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第29話 検問

 そろそろレベル1に消耗品の補充の買い出しに行かなければ。

 そう思っていた矢先、一人のドワーフが事務所を訪ねてきた。


 名をナズィムという。俺がビニール傘を卸している雑貨店の店主だ。

 納品のために毎月店で顔を合わせているが、向こうからやってくるのは初めてのことだった。


「カトウさん。ちょっとお願いがあるんだが」


 ナズィムは外套をきちんと畳んで膝に置き、客用のソファに浅く腰掛けていた。

 事務所に現地人の取引先が来るのは珍しい。


「グアシェルの寄り合いとずいぶん親しくされているそうじゃないですか」


 開口一番がそれだった。


「聞いたのか」


「聞くも何も、界隈じゃ知らない者はいませんよ」


 俺の応答が不満だったのか、ナズィムは大げさに目を剥いて言った。


「ヤポンのカイシャなんて、大店としか取引してくれなかったじゃありませんか。

 それを小商人の寄り合いで口を開かせたんですからね。ギンネのじいさん、いったいどんな魔法を使ったんだって」


 そこまで早口でまくし立てると、ずんぐりした体を揺すって溜息をついた。


「うちだってビニール傘でお付き合いしてるのに、大きな話はみんなグアシェルに行く。ちょっとずるいんじゃないですか」


 ずるいと言われても困る。

 ギンネの寄り合いは調達網として機能しているから使っているだけだ。

 それにナズィムの店は日本製品の取り扱いが強みなので、俺にもヤシマにも使う理由がないというのが正直なところだ。


 だが、ナズィムの不満も理解はできる。

 安定して取引を続けている日本人が、別の商人と大きな取引をしている。自分も食い込みたい。

 まっとうな商人のまっとうな競争心だ。


 ビニール傘は俺のポケットマネーの範囲内でやっている細い取引で、ヤシマの現地調達とは違う。

 このあたりの感覚が、現地の商人にはピンとこないというのもあるだろう。


「何か案件があるなら聞くが」


 ナズィムの目が光った。


「もうすぐサヒッダラディールが来るじゃないですか」


「何?」


「いやだから、サヒッダラディールですよ」


 謎の単語が左耳から右耳に抜けていく。久しぶりの感覚だ。

 一拍おいて頼みの綱のイヤーバッズの翻訳を待つが、辞書未登録で翻訳されない。


 素直にナイリザに助けを求めることにする。

 アイコンタクトを受けたナイリザは小さく肩を竦めると、流麗な発音で帝国語を口にした。


「サヒル・ダル・アディール」


 流れるように、しかし単語をはっきりと区切って呟く。


「エーテル・台風」


 イヤーバッズが仕事をした。

 だが辞書が熟語を探り当てたというよりは、二つの単語を直訳して無理やり繋げた感がある。


「台風か?」


「そう。そうです。ここ数年は当たり年だから。まだ雨季が明けてないのに、三日後には合がくる。こんなときに台風が来たら大変だ」


「ふーむ?」


「カトウさん、まだ知らないでしょ。ただでさえ雨季終盤の台風は激しいのに、魔素の潮流が乱れる。魔道具は暴れるし、ヤポンの機械も動かなくなる。近くに魔術師なんていた日には……」


 そこでナズィムははっと言葉を止めてナイリザを見た。


 ナイリザは気にも留めず、憂鬱そうに窓の外を眺めている。

 外は重い曇天。風鳴りの音が聞こえてきた。


「確かに今年は重なりそうなのよね」


 ナイリザがぼそりと呟いた。


「合の日は私も欠勤かも」


 それだけだった。

 眉間に皴を寄せ、人差し指で両耳の付け根を揉み解している。


「とにかく、ですね」


 ナズィムが強引に引き取った。


「毎年、屋根が飛ぶ家が出る。去年は通りの向かいの染物屋が潰れた。壁ごと持っていかれた」


 そして、改めて、という風に太い指を組み、商談の顔をした。


「日本の青い布、あるでしょう。あれが欲しい」


「青い布」


「薄くて丈夫で水を通さない。あれで屋根を覆えば、かなり持つ。ヤポンでは安いんでしょう?」


 ブルーシートのことだ。

 防災物資の類なら、レベル1のホームセンター相当の売店か、業者向けの資材倉庫で手に入る。

 ただ、ビニール傘とは違い、ブルーシートは一応管理対象になっていたはずだ。


 特に持ち出しが規制されているわけではない。実際、レベル2で最もよく目にする日本製品のひとつだ。

 だが、個人がおおっぴらに大量搬出するものではない。検問で目をつけられる。


「何枚要る」


「十枚あれば、うちと隣近所の分は足りる。いや、二十枚あれば通り全体に卸せる」


 二十枚。

 月末の補充買い出しに少し混ぜるくらいなら、無理な話ではなさそうだ。


「仕入値次第だが、やれなくはない。明後日にレベル1に行く予定がある。ついでに見てくる」


 予定を書き込むために手帳を開く。


「ありがたい。カトウさん、あんた話が早い」


 ナズィムは嬉しそうに手を叩くと、待っていましたとばかりに懐から紙片を取り出して広げた。

 日本語の印刷がある。何かの空き袋から切り取ったラベルだろう。


「3000番。3.6掛け5.4。ヤポンの寸法で12畳。これを二十枚。できればハトメは90センチ間隔のものがよろしい」


 手帳に書き込もうとしたペン先が止まる。


「……詳しいな」


「それを商ってますから」


「番手まで見るのか」


「もちろんですよ。薄いものはダメです。魔素混じりの台風では一晩で裂けてしまう。2000番は安いが、屋根に張るには心もとない。4000番は良いが、高すぎるし、畳んで運ぶには重い。3000番が一番売れます」


