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第36話 近隣住民説明会 前編

投稿が予告より大幅に遅れました。申し訳ありません!

 吊るされた獣の死骸を過ぎると、道はさらに細くなった。


 堤というほどの高さもない、黒い泥を盛り上げただけの一本道だ。

 両側は背の高い葦が壁のように茂り、その向こうに水面の光が見え隠れする。


 軍用車のタイヤが、たびたび泥に取られた。

 安藤が低く唸りながらアクセルとブレーキを踏み分ける。

 馬は水音を嫌がるのか、鼻を鳴らして足を止めることがあった。


 時折、道の脇の泥に、光を吸う、粘ついた黒い滲みが見える。


「あれが土瀝青ですよ」


 坂崎が前を向いたまま言った。


「地表に滲み出てくる。掘らずとも採れる。雨季にはこうして泥と混ざって、あちこちに顔を出します」


 言われてみれば、進むほどに黒い滲みは増えていった。

 葦の根方が黒く濡れ、水路の縁に油膜の虹が浮いている。

 本当に、この土地には石油があるのだと、今更ながら実感した。


 冒険者たちの騎馬が、車列の前後に展開している。

 そのうち一頭、先導の馬に、奇妙な乗り手がいた。


 鱗に覆われた、頭部に鰭のような膜を持つ種族だった。

 蜥蜴人とはまた違う、沼沢のどこか別の部族の出なのだと聞いた。

 坂崎が雇った冒険者の一人で、帝国語と沼沢語の両方を解するという。


 道中、その通訳役が時折馬を寄せてきては、坂崎に何事かを伝えた。

 坂崎が短く返す。通訳役は頷いて、また先導に戻る。

 通訳役の顔には、どこか釈然としない色があった。坂崎の言葉を訳しはするが、坂崎が何をしようとしているのかは、わかっていない。そういう顔だった。


「彼はなんと?」


「この先にいくつか襲撃ポイントがあるそうで」


「襲撃? 話はついていたのでは?」


「代表者とは。若年層を中心に、反対派住民がいるという報告も」


 途端にきな臭い話になってきた。

 ガタン、と車体が跳ねる。

 何事かと運転席を見れば、安藤の顔色が悪い。ハンドルにしがみつくようにして運転している。

 運転中には聞きたくない類の話だったのかもしれない。


「事前に、丁寧なご説明をと思っております」


 ナイリザが俺にだけ聞こえる声で呟いた。


「こんなところに、丁寧な説明で片がつく相手がいると思ってるなら、頭の中まで緑色ね」


 返す言葉がなかった。


 * * *


 最初の一撃は、前触れなく来た。


 硬い音がした。

 軍用車の防弾ガラスに、何かが当たって弾かれた音だ。

 投槍の穂先だった。ガラスに白い傷を残して、葦の中へ落ちていく。


 安藤が悲鳴のような声を上げて急ブレーキを踏んだ。

 車列が止まる。馬がいななき、棹立ちになる。


「襲撃だ!」


 誰かが帝国語で叫んだ。


 冒険者たちの動きは速かった。騎馬が車列を囲むように寄り、盾が外側に向く。


 鱗に覆われた影が、左右の葦から湧いて出た。

 蜥蜴人。数は、わからない。葦に紛れて見えない。十か、二十か、もっとか。十は超えている。

 骨を削った投槍、短弓、石斧。腰を低く落とした独特の構えで、水際をにじり寄ってくる。

 隣でナイリザが釣り竿バッグの留め具に手をかけた。


「ど、どうしますか参事官! バックします!?」


 ハンドルを握った安藤の声が裏返った。

 二本目、三本目の投槍が、続けて飛来する。

 うち一本がまた車体に当たり、硬い穂先がガラスを叩く。


 坂崎は安藤の問いには答えず、シートベルトを外しながら呟いた。


「これは……ご説明が必要ですな」


「説明?」


 聞き返した時には、坂崎はドアレバーに手をかけていた。


