第35話 原油
集合場所は、すでに物々しい空気に包まれていた。
獲物を吊り下げ甲冑を纏った男女が数名ずつ固まって立ち、騎馬の手綱を引いている。荷馬車には水樽や木箱、折り畳まれた天幕らしきものが積まれていた。輜重隊、と呼ぶのがいちばん近いだろう。
その合間を、管理本部の腕章をつけた職員が行き来している。
坂崎は、その中心にいた。
緑色の巨体が、地図らしきものを片手に、武装集団の代表らしき男と何事か話している。声は聞こえない。
大袈裟な身振りはない。指示は短く、淡々としている。だが、周囲の視線が自然と坂崎に集まっていた。
これに同行するのか、と思うと、胃の奥が少し重くなった。
今回、現地住人と取引を行う当事者はヤシマだ。
少なくとも、名目上は。
契約書の取り交わしまで予定している以上、一方の当事者から誰も人を出さないわけにはいかない。
それはわかる。
わかるが、目の前の陣容は、どう見ても商社の出張ではない。
ナイリザに袖を引かれた。
「ちょっと。……あれが来るとは聞いてなかったんだけど」
「あれ?」
「サカザキ参事官よ」
ナイリザが顎で示す。
ちょうどその時、坂崎がこちらを振り向いた。
目が合う。
坂崎は冒険者との会話を切り上げ、こちらへ歩いてきた。
ナイリザは微妙に立ち位置を変えた。
坂崎との直面を避けるように俺の半歩後ろに下がる。
「やあ、どうもどうも。加藤さん」
「坂崎さん」
「天候に恵まれました。これなら現地に着いて協議して一泊。明日には帝都に戻ってこられそうです」
「それはよかった」
俺はあたりを見回した。
「思っていたよりも、その……大所帯ですね」
遠征にでも行くつもりか、とは言わない。
肯定された時に返答に窮する。
「道中の安全性には万全を期しております。自衛隊にもご協力をお願いしたのですが、目的地を申し上げたところ、同行は困難との回答でして」
「……なるほど」
「その分、現地の冒険者を厚めに手配しました」
「冒険者」
「PMC、民間軍事会社のようなものです」
坂崎はそう言ってから、ちらりと俺の肩越しに視線を向けた。
ナイリザと挨拶させろ、ということだ。
「……こちらは、うちの社員の」
「ええ、存じ上げておりますよ」
坂崎はナイリザに向けて、丁重に一礼した。
「サリヤーンさん。難しいお立場だと理解しております。今回のプロジェクトにご同行いただき、ありがとうございます」
「……ええ」
ナイリザは短く答えた。
距離は詰めない。
「それでは、後ほど。出立前に簡単な段取りの確認を行います」
坂崎はもう一度軽く頭を下げ、元の場所へ戻っていった。
ナイリザは、その後ろ姿を目で追っている。
「間近で見たのは初めてだけど」
「うん?」
「やっぱり圧が強いわね」
「圧?」
「魔素の。将軍級ね」
「お前より上なのか?」
「なんで将軍級で私より上なのよ」
ナイリザは近くに停まっていた軍用トラックの荷台に軽く寄りかかった。
「あー、心配して損したわ。もう、私必要なかったじゃない」
* * *
本社から決裁承認のメールが届いたのは、前日の夕方だった。
坂崎から新しく持ちかけられた取引の件だ。
内容は、現地部族と現地業者との間の継続的供給契約。
現地to現地はヤシマの本業ではない。取引の規模もそれほど大きくない。
稟議書は、「地域連携モデル」「現地インフラ実証」「域内経済の自走性向上」など、管理本部の資料をそのまま貼り付けたような用語を散りばめて適当に作ったのだが。
結局、坂崎が描いた絵に乗るだけで、ペーパーワークで利鞘が出る手軽さが受けたのだろう。
ついでに、管理本部に恩も売れる。
問題は、この取引を実現するなら、俺が現地に行かなければならないということだ。
「出張が決まった。泊まりがけになるから、二、三日、事務所を空ける」
溜め息混じりにそう告げると、ナイリザが顔を上げた。
「どこに行くのよ」
「あー……南南東の沼沢地帯だ。片道で半日ほど。目的は現地部族との交渉」
坂崎から渡された資料をめくりながら答える。
「レベル3。しかも蜥蜴人部族の領域じゃないの」
「その蜥蜴人とやらが交渉相手だからな」
「話が通じる相手じゃないわよ」
ナイリザがこちらに来て、資料を覗き込む。
