第37話 近隣住民説明会 後編
「予定通り、近隣住民説明会を始めます」
残念ながら、聞き間違いではなかった。
坂崎はゆっくりと振り向き、安藤を見る。
そして、蹲ったまま嘔吐し、動けずにいる様子を一瞥すると、その視線がそのままこちらへ向いた。
押し切るつもりだ。
目でわかった。
坂崎のあの魔法のようなものでできることは、せいぜい、一瞬場を支配することまでなのだろう。
再び緊張が高まれば、今度こそ収拾はつかない。
命の危険がある。
そこを乗り切ったとしても、今回の出張は無駄足になる。
だから、確かに押し切るしかない。
安藤の鞄から説明資料を取り出し、坂崎に渡した。坂崎は小さく頷いた。
そして、ゆっくりと「説明」を始めた。
「互恵関係」
「採掘権」
「物的支援」
空虚な言葉が並んだ。
通訳が次々と翻訳して声を張り上げる。
だが、それが正確な訳なのか、蜥蜴人たちがどこまで理解しているのかはわからない。
俺は近くにいた冒険者にそっと耳打ちした。
やがて坂崎の説明がひと段落したところを見計らって、声を上げる。
「物を見ていただきましょう」
呼応するように、声をかけた冒険者たちが、一抱えほどもあるクラフト袋を続々と運び込んできた。
袋は坂崎と族長の間に、ひとつ、またひとつと積まれていく。
蜥蜴人たちは、しわぶきひとつ立てず、その様子を見つめていた。
一袋二十五キロ。
悪いが、俺に運べる重さではない。
「取引が始まった場合、対価としてお渡しする予定の商品です。まずはサンプルとしてお納めください」
族長を手招きし、袋のひとつを開けさせた。
中には、やや湿り気を帯びた白い粉が詰まっている。
塩だ。
クラフト袋の表面にも日本語で「並塩」と書かれている。
土瀝青の対価として提供する物資の第一候補が塩だった。
このあたりでは塩がとれず、貴重であるという。
レベル1で調達するのは容易い。
言語コミュニケーションに不安があるときこそ、現物が物を言う。
非正規の贈答品ということで、裏帳簿から出した。
族長は袋の中身を見て、怪訝そうな視線を向けてきた。
岩塩にしか馴染みがないのかもしれない。
俺は袋の中から一つまみ掬い上げ、舌先で舐めて見せる。
族長も見真似で同じ動きをし、そして、舌先が塩に触れたところで瞬膜を大きく見開いた。
震える手でほかの袋を指さしたので、大きく頷いて見せる。
族長は応えるように頷き返すと、口を開き、牙を覗かせた。
種の違いを超えてわかった。勝利を確信した男の会心の笑みだ。
族長は塩の塊を両掌に取ると、砂金を検めるような手つきで掲げてみせた。
「ハッタ! ジヤ・ハッタ!」
その一言で、蜥蜴人たちの様子が、目に見えて変わった。
見開かれた目。
低く漏れる息。
「ハッタ」という小さな呟きが、口々に伝播していく。
目の前に積まれた袋の中身がすべてその「ハッタ」だという理解が広がるにつれ、呟きは熱を帯びていった。
頃合いを見たのだろう。
族長が鋭い声で指示を飛ばした。
何人かの蜥蜴人が立ち上がる。男なのか女なのか、俺には区別がつかなかった。
場の支配権が、戦士長から族長へ戻ったように見えた。
立ち上がった者たちは、ほどなくして巨大な甕を担いで戻ってきた。
「加藤さん」
坂崎が呼んだ。
近づいて甕の中を覗き込む。
内側には、黒い餅のような塊が何段にも詰められていた。
表面は乾いているが、縁の部分だけが鈍く光り、タールのような匂いが立ち上っている。
「これは?」
「土瀝青を日干し加温して、余分な砂や水を落としたものです。瀝青餅とでも言いますか。運搬用の一次加工として事前相談していたのですが、試作していただいたようで」
