわけで、加藤さん」


 オークらしいぎょろりとした瞳には、悪戯を成功させたような稚気が浮かんでいた。


「年も近いことですし。堅苦しいのは、なしにしましょう」


「……お手柔らかに」


「ははは。お互い所属のある身ですからな」


 坂崎は声を上げて笑った。


 * * *


 結局、坂崎は三セットを敢行した。

 俺は付き合いきれず、途中で先に上がった。


 脱衣所の脇に置かれた、竹婦人を太らせたような寝椅子にもたれかかって休む。

 扇風機が置いてあるのがありがたい。


 受付で売られていた瓶詰の白い液体を一口飲んだ。

 常温で、粘度が高く、しかし妙な甘みが癖になる。

 正体不明だ。少なくとも牛乳ではないだろう。


「お待たせしました」


 坂崎が出てきた。


 床を拭いていたドワーフの老婆が顔を上げると、坂崎の緑色の背中をぱん、と音を立てて叩いた。


「サカさん、また長湯したんだろう。若いんだからって、無茶するんじゃないよ」


「気をつけます」


 坂崎は、叱られた若者のように頭を下げた。


 若い。

 その言葉が、さっきより自然に聞こえた。

ここまで読んでくださってありがとうございます!

今回でまた一区切りです。

面白かった、続きが気になる、などありましたら、ページ下のリアクションやブックマークで応援いただけると励みになります!


次話は7月4日(土)21時00分に投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