「やっぱり。独立部族のエリアじゃない。反抗的で、得られるものもない。帝国でも手を出さなかった連中なのに」
「得られるものがあるから行くんだろう。お膳立ては済んでるそうだ。ヤシマは名前を貸すだけだ」
「胡散臭い。なんでそんな話をほいほい受けてくるの」
ナイリザが眉をしかめた。
「おっさんさー」
ソファで寝転んでいたハシュラが口を挟んできた。
なぜこいつが事務所内にいるのかと思ったが、そういえばさっき使い番から戻ってきていた。
そのまま居座っているとは気づかなかった。
「結構、外に出てるよな。あたし、ヤポンはもっと租界に籠ってるもんだと思ってたよ」
真顔で言われて、少し言葉に詰まる。
普通は、そうかもしれない。
「商社だからな」
「商社はレベル3まで行くの?」
「社畜はな」
「そうかー、社畜かー」
ハシュラは妙に納得したように頷いた。
「私を連れて行きなさい」
ナイリザが有無を言わせずに言った。
「いいのか?」
そう聞くと、ナイリザは首を振って溜め息をついた。
「ときどき、あなたが忘れてるんじゃないかって不安になるわ」
「何をだ」
「ここが異世界で、自分がひ弱な日本人だってことをよ」
返答に詰まった。
「いってらっしゃい」
ハシュラがソファの上で手をひらひらと振った。
* * *
移動の足は、いかにもな軍用車だった。
とにかく大きい。
分厚い装甲板で四角く囲った箱に、無理やりタイヤを付けたような車だ。
米軍払い下げを特区仕様に直したものらしく、左ハンドルだった。
運転席には、安藤というノンキャリアの職員が座っている。坂崎の部下で、数少ない日本人職員の一人だ。
坂崎は助手席に押し込まれていた。
助手席を最後端まで下げ、背もたれを倒して、ようやく収容できるらしい。
そのためにこの車を選んだと思いたいが、おそらく防護力も込みなのだろう。
俺とナイリザは後部座席だった。
車高が高く、サスペンションも硬い。
悪路に入ると、ハイラックスとは違う重い揺れ方をした。
坂崎収容の余波で膝周りの空間を奪われたナイリザが、助手席の背に膝をぶつけるたびに、小さく毒づいた。
俺は聞こえない振りをしながら、坂崎に尋ねた。
「今回の目的地――蜥蜴人たちの土地に、その、出るんですか。原油が」
「原油というほどのものでは。土瀝青、天然のアスファルトが、出るというより地表に露出しております」
坂崎の答えにも、いまいちイメージは湧かない。
だが、重要なのは、今どういう状態で存在しているかではない。
資源として現地で利用する明確な意思が、坂崎に、つまりは管理本部にあるということだ。
石油。
近代の黒い血。
「あることは、現地進出のかなり早い時期からわかっておりました」
坂崎が続けた。
「だが、質が悪い。運送と品質保証のコストを考えたら、日本に持って帰る価値はありません」
「だから現地で利用する」
「はい。現地でこそ必要です。質の悪い原油でも、精製すればディーゼルくらいは回せる」
坂崎の目が宙を彷徨った。
「乾季における生活用水及び農業用水の安定供給体制を整備するため、揚水設備の普及は喫緊の課題です。現状の救援物資依存は、輸送効率及び持続可能性の観点から限界がある。エネルギー源の現地調達と簡易ポンプの普及を組み合わせ、域内経済の自走性を高めることは合理的な施策です」
前を向いたまま、官僚答弁を読み上げるような、流れるような説明だった。
だが、半分も頭に入ってこない。
切れ者の官僚の横顔を見る。
そこにあるのは、緑色の肌、突き出た顎、はみ出した牙だった。
ステージ3。
不可逆期。
完全変異者。
映画館にいた、体の透過した老人のことが頭に浮かぶ。
概念を喪失するということ。
なぜ目の前のこの男は、こんなにも流暢に官僚語を操れるのだろう。
思考が逸れた様子を察したのか、坂崎がこちらを振り向いて、にやりと笑った。
「要は、水も物流も、動力がなければ話にならんのですよ」
「なるほど。わかりやすい」
曖昧に頷いて返す。
確かにわかりやすい。
最終的に妙に簡易な図式に落とすのは、親切なのか、癖なのか。
「……ほら、ちょうど見えてきましたよ」
促されて窓の外を見た。
向かう先に、自衛隊のレベル3南検問が見える。
プレハブの検問所。
鉄条網で引かれた境界線。
自衛隊トラックの車列。