「なるほど」
てっきり、野外に露出している泥をそのまま運ぶのだと思っていた。
だが、考えてみれば、石や砂混じりのアスファルトをそのまま運んで分留するなど非効率にもほどがある。
「これなら沼亀の運搬量でも、ぐっと現実的になります。思ったより質もいい。やはり族長派は本気ですね」
坂崎は満足そうに頷くと、族長に向き直った。
そして、大きな動作で右手を差し出す。
通じるものかと思ったが、族長もまた右手を伸ばし、坂崎の手を握った。
「ジヤ・サカル。ジヤ・ソモイ!」
族長が両手を掲げる。
それに応じるように、蜥蜴人たちが次々と両手を掲げた。
「……調印まで行きましょう」
坂崎が、族長を見たまま日本語で呟いた。
もちろん、俺に言っているのだ。
やむを得ないだろう。この流れで行くしかない。
自分の鞄から、基本条件確認書のひな形を取り出した。
内容は実地協議で詰めるつもりで、ノートPCも携帯プリンタも持ってきている。だが、文言を選んでいる時間はない。
相手方の名称、日付、土瀝青の供給に関する基本条件。
必要最低限の箇所だけを手書きで埋める。
未確定の部分には、「別途協議」と記した。
ヤシマ側の押印欄は空欄のままだ。
とにかく、先方の押印さえもらえれば、持ち帰る意味がある。出来上がったそれを坂崎に差し出した。
「加藤さんは、こういう時に手が止まらないのですなあ」
坂崎が、紙を受け取りながら感心したように言った。
「……職業病です」
「得難い病です」
坂崎は族長に向き直り、身振りで伝える。通訳が慌てて補足した。
族長は迷いなく小刀で指先を切ると、指示された場所に血判を押す。
「スナア・ク」
そして、捕縛されたまま、蹲って成り行きを見守っていた戦士長に、押し殺したような声をかけた。
戦士長は首を振り、抵抗の素振りを見せる。
族長が周囲の者たちに指示を出した。
数人がかりで戦士長を押さえつける。戦士長は暴れたが、有無を言わさず腕を取られた。
血に濡れた左手が、確認書に押しつけられる。
族長が血判を押した欄の余白に、べったりと戦士長の血手形がついた。
族長は出来上がった紙を、供物でも捧げるように、恭しく坂崎へ差し出した。
「大変結構です。若衆の確認もいただけたのであれば、盤石な合意となることでしょう」
坂崎は平然とそれを受け取った。
そして、当たり前のようにこちらへ渡してきた。
A3の紙には、べったりと鮮血がついていた。
* * *
調印の後は宴席が開かれた。
宴席と言っても名ばかりのものだ。
冒険者たちは警戒を解く様子を見せず、酒杯に手を出す者もいない。
俺も蜥蜴人の饗応に手を付ける気にはならなかった。
だが、蜥蜴人からしても、それはそれで構わないのかもしれなかった。
賓客へのもてなしというよりも、部族内に生じた亀裂を治癒するための内向きの催し。
そんな気がしたからだ。
赤い布の戦士長の姿は見当たらなかった。治療か、幽閉か。いずれにせよ、外部の者が口出しできることではない。
族長が立ち上がり、素焼きの酒杯を掲げた。
「ケ・チタタプウ」
その一言とともに、酒杯を傾ける。
中身は不純物の多いどぶろくのような、粘度の高い酒だった。
どろりとしたそれが、一筋の糸となって剥き出しの土間に垂れる。
「『ケチタタプウ』?」
隣に通訳の冒険者がいたので聞いてみた。
「流れた血に」
通訳は言葉少なに答えた。
単なる宴席の発声かと思ったが、流血の停止の宣言のようなものなのかもしれない。
おもむろに坂崎が立ち上がる。
「ケ・チタタプウ」
厳かにそう呟くと、掲げた酒杯を傾けた。
どぶろくが一筋こぼれ、ゆっくりと地面に浸み込んでいった。
