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第33話 エリファス

 本社からファクシミリが届いた。同じ内容がメールでも届いた。

 タイトルは「ガバナンス強化に伴う業務委託関連の見直しについて」。


 業務委託契約は原則として書面化すること。

 品質保持協定書、調達基準書、秘密保持誓約書等々、受領すべき書面が欠落しているものは漸次提出を求めていくこと。

 ただしミスリル関連を除く。


 この但書は重要だ。

 ナイリザは本社の露骨な二枚舌に毒付いていたが、できもしない業務を振られるよりははるかにマシだ。

 契約書類の基本文書の中には、反社会的勢力排除に関する誓約書も含まれている。

 ザファル商会にこれを提出させるというのは、冗談にしてもタチが悪い。


 異界統括オフィスの責任者が入れ替わってからかなり経つが、ようやくその新方針が駐在事務所にまで降りてきた気配がある。

 ガバナンス強化。これだろう。


 この異世界でガバナンスを振りかざすことに意味があるのかとも思うが、課長代理の意見は求められていないだろう。

 末端は末端らしく、粛々と改善姿勢を見せるだけだ。


 そのためにナイリザとあれやこれや帳簿をひっくり返していくうちに、月次経費で不審な支出を見つけた。


「顧問料」。毎月定額。銀貨で支払い。宇田川次長の時代から継続している。

 支払先は「エリファス法律事務所」。聞いたことのない名前だ。

 帳簿には住所と金額以外の記載がない。契約書も見当たらない。


「ナイリザ。これは何だ」


 帳簿の該当行を指で示すと、ナイリザは眼鏡の奥で一瞬だけ目を細めた。


「ああ。それ」


「知っているのか」


「ヤシマの法律顧問よ」


「現地に弁護士がいるのか」


「いるわ。一人だけ」


 ナイリザの声のトーンが平坦だった。いつもの皮肉がない。


「法律顧問なのに契約書がない、委託の実態がない、金だけ払う」


「……日本租界に事務所を置いている企業はほとんどがここに顧問料だけ払っているはずよ」


「なるほどコンフリクトで縛るというやつか」


 弁護士は職務上、顧問契約を結んでいる企業と敵対することができない。

 利益相反コンフリクトになるからだ。

 これを利用して、相手方の代理人に就かせないために顧問契約を結ぶという手法を聞いたことがある。

 現地唯一の弁護士であれば味方につけておくのが安全だ。


「たぶん違うわ。みかじめ料みたいなものよ」


「……反社なのか?」


「反社ではないわね」


 意味がわからない。

 ナイリザは、どう説明したものか途方に暮れた時の顔をしていた。


「エリファスは生前解脱者エ・デイーなのよ」


「なんだそりゃ」


「……見ればわかるわ。

 いい? とにかく危険な存在なの。なんの酔狂か日本租界で弁護士業をはじめたから、どの会社も虎の尾を踏まないために形だけ顧問契約を結んでいるの」


「弁護士なら少なくとも話はできるんだろう?」


「まさか会いに行く気? 正気を疑うわ」


「契約は書面化しろというお達しだ」


 今の条件のまま、ひな形に落とすだけなら先方も嫌がりはすまい。


 それに、顔を繋いでおけば仕事も頼みやすい。

 これから契約書を交わす機会が増えるなら、法律相談ができる相手はいた方がいい。

 どの程度使い物になるかはわからないが、無駄に銀貨を垂れ流す理由もない。


 そんなことを考えていると、ナイリザがこちらを見て溜め息をついた。


「顧問料を払っている限り、クライアントには手を出さないとは思うけど」


「通訳を頼めるか?」


 初見の相手なら、まだ通訳がいた方が安全ではある。

 だが、ナイリザはしばらく逡巡するような素振りを見せたあとで、観念したように呟いた。


「……私が行ったら揉めると思う」


 そして、ポーチから鍵を取り出して自分のデスクの引き出しを開けた。

 鍵付き引き出しを開けているところは初めて見た気がする。


 ナイリザが取り出したのは、博物館にでも展示されていそうな古さびたプレートだった。

 複雑な文様が穿たれ、宝石とも魔石ともつかない小粒の石がちりばめられていた。かなりの値打ち物に見える。


「本当はこんなことに使っていいものじゃないんだけれど」


 そう呟きながら、自分の髪を一本抜き、それを結び合わせてプレートを俺の右腕に巻き付けた。

 そして、うつむいたまま、両手で俺の腕を包み込むようにして、読経のように妙な抑揚の帝国語を暗唱しはじめる。


 文法まで違う古語なのか、イヤーバッズが仕事をしない。


 たっぷり叙事詩一篇分は読み終えたかというくらい時間をかけてから、ナイリザの顔が上がる。

 額には細かい汗が浮かんでいた。


「今の全力よ。これで時間稼ぎくらいにはなるはず」


 右腕を持ち上げてプレートを眺める。

 引き出しから取り出した時となんの変化もないように見える。

 露出していると目立つが、腕時計より少し大きい程度なので、シャツの袖に隠せそうだ。


「万一、もしこれが解けたら、何を盾にしてもいいから逃げなさい」


 いつになく真剣な表情でそう言った。


 * * *


 帳簿に書かれていた住所は西区。法院跡地の隣だった。

 日本租界から徒歩で三十分ほどの距離にある。


 石畳の道を歩く。このあたりまで来ると、日本語の看板はほとんどない。

 帝国時代の建物が残っている地区で、木造の漆喰壁ではなく、重厚な石造りの建築が並ぶ。

 魔法的な湿気対策ができる、あるいは、できていた証だ。