「わかった、わかった」


「それとね……」


 そこでナズィムは声を落とした。


「急いでもらえると助かる。今年は早い。風がもう変わり始めてる。明後日じゃ間に合わないかもしれない」


 * * *


 翌朝はさらに空気が重かった。垂れ込める雨雲で空が暗い。

 時折、突風に混じって塊のような酸性雨が降り注いでは、止む。


 除湿され、白色LEDに照らされた室内に籠っていると、外に出るのが億劫ではある。

 だが出勤の道すがら覗いたバザールはなかなかの人混みだった。

 備えは十分か、買い忘れはないか、誰もが駆け込みの準備に追われているようだった。


「買い出し、今日にするか」


 自席でぼそりと呟いた。


「そうね。それがいいかもね」


 ナイリザはモニターと向き合いながら、相変わらず耳の付け根を揉みほぐしている。


「つらいのか?」


「うーん。つらいというか……つらいわね。過敏になって普段聞こえない音が聞こえちゃう感じ」


「頭痛薬も買ってくるか」


()()にはあんまり効かないのよ……私物でストゼロお願い」


「わかった」


 ハイラックスのキーを取り出して、立ち上がる。


「事務所にも何かいるか?」


「こことか、あなたの家とかは大丈夫よ。厄介なのは魔素障害だから、日本租界では影響は小さいはず」


「そういうものか」


「心配なら、乾電池とか、水とか乾パンとか」


「まあ一般的な備蓄品ってことだな」


 雨除けを兼ねて、作業用ジャケットに袖を通す。

 ワイシャツが酸性雨まみれになるよりはマシだ。


「いってくる」


「いってらっしゃい」


 ナイリザが机に突っ伏したまま、手をひらひらさせて見送ってきた。


 * * *


 レベル1の雰囲気は驚くほど何も変わらなかった。

 コンビニも覗いたが、品薄な気配もない。


 よくよく考えてみれば、現地の天候はゲートを通した物流には何一つ影響しない。

 客であるレベル1住民も、出張で外に出ない限りは、出勤から買い物から帰宅まで、屋内で完結する。

 つまり台風が近いからといって需給が逼迫する理由がないのだ。


 さすがにコンビニにブルーシートは置いていなかったが、管理本部指定の資材販売所で、防災用のブルーシートを二十枚調達できた。

 一枚4980円だった。

 ビニール傘もそうだが、レベル1に入ってくる物資は品質重視、同種の一般的な製品よりもやや高めのものが選ばれがちだ。

 そこにゲート利用料や越界による損耗を見込むので、体感では日本の倍近くの値段になる。


 二十枚で9万9600円。自腹だ。ナズィムからは銀貨で回収する。


 ハイラックスの荷台にブルーシートの束を積んだ。

 青いビニールの塊が荷台を占領している。

 思ったよりもかさばる。検問でも目立つだろう。

 溜め息をつきながら、いつもの消耗品——コピー用紙、トナー、ナイリザの安酒——を隅に押し込んだ。


 時刻は14時を過ぎていた。

 空は相変わらずの曇天。

 夕刻には納入したい。出域手続を考えるとそれほど余裕のある時間ではない。

 ハイラックスで検問所に向かう。

 駐車場からは目と鼻の先だ。


 到着してみると、検問は普段よりは少し混み合っているかという程度だった。


 大型車両向けのレーンには、企業か役所が手配した大型トラックが数台。こちらはいつもどおり。

 通常レーンの列にハイラックスを停める。こちらはいつもより少し列が長い。

 社用車らしきバンや、個人のものらしき軽トラック。

 荷台には板材やロープ、乾電池の箱が積まれていた。


 ふと、二重フェンスの外側に目をやると、そこで待機する人の数は普段より明らかに多い。


 物資に少しでも早くアクセスし商談をまとめようと集まった現地商人たちだ。

 手押し車を押したゴブリン、布包みを背負ったオーク、屋根材の注文票らしい木札を握ったドワーフ。


 彼らはレベル1には入れない。

 荷が出てくるのを、レベル2側の荷捌き場で待っているのだ。

 台風の前、誰もが何かを欲しがっている。


 若い自衛官が荷台を確認に来た。

 段ボールを開け、中身を目視。コピー用紙、トナー、日用品。ここまではいつもどおり。


 ブルーシートの束で手が止まった。


「これは何ですか」


「ブルーシート。防水シートです」


「二十枚。個人使用ですか」


「現地の取引先に納品します」


 若い自衛官は眉をひそめた。無線で誰かに確認を取り始める。


 待たされた。


 その間、検問所の壁の掲示板を見るでもなく眺める。


「変異兆候者の即時申告義務について」


「レベル2における邦人の単独行動に関する注意喚起」


「異界生物及び魔法的特性を帯びた物品の持ち込み禁止品目一覧」


 その隣に一回り小さな紙。「帰還不能者届出手続きのご案内」。