「そうです。予定外ですが、事前協議と参りましょう」


 坂崎はそう言って牙を見せた。

 笑ったのだと、理解するのに半拍かかった。


「さ、参事官、開けないでください、参事官!」


 安藤の悲鳴のような制止より早く、ドアが開いた。泥と腐水の匂いが流れ込む。

 巨体が降りた反動で、車が僅かに浮いた。


 坂崎は泥を踏んで車外に立つと、両手を大きく広げて、叫んだ。


「武力の行使はおやめください!」


 帝国語だった。イヤーバッズが半拍遅れて日本語を重ねる。

 大きく、通る声。声というより、圧だ。

 鼓膜の奥を太い指で押さえつけられたような感覚があり、それからすっと耳鳴りのようなものが抜けていった。


「んなっ!?」


 ナイリザが小さく叫んで、自分の耳を押さえた。


 その一瞬だけ、葦の中の蜥蜴人たちの動きが遅れたように見えた。

 投槍を振りかぶった腕が止まり、弓弦が緩む。

 冒険者たちはその半拍を見逃さなかった。盾の列が前に出て、間合いが一気に潰される。


 乱戦になった。


 シートの影に身を隠す。この場で目立って良いことは何一つないだろう。


「今のは何だったんだ?」


「……認めないわ。あんなものが魔術だなんて」


「魔法なのか? 坂崎が?」


「だから、違うっていってるでしょ。声にありったけの魔素を乗せてるだけ。外法もいいとこよ」


 ナイリザはシート越しに外を覗いた。


「案外、本人は本当にお願いしているだけのつもりかも」


 釣られて少しだけ身を起こす。

 冒険者と蜥蜴人たちは入り乱れて得物を打ち合わせている。


 その中で、坂崎だけが別のルールで作業をしているように見えた。

 向かってきた蜥蜴人の胴を掴むと、子供を抱え上げるような動作で持ち上げ、葦の茂みに放り込む。水柱が上がった。


 その時、側方から雄叫びが上がった。

 喉を鳴らすような破裂音が混ざるそれは、蜥蜴人の戦士のものだろう。

 見ると、肩に赤い布を巻いた派手な蜥蜴人が、奇妙な生物に騎乗していた。


 一言で言えば巨大な亀だった。それも、足が長く、腹ばいにならず、四足歩行するタイプの陸亀だ。

 大きすぎて、背に乗る蜥蜴人が幼児のように見える。

 動きも思ったより素早く、コンパスの長さもあってかあっという間に距離を詰めてきた。


 狙いは明らかに異様な奮戦ぶりを見せる坂崎だ。

 ということは、この軍用車に向けてあの質量が突撃してくるということでもある。

 意味があるかはわからないが、両手でシートを掴んで衝撃に備える。

 ナイリザが亀に向けて杖を構えた。


 しかし、衝撃は来なかった。

 坂崎が止めていた。


「ご意見は承ります」


 坂崎は亀の甲羅を両手で掴み、ぐっと身を落とす。

 騎乗する戦士がその頭部を貫こうと槍を振り上げた。

 しかし、その穂先が坂崎に当たるより前に、坂崎がそのまま亀を持ち上げた。


「ただし、順番に」


 言うとともに、亀を甲羅ごとごろりと横転させた。

 悲惨なのは騎手だ。槍を構えた姿勢のまま、横転に巻き込まれて振り落とされる。

 その左手が、甲羅の下敷きになった。


 断末魔のような叫びが響き渡った。


 坂崎の亀返しを目撃した者から、徐々に恐怖が伝わっていくのがわかる。


「それとも、投降していただけますか?」


 肩で息をしながら坂崎が問いかけると、その一言を向けられた蜥蜴人が、武器を捨て、へたりこんだ。

 戦意の喪失が戦闘の速度で伝播してゆく。

 襲撃の、あっけない幕切れだった。


「……ほらね」


 ナイリザが杖を仕舞いながら言った。


「わたし、必要なかったでしょ」


 * * *


 車の陰で、安藤が嘔吐していた。

