第28話 ハシュラのねぐら
約束のエアマックスを買いに、レベル1のコンビニに寄った。
コンビニと言っても、日本のそれとは品揃えが違う。
日用品、保存食、電池、文房具。そして靴。
異界特区では靴の消耗が激しい。越界障害でゴム底が劣化するせいだ。
エアマックスの正規品が棚に並んでいるのは、そういう需要があるからだろう。
サイズを迷ったが、ハシュラの足のサイズなど知るわけがない。
小さめを二足買った。合わなければ売ればいい。レベル2では日本の靴は高く捌ける。
事務所に戻ると、ナイリザが聞いた。
「靴? 誰に」
「ハシュラだ。仕事の報酬」
「あの子にエアマックス。勿体ない」
「約束した」
「律儀ね」
* * *
エアマックスは直接渡しに行くことにした。
ニャーラ伝手で渡すのが筋かもしれないが、今は顔を合わせる気にならない。おそらくお互いに。
ギンネにハシュラの居場所を尋ねる。
煩わしそうにしつつも教えてくれた。
ハシュラのねぐらは、歓楽街の裏手、ビルとビルの隙間にあった。
換気ダクトと排水管が絡み合う路地の奥。
トタンと廃材で組まれた小屋が、ダクトの隙間に嵌まるようにして建っている。
建っている、というのは語弊がある。挟まっている。
「おっさん。来んなよ普通」
ハシュラは不機嫌そうにトタンの扉を開けた。
人を迎えるつもりのない場所だったのかもしれない。
「約束の品だ」
紙袋を渡すと、ハシュラは中を覗き、目の色が変わった。
「マジで。マジで本物? タグついてんじゃん」
「正規品だ。サイズが合わなかったら言え」
ハシュラは加水分解しかけた偽物のエアマックスを蹴り脱ぎ、新品に足を突っ込んだ。
少し大きかったが、構わないようだ。
その場で三歩、四歩と歩き回り、跳ねた。
「やっべえ。ソールが沈む。本物のエアってこういう感じなんだ」
「もう一足ある。予備だ」
「二足!?」
ハシュラは紙袋を抱きしめた。
「……入んなよ。狭いけど」
* * *
小屋の中は、意外なほど乾燥しており、清潔だった。
壁にはマザーボードや冷却ファンが装飾品のように飾られている。
日本から流れてきた電子ゴミの中から、形が良いものを選んで貼り付けたらしい。
天井にはLEDイルミネーションが星空のように瞬いている。
バッテリーから電源を取っているようだが、接続はでたらめだ。いつショートしてもおかしくない。
パイプ椅子を勧められた。
ハシュラは床に座り込み、新しいエアマックスを何度も見下ろしている。
爪先を伸ばしたり、踵で床を叩いたり。
「おっさんさ、日本にはこれ、いくらでもあんの?」
「いくらでもある」
「みんな履いてんの?」
「エアマックスはそこそこ高いが、靴自体はな。道に落ちてることもある」
「嘘だろ」
「嘘じゃない」
「マジかー」
そこでハシュラは何かを思い出したように「あ!」と呟いた。
棚の隅をごそごそと探ると、何かを取り出してこちらに見せた。
「なあおっさん、これも日本のだろ?」
見せられたのは昔懐かしい携帯ゲーム機だった。
薄汚れたプラスチックの筐体に液晶画面。
ゲームボーイカラーだ。
ハシュラは別に取り出したカートリッジを背面に差し込む。
カートリッジのシールには、緑色の背景に、花を背負った両生類のようなキャラクターが描かれていた。
有名RPG、それも初代だ。
「……緑か」
「え? なに?」
「いや、なんでもない。動くのか?」
「動くよ。電池さえあればね。ここ、おっさんのとこに近いから、ヤポンの機械が死ににくいんだ」
ハシュラはゲーム機の画面を見せてきた。
文字は日本語だ。読めないはずだが、数字だけは覚えたらしい。
画面には、カートリッジに描かれていたキャラクターのドット絵が表示されていた。
レベルは37。
「すごいっしょ。アタシのこの、カエルバナ」
そんな名前だったか、と一瞬思う。いや、たぶん違う。
字が読めないのだから、ハシュラが適当にそう呼んでいるのだろう。
「どうやってここまで?」
「メニューの位置も覚えた。どこ押したら何が起きるか、全部試した。何百回も」
鼻の頭を擦りながら、妙に誇らしげに言う。
「読めない言語のゲームを、総当たりで」
「そうだよ。でもさ、こいつのいいところはさ」
ハシュラは画面をじっと見つめた。
「やった分だけ数字が上がんの。ずるがないの。ちゃんとやれば敵を倒せるし、たくさん倒せばちゃんと強くなる」
俺は黙って聞いていた。
ドット絵の箱庭。読めない文字。理解できない物語。
それでも、数字が積み上がる。操作が蓄積される。
その公正さに、ハシュラは魅了されている。
「なあ、おっさん」
ハシュラは新しいエアマックスの爪先を、LEDの光にかざすようにして言った。
「いつか、アタシも日本に行けるかな」
無邪気な声だった。
靴の延長線上にある問い。エアマックスがある場所。ゲームボーイがある場所。
言葉に詰まる。
ハーフ・ダークエルフ。戸籍もない。パスポートもない。査証が出ない。検疫も通らない。
一瞬、ビー玉の向こうに日本を見た女の顔が浮かんだ。
「……いつかな」
嘘をついた。
らしくない嘘だったかもしれない。
ハシュラがこちらをじっと見ていた。
とび色の瞳が、LEDの光を反射して動かない。
「おっさんも同じ目してる」
「……何の話だ」
「ニャーラ姐と。この前うちに来たとき、ずっと泣いてた」
何も言えなかった。
ハシュラは俺の顔を見ていた。
それから、寂しそうに笑った。
「……わかってるよ。アタシの居場所は、ここだ」
外では、酸性雨がトタン屋根を叩き始めていた。
雨音と、電子機器のファンの音が混じり合い、この街特有のノイズを奏でている。
ハシュラの足元で、新しいエアマックスだけが白く光っていた。
次話は5月16日(土)21時00分に投稿予定です。