発声、掲げた姿勢、傾いた酒杯の角度。どれも堂に入って見える。
今しがた見たばかりの儀礼の模倣とは思えない、完璧な所作だった。
それを見つめる蜥蜴人たちの目に、畏敬のような色が浮かんだ気がした。
ありふれた人心掌握術と言うは容易いが、文化も習俗も異なる相手に躊躇なくやってのける胆力は流石だろう。
見習うというほどではないが、目の前の草の葉に盛られた魚の干物めいたものに手を伸ばしてみる。
一口齧った。得も言われぬ泥と血の臭気が立ち上った。
俺はそっと魚を葉の上に戻した。
* * *
明けて翌朝。
軍用車での車中泊はお世辞にも快適ではなかったが、羽虫に悩まされる野外よりはマシだった。
寝不足の頭で、族長らと最低限の儀礼的なやりとりを交わし、早々に出立する。
起こった事件の密度からするとあまりにもあっさりした去り際だったが、俺の鞄には血判入りの基本条件確認書があり、塩を下ろして空荷になったトラックには瀝青餅の甕が積まれている。
必要なことはすべて済んだ。
帰路のハンドルは俺が握った。
左ハンドルの軍用車はクラッチが重かったが、動かないわけではない。
安藤は体調は回復したように見えたが、目が虚ろで反応が鈍く、休ませた方がいいと判断した。
現地連絡調整室の貴重な日本人スタッフが退職しないよう祈るばかりだ。
往路と同様、検問脇の精油所で小休止になった。
負傷した冒険者が自衛隊の応急手当を受けられるよう、坂崎が手配していた。
治療を待つ間、蒸留塔の影にナイリザと並んで立った。
ここまでの車中、ナイリザはまだ一度も坂崎と目を合わせていなかった。
「坂崎さんが気に入らないのか」
「気に入る要素がある?」
「……見た目がオークだからか?」
「違うわ」
ナイリザは首を振った。無意識にか、指先で尖った耳の縁を押さえていた。
「妙な混ざり方をしているからよ」
それ以上は続かなかった。
砂利を踏む音がする。振り返ると、坂崎が立っていた。
ナイリザは何も言わず、軍用車へと戻っていった。
「サリヤーンさんには、どうも嫌われているようで」
「みたいですね」
「当然です」
坂崎は怒る様子もなく、蒸留塔を見上げた。
「私も鏡を見るたびに、同じ感想を持ちます」
軽口にしては重い。
思わず坂崎の顔を見上げた。
逆光で表情は良く見えない。ただ、口元が笑ったように開き、白い牙がのぞいた。
「いやはや! しかし、初回の住民説明会としては上々の滑り出しでした」
声音には満足が滲んでいた。
あれを住民説明会と呼ぶかどうかはさておき、上首尾で終わったことに否やはない。
「まあ、なんとかこなせましたね」
「やはり当事者の選定が絶妙でした」
「……今後も弊社をよろしくお願いします」
「ヤシマのことではありませんよ」
そこで坂崎は言葉を切った。
ぬっと大きな右手が差し出される。
「加藤さん。あなたのことです」
「……恐縮です」
苦笑いが漏れそうになるのを抑えて、右手を握り返した。
坂崎参事官に目を付けられるのは良し悪しだろう。
目的は達し、先方確認済みの文書を手に入れた。
改めて見返してみたが、あの修羅場で作成したにしては、穏当な内容だと思う。
問題はヤシマ側の捺印について社内稟議が通るかだ。
血判はまだしも、血手形は刺激が強すぎるようにも思える。
レベル1オフィスの現統括長が良しとするかどうか。
宇田川次長であれば、見なかったことにして躊躇なく判を押した気もする。ふと、そんな埒もないことを考えた。
社内稟議に回す前に、エリファスに確認してもらうのも手だろう。
おそらく顧問相談の範囲内のはずだ。
次話は6月23日(火)21時00分に投稿予定です。




