[1-15.5] 第二の救世主の物語
かくして、最初の救世主が父のもとへ帰り、その言葉がなお人々の心に響いているとき、民の中から第二の師が立ち上がった。彼は自らを救世主とは名乗らなかった。しかし民はそう呼んだ。なぜなら彼は異なる言葉で、しかし同じ力をもって語ったからである。
彼の周りには羊飼いや農夫、漁師や母たちが集まり、彼らの足下の大地そのものが静けかった。弟子の一人が彼に尋ねた。
「師よ、人にとって聖性とは何ですか? もし私たちが神を見ないのなら、神はどこにおられるのですか?」
第二の救世主はひざまずき、手のひらを大地に押し当てた。それから一握りの黒く湿った土をすくい上げて言った。
「ここが汝の家である。人の手で建てられた神殿でも、青銅の門を備えた都市でもない。こここそ、汝が初めて目を開いた場所である。汝の足が道を知り、汝の舌が母の名を知った場所である。故郷とは地図上の領域ではなく、心の領域である。」
彼は指を開き、土は再び地面に落ちた。
「これらの塵を見よ。その一粒一粒が父祖の足跡を覚えている。汝の井戸の水は、異国の川の蜜よりも甘い。汝の家の敷居の石は、異国の宮殿の大理石よりも温かい。楽園を探して旅立つな。汝が立つその場所に楽園を耕せ。」
そこに別の男が来た。裕福で、悲しんでいた。彼は言った。
「私は畑と家畜を持っています。しかし私の心は空っぽです。私の兄弟たちは私に話しかけません。隣人たちは私の背中で囁きます。私はどうすればよいのですか?」
第二の救世主は彼を見つめて言った。
「ある人に二人の友がいた。第一の者は黄金を与えたが、その顔は覆われていた。第二の者はただ一片のパンだけを与えたが、覆いを取って微笑んだ。どちらを友と呼ぶか? 愛は贈り物にあるのではなく、顔にある。人と人との愛とは、汝が彼を見、彼が汝を見ることである。隣人の痛みが汝の痛みとなり、隣人の喜びが汝の喜びとなることである。」
師は裕福な男の方を向いて、静かに付け加えた。
「行きなさい。貧しい者の食卓に座りなさい。パンを裂きなさい。彼の息子の名を尋ねなさい。そうすれば、汝の空っぽは満たされる。」
三日目に、一人の若者が彼のところに連れてこられた。その若者は、人々が畑を開墾するために森を焼き、毛皮のために獣を殺すのを見ていた。若者は泣いて言った。
「なぜ主は、ご自身が創られたものを私たちが殺すのに、私たちに地の生き物を支配する権威をお与えになったのですか? 本当にそれが主の喜びとするところなのでしょうか?」
第二の救世主は立ち上がり、小川へ歩いて行った。そこで柳を植えて言った。
「主が人に与えたのは自然に対する権威ではなく、責任である。父が息子に家を残すのは、焼き尽くすためではなく、住むためである。自然を慈しむことは、明日の自分の息を慈しむことである。なぜなら、地に蒔くものは、心に刈り取るからである。」
彼は花に止まった蜂を指さした。
「見なさい。蜂は巣が必要とする以上は取らない。狼は遊びのために殺さない。一人の人間はあらゆる獣よりも貪欲である。気まぐれのために破壊するからだ。しかし汝らに言う。最後の一本の木を切り倒せば、孫のための揺りかごを建てる材も残らない。最後の小川を涸らせば、幼子に洗礼を施す水も残らない。」
弟子たちが尋ねた。
「では、すでに破壊してしまった者たちはどうなるのですか?」
師は答えた。
「焼け跡に庭を植えなさい。種をその内に受け入れる大地が許すように、許しなさい。過去に生きるな。回復によって生きよ。」
ある長老が尋ねた。「では、他の理性的な命とは何ですか? あなたはそれについて語られました。」 第二の救世主は目を天に上げて言った。
「知りなさい。あなた方は父の家に独りではない。あなた方とは似ていない理性がある。それは風と水の流れの言葉で語る。潮の満ち引きと鳥の渡りによって時を数える。都市は築かないが、関係を築く。無知をもってそれを殺すな。なぜなら、思考する魂はすべて、同じ手によって灯された蝋燭だからである。」
そして彼はたとえを語った。
「ある航海者が深みから歌を聞いた。その歌は彼の耳には異質なものだった。しかしそこには人間のように悲しみと喜びがあった。彼はその歌う者を殺して、その歯を売ろうとした。しかし歌う者は言った。『もし私を殺せば、誰が私の子どもたちに夜の子守歌を歌うのか?』 そして航海者は槍を下ろした。なぜなら理解したからである。理性とは身体の形ではなく、愛する者たちのために愛し、恐れる能力にあるのだと。」
終わりに、第二の救世主は皆に向かって言った。
「法があなた方を善に強制するのを待つな。法は世界の心に記されている。山を見なさい。山は陰に対して代価を要求しない。川を見なさい。川は水に対して代価を取らない。山と川のようでありなさい。あなた方が生まれた場所を愛しなさい。そこは約束の地だからである。互いに愛し合いなさい。隣人の顔は創造主の御顔だからである。野を愛し、森を愛し、獣を愛し、鳥を愛し、異なる思考を持つ者たちを愛しなさい。なぜなら、これらすべては一冊の書物であり、そのどの頁も聖なるものだからである。」
そして弟子たちはひれ伏し、焼け焦げた丘に木を植えに行った。大地は再び実を結び、水は再び生き返った。そしてそれはそうなった。