 法院の跡地には、屋根を失った列柱だけが残っていた。


 その隣に、小さな石造りの建物がある。

 入口の横に、真鍮のプレートが掛かっていた。帝国語と日本語の併記。


「エリファス法律事務所」


 日本語の部分は楷書体でプリントされていた。


 ドアを開ける。


 受付はない。廊下もない。ドアの先がそのまま執務室だった。

 壁一面の書棚に、革装の書物と、日本の六法全書が混在している。

 窓から差し込む光の中で、埃が舞っていた。


 デスクの向こうに、人影があった。


 三つ揃いのブラウンスーツ。上等な仕立て。モノクルをかけている。

 骨だけの指で万年筆を操り、何かを書いていた。


 骸骨だった。


 眼窩には眼球がなく、代わりに青い鬼火が揺れている。

 頭蓋骨の上に肉はなく、歯列がむき出しになっている。

 その歯列が――笑っているように見えた。


「おや」


 声が響いた。低く、乾いた、反響のある声。洞窟の奥から聞こえてくるような。


「ヤシマの方ですかな。お待ちしておりました」


 万年筆を置き、骨だけの手でモノクルを外した。


「エリファス・アル=ムターシムです。当事務所の代表を務めております」


「……加藤です。ヤシマコーポレーションの」


「ええ、ええ。カトウ殿。お噂はかねがね」


 エリファスは立ち上がった。背は高い。スーツの下の体躯は、当然ながら骨だけだ。

 握手を求められた。

 骨の手を握る。冷たくも温かくもない。乾いた硬質の感触。


「おや。これは少々くすぐったい」


「……はい?」


「ああ、サリヤーン家の術式ですな。懐かしい。お弟子のお弟子ですか」


 そう言うと、骸骨の指が胸の高さでコツリと打ち合わされた。

 禅僧がする弾指のような動きだった。


 シャツの袖からプレートが滑り落ちる。

 エリファスはそれを流れるように受け止めると、こちらに差し出してきた。


「丁寧なお仕事です。大事にされると良い」


 受け取る。

 ナイリザの忠告を無視するつもりはなかったが、さすがに会って早々に背を向けて逃げ出すわけにもいかない。

 赴任以来、危機察知能力は鈍麻する一方だが、ここで礼を失するのはまずい、という程度の直感は働いた。


「どうぞお掛けください」


 執務机と向かい合う、革張りの椅子を勧められる。

 言われるままに腰を下ろす。冷やりとした感触が妙に居心地悪い。


「お茶もお出しできず申し訳ない。私には茶を喫する習慣がありませんのでね」


 エリファスは自分のデスクチェアに腰かけると、そう言って笑った。


 敵意は感じない。

 おそるおそる用件を切り出した。


「なるほど。顧問契約を書面化したいと」


「差し支えなければ」


「構いませんよ。その方が望ましい」


 エリファスはレターケースから一枚の紙を取り出して執務机に置いた。

 羊皮紙ではない。ごく一般的なA3のコピー用紙に見える。


「顧問契約では法律相談全般をお受けします。現地法——と申しましても帝国法は既に機能しておりませんが——慣習法、取引慣行、紛争解決の助言。日本法についても多少は」


「日本法を?」


 エリファスの眼窩の鬼火が明るくなった。


「一般的な企業法務でしたら。契約法務、労務、内部統制から組織再編まで」


「組織再編」


「会社法というのは大変興味深い魔術体系です。人格なきものに人格を与え、百の手足で動かし、責任だけを一つの名に帰属させる。ホムンクルス術の妙技に通じますな」


「……そういう見方もあるんですか」


「千年ほど生きておりますと、新しい体系に出会えるのは僥倖でしてね」


「はあ」


 毒気を抜かれつつも、話としてはスムーズに進んだ。

 提示されたひな形について質問をすると、的確な回答が返ってくる。

 結局そのまま決裁に上げることにし、持ち帰り後日調印の旨を伝えた。


「カトウ殿。何かお困りのことがあれば、いつでもご相談ください。顧問料の範囲内であれば、喜んでお手伝いいたします。範囲外のことは、別途お見積もりとなりますが」


「範囲はどこまでですか」


「法律相談と助言まで。代理交渉や訴訟行為は別途です。この区別は通常の日本の弁護士と同じかと」


 同じかどうかはわからないが、とりあえず頷いた。


「あと一つ。当方はあくまで法律顧問でございます。委任の範囲外のことにはお応えいたしかねますので、その点はご了承ください」


 線引きも明確だ。

 この骸骨は、千年の存在であっても、あるいはだからこそ、契約の範囲は厳密に守るような気がした。


「ありがとうございます。また伺います」


「お待ちしております」


 * * *


 事務所に戻ると、ナイリザがデスクから顔を上げた。


「……遅かったわね」


「すまん」


 契約書の内容確認で思ったよりも時間がかかった。

 心配をかけたかもしれない。


「なんにせよ、無事でよかったわ」


 ナイリザはデスクチェアに身をあずけ、大きく伸びをして笑った。

 弛緩しきった様子に、正直に伝えるか一瞬躊躇する。

 だが、プレートを返さないわけにもいかない。


「その、なんだ。これは助かった」


 ナイリザの前に結び目が解けたプレートを置いた。

 それを見た瞬間、ナイリザの顔から半笑いが消えた。

 真顔で俺の顔を見て、それからもう一度プレートを見る。


「……本当に、無事でよかったわ」


 机に突っ伏しながらそう呟いた。


次話は6月9日(火)21時00分に投稿予定です。

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