 膝に手をつき、肩を波打たせている。声をかけたが、片手を振って応えるのが精一杯のようだった。

 ストレスが限界を超えたのだろう。無理もない。


 亀の下敷きになった赤い布の蜥蜴戦士は、族長の息子で戦士長であるらしい。

 応急手当をして縄を打ったあとで、通訳がその事実を告げた。

 坂崎は大きく頷き、「協議の重要関係者が一名、増えたということですな」と言った。


 誰も笑わなかった。


 襲撃者の捕縛、負傷者の救護、事態の収拾に二時間近く足止めをされただろうか。

 だが、襲撃場所と集落はさほど離れていないらしい。

 再出発してからほどなく、日が暮れる前に目的地についた。

 

 集落は泥の中州にあった。葦と流木の小屋。板を渡しただけの通路。魚の腐臭に、土瀝青の鈍い臭いが混ざる。


 集落の広場で、部族の主だった面々が待ち構えていた。

 中心にいるのが族長だろう。ひび割れた鱗に痩せこけた体つき。異種族から見ても老人とわかる。

 骨と金属片の首飾りを下げたいでたちからして他の者とは違った。


 その老人が、広場の中央で、地面に額づき、両掌を天に向ける姿勢で待ち構えていた。

 文化が違ってなお、最上級の謝罪の姿勢であることはわかる。

 実際、息子が若衆を連れて取引先を襲撃したのだから、謝罪程度で済む話でもない。


 顔を上げた族長は、恐怖に駆り立てられたように、弁明と思しき言葉をまくしたてる。

 坂崎はそれを制して言った。


「当事者にも同席していただきましょう」


 やがて、捕縛された戦士長が引き立てられてきた。

 左手は応急処置の包帯に血が滲みまだ痛々しい。だが、胸を張ってこちらを睨みつけてくる様子から、精神的にはだいぶ持ち直しているようだった。こちらにとって悪い方向にではあるが。


 戦士長は周囲の蜥蜴人たちを見まわすと、大声で叫んだ。


「ジャラ・ド・チハ。ジャレ・ムジィア! スナア・ハ!」


 通訳が坂崎に耳打ちする。「血」「腰抜け」「裏切り者」。ろくでもない単語が漏れ聞こえる。


 戦士長の声に呼応するように、広場で控えていた蜥蜴人のうち、武器を手に腰を浮かせるものが現れ始めた。族長が鋭く叱責するが、戦士長の言葉は止まらない。

 広場の不穏な空気が一気に高まった。

 察知した冒険者たちが武器を構える。それがさらなる挑発になり、蜥蜴人の敵意を掻き立てる。


 誰かがさらに一歩前に出た。このままではまずい空気になる。

 そこで、坂崎が口を開いた。


「お静かに」


 よく通る、落ち着いた声だった。

 だが、例の耳鳴りのような圧がある。

 ナイリザはすかさず眉を顰め、両耳を塞いだ。


「双方とも、武器は下ろしてください」


 蜥蜴人たちはもちろん、冒険者たちも無言だった。

 誰も身構えを解かない。


「下ろしてください」


 再び、坂崎が同じ言葉を口にした。

 声を荒げたわけではない。

 だが、さっきよりもはっきりと圧が強い。魔素とやらが乗っている。


 ナイリザが不快そうに呻いた。

 半歩前に出ていたリーダー格の冒険者の手が、ぴくりと跳ねる。

 蜥蜴人たちの目が、坂崎に集まった。

 そこには敵意だけでなく、怯えの色があった。


 カラン。


 誰かが短剣を取り落とした音が響いた。


 それが合図になったように、ゆっくりと、双方の穂先と刃先が下りていく。

 その一瞬の弛緩を拾うように、坂崎が厳かに宣言した。


「予定通り、近隣住民説明会を始めます」


 耳を疑った。

 不調のままどうにか後をついてきていた安藤は、その一言でまたしても吐いた。

次話は6月20日(土)21時00分に投稿予定です。

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