見慣れたそれらから少し離れた位置に、異質な建造物の塊があった。
まず目を引くのが、銀に輝く数メートルの鉄の棒。
それを取り囲むように、簡易なバラックが身を寄せ合い、互いを鈍色のパイプで抱擁し合っている。
「あれが……製油所ですか」
「簡易な減容・分留・安定化設備といったところです。ちょうど中間地点ですし、小休止がてら少しご案内しましょう」
製油所の前、検問所からやや離れた場所に停車した。
後続車や騎乗した冒険者たちも、それに従って止まる。
ドアを開けると、砂ぼこりとともに、あの石油に特有の化学的な臭気が舞い込んできた。
レベル2の辺縁。
ワイルドゾーン手前で嗅ぐには余りにも人工的で、違和感と、そして一抹の安堵を感じる。
近くで見ると、製油所というよりは違法酒造設備といった簡易な趣だった。
越界障害で早くも腐食しはじめたトタン壁が、その印象を強めている。
中央の鉄の棒は蒸留塔であるらしい。
加熱炉、冷却水、受けタンク、沈殿槽、簡易フィルタ、ドラム缶置場。
どれも新品ではなかった。何度か熱を入れ、何度か漏れ、何度か慌てて締め直した跡がある。
坂崎の案内で、手早く各設備を見て回る。
「なぜ検問所の隣に建てたんです?」
「自衛隊からの要請もありまして。廃棄物の問題を考えると、帝都やレベル1の側には置けない。さりとて僻地に置くと検問で管理し難い。それなら検問所と併設を、ということです。こちらとしても、このあたりなら駐留人員のアンカー効果が効くので、施設を管理しやすい利点があります」
「ここがハブになるわけですか。原料を持ち込み、ここで分留して、出来上がった燃料を帝都に運ぶ」
「本格稼働すればそうなります。設備はできました。試験運用も済んだ。あとは原料の継続的供給体制だけです」
坂崎は、蒸留塔を見上げた。
「事前協議の感触では、現地コミュニティの代表者は本件に非常に前向きであるとの報告を受けております。少なくとも、話は聞いていただけると。あとは関係者揃い踏みして、実地協議で詰めるだけです」
「そこまで調っているなら、ヤシマを入れる必要もないのでは?」
坂崎は一段声を落とすと、囁くように答えた。
「見栄えですよ。加藤さん」
「……管理本部が主体になると、接収、徴発と言われてしまうかもしれない」
「ええ。いささか聞こえが悪い」
「それで、民間取引という形にしたいわけですか」
「話が早い」
筋は通っている。
ヤシマが受ける理由も十分ある。
現地オペレーションは委託。契約と清算だけ握ればいい。
労少なく、なんとなくIR向けの名分も立つ。
ふと背後を振り向くと、半歩空けて付いてきていたナイリザが、わざとらしく肩を竦めて見せた。
相変わらず、胡散臭いものを見るような眼で坂崎を見ている。
俺は視線を戻した。
いずれにせよ、今更引き返せるものでもない。
その後、短い食事休憩ののちに出立となった。
検問所の通過は、ほとんど顔パスだった。
坂崎が責任者と一言二言交わしただけで、車列は滞りなく検問を抜ける。
冒険者たちの騎馬も止められない。
荷も改められない。
しばらく進むと、道は急に細くなった。
鉄条網も、プレハブも、自衛隊トラックの白い標識も、背後の砂埃の向こうへ沈んでいく。
代わりに、背の高い葦と、黒い泥と、水面の光が増えた。
冒険者たちの馬が、自然に車列の左右へ広がる。
ナイリザが、さっきまで助手席の背にぶつけていた膝を、ぴたりと動かさなくなった。
沼沢の入り口に、背の高い一本の木があった。
太い枝から、縄で何かが吊るされている。
腹を裂かれた、水辺の獣の死骸だった。腐敗が進み、形は半ば崩れている。
その下に、筵のようなものが括り付けられていた。
赤黒い文字が、荒い筆致で殴り書きされている。
帝国語ではない。
「読めるか」
小声で聞くと、ナイリザは首を振った。
「知らない文字よ」
ナイリザが知らない言語。
「話が通じる相手じゃない」というのは、どうやら文字通りの意味だったようだ。
だが、少なくとも歓迎の言葉ではないことは察しが付く。
いよいよ理外の地に出たことの実感が湧いた。
喉の奥が渇く。
「ここから先ですな」
坂崎が言った。
「実地協議の対象地域は」
その言葉が、ひどく場違いに聞こえた。
次話は6月16日(火)21時00分に投稿予定です。