 欄外に、しかし本文よりも太い字で「通報窓口」という記載があった。

 ちらと見て、目を逸らした。


 掲示板は二面ある。

 片方には「異界特区派遣後方支援隊」の隊章が入った掲示物。

 もう片方の掲示物には「異界特区派遣警備隊」の隊章。


 似たり寄ったりの内容が、別のレイアウト、別の文章で記載されている。

 よくよく見ると内容も微妙に食い違う。

 後方支援隊の掲示には「民間車両の検問通過は原則0800-1800」。

 警備隊の掲示には「検問通過可能時間は日出から日没まで」。


「お待たせいたしました」


 そこで声がかかった。


 三十代後半くらいの女性自衛官。先ほどの若い自衛官を従えている。

 空調の効いたレベル1にしかいない人間の肌の白さ。制服に皺一つない。手にはビニール手袋を嵌めていた。

 この埃まみれの検問所では異質なほどの清潔さだった。


 二等陸佐の階級章。現地に3名しかいない自衛隊隊長の一人だ。

 慌てて緩み切ったネクタイを締め直し、運転席から降り、名刺を差し出す。


「ヤシマ・コーポレーションの加藤です」


「後方支援隊の如月です」


 如月二佐は儀礼的な笑みを浮かべ、半歩距離を置いた。

 そして、ビニール手袋のまま名刺を受け取ると、検問台の上に置く。


「取引先への納品と?」


「はい」


 笑っていない瞳が、こちらの頭からつま先までをちらと流し見た。

 酸性雨が染みた作業用ブルゾン。無精ひげは剃っていない。

 隊長格との対面など想定していなかった。


「ヤシマ・コーポレーションとしての納品ですか?」


「いえ。……個人的な取引です」


「個人的な取引」


 如月は検品台に何かの書式とボールペンを置いた。


「こちらに。品目、数量、購入場所、搬出目的、予定対価を記入してください」


 ボールペンに伸ばしかけた手が一瞬止まる。

 これはただの通行書類ではない。

 俺が、ヤシマの外で現地商人相手に商売していることの記録だ。


「書けないのであれば、防災資材としての搬出という扱いになります。

 規定上、警備隊にも照会が必要です。最終的な判断はそちらで」


 淡々とした言葉に天を仰ぐ。

 黒雲が異様な速さで流れていた。

 警備隊まで回っていては、今日中に抜けられるかも怪しい。

 諦めて、書式にボールペンを走らせる。


「毎月、ビニール傘の搬出もありますね」


 如月の言葉が降ってきた。

 見られていないと思っていたわけではない。

 ただ、データとして把握されているのだなと思った。


「規制品目ではありません」


 顔を伏せたまま、空欄を埋めながら答える。


「ええ。規制品目ではありません。だから止めていません」


「……書けました」


 記載済みの書式を渡そうとしたが、如月が動かなかったので検問台に置く。

 如月は台上に置かれたそれを目視して、「結構です」と言った。


 解放されるかと思ったところで、如月が再び口を開く。


「加藤さん。直近の指定医検査はいつですか」


 傍らの部下からタブレットを受け取りながら問われた。

 今度は人間の検問というわけだ。


「先月です」


「確認しました」


 如月はタブレットから顔を上げ、再び儀礼的な笑みを浮かべた。目は笑っていない。


「加藤さんは、随分レベル2にお詳しいようですね」


「……いえ」


「帰還不能者。または変異兆候者を発見された場合は、速やかに通報をお願いしますよ。

 現地事情に明るい方のご協力は、こちらとしても助かります」


「承知しました」


「手続は以上です」


「ありがとうございました」


 運転席に乗り込み、エンジンをかける。

 窓越し振り返るが、如月はもうこちらを見ていなかった。

 若い自衛官が軽く頭を下げてきたので、会釈を返した。


 車を発進させる。バックミラーに検問所が遠ざかる。

 コンクリートの建物の前には、まだ現地商人の人だかりが残っていた。


 時計を見る。15時31分。

 検問ではそれほど時間はとられなかったということだ。疲労感はあるが。


 旧帝都の東門に入り、日本租界を抜けて、ナズィムの店に直行した。


 店の前にハイラックスを停めると、ナズィムが飛び出してきた。

 荷台からブルーシートを下ろしてやる。

 ナズィムは青い束を抱きしめた。


「間に合った。カトウさん、あんた命の恩人だ」


 大げさな様子に、俺は肩を竦めた。


「商売だ。きっちり代金は払ってもらう」


「もちろんですよ」


 ナズィムはほっとしたような笑顔で頷いた。


 生温い湿った空気が頬を撫でる。

 風は、もう明らかにいつもと違っていた。


次話は5月26日(火)21時00分に投稿予定です。

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